21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

小学校が学校公開の日

2005.11.20

19日はミクの小学校が学校公開の日で、朝8時半から12時半まで授業を参観しました。1~2時間目はお料理教室ということでホットケーキを作り、3時間目は上級生の誕生月を祝うということで、1年から6年までの障害の子どもたち全員が一つの部屋でお祝いをし、最後の4時間目はビデオをしばらく鑑賞した後、国語の授業でした。のりこによれば、前の公開の日もお料理教室だったとかで、そのせいか、1時間目と2時間目の父母の参観はほとんどありませんでした。正直言って、私にもこの授業の狙いとか意味は分からずじまいでした。誕生祝いでは、誕生を祝ってもらう上級生に下級生がいろいろ質問するという形で、その質問が短冊のような紙に書いてあり、子どもたちが読み上げるというものでした。ひらがなを読める子もいるし、読めない子(ミクもその一人)もいるという具合で、先生たちが手伝っているという情景に、始めて授業らしい雰囲気を感じました。最後の国語の授業では、先生が果物(プラスチック製)をいろいろ用意して、名前、色、形について教えるという内容で、字を教えるということにはまったくなっていなかったので、拍子抜けしました。

授業についてはあまり印象が残らない感じでしたが、国語の授業の始めと終わりはミクが司会(?)するということで、もちろん先生の指導を受けながらですが、ミクが臆する風もなく、「これから国語の授業を始めます」、「これで国語の授業を終わります」と言っていたのには、私の胸が熱くなりました。4時間の間ミクを観察して、ミクが少しも尻込みせず、ごく自然に動いている様子が分かり、そういう意味ではとても有意義な時間を過ごすことができました。

ただ、気になることもありました。休み時間に、健常の子どもたちがミクの教室の前を通りかかる際に、ミクを見つけて声をかけ、近寄ってくれるのですが、ミクは明らかに顔見知りするのか、逃げてしまうのです。そのため、せっかく近づいてくれた子どもたちもそれっきりということで、せっかくのチャンスが逃げていってしまっていることに何とかならないか、と悔しい思いをしました。もう少し学校全体として、健常の子と障害の子が積極的にまじわえるような環境を整備してほしいと強く感じました。このことは、以前からのりこが私に何度も言っていることなのですが、私も本当にそうだな、と実感したことでした。

のりこの友人がわざわざ参観に来てくれたのですが、その方が私に、「来年からはミクちゃんに会えなくなりますね」と言われたのには、本当に切ない気持ちがこみ上げてきました。本当に、あと2回上京したら、来年からは定期的に上京する機会がなくなります。帰りの新幹線ではそんな思いで何もする気持ちにもならず、ただぼんやりとして4時間近くを過ごしていました。

そうそう、木曜日の夜にミクとお風呂に入ったのですが、入浴前にインフルエンザの予防注射をしたことについてのりこと話をしていたのにミクも「注射したよ」と言っていたのですが、お風呂に入ったとたんミクが「注射見せて」(絆創膏のこと)と言ってきたのには驚きました。しばらく時間が経っていたのに、ミクは覚えていたのです。その話をしたら、のりこもびっくりしていました。ミクはミクなりに着実に成長している、lということを改めて実感した一時でした。

もう一つ、原爆小頭症の人たちについての本『きのこ雲の下から、明日へ』の著者、斉藤とも子さんがのりこにその本をプレゼントしてくださり、丁寧な手紙も寄せてくださった(内容も目頭が熱くなる心のこもった内容でした)のですが、近く直接お会いすることにもなったという報告をのりこから聞いて、本当にありがたく思いました。今回会ったのりこは非常に疲れた様子だった(最近日記も更新していないのはそのせいかもしれません)のが気になりましたが、斉藤さんとの出会いで元気をもらってくれたら、と思います。