21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

中国新聞「被爆者から若者へ 未来への伝言 ヒロシマを聞く」
第29回は「小頭症」

2005.06.12

今朝の中国新聞「被爆者から若者へ 未来への伝言 ヒロシマを聞く」第29回は「小頭症」でした。入市被爆者の姉が、1946年3月に生まれた原爆小頭症の弟を今日まで面倒を見てきたことについての思いを語る内容でした。「今後のこと、考えたりしますか」という若者の問いかけに、「何とか元気でおりたい。今、私も具合が悪くなったけど、私で良かった。(体調が悪いのが)この人(浅井注:弟)だったら、どこが痛いか、よう説明できんから」と答えた姉の言葉。そして、「この人が元気でおってくれたら喜ばんといけんなと思うんです。この人より先に死んだらいけんと思ってます。私はこの人のおかげで、元気でいられるんです」という結びの言葉も続きました。

この記事を読む前に、私は今朝、のりこの昨日の日記を読んでいました。その中でのりこは、「医療ケアのあるお子さんは特に普段預ける先が無く、家族の介護の負担は大きいです。もっともっと当たり前のように障害者をサポートしてくれる団体が増えていってくれるといいと日々願うばかりです。mikuも私が万が一入院したり、何かあった時に実際預かってくれる施設はまだ見つかっていません。だからこそ私は健康でなければならないのです。…私が一番自分が癒される瞬間はmikuが大爆笑した時です。それを見ると本当に何よりのエネルギーとなります。でも、私がイライラしているとmikuに悪影響でなかなか大笑いしないんですよね。だからmikuが笑った時は、あ~今日も又笑ってくれた!ってほっとするんです。」と書いています。

私は、とても切ない気持ちです。小頭症の弟のことを思う姉の方とのりことがダブって仕方がなかったからです。ミクも「原発性小頭性小人症」という「病名」がついており、「小頭」ということで弟の方とダブるのです。

この国は、本当にどこまで障害者に冷たくしても平気でいられるのか、障害者の身内の人たちにどこまで献身と犠牲を強いるのか、どこまで追い込めば気が済むのか、人間をどこまで粗末に扱っても痛痒を感じないのか、次から次へとたたみかけたい思いが突き上げてきます。やはり、この国は根本的なところで間違っています。

人間の尊厳を尊重しない国は人権・民主主義とはかけ離れた存在です。人権・民主主義を実現する国にしなくては、この姉の方にものりこにも、本当に心が安まるときは訪れないのです。やはり、この国の政治のあり方を根本から変えないとだめだ、なんとしてでも保守政治の支配を終わらせたい、と朝からやり場のない怒りをもてあましています。