「特別の日」に思えた12月5日

2010.12.11

12月5日の午後1時半から全国障害者問題研究会(全障研)の2012年広島全国大会の準備委員会が開かれるということで、準備委員会委員長という「お飾り」の役職を引き受けた(2011年3月末には八王子に引き上げるので、もう引退する身の私がそういう任でもあるまいと思って大いにためらったのですが、それとは関係なしに、という全障研側の熱心なお誘いがあったことに加え、孫娘・ミクのことでこれからもお世話をかけたり、相談に乗っていただくことも大いにあると思われたことが決定打となって、お引き受けすることになったのでした。)、私も会場まで出かけました。驚いたのは、定刻ぎりぎりには広い会場が参加者でぎっしりと席が埋まっていたことでした(その後も、何人かの方が途中参加されていました。)。その数の多さにビックリしたのは私だけではなかったことは、他の出席者からも同じ驚きの声が上がっていたことでも確かめられました。もっとも、広島全障研の会員は減少傾向にあるとのことで、2012年の大会を準備する過程では、会員拡大も一つの大きな目的になっているということでした。
 会合そのものは議事次第にしたがって円滑に、滞りなく行われたのですが、私が目を見張り、襟を正す思いに襲われたのは、参加者の一人ひとりが自己紹介を兼ねた挨拶をされたときのことです。障がいがある方もいたし、いろいろな施設(学校関係もふくむ。)で働いている方もいたし、初参加という若い人たちもいたのですが、自らの経験を踏まえた、問題意識にあふれた、しかもとても積極的な、問題意識豊かな、そして物事を前向きに捉える基本姿勢が生き生きと感じられる発言が相次いだのでした。また、2012年広島大会を実りあるものにするために広島県内の全障研会員が、分科会へのレポート提出、分科会への積極参加を含め、大いに意欲的に取り組みたいという決意表明も相次ぎました。
出席者の年齢構成は、間違いなく年配の方が多かったのです(そのことを心配して「世代交代」「次代への継承」という発言も相次ぎました。)が、特に福山から4人の青年が参加しており、その発言内容も仕事の実践に裏づけられた問題意識が実に豊かな内容の濃いもので、「緊張している」と言いながら、発言する態度も自信に満ちており、しかもポイントを押さえた発言にまとめることにも優れていて、私は思わず引き込まれる気持ちで彼らの話に聞き入りました。
もちろん、深刻な話しも相次ぎました。今国会で「応益負担」を実質的に温存する障害自立支援法「改正」が民自公のなれ合いによる談合政治で賛成多数で成立してしまいましたが、それは、「本「改正」法は、「新法へのつなぎ」どころか、自立支援法の「延命」「復活」に道を開くものと言わなければならない。応益負担の「応能」化ではなく、現行の負担を温存し、「1割負担」を条文化する。また、推進会議が提出した「4つの緊急課題」は全く考慮されていない。制度の谷間の問題は先送りされ、より一層重要となるべき相談支援やコミュニケーション支援は、新法移行のバックアップどころか大きな妨げとなるものである。この法律は、地域であたり前に生きたい、人間として誇りをもって生きたいすべての障害者の思いに反するものである。」(12月3日付の10.29全国大フォーラム実行委員会事務局長・太田修平名の声明:「障害者自立支援法「改正」法案の参議院可決・成立に断固抗議する」)であって、新自由主義の応益負担制度を実質的に何も変えていないものです。
それだけではありません。今度の「改正」には障害児「支援策」の見直しまで抱き合わせで盛り込まれるもので、いよいよこの分野にも応益負担を持ちこむことまで、民自公政治は公然と踏み込んできたのです。こういうきわめて厳しい状況を前にして、ひとり障がい者だけが自らの待遇改善を求めて闘うのでは不十分であり、新自由主義の攻撃対象となるすべての人たちが力を合わせて反動政治をはね返して、新自由主義に基づく政策体系を全面的に人間中心の政策体系に変えさせていく力をなんとしてでも作り上げていかなければならないという趣旨の認識が、多くの人たちから異口同音に表明されました。
私も準備委員長としての短い挨拶の中で、①これまでの約1年間の民主党政権の政治で民主党と自民党の間には本質的な違いがないことはハッキリしたこと、②「戦争する国」に向かわせようとする政治は必ず人間を大事にする政治をやることはなく、むしろ放っておけばますます状況は厳しくなっていくであろうこと、③このような反動の攻勢に対しては、障がい者だけの運動だけをしていたのではダメで、新自由主義によって人間の尊厳を犯されるすべての人びと(障害、老齢年金、高齢者医療、介護、保育、派遣労働、切り捨てられる農村等々)が力を合わせなければ勝利への展望は開けないこと、つまり、新自由主義そのものを克服し、人間の尊厳に基づく社会福祉・社会保障制度を確立することを明確に視座に収めた運動を組み立てていかなければならないこと、④障害者自立支援法違憲訴訟における苦い体験(私たちの主体的な力が弱かったために、結局弁護士主導の裁判闘争だけになってしまい、その弁護団が民主党政権と政治妥協してしまうことで、せっかくの訴訟が挫折させられた。)から教訓を汲んで、是非私たちの主体的力量を格段に強める必要があること(裁判を起こすときも、あくまで私たちが主体で、弁護士は私たちの協力者であるという点を明確にする必要があること)、⑤2012年の全国大会にめがけて障害だけではなくさまざまな分野の人たちとの連携を強めていく努力をするべきこと、等を申し上げました。
皆さんのお話を聞いている中で、私自身にも思いがけないことだったのですが、なんだか泣きたくなるような気持ちに襲われました。悲しくてではなく、発言する一人ひとりの皆さんの真剣さがひしひし伝わってきて、私は感動していたのです。しかも、これはいつものことなのですが、とにかく障がいがある人も障がい関係の仕事にかかわっている人も、みんな明るいのです。私はついついミク、そしてミクにかかりっきりののりこのことばかり考えてしまって気持ちが沈んでしまうことがままあるのですが、ミクは決して一人ではないし、のりこもたくさんの友達やサポートの方たちに恵まれていて、元気と明るさに満ちた人たちと一緒の中で過ごしているんだ、ということを改めて実感できて、ミクやのりこのことでくよくよする自分がある意味滑稽であるようにも感じたのでした。そして、これまたなぜか分からないのですが、皆さんの中に自分もいるという確かな手応えをじわじわとした実感として感じることもできました。
 直接以上のこととは関係ないのですが、実は数日前にアマゾンのマーケット・プレースで注文していた「Dr.コトー診療所2006」がやっと届いて、2日かけて一気に全巻を見たのです(無理矢理と言うことではなく、引きずり込まれて止められなくて、です。)。ちなみに、これでDVDになった「Dr.コトー」はすべてそろいましたが。その最後の話しのところが、医師であるコトーが「自分は医師として患者に接しているのだが、実は患者である人たちに自分が救われているのだ」と述懐するくだりがあって、上の全障研でのこととダブって、私はまたまた心の奥がぎゅっと詰まる思いがこみ上げてきたのです。
結局、「完全な人」なんて誰もいないのではないでしょうか。みんな程度の差はあっても何かしらの障がいを抱えている。そういう人たちの心の通う交流を通じて、人の社会は成り立っている。本当に当たり前にことですが、なぜか「本当にそうなんだよなあ」としみじみ腑に落ちて、そのように感じられる自分が、正に今更「いい年ぶっかいて」なのですが、すごくじわじわこみ上げてくる幸せな余韻に浸ったのでした。
テレビ・ドラマぐらいでこんなに心が動かされるなんて、という声もあるとは思いますが、私は、結構テレビのドラマを見て感動します。この秋のテレビ・ドラマでいえば、月9の「流れ星」(風俗嬢なんだけど心がまっすぐな上戸彩がとてもいい)、火9(フジテレビ系)の「フリーター家を買う」(ニノ(嵐)のどこか頼りないけどまじめさを漂わせる演技は秀逸)、日9(TBS系)の「獣医ドリトル」(Dr.コトーには到底かなわないけど、それでも真っ正直さが伝わる小栗旬、井上真央、成宮寛貴のすがすがしさに結構はまる)が三本指に入ります。三本に共通するのは、やはり人間(生きるもの)に対する温かいまなざしが感じられることです。こういう温かいまなざしが社会全体を覆うようになれば、新自由主義で覆い尽くされているいまの日本社会のおかしさ、異常さも気がつかれるようになるときが来るのだと思うのです。