中沢啓治『はだしのゲン』

2007.06.24

今回の上京は、木曜日に予定が入り、木、金と2泊するいつもとは異なるスケジュールでしたが、ミクとは木、金の夜と土曜日のお昼を一緒に過ごすことが出来ました。いつもと変わらない明るさで、新入生たちとのことでの後遺症を感じさせない様子に安心しました。

上級生のお兄ちゃんたちの口調をまねたくて仕方のないミクは、時々「オレは」などと言い出すので、「女の子はオレって言わないんだよ」とはたしなめながらも、内心では、「別にかまわないけど」とニタニタしていました。やはり耳に入って覚えたに違いない「それってどういう意味?」などと言い出すのには、思わず吹き出してしまいました。金曜日には梅雨時だというのに、3年生は校外実習とかで、健常の子たちと一緒に府中まで出かけたようです。のりこによれば、いつもミクのことを気にかけてくれる二人の女の子たちを始め、ミクにおやつをくれたりして、ミクはご機嫌だったとか。感心したのは、その子たちがミクだけではなくほかの障がいのある子どもたちにもおやつを配っていたということをのりこから聞いたことでした。やはり早くから交わっていれば、そして、学校側が適切な心がけを怠らなければ、子どもたちの気持ちに「差別」などの感情が起こるはずはないということが分かります。

私は最近、中沢啓治『はだしのゲン』を夢中になって読んでいるのです(金曜日の夜に一緒に食事をしたときに尋ねたら、のりこも次男のあきふみも小学校の図書室や教室においてあったこと、読んだときのショックがすごかったために、原爆資料館を訪れたときも、比較的冷静で見て回ることが出来たことなどを話してくれました)が、その中で繰り返し提起されるテーマの一つが被爆者に対する「よそ者」の差別ということです。長田新『原爆の子』を読んだときもこの問題に関する言及に注目したのですが、日本社会は放っておけば異質なものに対して「差別」する根強い土壌があると思います。そういう「差別」を根絶やしにするためには、本当に教育が重要な意味を持つと思います。改悪前の教育基本法は、そうした個人の尊厳を根底に据えるものであったわけですが、改悪・基本法のもとで、どんな教育が行われることになるのか、心配でなりません。

のりことあきふみやさとこちゃん(あきふみのガール・フレンド)が話に夢中になっているのを聞きながら、私の膝に座ってミクはなんとなく寂しげでしたが、そのことに気づいてくれたあきふみとさとこちゃんが二人の間に座らせてくれたときの満面笑みの表情が忘れられません。

そうそう、7月には私の誕生日がくるのですが、のりことともにミクが誕生日おめでとうのカードをくれました。しかも、全部自分で書いたものなのです。「ミク」のページの表紙に写真を載せましたので、是非見てやってください。もうほとんどのひらがなを自分で書けるようになっています。のりこもブログで書いているように、まだ発音をつなげて意味ある言葉として認識するまでにはなっていないようですが、私に書いてほしいひらがなを言わせて確実に書き出す様に、着実な成長を感じ取ることが出来ました。

来月の7月には研究所の仕事で中旬に上京するし、22日からは夏休みで二人が広島に来ることになりましたので、とても軽い気持ちで片倉駅で別れることが出来ました。のりこもずいぶん疲れがたまっているようですが、あと一月ですから、なんとか頑張ってくれるでしょう。私もGWからの風邪(気管支炎)の後遺症でまだ苦しんでいる(16日から又微熱が出て、上京する前日の20日にはかかりつけの病院で点滴をしてもらいました)のですが、のりこから「ちゃんと直さないと、ミクに会えなくなるよ」と脅されましたので、7月までには体調を回復したいと思います。