21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

辛い目

2005.02.02

昨日ものりこは大変辛い目に遭わされていました。のりこの思い詰めた表情、切々と訴える言葉に、私はただただ力なくうなずくしかありませんでした。帰宅後必死になって何とかする方法、私にできることはないかと考えました。その結果はありきたりですが、小学校の責任ある立場にある人に状況を知ってもらい、何とか事態を打開する手だてを講じてもらうことしか、今の私にできることはないと思いました。

今朝になっても、そうすることがかえってのりこの立場を悪くするのではないかという懸念があって、何度も考え直したのですが、ついに意を決して電話しました。校長先生に直接話すつもりでしたが、電話を受けてくださったのが、前にも2度ほどお会いしていた教頭先生(女性)で、私には「話の分かる方」という印象が残っていたので、堰を切ったように事情をお話しし、何とかしていただきたいと訴えました。この寒空の中で1日中外で立ちすくんでいたら、のりこの身体が参ってしまう。のりこが身体を壊したら、ミクの世話を満足にできる人間はいなくなってしまう。そうしたら、共倒れなのです、と血相を変えて(たぶんそういう形相だったのだろうと思います)まくし立てる自分がいました。

幸い、私の判断が正しく、教頭先生はすぐに事情を分かってくださいました。そして、のりこが学校に伺う段階では、すでに現場の先生たちに話しをしていてくださったようです。私が電話したことを知らないのりこも、自分なりに意を決して事情を現場の先生に話し、自分が小学校に赴いているのは、市の教育委員会からの提案を受けて、ミクの受け入れ体制について十全を期するために、学校側が事前に予備的ノウハウを蓄積しておくために、母親であるのりこの観察を学校側にインプットするためであり、もし学校側がその必要がないと判断するのであれば、これ以上お邪魔する意志はないと話したようです。教頭先生のお話とのりこの事情説明で状況を認識した(と思っておきます)現場の先生方は、それによってすっかり態度を変えてくださり、のりこが観察することを受け入れてくださいました。

そのことをのりこから聞いて、本当にホッとしました。のりこもやっと笑顔が浮かんでくれたことも、私には胸が熱くなる思いでした。一昨日、昨日ののりこのただならぬ様子におとなしかったミクも、今日1日預かってくださった方の家での楽しい思いの余韻が残っているせいもあってか、すこぶる上機嫌で、大いにはしゃいでいました。母親のストレスは直にミクに伝染するし、1日を楽しい思いで過ごせれば、それだけストレスがたまらないのだと思うと、小さなミクが愛おしくてたまりませんでした。

ほのぼのとした気持ちのままで夜道の帰途についた私の車の前に自転車が急に現れ、危うくぶつかるところでした。前にも、ミクとのりこのことで頭がいっぱいのまま運転をしていて、自転車にぶつかりそうになったことがありました。2度あることは3度ある、ではないですが、これからはよほど心しなければならないぞ、と自分をきつく戒めました。でも、本当に良かったです。嬉しくて、思わず長々と書いてしまいました。ゴメンナサイ。