原爆小頭症の方たちの62回目の誕生会

2008.03.22

原爆小頭症の方たちの62回目の誕生会が開かれ(3月22日)、ミクとのりこは26日にならないと来広できないので、私一人で参加してきました。原爆投下の翌年(1946年)に生まれた方たちですので、今年が満62歳ということになります。9人の方が来られていました。中には足が不自由だったり、車椅子だったりでしたが、作業所で元気に働いている方もおられ、ミクのことが常に気がかりな私も元気をいただくことができました。一人ひとりが挨拶をされましたが、多くの方はとてもしっかりしたお話しをされ、ミクも大きくなったときには、このように自分の意思表示をできることができるようになるだろうか、と楽しい期待がふくらみました。

しかし、明るい話題ばかりではありませんでした。兄である人、妹である人が一緒に参加しておられた方もあったのですが、その二人の人は異口同音に将来に対する不安を口にしておられました。姉が歩けなくなったときにどうなるのか、原爆小頭症の方が末弟なので将来が不安、という発言は、私にとっても身につまされるものでした。それらの発言を予期しておられたのか、誕生会を主催した方たちは、成年後見制度について説明され、担当の広島市の係の人にも来てもらっていて、補足説明がありました。ただし、市としては、原爆小頭症に対応する窓口は設けたのですが、中身・実績はともなっていないようでした。しかも、市民でなければその窓口にもアクセスできないとのことです。

しかし、成年後見という制度が存在すること自体を知らなかった私には、ほんのわずかではありますが、一筋の光明が見えた気もしました。のりこも何時までも若くはありえないし、ミクが成長すればするほど、反比例して体が衰えていくのりこにとっての負担は増加することでしょう。そういうときに備えて成年後見という制度が役立ってほしい、と思ったからでした。

もっとも、成年後見という制度は実際にはいろいろ問題があるらしいことも、誕生会に出席していた人との話の中で感じざるを得ませんでした。その人のお母さんが認知症で、成年後見の制度を活用しようと思ったまではいいのですが、その申請は本人でなければいけないとか(そんなことは不可能)、その不可能なことを医学的に証明するにはかなりの費用がかかるとか、身内が申請してもその人が他意(親の財産を取り上げることが目的ではないかどうか)がないことについて証明しなければならないとか、とにかく繁雑を極めた手続きが必要なのだそうです。これでは、何のための制度であるのか首をかしげるほかありません。

今年の誕生会を契機に、出席した当事者及び家族以外の人たちを会員にする仕組みが作られることになりました。私も晴れて会員にしてもらうことができることになりました。これからは、少なくとも広島に在住している間は毎年誕生会に出席することができると思います。できれば、ミクやのりこも連れて来年の誕生会に参加したいと思いながら、4時間を後にしました。