桜美林大学の茂木俊彦先生の「障害のある人びとの発達と自立を保障するために」

2007.01.02

大晦日の夜、web電話でミクに年越しの挨拶をしました。この1年間大した病気にもかからず、元気に過ごせたことは、ミクの体力が確実についていることによるものだろうと思います。私たちの言動に対するミクの的確な反応ぶりにも驚かされることが多いのですが、これまたミクの成長を物語る証左だと思います。のりこが渋る八王子市側を動かして、ミクを身障学級に入れたことは、このようなミクの成長を可能にすることに大変大きな影響を与えているに違いありません。このことを改めて納得することができる文章を最近読むことができました。

『全障研第40回全国大会報告集』には、桜美林大学の茂木俊彦先生の「障害のある人びとの発達と自立を保障するために」と題する記念講演が収められていますが、ミクの以上の発達を理解する上で、とても納得できる説明をしているものでした。「発達保障論」というものを説明されているのですが、「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」という考えに立って、「知的障害児の世界にイマジネーションを働かせ、共感をつくりあげて、ともに生きる。この人々の中にこそ光り輝くものがある」という考え方だそうです。「この子どもたちにも、たんに生活訓練と作業の学習、職業教育ばかりをさせるのではなく、文化・科学・芸術の基本をしっかりと伝え、ともに学ぶ、そういう教育をつくりあげていくんだ、という教育権論と実践論の深まり」が加わることにより、「ともに生きるという思想と、ともに生きながら発達していくという思想、さらに、それを権利として位置づけながら、文化・科学・芸術の基本を伝えて、豊かな人間として育っていってもらうんだという教育の考え方」が「発達保障論」であるとありました。

この発達保障論の考え方に立つとき、三つの視点・認識がでてくると茂木先生は指摘しています。

一つは、 「障害のある人々についての見方の大転換が起こった。つまり、視点の移動と共感的理解ということ」だそうです。「その子たちも何かができて、そのできることを使ってまわりの世界と取り組んでいる存在であるととらえることができる。時間はかかっているけれども、人間発達の筋道の中のどこかの地点で、発達に向かって活動している存在だ」ととらえることができるようになったと、指摘されていました。そのことは、「大変だけれども人に伝えたいと子どもが欲求するような豊かな生活を、この子らに保障していく取り組みの創造に向かう、教師の強い意志にもつながって」くるし、そこには「子どもへの共感的な理解がある」ということになるのです。そうすると、「何々ができるという表に現れた事実だけではなく、できることに向かう中で、子どもの内面はどう躍動しているのか、あるいはどのように悔しい思いをしながらそれをしているのか、というようなことに共感を寄せながら、できることをつかむ」ことができるようになる、というのです。

ミクを見ていると、以上の指摘に本当に納得がいきます。のりこが実践していることですし、学校側も次第にその重要性を認識するようになってくれたために、ミクの着実な発達をうながすことにつながっていると思います。

二つめには、「発達は限りないということを、やはり事実にもとづいて確認してきた」ということです。「ここでは、発達は集団の中でうながされる」「集団の中で膨らませていく、豊かにしていく」ことになるというのです。「ある1人が何か成果を報告すると、「私も」と思わず言ってしまう。集団の中でのぶつかり合い、刺激のし合い、場合によっては張り合いというかも知れません。そういうものが知的好奇心をかき立てる。勉強への意欲をかき立てたわけです。」それは正に、「集団の中で育つ、そして励まし合って力をつけていくということについての重要な教訓」だということです。

ミクのこの1年間はまさにそうだったと思います。まわりのお兄ちゃんたちに刺激されて、ひらがなにも、数字にも強い関心を持ち、のりこの助けも得ながら、もじることができるようになりました。健常の子どもたちとの交流・遊びの機会が増えたことも、私たちが驚かされるミクの発達をうながしているのだと思います。

3つめは、これがとても重要なことだと思ったのですが、「人間発達の保障を考えるときに、たんに運動機能とか言語機能が高まっていくとか、相互の連関性がよくなるということ…だけでなく、その能力を使いこなす「人格」がどのようなものとして発達していくべきなのか、あるいはその発達をまわりがどのように支えていくべきなのか、ということが問題になる」ということでした。それは、「たんに能力が高いレベルになる、あるいは人間のもっている諸機能が、障害を乗り越えて相対的に十分に働くようになるということではなく、そのことを通して、あるいはそのことと結合して、人間のしるしをしっかりとわが身に取り戻すということ。そういう人格の形成が重要なのだ」という認識にもつながります。

私もミクに接するとき、いつもミクの運動機能、言語機能の発達に驚かされるのですが、確かにその驚きのそこにはそういう機能の発達を示すミクの豊かな人格形成の歩みを感じればこそだと思います。2007年のこの1年間の間にも、ミクから常に驚かされる連続になるのだろうと期待が膨らみます。ミクと一緒に私も成長していけるということほど、うれしいことはありません。