ミクと過ごした三日間!!!

2012.02.12

ミクが体調を崩したこと、こんな時にはいつもミクを見る役目の上さんがたまたま次男と小笠原に旅行に行ったこと、しかものりこがどうしても外出しなければならない用事が重なったことという三つの条件があいまって、私は思いがけず、この一週間に三日(7日、9日、11日)もミクと二人で比較的長い時間を一緒に過ごす機会に恵まれました。こんなことが書けるのも、ミクの体調がかなり回復したからであり、当初は心配で、心配でならなかったのです。でも、今は安心してこの三日間のことを書き留める気持ちの余裕が生まれました。
 最初の日(7日)は、ミクが38度台の熱があってかなりぐったりとしていました。前の夜中には咳がひどくて、ミクものりこもまんじりともできず、二人とも疲れ切っている感じでした。午後の間ずっとミクと二人で留守番をしたのですが、ミクは本当におとなしく、一人で黙々とお絵かきをして過ごしていました。私は、のりこに言いつかっていた薬を飲ませた時間などをメモしていたのですが、それを見ていたミクが「ミクも書ける」と言って「分」を何度も書いているのには驚きました。後でのりこに聞いたのですが、かなりの数の漢字を書けるようになっているとのこと。のりこの影響でミクも「嵐」が大好きなのですが、テレビに映る「二宮和也」の字幕を見ているうちに自然と「也」も書けるようになったとか。算数の増減とか、大小、遠近とかの概念は抽象度が含まれるので苦手のようですが、漢字にはミク自身が興味を持って習得しているとのことです。「ご飯、一緒に食べよ」というミクの言葉に有頂天になって、夕食を三人で食べて(ミクが病気なので外出できず、のりこが準備したきりたんぽ鍋)から帰宅したのでした。
 9日は、朝からのりこが外出する必要があったので、9時から夜まで10時間近くもミクと一緒にいました。実は、7日のミクの様子から8日に病院に行ってインフルエンザと診断されてしまい、学校に行くどころではなくなったのです。咳、鼻水がひどく、かなり苦しい様子で、前の晩はよく眠れなかったとのことで、午後は私の腕の中で3時間近くも寝入っていました。昔(?)はよくミクを抱いていたことがあるのですが、本当に久しぶりで、ミクのぬくもりと適度の重みが私にはとても心地よく、ミクにはすまないと思いつつ、すっかり充実した気持ちで午後の一時を過ごし、やはり夕食を一緒にしてから帰宅したのでした。
 11日は午後1時近くに行ったのですが、ミクはすっかり元気になっていました。相変わらず静かで、テレビに見入っていましたが、長く見過ぎると疲れが出るのが常のミクなので、何度も声かけした結果、ミクも納得してテレビを消し、それからはずっとお気に入りの「ドラゴン・ボール」のアニメ本に見入っていました。最初は気がつかなかったのですが、何度もチラチラ様子を見ていたところ、ずっと同じところを見ているではありませんか。一時間以上もずっと同じ絵に目がとまったままなのです。最初は黙って様子を窺っていたのですが、ついにたまらず、「何してるの?」と聞いてしまいました。はっきりした返事はなかったのですが、帰宅したのりこに聞いたところでは、よくあることあのだとか。同じ絵を見ながら、自分の頭のなかでいろいろ想像しているんだろうな、と思ったのでした。のりこが上さんの父親(つまり、私の岳父)直伝の炸醤麺を作ってくれたのですが、今回のはことのほか美味しくできており、思わずお代わりをしてしまいました。ミクはあまりお気に入りではないのだそうですが、よほど美味しかったのでしょう、ミクもお代わりをしていましたよ。

 前々から上さんが「ミクはほんとに手がかからない」と感想を洩らすのを聞いていたのですが、今回は上さんの感慨を身を以て体験したのでした。広島から帰ってきて間もなく1年になりますが、こんなに長い時間ミクと一緒に過ごすことができたのは今回が初めて。冒頭に書いたような条件が重ならないと私の出番はないので、次にミクと一緒の時間を過ごすことができるのは何時になるのか分かりません。繰り返しになりますが、ミクが元気を回復してくれたので、こういうのんびりしたことも書けるわけです。とはいえ、体温自動調節もむずかしいミクですので、のりこの24時間体制の細心の注意なしにはミクの今はありません。ミクの今あることを感謝しつつ、のりこの大変さを改めて垣間見た思いの三日間でした。