2008年最後の上京

2008.12.29

2008年最後の上京は、26日から3泊といつもよりゆったりした日程を組むことができました。しかも今やのりこのアパートに気兼ねなく滞在することができるようになったので、夜もゆっくりとミクとの時間を過ごすことができるので、とても充実した気分を味わうことができるようになりました。もちろんビール大好き人間であるのりこと私が一緒にいるわけですから、ミクから「ビールばっかし」と小言を言われるのもお構いなしに、心ゆくまでビールを味わう楽しみも増えました。

私の上京した26日から冬休みに入っているミクは、私がクリスマス・プレゼントに持っていった「リロ&スティッチ」シリーズのDVDが4枚入っているものに大満足。いつもは1日に1枚だけというのがミクとのりこの間の決まり事なのですが、今回はのりこも大目に見てあげたこともあり(私が4枚入ったのをプレゼントしたのでルール厳守はさすがに可哀想と思ったのでしょう)、ミクも心ゆくまで(というより、のりこと私が寝ようとするときまで)ディズニーの世界にはまっておりました。

27日の日中は3人で八王子市街に出かけ、のりこが買い物をしている間は、ミクと私はスタバで飲み物を楽しみながら二人の時間を過ごしました。ミクが黙々とミルク・ティーの泡をスプーンで少しずつ口に運ぶ動作を繰り返すのを、私は飽きることもなくずーっと見守っておりました。本当に良い表情のミクでした。移動するときはほとんど私がミクを抱いて動くのですが、のりこが「本当に重いでしょう」と言うように、ミクの体に重さが加わっていることはとても嬉しいことです。ミクはミクなりに確実に成長していることを実感できました。

この日の夜は、久しぶりに北野台の家で浅井一家(そういう「家」の観念は、正直私には希薄ですが、しかし、長男一家が帰っていくときには、全員が集合できるのはこの先あるだろうか、とふと湿っぽい気持ちになりました)の全員集合となり、ミクもいとこのハルキ(同い年)に会えてこれまた大満足。しかし、翌日になって分かったことですが、ハルキが私の次男を相手にDSの赤外線(?)通信を利用したゲームにうち興じていたことがミクにはよほど羨ましかったのでしょう。28日の夜にこれまた今や恒例になったフレンチ・レストランで次男に会えることを知ったミクは、「DSを持っていく」と言い出したのです。のりこと私は、ミクの真意を知って驚いたのはもちろん、ミクのそういう気持ちの働きにこれまた確実な発達の証拠を見た思いで感激しました。のりこが早速次男にメールして、DSを持ってくるように伝えたのは言うまでもありません。残念ながら次男がそのメールをチェックしないまま家を出たので、ミクの願いは叶いませんでした(もっとも、次男によれば、そのゲームはハルキの持ってきたもので、そのゲームが入っていないミクのDSとではゲームのしようがないとのことでした)。

そうそう、ハルキについては、私には一つの計画がありました。広島の地元紙『中国新聞』が毎月1回発行する子ども新聞に2009年の3月号から「平和」についての連載をする企画が持ち込まれ、常日頃から子どもたちにどんな語り口があるのか関心を持っていた私は大乗り気でその連載を引き受けたのです。小学校高学年にあるハルキを相手に会話調でその連載ができたらいいな、と思い、長男を通じてメールでハルキに協力できるかどうか打診していたのです。しかし、ハルキにはまったく関心がなく、この企画は早早に流産ということになってしまいました。

28日の日中は、のりこが年賀状作成に没頭。ミクは、先にも書きましたようにほぼDVDを堪能していました。その間はずっと私の膝の上に座り続けでしたので、かなり膝の感覚が麻痺しましたが、それが少しも苦にならないのはミクの生き生きした表情が目の前にあったためでしょう。アパートの近くに小さい公園があり、日差しもいっぱいだったので、ミクを外で遊ぶことに誘ったのですが、DVDに夢中なミクは聞く耳持たない感じで一蹴されました。のりこも年賀状作成に追われて外出する時間的余裕はなく、そのこともミクの「ルール破り」を許すもう一つの原因だったのでしょうか。私自身は、上京する新幹線の中で読み始めた天童荒太『悼む人』に引き込まれ、ミクを膝の上に置きながら、読み終えました。のりこも天童荒太の作品はすべて読んでいるほどですので、この作品もそのままのりこのもとに置いてきました。

「お休み」を言ったあと、自分たちの寝室に引き上げた二人が寝入る前に何事か語り合っている声を壁越しに聞こえる(アパートの安普請のおかげ?)のも、私にとってはとても心地よいものでした。二人が本当に互いを頼りあいながら生活している、毎晩寝る前のひとときがそうなのだろう、と確認できたからです。広島に戻ってからも、毎晩二人のそんな光景を想像しながら休むことができるというのは、私自身にとってもこんな幸福なことはありません。

29日の帰りの新幹線は年末の帰省ラッシュで普通車はどれも満員だったので、結局奮発してグリーン車の座席を確保。12時8分新横浜発だったので、乗り込んですぐ駅弁を食べた後、書き始めたのですが、ここまで書いてすでに名古屋駅に着いていました。楽しかった3日間をじっくりと思い出しながらでしたので、これだけのことを書く(打ち込む)のに1時間以上の時間がかかったということなのでしょう。ミクの存在を改めてかみしめている私です。2009年にはどんな新しい、楽しい出来事が待っていてくれるのでしょうか。のりこの24時間の見守りのおかげでようやく今があるミクです。楽しいことばかりではないかも知れません。そんな不安は常に頭をもたげますが、ミクの生命力を信じ、明るい気持ちで新しい年を迎えたいと思っています。