ルールというもの、社会性ということの中身

2008.04.20

今回の上京は、金曜日に研究所の仕事があり、また、土曜日には全障研でのゼミナールがあったことなどもあって、いつもとは違う内容のものでした。また、ミクの大伯母(私にとっては義姉)が月曜日に手術をしており、上さんが彼女の家に泊まり込んで看病をしているので、土曜日の夕方はミクとのりこもそこに泊まることになり、私も合流ということになりました。義姉の術後はとても順調なようで、「ミクのために頑張らなければ」という前向きの発言が出るようになったとか。とにかくミクを目に入れても痛くないの例えどおり可愛がってくれているので、そういう元気な様子が上さんの口から伝わってきて、のりこも本当に安心した様子でした。義姉の家というのは、私としては、まだ義父、義母が健在なときに訪問して以来はじめて(約20年ぶり?)であり、その間に建て替えもあってかつての面影はまったくありませんでした。本来ならば、義姉を病院に見舞ってから帰広すべきでしたが、日曜日の午後に広島でお話しすることになっているので、朝はあわただしく出立ということになりました。

ミクとは木、金、土の三日とも夜一緒の時間をもてましたが、夕食を一緒にするだけで、ミクの大好きなお風呂もいろいろ事情があってかなわず、また、のりこといろいろ話をする必要もあってミクと十分にコミュニケーションをとることもかないませんでした。あわただしく広島を発ったので、ミクへのおみやげを買う時間もなく、八王子そごうでディズニーもののDVDを買い求めてミクに渡したとき、また翌日、研究所の仕事が終わってから、新宿東口にオープンしたジュンク堂書店で3時間ほど時間をつぶした際、ミクのお気に入りの「じんぺい」という名前の犬の絵本のシリーズを見つけ、それをやはりミクに手渡したときぐらいでしょうか、ミクがうれしそうな表情を見せてくれたのは。 私の今回の上京においてもっとも印象深かったのは、全障研のゼミナールにおける若い参加者たちの討論を聞く機会があったことでした。まず、参加者の中に、ミクが1年生の時にN小学校で補助の先生をしていたと自己紹介する若い女性がいて、世の中どこでつながりができるか分からないものだと感心しました。また、私は例によって人間の尊厳とか他者感覚についてお話ししたのですが、後半のディスカッションの時、障害のある子どもたちの主体性を尊重することとルールを守らせ、社会性を身につけさせることの必要性との間に起こりうる矛盾ということが中心の話題となりました。いろいろ議論が重ねられる中で次第に本質に近づく意見が表明される(議論が深まる)のを見ていることは本当に楽しいことでした。

この問題について「まとめ」の発言を求められたので、私は次のようなことを述べました。 それは、ルールというもの、社会性ということの中身をまずしっかり踏まえることが必要であり、出発点ではないか、ということです。皆さんの悩みとして出された意見として、あまりにもルールが多すぎて、それを子どもたちに押しつけることになってしまい、主体性を押さえつけることになってしまうということがありました。私は、ルールと一口に言うのではなく、皆さんが「好いルール」と受け入れられるものと「悪いルール」と抵抗を感じるものがあるのではないか、おそらく後者に属するのは子どもたちの主体性を育てることとは無縁の施設側の都合で子どもたちを押さえつける内容のものだろう、そういうものについては子どもたちの尊厳を尊重するという基本に立って、施設側に異議申し立てを行うべきである。また、社会性という言葉についても吟味する必要があるのではないか。皆さんの話を聞いていると、自他の尊厳を尊重しあうという意味における社会性ということと、日本社会で顕著な集団生活で施設側の勝手な都合で子どもたちの個性を殺す(個性を押し殺して金太郎飴にする)という本来「社会性」ということとは無縁のこととがごちゃごちゃになっている印象を受ける。やはり、私たちが基本に据えるべきは子どもたちの人間としての尊厳を尊重し、実現するということにあるべきで、この基本をはっきりさせれば、主体性と社会性とは決して互いに矛盾するものではないことがりかいされるのではないか。

このゼミナールは5月にもう1回私が担当する時間が設けられていますので、皆さんがどのような準備をして(今回の話し合いと私が資料として出した竹内好の他者感覚、人間の尊厳にかかわる文章をまとめたものを読んだ上で考え、感想、疑問などを書くことになっている)くるか、今からとても楽しみです。