自ら体験して感得するチューブの辛さ

2009.06.14

5月19日から6月12日までの24日間、憩室炎で入院生活を余儀なくされました。炎症反応濃度(CRP)が12を超えたので、即入院ということになったのです。実は、3月24日から4月4日の間も同じ症状で入院していたのですが、わずか一月半で再び入院を強いられる事態になったというわけでした。前回は比較的スムーズに退院できたのですが、今回は症状が前回よりも重く、いったん流動食を始めた後再びCRPが上昇してしまったため絶食に逆戻りし、入院生活が長引いてしまったのでした。
絶食日が12日間、流動食が5日間、三分がゆが4日間、五分がゆが1日、計22日間は点滴を受けたのです(絶食及び流動食の間は24時間)が、点滴の間中はずっと管(チューブ)を通じて点滴液を吊した器具に行動の自由を奪われ、本当に不自由な思いを味わいました。点滴の管を取り払ってもらったときの不自由感からの解放(正に「解放」という言葉がぴったりでした)感は非常に大きなものでした。
その時、ミクが生まれてから長い間ずっとチューブを鼻から挿入されたままであったことを思い出しました。ミク自身は生まれたときからずっとその状態でしたから、チューブから解放されたことはむしろ異次元への歩み出しだったでしょうが、母親であるのりこの喜びはいかばかりであったろうか、としみじみ思いました。また、ずっと補助器具と一緒しなければならない身体障害のある人と比べたとき、こんなわずかな不自由さですら音を上げた自分はなんとわがままな存在であるか、とも思わされました。他者感覚の難しさをも改めて思い知ることになりました。

本来であれば、6月の上京を12日に予定していたのですが、12日退院ではそれもかなわず、ミクと会う機会を失しました。のりこも忙しいようで、夏休みの予定も立てられない様子。今度はいつミクと会えるのかもめどが立っていません。3月に二人が来広したときも、私が同じ病気で入院を余儀なくされて、ミクは退屈な広島生活を余儀なくされましたが、夏休みに広島に来られるのであれば、せいぜい元気な体で二人に接したいと願っています。