「ミクのことを通して障害福祉について感じていること」

2008.03.16

今回は、広島に住むようになってから3年間手入れしていなかった小さな庭に植わっているしだれ梅の枝の剪定をしようと思い、最初から2泊する予定での上京でした(次男と彼女が大いに力を発揮してくれたので、私は完全な脇役で、しかも、一日がかりの仕事と覚悟していたのが、午前中には片付いてしまいました)。ミクとのりこは、ドラリオンとかいうサーカス、雑伎その他の入ったエンタテインメント(次男たちもうらやましがっていたし、後でのりこに聞いたらチケットが1万円もするというので、知らぬは広島住まいの私だけかと思い知らされました)に土曜日に出かける予定が最初から入っていたので、会えるのは金曜日の夜(次男と彼女も参加したので、たいそう賑やかな食事会となり、ミクもご機嫌でした)だけかな、と思っていたのですが、日曜日のお昼も一緒にすることができました。26日には二人が来広することが決まっていますので、私の気持ちも軽やか(?)で、分かれるときもいつもあるような感傷めいた気分にはなりませんでした。ミクは元気いっぱいで、金曜日夜の焼き肉も、日曜日お昼のラーメンもすごい量をしかもかなり速いペースで食べるので、私はすっかり見入ってしまいました。

とはいえ、まったく楽しいだけではありませんでした。最寄り駅の片倉に出迎えてもらった直後から気がついたのですが、どうものりこが余裕なく、いらだっている感じだったのです。小さなことでもミクにきつい声で注意するのりこの姿に「どうしたのかな?」と不安な気持ちになったのですが、私から問いかけるのもなぜか気が引けていましたところ、のりこの家についてしばらくして理由が分かることになりました。ミクは花粉症なのだそうです(日中は薬が効いているのであまり傍目には気にならない)が、睡眠中はダメで、そのためのりこが常に足の裏を指圧してやることで、なんとか安眠が保てるのだそうです。ところが、その指圧が持続性がないものだから、ミクが寝入ったと思ってのりこが安心して指圧を怠ると、ものの20分もたたないうちにミクはまた鼻がつまって寝苦しくなるので、のりこは再び指圧を始めるということで、もうこの数日間はほとんど寝ていないということでした。ですから、どうしても気持ちがいらいらしてしまう、ということだったのです。

ミクはのりこの夜通しの指圧を受けて快眠ですから元気いっぱいなのですが、そのしわ寄せ(?)がもろにのりこの睡眠を奪っているという手放しでは喜べない事態なのでした。「のりこが倒れたら」というのは、私の気持ちを常に重苦しくする強迫観念の主たるものですが、今回も改めてその重苦しい気持ちにさせられました。土曜日の夜は、次男と彼女と三人で目白台にある気の利いた、しかもまったく堅苦しくないフレンチ・レストランでおいしい食事をしたのですが、その時もついついそんなことが話題に上ってしまいました。次男も彼女もミクのことを非常に可愛がってくれている(ミクも二人が大好き)ので、私も気持ちがゆるんだせいもあるのですが、のりこたちの身近にいる二人に事情を分かってもらっておけば、「いざ」というときに、二人がのりこたちのそばに駆けつけてくれる気持ちにもなりやすいのではないかという気持ちも働いたのは事実でした。

それにつけても、9日に、「ミクのことを通して障害福祉について感じていること」という長い題で、障害関係者にお話ししたことについて改めて思い出すことがありました。障害関係の記述を読んでいますと、身内に障害がある人・子どもがいる人で共同作業所をはじめとする施設を立ち上げる人が少なくないということは、前から気がついていましたが、ミクのような特殊な障害をもっている子どもの将来を考えたとき、いったいどのようなことを考えればいいのか、という問題です。ミクはとにかく小さいし、体力がありませんので、肉体的な労働は向かないでしょう。そうすると、いったいどのような職種であればいいのでしょうか・9日のお話の際にも、「皆さん(障害関係の仕事に携わっている人達)のお力も借りて考えていきたい」という趣旨の言葉が自然に出てきましたが、それはまさに私の本心です。「きょうされん」の人達と知り合えたのは、ミクの将来を考える上で、とても貴重な財産であると思います。利害打算という話ではなく、私がきょうされんのためにできることは何でもする、そしてきょうされんが蓄積してきた障害者・児の将来の生活設計のためのエキスパティーズを私もしっかり学びながら、ミクの終身保障の手だてを考える、そういうことにこれから一所懸命取り組んでいかなければ、と気持ちを引き締めているところです。