ミクと娘と一緒に夕食

2007.01.16

出張で東京に出かけた機会を捉え、ミクとのりこと一緒に2007年初の夕食を共にしました。二人とも元気そうでしたので、私の気持ちもすごくゆったりしました。

ミクは、生まれてそのまま病院生活(?)が長かったし、小学校にはいるまでは度々入院を繰り返していましたので、病院には親近感すら持っています。そんなミクが喜ぶに違いないと思って今回のお土産の目玉にしたのが『おさるのジョージ びょういんへいく』でした。もともとこのシリーズがお気に入りのミクですが、私の見込みをはるかに上回る反応のすごさでした。私を迎えて車に入るやいなや、さっそく私のかばんを自分で開けて催促。本を渡すとそのまま見入って、丹念に描かれている絵をひとしきり見て、その後は「読んで、読んで」の催促。もう暗くなっていたので、「暗くて読めないから、後でね」と私が言い聞かせても、相変わらず「読んで、読んで」の繰り返し。のりこが「暗いから読めないでしょ」と鶴の一声でミクはようやく黙りましたが、家に着き、のりこが大急ぎで洗濯物を取り込んでいる短い時間にも、私の膝に座って「読んで」。私もとても嬉しくなって、文章が描いている部分が絵にあると指さしながら読んでいました。じっと絵を見つめながら耳を傾けるミクの集中力に、私の方が感激していました。

のりこの家の近くの中華料理屋(運転しなくてもいいので、のりこもリラックスして生ビールを楽しむことができます)でも、書き留めておきたいいくつかのことがありました。

学校の給食がどうも馴染めないし、受け付けないこともあるらしいミクなのですが、その日もほとんど食事らしい食事をできなかったとのことで、よほど空腹だったのでしょう。長いものフライ、水餃子を猛烈な勢いで口に運ぶのです。水餃子など、最初の一つを5分足らず(普通なら一口ですが、ミクの場合、のりこがきざみ状態にしてあげる。永久歯が生えない定めにあるミクにとって乳歯を長持ちさせることが不可欠なのですが、それがグラグラしてきたらしく、余計に食べ物について気を遣わなくてはならなくなっているとのこと)で平らげ、「もう一つ?」と聞くと、大きくうなずく有様。思わず手を叩いて喜んだ私です。食欲旺盛なミクを見ることは、本当に安心感が広がるのです。

ある程度お腹が満ちてきたミクが私ものりこも予想外の行動を取って、二人を仰天させました。私たちが石焼きキムチビビンバを食べていると、自分も食べたいと言って健啖ぶりを示したのはともかく、私のお皿が空になっていることに気がついたミクが、「おかわり」と言って、自分でそのお皿を持って盛ってくれたのです。並みの大人だって気がつかないことを、ミクはちゃんと見ていて、しかも自分でおかわりしてくれたのです。あまりの感激で、私は危うく涙がこぼれそうになりました。

食事の前にも私には新鮮な驚きがありました。宿題を中華料理屋に持ち込んで、食事の前に仕上げたのですが、ミクは1~5をなぞる作業を難なくやっているのです。のりこの日頃のスパルタ的訓練の成果でしょうが、初めて見る私には信じられない光景でした。しかも、なぞった後には、一マス分自分で数字を書く欄があり、ミクは1から4までは素早く書いたので、それも驚きでしたが、5についてうまく書けなかったとき、自分でしっかり「違う」と認識して、残念そうな表情を見せ、消しゴムで消そうとするのです。つまり、5についてしっかりイメージができており、そのイメージ通りに自分が書けないことについて、ミクはしっかり分かっていて、しかもそんな自分をとがめる気持ちが働いているのです。これまた、すごいことだと思いました。そんなミクを素晴らしいと思いました。宿題を終えた後は、のりこに促されて自分の名前をひらがなで書いたのもまたまた驚き。障がいを持った子だからといって、「何もできない」なんて決めつけることは絶対にあってはならない、ということを心の底から実感できた瞬間でした。ちなみに、「ち」には手こずり、何度も失敗したあげく、「イエイエ、一緒にやって」と甘えるミクに飛びつからんばかりに手を添えた私です。

嬉しく、心和むことばかりではありませんでした。食事をしているときに、小学校1年生と5歳の姉妹がミクを見つけて話しかけてきました。ミクの小さいことに好奇心旺盛な二人が「何歳?」と尋ね、8歳というのりこの返事に「何でそんなに小さいの?」と聞くのです。のりこは、「そういう病気もあるんだよ」と平静に答えていましたし、ミクもそんなやりとりを黙って静かにやり過ごしていましたが、私は胸が張り裂けるような気持ちを味わっていました。小さな姉妹が悪気があろうはずはないのですが、のりこもミクもこういう状況を数限りなく味わわされているでしょう。私の食事のことにあれだけの気遣いをするミクですから、こういう会話にさらされて平常心でいられるはずはないと思わざるを得ません。じっと黙っているミクの姿に言いようのない気持ちがこみ上げてきました。

日本社会は異質なものに対して異常なまでの反応を示すことが少なくありません。それはしばしば「差別」につながります。ミクのような希有な障がいを持った存在に対しては、普通の(?)障がいを持った人に対する以上の好奇の眼差しが注がれます。その好奇の眼差しが「差別」に容易につながってしまうと思います。そうならないために、のりこは健常な子どもたちと接する機会の多い学校を選び、その子たちにミクとの接し方を身につけてほしいと努力しているのだと思います。そして、のりこのブログを見ていただけば分かるように、ミクに何のわだかまりもなく接する子どもたちは増えています。そこに教育の可能性を私は感じます。しかし、大状況としての日本の教育事情、社会福祉をめぐる情勢を考えるとき、私は日本の未来に甘い希望を持つことができません。帰りの新幹線の車中で、「子どもの権利条約」で義務づけられている政府報告の1996年の第1回分を読み始めた私ですが、あまりにも空々しい中身に砂をかむ思いを味わわされました。