ミクと娘、帰京

2006.04.23

ミクとのりこは、12時丁度広島発の新幹線で八王子に戻りました。15日からの楽しい一時があっという間に終わってしまいました。帰ってきて、ミクの声が響いてこない部屋はなんとも言いようがなくさびしいものです。

16日には、きのこ会の還暦祝いの誕生会にミク、のりこと一緒に参加。長生きできないと言われてきた原爆小頭症の方たちが9人も出席されて楽しい一時を過ごされるのを見せていただいて、本当に多くの思いが胸中を去来しました。ご本人たちのこれまでの苦労はもちろんとして、家族の方たちのご苦労はいかばかりかと思うと、ミクにも長生きしてもらいたいと思うと同時に、その時ののりこの人生の大変さも容易に想像が付き、本当に複雑な思いでした。

17日からの1週間はなるべく2人に楽しい広島生活をと思い、月、火、金は休暇を取りました。月曜日には土師ダムの満開の桜を堪能し、火曜日には錦帯橋を訪れ、最近望遠レンズの着いたデジカメを購入したばかりののりこは心ゆくまで撮影を楽しんでいましたし、ミクもミクなりの流儀で楽しそうにしていてくれました。

広島に着いた日と水曜日には、上さんがミクの面倒を見て、私はのりこを私のお気に入りの店に夕食を誘いました。いずれの店ものりこは大気に入りで、私としてものりこの久しぶりにのんびりとした笑顔に酒が進みました。

のりことミクは、木曜日の午後からのりこが北京大学に留学していた頃の友人(広島在住)の家に呼ばれ、ここでも楽しい一時を過ごせたようです。その方のお子さんたちは広島大学付属の小学校に通っているとかで、そこでも身障学級があり、身障児と健常児との交流がとてもスムーズにいっているとかで、2人のお子さんがミクをとても良くしてくれたと、のりこは羨ましさの気持ちを込めながら、その時の様子を報告してくれました。

金、土はのりこと上さんが一緒に買い物に出かけ、私はミクと2人でお留守番でした(土曜日の午後、私は約束の会合があって少し家を留守にしたのですが、私が出かけた後、ミクは暫く大泣きで、「イエイエ、イエイエ」とむずかっていたとのこと)が、ミクはすっかり落ち着いた様子で、私との時間を楽しんでくれました。楽しむと言えば、広島滞在中、ほぼ毎晩(金曜日の夜だけは、ミクが上さんと入りたいと言ったので、私はおりましたが)ミクは私との入浴を楽しみました。ミクはとにかくお風呂が好きで、長湯なのです。八王子の自宅は一軒家ということもあり、外気が入ってくるので長湯をしても大丈夫なのですが、マンションで換気が悪いこちらでは、30分も浴室で遊んでいると、ミクも私もすっかりのぼせてしまうという感じで、八王子でお風呂を一緒にするときほどは浴室にいられませんでした。

ミクはまだ時間の感覚が分からないのですが、私たちとのコミュニケーションはほぼ問題ない(ただし、あごの発達が遅れているせいか、ミクの発音を聞き取ることはしばしば難しい)ことを改めて実感しました。

のりこが土師ダムと錦帯橋でミクと私のトゥー・ショットを何枚も撮ってくれましたので、とてもいい記念になりました。いずれ、メールでも送ってくれると言っていましたので、そのうち、HPの表紙に登場することになると思います。