風邪(気管支炎)

2007.05.13

今回の上京は、連休中にこじらせた風邪(気管支炎)を引きずったままだったこともあり、かなり肉体的にはきついものでした。しかし、それだけミクと長い時間を過ごすことができたのですから、何が幸いするかは分からないものです。

もちろん、私の風邪がミクに移ったら大変なので、上京するといつもどおり真っ先に訪れたかかりつけの医師に、その危険性をチェック(「ダメ」と言われたらどうしよう、という不安はいっぱいでしたが)、「もう熱は下がっているから大丈夫でしょう」と安全宣言をいただいてからのミクとの1ヶ月ぶりの対面だったことは言うまでもありません。

今回の上京は、もう一つの不安を抱えていました。それは、ミクが小さいことに対する自覚を抱いてしまったことをどう受け止めるのか、ということでした。もしミクがふさぎ込んでいたらどうしよう、そんなミクにどんな言葉をかけたらいいのか、そんなことがずっと新幹線の車中で私の頭の中を渦巻いていたのです。正直言って、私はのりこのブログを読んだとき、ミクが泣きじゃくる情景だけが頭の中を占領し、のりこがミクに対して的確な対応をしていることについてはほとんど目に入っていませんでした(そのくだりもしっかり頭に入れていたならば、車中でうろたえた気持ちになることはなかったでしょう)。それほど私は混乱していたということであり、祖父として情けない限りです。

結果からいいますと、ミクはまったくいつもと変わらない天真爛漫さで私を迎えてくれて、私はホッとしたことはもちろんですが、面食らったことも事実でした。ミクが金曜日の午後に預けてもらっている施設に、のりこと一緒に迎えに行ったのですが、車に乗り込むと同時にのりこに「いったいどういうこと?」と問いかけると、「これがミクのミクらしいところなのよね」という返事。

まずは発端ですが、4月に入ってきた1年生たちが、ミクを見るたびに、「小さい」「何でこんなに小さいの」といった類の言葉を浴びせつけていて、ミクが耐えられなくなった、ということでした。去年の同じ頃も同じことを体験したらしいのですが、そのときはまだじっとしていたのが、今年は耐えきれなかったということだとか。

私がまず我慢できないほどいやだったのは、小さいときから個性を奪いあげられる雰囲気の中で育てられてきた小さな子どもたちが、ミクの「小ささ」に異様な反応を示すことでした。そう、小さな時から差別の意識を縫い込まれているのです。また、ミクの担任の先生たちはそれなりにフォローしようとする姿勢が窺えてそれなりに納得したのですが、しかし先生によっては、そういう子どもたちのおかしさ、異様さに気がつきもせず、もっぱらミク個人の問題としてしか捉えられない人もいるらしいことも知って、本当にがっくり。私はいま、障がい者権利条約をそれなりに勉強している最中ですが、この条約に示される障がい者観と今回のケースに如実に反映される日本社会で支配する障がい者観とのあまりに巨大な距離に暗然としました。

それはともかく、ミクはその時は激しく動揺し、泣きじゃくったのですが、翌日も登校を拒否するまでには至らず、持ち前の明るさを取り戻してくれたということでした。のりこは、そういうミクを先ほどのような表現で表したのですが、しかし、いったん「小さい」ことを意識させられ、そのことへの抵抗感を身につけてしまったミクが、今後すんなりといってくれるとも思っていないようですし、それは当然そうでしょう。学校側としては、1年生たちにミクのことをよく話し、そういう身体的「差別」の言動を止めるように指導することを約束したらしいですが、すでに差別されて傷ついてしまったミクの「原状回復」ができるわけではありません。土曜日に立ち寄った本屋で、のりこはミクによい本はないかと探したりしていましたが、本当にミクのその傷が何時、どんな状況で再び残酷に暴かれるか分かったものではないわけで、これからのあらゆる時にのりこは緊張を強いられるのだろうと思いますし、傷が暴かれるたびごとにミクの状態は悪化の度を深めることが容易に想像できてしまうだけに、本当に私も気持ちが暗くなっています。

とはいえ、土曜日(12日)は朝11時から夜8時半頃までずっとミクと一緒に時間を過ごしました。その9時間強の間は、ミクはまったく天衣無縫というか、私にわがまま放題で、完全に私を支配(のりこの表現)していました。風邪の後遺症が残る私にはかなりきついときもありましたが、ミクの明るさに救われる気持ちの方がはるかに勝って、別れるときはいつもの時以上に辛い気持ちを味わいました。新幹線の帰りの車中で、こうやって気持ちを整理しながら文章にまとめてきましたが、ミクが意識した「差別」と、その差別を生んだ障がいのことを思うと、何とも気持ちが静まりません。