「テレビで涙」のミク

2009.01.07

6日の夜になって、5日付ののりこのブログ「テレビで涙」(http://yaplog.jp/mikudaiji/)を読み、ドラマの障害のある主人公と自分がダブったであろうミクの気持ちを想像するだけで文字通りいたたまれない気持ちに襲われるとともに、それとは全く反対の、ドラマのストーリーや設定をもしっかりと理解するまでに発達しているということについて、ミクがここまで成長しているんだなあというしみじみとした深い感慨に浸るという、形容しがたい心境になりました。
これまでのテストによれば、ミクの知能の発達レベルは3~4歳程度とされているようですが、ひらがなはマスターしていますし、カタカナも少しずつふえています。数を数えることも50までは苦にしません(時々数えないまま飛び越してしまうことはありますが)。ですから一概に3~4歳程度の幼児として決めつけて扱うことはおかしいし、いけないのです。
それよりも、私とのりこがいろいろなことを話している時に、ミクが関心を示してじっと聞き入るという表情をすることはしばしばです。また、前にも書きましたが、のりこと私が議論を始めると、喧嘩しているのではないかと心配するミクが、「二人ともやめなさい」と仲裁に入ってくることもあるのです。3年生の始業式の時の体験(新1年生に取り囲まれ、「小さい、小さい」と口々に言われて立ちすくみ、後でのりこの胸にすがって「小さいのイヤだ」と泣きじゃくった)は自分自身に襲いかかったことに対する直接的な反応だったわけですが、それだって、3~4歳の幼児にはあり得ないことでしょう。のりこも私もそういうことを強く認識しているだけに、ミクが私たちの心ない言動で精神的にダメージを受けることがないよう、もっと言えば「個」をしっかり持った一人の人間として接することを心がけていると思います。
しかし、テレビのドラマにこれほどの反応を示すということは、私にとっては余りにも想像を超えることでした。たしかに、「リロ&スティッチ」やディズニーものを見ていてミクが笑い転げることはよくありますので、場面場面の滑稽さとかストーリーの展開をミクがはっきり理解して見ているであろうことは、私もしばしば確認する気持ちになることがあります。しかし、ドラマとはいえ、障害がある主人公の境遇、問題への遭遇についてミクが大泣きするというのは、ミクがかなり高度な内面的発達を遂げていることを示すもとしてしか理解できないのではないでしょうか。

ブログを読んでのりことそのことで話そうと思っている矢先に、のりこから携帯に何度も着信があったことを知り、早速電話しました。何でもミクがイエイエとお話がしたいということだったらしく、いきなり「でんわにでなきゃだめじゃん」と怒られました。この日(6日)は、のりこのお友達と吉祥寺で会ってきたとか、雑貨屋でハーモニカを買ってもらったそうで、「ほらほら、みて」と電話越しで語りかけるところなどでは3~4歳の幼児の感じでした(しばらく遠ざかっていたウェブ電話をまた取り付けようかな、と思いました)。電話越しにハーモニカを吹いてみせてくれましたが、なかなかメロディーになっていて、のりこと一緒に感心することしきり。ハーモニカの音を出せるというのも、それだけの肺活量を備えたという嬉しい証拠です。
のりこによれば、ドラマが終わればミクはすぐけろりとしていたとか。それはそれでミクについて安心できるところなのですが、しかし、3年生の始業式の出来事のことと同じように、今回のドラマに大泣きしたミクという出来事もこれから私の中ではとても大きな比重を占めることになりそうです。ミクが周りの人々に愛されてすくすく成長を遂げてくれることを改めて願わざるを得ませんでした。新年早々のすばらしい、そして、気持ちが引き締まる出来事でした。