残念至極の春休み

2009.04.04

春休みを広島で過ごすべく3月20日に来広したのりことミクが一昨日(2日)八王子に帰って行きました。ミクと何をして過ごそうかと楽しい夢をふくらませていた私ですが、何ということか、二人が来た4日目(24日)に緊急入院という事態に見舞われ、すべてはおじゃんになってしまいました。
今になって思うと、かなり前から予兆があったように思います。下腹部に違和感を覚えるようになったのは1ヶ月ぐらい前からでしたし、二人を迎えに行く前日にジムに行ったときも体調欄に「△」と書き込む自分がおりました。また、二人と一緒に新幹線に乗った後、2本のロング缶(ビール)で不覚にも眠り込んでしまうぐらい疲れを覚えていたのもかつてなかったことでした。そして二人が来た翌日(21日)には38度台の発熱が一日中続きましたし、22日に二人が広島の友達と会うために出かけた後も何もする気持ちが起きず、私としては珍しく自分からベッドに横になるという状態でもありました。
そんな私に、のりこが「B型インフルエンザはお腹に来るよ」と言った(二人は、広島に来る前にB型にかかって高熱を出していた)ので、またミクに移すようなことになってはいけないと思い、23日の午前に大学の卒業式に出席した足でかかりつけの病院で診断を仰いだ次第でした。インフルエンザの検査では反応が陰性で問題なかったのですが、血液検査により血中反応濃度(CRP)が10.8、年齢を考えるとかなり「重症」の炎症が起きていると診断した医師の強い勧めに抗しきれず(ミクの場合CRPが5を記録すると即入院だというのりこの「入院は当然」という判断も加わり)、24日朝から入院することになったのでした。幸い、抗生物質の点滴投与と絶食(及びその後の食事調整)措置によりCRPは順調に(?)値を下げてきましたが、結局二人が帰京する当日もなお入院が続いているという最悪の事態となってしまいました。
毎日、新聞届けをしてくれる上さんによれば、ミクは、彼女にとって最大の味方である私がいないことに「イエイエはいつ帰ってくるの? 寂しいよ」と繰り返していたとか。そんなミクがますますいとおしく、まさに断腸の思いの日々を過ごしてきました。ミクの病院行き(私の見舞い)には上さんが強く反対(ミクが悪い病気に感染する可能性を考えれば当然のことです)していたのですが、のりこが、帰京する前日(1日)にそんな上さんの意見を押し切って、ミクと一緒に病室を訪れてくれたのは、私への最高の陣中見舞いでした。ミクは私に抱きついたり、いつもは嫌がるキス攻めを自分から私にしてくれ、「可愛いね、イエイエは」を連発する大サービス。ミクの私に対する気持ち、思いを強烈に実感できて、私という存在がミクの中に確かな位置を占めていることを確認する思いでした。その意味では、病気になったことに感謝したいぐらいです。
入院している病院にはインターネット接続環境がないので、大いに不便を感じました。入院中も取材とか定期の原稿書きということもあり、のりこが手伝ってくれなかったら、この急場を乗り越えることはできなかったでしょう。のりこにも感謝、感謝です。
二人が病室を訪れてくれて、私には「どうしても二人を見送りたい」という気持ちが強烈に頭をもたげてきました。2日の晩、おそるおそる看護師さんにわけを言ってお願いしたところ、快く医師に聞いてあげるという回答。そして2日の朝の点滴は私が起床した直後に始めてくれるという配慮までしてくれて、私としては心から感謝した次第です。
ちなみに、ミクの病院行きに付き添ったときにいつも感じていたことですが、看護師さんたちの患者に接する態度には本当に感心させられていました。訓練ももちろんあるのでしょうが、患者に対する他者感覚を皆さんが自分のものにしているのです。彼女たちの他者感覚を、自分自身が患者となって改めてずしりと実感することになりました。
医師の了解も得られて、広島駅に向かいました。10日ぶりの外出で、なんとなく足下がふらつく頼りなさを覚えましたが、ミクを見たとたんそんな頼りなさも吹っ飛び、二人が新幹線に乗り込むまでずっとミクを抱きしめておりました。ミクも時折私の頬にキスをし、私との触れあいを確かめているようでした。
二人に何もしてやれなかったことには今もしこりが残っていますが、見送ることができるまでに回復したことを良しとしなければならないのでしょう。3日の血液検査の結果、CRPが0.3まで下がりましたので、4日に退院できました。