21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

ミクの表現力がとても向上している

2005.10.23

のりこの日記で、ミクがとても表現力が向上していると書いていたので、20日、21日とミクと会うときは、どんな様子か見るのが楽しみでした。確かに前回会ったときよりも格段の進歩で、「なるほど」と感じ入りました。また今では毎日学校に持っていくものについても、自分でかばんに入れるようになったそうです。前にのりこが教科書を間違えて入れてしまったために、授業中自分だけ教科書がない場面になったミクは怒り狂ったとのこと。自分でチェックした上で間違えたのであれば納得するので、そうすることにした、というのりこの説明を聞いて、ここでも感心しました。

お風呂もミクと一緒に入ったのですが、1,2,3,4,5,6まではハッキリ言えるようになっていました。7が難しいらしく、8に飛んでしまうのですが。「シチ」と「ハチ」の区別がつかないようです。学校で「ナナ」と発音するように指導すればいいのに、と思いました。それでも、前は嫌がっていたのに、今では進んではしゃぎながら何度も何度も数えながら遊び事をする姿に、ここでも感動。

のりこがこれも日記でここ数日来いらいらしていると書いていたので、事情を聞くと、休みの時間にも身障のクラスの子には外で遊ばせてくれないので、ミクが健常の子どもたちと満足に交流もできないことに大きな不満を感じているのであることが分かりました。のりこはその点について担当の先生に率直に意見を言ってきており、木曜日には外で遊ぶことが実現したようです。しかし、こういうことについても、まだ身障児学級を設けて時間が経っていないこの学校では、なかなか障害児の目線に立って物事を考えるまでになっていないということのようです。のりこが先生に率直に意見、希望をいい、担任の先生も一所懸命考えようとしていることは、私がのりこの家を訪れた2日とも先生から電話がかかってきて、のりこと話し合っていることからも理解できました。身障児学級の担任の先生たちは、養護学校の先生たちと違い、いわゆるプロではないので、その熟練度によって、ずいぶん学校間の格差も出ているとか。身障児を持つ母親たちの間のコミュニケーションは、のりこの話を聞く限り、かなり密なので、学校間の違いも筒抜けで分かってしまうということのようです。

のりこが早い時期から健常児と身障児が交わることが大切だとする理由は、私にもよく理解できる内容でした。つまり、健常児が身障児と違和感なしに友達になれるのは小学3年頃までだということです。その時期が過ぎてしまうと、身障児に対して違和感が先に来て、たとえ健常児が身障児と友達になるとしても、それは頭の中で「差別はいけないんだ」という判断をした上でのことだということです。

のりこはそういう認識から、ミクが少しでも多くの健常児の子どもたちと友達になれるように、積極的に健常児の子どもたちにアプローチし、放課後にはそういう子どもたちの家で遊ばせてもらうようにしています。のりこが実感を込めていうには、ミクと進んで友達になってくれる健常児の家庭は、本当に心温まる雰囲気を持っているとのことでした。やはり家庭環境が子どもの心の発達に及ぼす影響は極めて大きいものがあるということでしょう。

私はのりこに、学校の対応への不満からくるイライラをミクにぶつけては駄目だよ、学校で得られないものを放課後の自助努力でカバーするということで対応することも大切ではないか、と話しましたが、日本の教育における身障児に対する寒々とした対応の実情は、小泉政治に代表される戦後保守政治の弱者切り捨て政策の反映であるということを改めて強く感じました。