橘木俊詔著『格差社会』(岩波新書)

2006.11.01

10月29日に長野県小諸市に伺った帰りの30日に、東京で途中下車し、ミクに会ってきました。前回会ったのは9月16日が最後だったので、久しぶりに会えたという感じがひとしきりでした。日常の様子は、のりこの日記やweb電話での会話で大体承知しているはずなのですが、やはり目の前に見るミクの存在感はまったく違ったものがあります。ますますおしゃべりになり、元気いっぱいのミクに気持ちがすっかり和みました。

前回失敗したシャワーでしたので、今回はとことんミクに付き合うぞと心に決め、とはいえ、チャンとできるかなと内心結構緊張した気持ちでお風呂を一緒にしました。シャワーとお風呂の違いは大きく、ミクが次々と考え出すおままごとの相手をして、ミクが堪能するまで十分すぎるほどの時間を過ごしました(入浴時間1時間半はこれまでの最高です)。そのためか、「身体、洗おう?」と誘ったとき、「いやよ」とは一応抵抗するそぶりを示したものの、ニコニコ顔でした。

実は広島から佐久平(小諸への最寄り駅)までの新幹線の中で、F地のSさんから送っていただいた白石正久著『発達とは矛盾をのりこえること』(全障研出版部)と題する本を読んで過ごしていたのですが、すごく教えられるところが多く、また、納得する指摘も実に多くて、6時間近い時間もまったく苦になりませんでした。ミクとお風呂で過ごしている間も、本の中のそこここの指摘が自然と頭の中によみがえってきて、実地トレーニングを受けている気持ちにもなりました。何よりも大切なことは、本人の意思を尊重し、大切に育むことだと、この本を読んで理解したのですが、ミクの満足しきったニコニコ顔は、前回シャワー事件で大失敗した私の不安を吹き飛ばしてくれました。

10月31日は、障害者自立支援法成立1年で、日比谷公園で大集会が開かれました。私は、この集会に出席して広島に戻るつもりでしたので足を運びました。集会は1万5千人の参加者で、すごいパワーを感じました。それだけこの法律に対する怒りがみなぎっている証拠だと実感しました。各党の国会議員が出席したシンポが開かれましたが、自民党は欠席。欠席したそのことが、なによりもこの法律が欠陥商品であることを物語る出来事と私は受けとめました。また、公明党の議員は出席して色々しゃべりましたが、弁解じみていて、まったくひどいものでした。公明党支持者(創価学会員)の中にはいい人も沢山いるのですが、組織の上層部の欺瞞性には毎度のことですが、砂をかむ思いでした。

前にもこのコラムで書いていることですが、ミクという障害を持った孫娘を得たおかげで、私は本当に真新しく、予想もできなかったことを次から次へと学ぶことができるようになりました。ミクという存在がなかったら、私の人生はとても薄っぺらなものに終わってしまっていたに違いありません。ミクのおかげで、私の物事についての認識のあり方、特に人間の尊厳がいかに重いものであるかということについての認識は、自分で言うのも変ですが、明らかに深みを持つようになったと実感しています。

この集会に参加している多くの障害を持った人たちは、ミクと同じく、本当にかけがえのない存在であり、この人たちを大切にすることを拒否するこの国のあり方に、改めて激しい怒りを感じます。なんとしてでもこの法律を止めさせ、障害を持った人たちがすべて人間としての尊厳を全うできる社会にしていかなければならない、と思いを新たにしました。

新幹線の広島への帰りの車中では、橘木俊詔著『格差社会』(岩波新書)を読みました。障害者のことに直接触れるものではありませんが、憲法第25条を全面的に肯定する立場から、新自由主義(市場原理主義)に基づく経済運営の取るべからざる所以、市場経済の下でも十分に競争と公平とを両立する道筋がある根拠を、平易な文章で説いているもので、福祉の分野にもそのまま当てはまることを強く実感できました。小泉「構造改革」に対する厳しい批判を全面的に展開している啓蒙書として、これからの安倍政治に対する鋭い視点をも提供しています。私が素人として感じていることの多くの点について確信が持てました。