21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

チェックで小学校に1週間通う最初の日

2005.01.31

今日は、ミクが通う予定をしている小学校に、受け入れに当たってチェックするべきことをのりこが観察することを求められてその小学校に1週間通う最初の日でした。どんな様子だったか気になって、5時過ぎにのりこの家を訪れました。案の定というか、やはり「現実は厳しい」ということを思い知らされる報告でした。詳しい事情を書くことは控えますが、のりこと一緒に本当に悲しく思ったのは、日本という社会の後進性ということでした。というよりも、日本社会を覆っている社会的弱者に対する冷酷さというべきでしょうか。ミクのような特殊なケースに対して、日本社会は要するに官僚的であり、自分たちが決めた枠組みに少しでも外れれば、すべて切って捨てることをなんとも思わない体質なのです(校長先生がフォローしてくださった様子であることがせめてもの救いでした)。

ミクはとにかく人が好きなので、少しでも健常な子どもたちと接する機会を増やしてやりたいと思うのりこだからこそ、身障学級に入れて、そういう可能性を少しでも増やしてやりたいと考えているわけですが、今日見学した限りでは、身障学級の子どもたちは、放課の時も部屋の中で過ごすことになっていて、健常の子どもたちと交わる機会はまったくないとのことでした。「こんなことなら、養護学校の方がミクには良いかもしれない」と思わずつぶやくのりこに、何と言ったらいいのかも分からず、オロオロするだけの私でした。東京都といい、八王子市といい、保守政治が支配する典型的なところですので、状況は更に厳しいのかも知れませんが、とにかくなんともやりきれないことで、しかも正にどうしようもできない(私たちの努力によって打開できるすべがない)ことであるだけになおさら、怒りがこみ上げてくるのでした。

今日の唯一の救いは、ミクの発した思いもかけない言葉でした。私たちが深刻に話し合っている間も、私の膝に座り込んでDVDを一心不乱に眺めているミク(そうしているミクに、私が小さなフォークで何度も夕食を口に運ぶと、あどけなく口を開けて、平らげてくれました)ですが、飽きてほかのDVDを見たくなって、そのDVDを取り出した後、「ここに置いておいていい?」と聞いたのです。思わず、のりこと顔を見合わせて、そんな表現もできるようになったミクにしみじみと喜びを感じた私でした。そうです。ミクはミクなりに着実に成長しているのです。そういうミクのことを、何としてでも日本社会が自然に受け入れられる世になって欲しいと心から願わずにはいられませんでした。