ミクの運動会

2010.05.30

ミクの小学校最後の運動会ということで、仕事を終わってから新幹線に飛び乗り、見に行ってきました。横浜線に乗ったら人身事故に遭遇、八王子着が1時間近く遅れて、駅前のビジネスホテルに着いたのは午後11時半でした。翌朝は9時から運動会というので、8時半に次男と彼女が迎えに来てくれて学校に直行、入場式から間に合いました。季節外れの寒さと今にも降り出しそうな空模様でしたが、運動会の間は雨が落ちることもなく、ミクの出場するものは無事行われました。
ミクの最初の晴れがましい役目は障害児学級「ひばり」のプラカードを持っての先導役。ミクの長所の一つは物怖じしないことですが、この大役も楽しそうにやってのけてくれました。私が小さく手を振って合図すると、私の姿に気づいたミクは「ウンウン」とうなずく仕草をしてくれました。余裕たっぷりという感じでした。
ミクの出番は100メートル走、騎馬戦そして「ソーラン」踊りの3種目。
100メートル走ではミクは数十メートルのハンディをもらって走ったのですが、何番目に走るかを事前にのりこから聞いていなかったので、ミクが走っている姿を見つけたのはもう中途頃になってからでした。カメラも間に合わず、あっと言う間に終わってしまいましたが、ミクが実にしっかりとした足取り(本当にミクにしては大きなストライドでした)で懸命に、しかも笑顔で走っている姿がとっても印象的でした。ミクが走っている姿に見ている人たちから拍手が起こっていたのも、私には涙が出そうなほど嬉しいことでした。私自身は耳に入ってきませんでしたが、次男によれば、「ああ、ミクちゃんだ」という声も出ていたとか。ミクの存在が小学校全体にごく自然に受け入れられていることを改めて確認できる思いでした。
騎馬戦では、ミクは朝礼台の側に備えられた太鼓を叩いて応援する役回り(去年は、サポートさんに抱かれて騎馬戦のなかを動き回っていたのをビデオで見ましたが、ミク自身は何もしないことと同じだったので、のりこが学校側と相談して太鼓を叩く形で競技に実質的に参加した実感をもてるように配慮した工夫だったとか)でしたが、これまた実に楽しそうにやっていましたよ。
ミク自身が一番熱を入れて練習していたのは「ソーラン」だったそうですが、音楽に合わせて本当に懸命に取り組んでいる姿に私はなぜか圧倒されるような気持に襲われて、文字通り固唾をのむ思いで凝視していたようです。あとでのりこや次男に聞いたところでは、今年の「ソーラン」を演じた子どもたちのできばえは過去の時よりも圧倒的によく、のりこなどは感動のあまり泣けて仕方なかったそうですが、私はそれどころではなく、ただただミクの姿を片時も見のがさないことに必死でした。
6年生は後始末があるというので、私は一足先にのりこの家に帰って二人の帰宅を待ちましたが、この寒空でミクの身体に影響が出たのではないか気がかりでならず、ミクが元気一杯の声で「ただいま」と言いながら入ってきた時は、思わず玄関まで走り寄っていました。ミクが上機嫌、少しも疲れの様子を示さなかったことにホッとしました。のりこによれば、みんなが見に来てくれたことにミク自身も嬉しかったということで、私も「来た甲斐があった」と改めて満足感に浸りました。ミクも、「ミクが走ったの見た?」「ソーランはどうだった?」といちいち私にチェック。私が具体的にミクの所作を挙げながらしっかり見ていたことを話すと、満足げかつ誇らしげにウンウンとうなずいていましたっけ。
疲れて帰るのりこにビールを買い求めておいたのが正解で、「疲れた」を連発ののりことミクの活躍を祝って乾杯したのは言うまでもありません。また、折良くディズニー作品「ティンカーベルと月の石」が届いていたのでミクへのプレゼントにしたのですが、ミクが早速笑い声を発しながら楽しんでくれたのも、私には嬉しい限りでした。例によってのりこが、「DVDを見るなら今晩の「怪物くん」はなしよ」と釘をさしかけたのですが、「今日は運動会のあとだから特別だよね」と私が助け船を出し、のりこもきつくは言わなかったので、ミクはますますご機嫌。次男と彼女も加わった焼肉屋行きで中断しました(のりこの疲労が顕著でしたし、私自身も次の日は朝一で広島に戻る用事があったので、食事後そのままホテルに戻りました)が、DVDを見終わって、私にわざわざ「今終わったよ」と元気な声で電話報告してきました。
正直、ミクの出場する時間以外をどう過ごしたらいいものか、と内心不安だったのですが、子どもたちの真剣そのものの表情での取り組みに引き込まれ、久しぶりに充実した気分を味わわせてもらいました。特に徒競争で必死に走る子どもたちの表情に、珍しく自分の子どもの時のことを思い出させてもらいました。今はまったく運動の「う」の字もしない私ですが、小中学生の時は走るのが速くいつも学年のトップクラスだったな、リレーではいつもアンカーを勤めて何人もをごぼう抜きしたこともあったよな、などと思いがけない記憶を呼び覚ましてもおりました。