21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

障害児教育

2005.06.05

前の大学でのゼミがあるので、また上京し、ミクとたっぷり会ってきました。でも、気がかりな気持ちがふくらむミクの様子でした。一見はなんでもないのですが(次男は見分けがつかないと言っています)、やはり学校での生活の重圧がミクを強く圧迫している様子が感じられてなりませんでした。のりこに聞くと、例えば給食も時間が来たら、ミクが食べ終わっていなくても切り上げ(ミクについての栄養補給は家に帰ってから考えろ、ということを客観的に意味します)、運動会でも、ミクも運動場を一周した(他の子どもは2周ですから、1周ということに文句は言えませんが、ミクにとってはマラソンをしているのに等しいのです)等など、ミクの立場に立った接し方が行われていないのです(学校も一所懸命であることは理解するのですが、要するにミクの目線に立っていないのです)。ミクもクタクタだろうから、せめて家ではミクの自由にさせてやったらと言う私に、のりこは「そうすると、学校でも言うことを聞かなくなるから、それでは結局ミクがかわいそうな目に遭うの」と言って、ミクの言動に厳しい注意を与えていました。

のりこの言うことももっともでしたが、そんなのりこの表情を探りながら反応を選んでいるミクがいるのを見て、私は本当に暗い気持ちになるしかありませんでした。のりこはミクのために必死、ミクは学校でも家の中でも常に緊張を強いられる状態。結局は弱者切り捨てを極端に推し進める、余裕のない学校教育(健常児の学級もそうだと思いますが、石原都政の下での障害児教育は救いのない状況に追い込まれているということだからです)の犠牲になっているのがのりことミクなのです。

腹心の部下を副知事に据えて都政をめちゃめちゃにしている石原知事のことについては、上京時の新聞報道でその一端を知りましたが、全く責任も感じていない石原氏の発言には、心底許せない、やりきれない思いでした。こういう人格識見とも最低な人物を都知事に選んでいる都民にもどうにもやりきれない思いが募ります。

ミクは鼻水が出始めている状態で、のりこと「要注意だね」と話し合ったのですが、学校に入ってから2ヶ月以上も頑張ってきたミクがそろそろ限界に近づいているのではないか、とここでも不安な気持ちが高まることを抑えきれずに、どんよりした気持ちを抱えながら広島に戻ってきました。