「肢体不自由の養護学校との判定」

2004.11.16

のりこが車の事故を起こし、新しい車を見つけるまでは私の車を使うことになったので、ミクの顔を見に行くこともできなくなり、その数日間がとても長く思えていた私でした。今日、新車購入に伴う代車が来ることになって、私の車を引き取るために久しぶり(?)にミクに会うことができました。

 実は、「今日就学検討委員会があり、mikuは希望の身障学級ではなく、「肢体不自由の養護学校との判定」が下りました。」というのりこの日記での書き込み(12日)に動転したのはほかならぬ私でした。しかし、13日ののりこの日記にあるように、八王子市の決定は最終的なものではなく、のりこが努力して身障学級の受け入れ先を見つければクリアできるものであること、のりこはそのことを踏まえてある小学校へのミクの入学を目指してこれまで頑張ってきたのだということを知り(のりこが目指している小学校の校長先生には、私もお目にかかったことが2度ほどあり、その優しいまなざしと好意的且つ前向きに考えてくださる姿勢には感謝の気持ちを深くしました)、気持ちを取り直すということが、この数日間にありました。

そんな私でしたので、ミクに会えることはいつも以上の喜びでした。そんな私に、のりこはさらに喜びと驚きを増す材料を提供してくれました。ミクが小学校に入ると、どうしても車椅子が必要になります(小さすぎるミクは、ミクにとってはガリバー的な存在であるほかの子ども達に吹き飛ばされてしまう危険があるために、やはり車椅子で動く必要があるのです。もっともその車椅子も非常に小さいので、万全の備えというわけにはいきませんが。ちなみに、その車椅子のメーカーはスウェーデンで、本当にスウェーデンを羨ましく思いました)。その特注の車椅子ができて、ミクが試乗している姿をのりこが携帯に収め、私に見せてくれたのです。なんとミクは、誰にも教わらずに車椅子に座って軽快に動き回っているのです。本当に信じられない映像でした。

さらに私を驚かせることをミクはやってくれました。のりこの家は日経新聞を取っており、のりこが私の帰り際に渡してくれる習わしになっているのですが、なんとミクがその新聞を私に手渡してくれたのです。私ものりこも思わず「オー」と感嘆の言葉を発してしまいました。のりこのやっていることをミクはしっかりと見ていて、そのことを私たちに言われることなくやってのけたのです。ミクの着実な成長の確かな手応えを感じた瞬間でした。

さらにおまけがありました。私が「じゃ、また明日ね」とミクに声をかけてドアを閉めようとしたとき、ミクは「また遊ぼうね」と言ったのです。これも私には初めてのことでした。

今日は色々なことがあって疲れていた私ですが、本当に心身共に休まる感じを味わいながら、帰ってくることができました。「ミク、ありがとう」の気持ちでいっぱいの私です。