現代戦争

2016.4.30.

「恐怖兵器の巨大化によって全面戦争の可能性はたしかに大きく減退した。しかしいわゆるエスカレーター戦争、偶発戦争の危険性はつねに存在しているし、世界における紛争の種は減るどころかむしろふえている。このことからしてつぎのような逆説が導き出される-全面戦争の危機感が意識のなかから消え去ったとき、そのとき全面戦争の危険は逆にもっとも強くなる。なぜなら、軍縮によらない「恐怖の均衡」による平和は、恐怖感が実感として生きている限りにおいてのみ存続できるからである。巨大国が核兵器を擁したまま、全面戦争はもはやありえないという安心に依頼するほど危険な事態はない。」(対話 p.88)
「戦争の巨大化とゲリラの意味。
 「近代戦争は、国際的、国家的、個人的の三つの平面で、三つの戦線で同時に闘われる。……事実、決定的な衝突はしばしば前線の背後においておこなわれる。一九四〇年ロンドンのたたかいはロンドン市民の志気によって勝利に帰した。フランスのたたかいはまさに同じ理由で敗北した。ロシアのゲリラ戦はソヴィエット祖国のスピーディな解放に大いに貢献した。ヨーロッパの地下運動における英雄的闘争もまた同様の成功をかちえた。」(Neumann: Future in Perspective, p.15)」(対話 p.89)
 「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある。革命もまた戦争よりは平和に近い。革命を短期決戦の相においてだけ見るものは、「戦争」の言葉で「革命」を語るものであり、それは革命の道徳的権威を戦争なみに引下げることである。」(対話 p.90)
「第一章 平和問題に対するわれわれの基本的な考え方
 戦争は本来手段でありながら、もはや手段としての意味を失ったこと
 「元来戦争は人間がある問題を解決するために用いる一つの、而(しか)も極めて原始的な方法である。嘗(かつ)てこの方法が有効且(か)つ有利と認められる時代があったにしても現代は全く相違する。今日にあっては戦敗国はもとより、戦勝国と雖(いえど)も、一部の特殊な人間を除いて、殆ど癒し難い創痍を蒙る。……もはや戦争は完全に時代に取り残された方法と化しているといわねばならぬ。」ひとはこの趣旨をあまりに当然自明のこととするかも知れない。しかし、むしろ問題は、このことが自明の理とされることによって、それはそれとして至極簡単に承認されてしまい、現実の国際問題を判断する際の生きた標準としてはたらかないということにある。その結果、激動する世界情勢に直面すると、忽(たちま)ち一方で受け入れた原理を直ちに他方でふみにじって行くような行動に陥ってしまう。「戦争をなくするための戦争」というような使い古されたスローガンが、ややもすれば今日なお持ち出されるのは、戦争と平和の選択を依然として手段の問題として処理しうるかのような錯覚が、いかに人々を捉え易いかということを示している。
 戦争の破壊性が恐るべく巨大なものとなり、どんなに崇高な目的も、どのような重大な理由も、戦争による犠牲を正当化できなくなったという厳粛な事実に否応なく世界の人々を直面させたのは、いうまでもなく第一には、原子爆弾、水素爆弾などのいわゆる超兵器(superweapons)の出現であった。…現代戦争の内包するこのようなパラドックスは決して忽然として生じたのではない。それは、近代産業及び交通通信手段の発達が、一方において全世界を一体化し、各国家各民族を密接な相互連関の関係に置いたと同時に、他方において、もろもろの政治権力の集団的な組織化を高度にし、その相互の軋轢(あつれき)をいよいよ大規模なものにしたという歴史的過程によって齎らされたものである。現代戦争が国際的には世界戦争(global war)として現れ、国内的には、全国民を動員する(total war)という様相を帯びるのは、その必然な結果にほかならない。したがって、戦争の破壊性が戦場における武器による直接的な破壊性に限定されなくなったということこそ、何にもまして重要なことである。…最も惨憺たる被害を蒙るのは、家を焼かれ、近親を失って彷徨する無辜の民衆であるのが、皮肉というにはあまりに痛ましい現代戦争の実相なのである。しかも、戦後に待ち構えているのは、経済的政治的荒廃、大量的失業、飢餓、暴動であり、深刻な道徳的頽廃がこれに加わる。…
 いまや戦争はまぎれもなく、地上における最大の悪となったのである。どのような他の悪も、戦争の悪ほど大きくはない。したがって逆にいうならば、世界中の人々にとって平和を維持し、平和を高度にするということが、それなしには他のいかなる価値も実現されないような、第一義的な目標になったといわなければならない。どのような地上の理想も、世界平和を犠牲にしてまで追求するには値しない。なぜなら、それを追求するために戦争に訴えたが最後、戦争の自己法則的な発展は、当該の理想自体を毀損してしまうからである。」(集⑤ 「三たび平和について」第1章・第2章1950.12.pp.7-10)
「国際間に於ける物理的暴力行使としての戦争は、問題が政治家に依ってではなく軍人に依って解決されなければならなくなったという事態の表現であり、政治家の能力の大部分はむしろこうした暴力行使にいたるまでの外交的折衝の段階に於て発揮されるわけです。軍事的闘争は政治的紛争の極限としてのみ存在する…。」(集⑤ 「政治の世界」1952.3.p.138)
「内村(鑑三)の非戦論が単にキリスト教的福音の立場からの演繹的な帰結ではなく帝国主義の経験から学び取った主張であったということは、彼の論理に当時の自称リアリストをはるかにこえた歴史的現実への洞察力を付与する結果となった。彼は近代戦争がますますある目的を達するための手段としての意義を失いつつあること、いいかえれば、戦争の精神的物質的コストの異常な増大は、いわゆる「正義の戦争」と「不義の戦争」の区別をますます非現実的なものにして行く傾向をすでに鋭く指摘している。「人類が進むに従て戦争の害は益々増して其益は益々減じて来ます、随て戦争は勝つも負けるも大なる損害たるに至ります、戦争は其代価を償はず、其目的に達せざるに至ります、……斯かる場合に臨んで最も慧き国民は最も早く戦争を止める国民であります。…」(戦争廃止の必要、明四一・八)。「若し戦争はより小なる悪事であって世には戦争に勝る悪事があると称へる人がありますならば、其人は自分で何を曰ふて居るのかを知らない人であると思ひます。戦争よりも大なる悪事は何でありますか、……若し無辜(むこ)の人を殺さなければ達しられない善事があるとならば、其善事は何んでありますか、……悪しき手段を以て善き目的に達することは出来ません。殺人術を施して東洋永久の平和を計らんなど云ふことは以ての外の事であります」(平和の福音、明三六・九)。戦争と軍備によって平和が生れるというのは、「日本国の政治家のみならず世界万国の政治家」の最大の迷信である。戦争は他の何かをもたらすことがあろうとも平和だけは決してもたらさない、「戦争が戦争を止めた例は一ツもない、戦争は戦争を生む、……世に迷想多しと雖も軍備は平和の保証であると云ふが如き大なる迷想はない、軍備は平和を保障しない、戦争を保証する」(世界の平和は如何にして来る乎、明四四・九、傍点原文)。こうした内村の論理がその後の半世紀足らずの世界史においていかに実証されたか、とくに原爆時代において幾層倍の真実性を加えたかはもはや説くを要しない。」(集⑤ 「内村鑑三と「非戦」の論理」1953.4.pp.321-322)
「アメリカは長い間モンロー主義でしたし、そこからくる国際政治の未熟さが現在のところまであった。とかく善玉、悪玉でものを片づけやすい。他方ソビエトは一国社会主義で、一種の鎖国状態でやってきた。したがってこれまた違った体制なり違った世界の人々のものの考え方とか、伝統的なものが政治において持つ非常に大きな意味について、わたしの見るところで必ずしも理解というよりセンスがない。こうした両大国が相対峙したので、そういう面でも危険があったわけですが、コミュニケーションが発達していろいろな交流が行われ、また米ソがいや応なしに世界平和についての責任を負わざるをえなくなった。そういうことから従来のような見方、考え方で国際政治を割り切って行くことでなくて、もう少し円熟したリアルな見方でもって処して行くということにだんだん変わるのではないか。ただそれには、資本主義なり社会主義が各々自分の体制がいいという本当の意味での自信なら、私はむしろ共存になると思うのです。ところがその信念が恐怖に裏付けられると-とうてい共存ということにいかないのじゃないか。
 (美濃部亮吉「その点ソ連の方で追いついてくると、アメリカ側の恐怖の部分がだんだん多くなるのじゃないですか。」)「そういう危険性もあるわけですけれども、他方ソビエト体制そのものもいろいろな問題をはらんでいる。とくに政治的自由ということは、結局計画性と、個人の自由な選択をどこまで調和刺してゆくかという問題に当面せざるをえない。したがってわたしは、アメリカ的なデモクラシーとソビエトのデモクラシーの将来というのは必ずしも全部ソビエト型のデモクラシーになってゆく形で世界が変化して行くとは考えられない。つまり両方が変化して行く形でダイナミックに共存して行くと思うのです。むしろぼくは戦争の原因は世界政治にそれほど責任を持たない国があちこちで核武装をしたり、後進国ないし未開発国が民族国家をだんだん形成して経済力が高まってきたときに、後進国相互の間に衝突が起こったり、それにさらに大国の利害がからんで問題が大きくなるとか、やっぱりナショナリズムというのはどんな場合にもゆき過ぎる可能性がある。大国のほうは国際的にはむしろ保守的になるけれども、後進国は無理矢理突貫するという可能性がないでもない。」(手帖9 「日本の進む道 -転機に立つ世界のなかで-」1960.1.1.pp.41-42)
「「バランス・オブ・パワー」の原理ですが、これは19世紀の頃、一国がそれぞれ独立の主権の上に立って、自分の国際的な勢力を膨張していった時代の原理であって、今日でもなお残ってはいますが、これによって世界の平和が保たれたということは、今までの歴史にもかつてないことなのです。最後には軍備拡張となり戦争に続く、というのが今までの歴史に示すところです。
 また現在、ミサイルなどの発達により、戦争はただちに全面戦争を意味するから、アメリカもソビエトも戦争はできない。世界戦争はもはやできないが、ただ局地戦争の危険があるから、安保条約は必要だという議論もあります。しかしアメリカにとって局地戦争であっても、その局地にあたっているところは、全面戦争と同じことです。…現在の安保条約は、極東の地域に紛争が起こった時、それが軍事的抗争に変化した時、アメリカは局地戦争にとどめられても、アメリカに基地を提供している日本では、たちまち報復がなされて全面戦争になってしまいます。
 いったい、国の安全を究極的に保障するものは何か。今日のように、誘導弾や核兵器が発達しては、軍備をいくら増強しても、安全は保証されません。恐らく、アメリカもソビエトも本当の安全感はないと思います。いわんやその他の国々は非常な不安全感に満ちています。また、現在のように国際緊張が緩和する方向にむかなければ絶対に安全感はないのであります。」(別集② 「明星学園講演会速記録」1960年 pp.276-277)
「二〇世紀の戦争というのは総力戦、あるいは全体戦争と呼ばれている。日清戦争、日露戦争と第二次大戦との違いは、どこにあるか。それは総力戦かどうかという違いです。総力戦と言うことは、戦争が戦場で戦闘員同士が戦うというものじゃなくなったんです。…
 今までの戦争概念では理解できない戦争が出てきた。空襲がそうです-非戦闘員に対する爆撃でしょ。戦争が戦闘員同士のゲームではなくなったんです。…国民が国民と戦争すると言うことになる。そうすると戦闘員であろうと非戦闘員であろうと皆殺しということになっちゃう。空襲というものが戦争概念を変えた。ゲリラもまた戦争概念を変えます。市民が武装して戦うわけですから、戦闘員と非戦闘員の区別がなくなっちゃう。
 こういう全体戦争を日本は第二次大戦で初めて経験する。…戦争について陸軍も海軍もふくめて甘い考えをしていたのは、今までの戦争概念で考えていたからです。日本のほとんどすべての都市が全滅に近い状態にまで空襲で破壊される、国内がこんなに戦場化するということをほとんど考えていなかった。…
 そういうふうに戦争自身の概念が革命的に変わっているわけです。そういう一般的な問題をもっと考えたほうが良いですね。人間というのは実にあさましいもので、従来の戦争の経験で次の戦争を考えるから、いつも現実に立ち遅れる。次の戦争は核戦争でしょ。核戦争に対する想像力は非常に貧困です、まだ。
 ですから日本は本当に不幸だったけれども原爆を体験しましたので、核という武器が出現したことによって、戦争が一変したということが割合まだ実感として残っている。あれは単なる武器じゃないんだ。普通の爆弾を大きくしたものじゃない、ということが感覚として分かる。今日まで放射能で死んでいく人がいる。放射能の害がいつまでも残るというのは今までにない。他の国々は知らないわけです。まだ核を通常兵器と同じように武器としてみている。したがって核を中核とする将来の戦争に対する危機感というのは非常に薄いです。今までは、戦争というのは、何かの目的の手段であったが、核を使ったらすべて吹っ飛んでしまう。つまり今まで武器は手段ですが、核という武器は手段じゃない。使ったら最後、おしまいになっちゃう-人類絶滅。人類絶滅を正当化するような、いかなる戦争目的もないでしょ。核の段階に武器が達したということでまた、戦争概念が一変した。」(手帖7「丸山先生と語る会-岩手県東山町-」1977.10.22.pp.6-8)
「カール・シュミットのいう戦争概念の革命-戦争が戦闘員と非戦闘員との厳格な区別の上に立ち、一定のルールに従って行われる主権国家観の「決闘」であった段階から、もはや中立的第三者の存在を許さず、一般市民を含む「敵」の無差別的な抹殺をおこなう総力戦争又は「絶対」戦争への転化は、すでに、第一次大戦にきざしてはいるが、その全貌は第二次大戦においてはじめて露呈されたのである。フィクションとしての戦争映画は、映画のもつ本来的な娯楽性のために、一層現実が誇張されて表現されるけれども、にもかかわらずそれなりに歴史的なリアリティを具えていたことをあらためて感じさせる。」(集⑪ 「映画とわたくし」1979.4.pp.16-17)
「或る研究会で○○君が、‥(「憲法第九条をめぐる若干の考察」の中の)「通常兵器による今までの戦争形態というものが両極分解する-上に核戦争と下にゲリラと-傾向にある、と[丸山が]書いているのは非常に面白かったけれども、自分の見るところでは、通常兵器による戦争はなくならない。だからそう簡単に両極分解はしないのではないか、通常兵器を用いる局地戦争というのはやっぱり残るんじゃないか、」と。
 僕は事実として見たら○○君の方が正しいと思う、現実にその後のアレを見ても。ただ大国が巻き込まれると、基本的にはそうじゃないか。つまり[核戦争に]エスカレートする危険性を絶えず持っている、方向性としては両極分解する、と。…
 僕はだから、ヨーロッパの英仏独とか主権国家をモデルにした、ほぼ対等の主権国家の間の通常兵器を用いる戦争がラディカルに変わったということを、実は言いたかったわけです。」(手帖1 「丸山眞男を囲む或る勉強会の記録(上)」1981.6.16.p.45)
「一般論として国際戦争の歴史的な位置づけを簡単にのべる…。  なによりある種の戦争が国際法上で違法とされるようになったのは世界的にきわめて最近のことだ、という単純な事実を忘れてはなりません。…主権国家は国際紛争の解決手段として戦争と平和とを自由に選びうることが近代国際法上の当然の常識だったからこそ「戦時国際法」という名称が普通に通用していたのです。…もちろん、戦争にたいする宗教的な、あるいは倫理的な否定は以前からあり、「永久平和論」の構想もサン・ピエールとかカント以来いろいろ出ておりましたが、侵略戦争自体を違法としたのは第一次大戦後のヴェルサイユ条約のなかに含まれた国際連盟規約において、この規約に反して戦争に訴えた国家にたいして国際的制裁(経済的あるいは軍事的)を課した条項にはじまります。ついで不戦条約(一九二八年)において、日本を含む調印国は国際紛争解決のために戦争に訴えないこと、および国家の政策の手段としての戦争を放棄することを調印各国の「人民の名において」宣言しました。こうして侵略戦争にたいする自衛の戦争、および侵略国家にたいする集団安全保障にもとづく軍事的制裁をのぞいて、戦争ははじめて一定の構成要件の下で国家によって犯される犯罪行為とされるに至り、その精神は第二次大戦後の国際連合において一層具体的に強化された次第です。このプロセスは国際社会の構造変化を-つまり主権国家を強制力行使の最終単位とする世界から、一つの世界(ワン・ワールド)と一つの世界秩序(ワン・ワールド・オーダー)の形成を模索する方向を-示しております。国際連盟規約第十六条の「第十二条、第十三条、第十五条ニ依ル約束ヲ無視シテ戦争ニ訴ヘタル連盟国ハ、当然他ノ総テノ連盟国ニ対シ戦争行為ヲ為シタルモノト看做ス」という規定は、その事実上の実効性如何をこえて、戦争概念の革命的な変化を告げる宣言でした。なぜならこの規定は、戦争が主権国家の紛争当事国の問題であって、他の国家は「中立国」としての権利・義務をもつだけであるという、長い間通用して来た考え方からは理解できず、むしろ、侵略戦争の遂行は「一つの世界(ワン・ワールド)」の法秩序を侵害する行為だ、とみる考え方に立っているからです。第二次大戦における「戦争犯罪人」という新しい法概念、とくに捕虜虐待や非戦闘員殺傷の罪をこえて一国の最高戦争指導者を国際的戦争犯罪人として裁く観念の登場はまさに戦争観のこうした画期的な変化を前提にしてはじめて理解できます。それはたんに戦争にたいする抽象的道義観に基づくのではなくて、テクノロジーの地球的発達による主権国家の相互依存性が著しく増大したためです。一方におけるこうした国際規範の発展と、他方における現実の権力政治あるいは「国際軍事法廷」なるものの実態との間の矛盾は、かえって十九世紀的な世界秩序の構造変化が不可逆的であり、しかもワン・ワールドの秩序が実定法秩序としては未だ甚だしく不備なのはもちろん、思想的構想としても未成熟であるという過渡的様相から生まれた矛盾にほかなりません。‥要するに現代の、とくに国際戦争が不断に核戦争化の危険を内包するにいたった今日のイメージを十九世紀に投影することは著しく非歴史的なのです。戦争は独立国の権義(権理通義の略で、普遍的権利(ユニヴァーサル・ライト)の意です)を伸ばす術だ、という福沢の断言はむしろ国際社会の-つまり「西欧的国家体系」の-当時の常識をのべたものであり、福沢が戦争を人間性の本質から導き出したりしないで、「今の文明の有様に於ては止むを得ざるの勢ひ」という限定を附したところにこそ注目すべきだ、と思います。したがってそれは、国の「文明」の発達や外交手段との関連で国防問題を考えずに軍事力ばかり偏重するようなナショナリズムを批判することとすこしも矛盾しないわけです。」(集⑭ 「文明論之概略を読む(中・下)」1986.pp.307-309)
「国際連盟規約の第一六条ではじめて国際的制裁という観念が登場してくる。あれは警察なんです。警察が国内秩序で犯人を捕まえるのと同じなんです。同じ観念を国際社会に適用したんです。だから第一六条では「この連盟規約に違反して侵略戦争を行った国に対しては、戦争を行う」と。しかしその戦争は今までの戦争とは違う、警察が犯人を捕まえるという考え方なんです。したがって侵略戦争を行った国家は、すべての連盟当事国に対して戦争を行ったものと見なす、というんです。これが画期的な規約なんです。…国際連盟規約に違反して戦争をやった国は、全国際連盟国家に対して戦争をしたものと見なす、と。どうしてそういう規定ができたかというと、つまり強盗をやった犯人は全市民の敵だという、そういう国内秩序を国際秩序に適用した。国内秩序はワン・ワールドでしょ。封建社会は違いますよ。しかし中央集権的統一国家ができれば、これはワン・ワールドなんですよ。一つの秩序しかない。したがって一つの刑法があるだけ。強盗をやった犯人というのは押し入った家だけではなく、全市民の敵だ。警察は全市民を代表して犯人を捕まえる-これを国際秩序という。
 そこで戦争犯罪人という言葉がはじめて出てきた。今までなかった言葉が第一次大戦のときにできて、ドイツのカイゼルが戦争犯罪人として指名された。ただし戦争犯罪人と言われただけで、戦争裁判が実際に行われたのは第二次大戦なんです。だけど由来からいくと国際連盟が画期的なんです。」(手帖12 「伊豆山での対話(上)」1988.6.4.pp.50-51)
 「国際法の発達からいうと、国際法というのはつまりチャンバラの規定も含んでいるわけです。普通の国際法と、戦時国際法というのはチャンバラの規定、決闘の規定なんです。国際法というのは二つあった。平和なときの国際法と戦争をやったときの国際法。ということは、戦争は悪いという観念を前提にしていない。戦争は主権国家の当然の行動なんです。だからゲームのルールをつくって、戦時国際法というのは‥決闘のルールなんです。…戦争と平和を自由に選べる、外交政策として。主権国家というのは絶対なんです。」(手帖12 同上p.51)
「すでに主権国家だけで、超大国といえども自分の国を守り得なくなっているということは、シンボリックなことなんですね。核の時代というものに入ってからは特にそうです。軍事力というものの意味が変わったから。つまり国際軍でなければ自分の国を守り得なくなった。
 それは一九世紀までの戦争観でみたら全くわからない。‥ただ日本は不戦条約を結び、国際連合にも加入しているから、後から来た帝国主義にもかかわらずその変化を承認しているわけですよ、戦争観の変化を。承認して侵略戦争をやっているからこれはいけない。‥
 (そういう意識がなかったんですか。)そういう教育をしていないんですよ。‥国際社会という観念がどういうふうにしてでてきたか。主権国家はどういうふうに変わってきたか。戦争観がそれによってどのように変わったか。‥法とは何か。法と道徳とはどう違うかとか、そういうのこそ社会科で教えなければいけないんだけれども……。近代法の観念が-極端に言えば-ないです、大日本帝国の国民には。戦後どの程度あるかは別として。」(手帖12 同上pp.54-55)
「(不戦条約に関し)新憲法の先駆なんですけれども、国策の道具としての戦争を否定するという条約です。ソ連も入って主な国は全部入りました。これが戦争が違法化された最初の条約なんです。国際連盟規約はあるけれど、アメリカが入っていないでしょ。だからその意味では国際連盟は制約があって、国際連合とはちょっと違うんです。‥国際連盟規約の中に戦争の違法化が出ているのですけれど、何しろ連盟国だけしか拘束力はないでしょう。他方不戦条約というのは、非常に広いわけです、その当時の主な国は日本も含めて全部入っている。国家の政策の遂行の手段としての戦争を否定するということで、画期的なんです。戦争観の〔転換として〕。今までは戦争と平和というのは、主権国家でいつでも選択できた。ところが国家の政策の手段として戦争に訴えてはいけないということを誓約しちゃったわけです。…国家が主体でなくて、人民の名において誓約するという、国家の行動を制約する主体として人民が出てきたのは不戦条約がはじめてなのです。‥不戦条約に日本は調印しているわけで、ある種の戦争は違法であることは、はっきりしている。だからアヘン戦争なんか、みんなやったじゃないかという奥野の言い分は、全然当てはまらないわけ。ほとんどの帝国主義戦争というのは不戦条約の前なんですよ。つまり、一九二〇年代に戦争観というのは革命的に変わったわけです。宗教的、倫理的な理由で戦争はいかんという立場は昔からあるんです。カントの永久平和論、その他、昔から。だけど違法な戦争という概念はなかったわけです。主権国家は自由に政策上選択できた。ところがある種の戦争、つまり国家の政策遂行の道具としての戦争は違法であると。だから侵略戦争はもちろん、満州事変の行動も不戦条約違反なんです。しかも特殊権益を何も留保していない。廬溝橋事件なんかを持ち出すのは、そのこと自体が見当違いなんだ。廬溝橋事件は偶発的事件だなんて。
 ‥不戦条約に調印していることを無視しているわけです、満州事変以後の行動は。横田〔喜三郎〕さんが国際法の講義ではっきり言ったわけです、自衛権の範囲を超えていると。…横田さんが言っていたことは、法律的には正しい。自衛権を超えた侵略戦争であるだけでなく、国策の具としてやったことは明白ですから。自衛権かどうかということよりもっと広いんですよ、国策の具としての戦争はいけないというんですから。結局許される戦争というのは植民地の民族解放戦争ぐらいでしょうね、その時の違法でない戦争ということになると。法律的に戦争の違法性をはじめて問われたのが不戦条約なんです。」(手帖52 「丸山眞男先生を囲む会」1988.6.19. pp.37-38)
「平和と戦争を自由に主権国家が選択できるという前提が、国際連盟で初めて崩れたんです。それで戦争観が大転換したんです。それが不戦条約でさらに確かめられた。つまり、国策の手段としてやる戦争は国際的に見ると不法な戦争なんです。これは一九世紀には全然通用しない。帝国主義の真っ只中だからね。アヘン戦争はどうなんだ、清仏戦争はどうなんだ、と。同じことやったじゃないか、と。それは自民党が言っている議論です。日本の悲劇は、あまりに遅れて古典的帝国主義をやったことなんです。‥警察行動以外の、自分の国家の利益を増進するための戦争に訴えてはいけないというのが、不戦条約以後、国際規範になっちゃったんです。日本国憲法に始まったんじゃないんですよ。それを徹底して条文に規定したのは、日本国憲法が初めてなんです。しかも原水爆時代が現実でしょ。すると昔の意味での軍事的な勝者と敗者がもはやない。これくらいはっきりしたのは、ないんですよ。今、地球が破滅する何十倍だか何百倍だかの原水爆を持っている。ところが、軍備というのはやっぱり手段なんです。昔の観念がなかなか打破されないわけ。ところが「三たび平和について」‥に書いたんですが、手段じゃなくなったわけです。自己目的になっちゃって、地球を破滅させる道具になっちゃった。それを相変わらず国家の手段と思っているわけですよ。世界中、英米仏も含めて、程度の差はありますが。」(手帖56 「「楽しき会」の記録」1990.9.16.pp.22-23)
「「侵略」という観念は、僕に言わせれば、第一次大戦以後できた観念であって、その当時の法的概念で言えば特殊権益ですよ。他の国家に特殊権益を持ち、それが条約上認められた場合には、その特殊権益を侵すものがあったら軍隊で排除するのは、合法的なの。今パナマでアメリカがやっているのはそれなんですよ。満州事変の時も盛んにそういう議論があった。アメリカのカリブ政策を見ろ、と。みんな特殊権益じゃないか、と。‥満蒙の特殊権益を守る、これならポーツマス条約で認められているんです。この条約で南満州鉄道の沿線に日本軍隊を置いていいんです。たとえば、鉄道を破壊する者があったら、これを排除していいわけなんです。ところが、満蒙を日本の生命線だとか、無限に拡張していくわけです。今度は熱河が生命線になり、と限界がないわけですよ。…
 満州事変以降日本はその方針でいけば、イギリスは賛成するんです。イギリスはアメリカの公式見解に初めから反対していたんです。イギリスは一番利権を持っていたからね。イギリスの政策はずるくて、中国内の反英運動をなんとかして反日に逸らそうとしたわけです。非常にうまく現地でやって、反英運動が反日運動になったわけです。すでに満州事変の前までに国際条約違反が何百件ですよ。ナショナリズムの勃興だからしょうがないんだ。イギリスはそれを見ているわけ。これは時代が変わった、と。もう特殊権益を軍事力で保持するんじゃとてもダメだ、と。で、なんとかして現実の交渉で対処しようとした。ところが、日本は精神主義でしょ。全然問題にならないわけです。幣原〔喜重郎〕とか少数を除いて。リットン報告さえ日本の特殊権益は認めているんですから。ただ自衛権の範囲を逸脱していると。日本は怒って国際連盟を脱退しちゃう。脱退することないんですよ、自衛権は認めているんですから。
 日米戦争の直前の話までいくと、アメリカの賢明さの問題になるんです。アメリカが満蒙の権益は、ポーツマス条約で認められたものだから認めると。満蒙の駐兵権までも認めると。しかしポーツマス条約の範囲を日本の行動は超えているじゃないか。ポーツマス条約で認められた範囲に徹底すべきであるというのが本当なんですね。ところが、アメリカは権益を持っていないから、九カ国条約(一九二二年)を振り回すわけですよ。九カ国条約は国際連盟以後だから、権益否定の論理に立っているでしょ。中国から満州を含めて全面的に撤兵。それをあの段階(一九四一年一一月)で言い出すわけです。これはワイズではないですね。もしあの時アメリカがポーツマス条約の範囲に限定しろ、あとは全部撤兵しろ-現実問題としては日本が聞くはずないですよ、大東亜共栄圏なんて言っているんですから-、と言ったら遙かに説得力がありますね。‥和平派の東郷(茂徳)でさえサジを投げたのは、ハル・ノートなんです。こうなったら止めようがない。」(手帖56 同上pp.25-26)
「国連軍だけは実現してもらいたいんだなぁ。社会党の「違憲・合憲論」はかなわないんだな、正直言って。国内論なんですよ。日本はこういう憲法を持っている、もっとこれを国際的に採用しろ、と言うのならいいんだ。しかし、どういう憲法を採ろうと国家の自由だから押しつけるわけにいかない。憲法を強調するわけにはいかない。しかし、いくら威張っても威張りすぎることはない。つまり予期していなかったけれど、核兵器時代を抑止する結果になったから。今や世界のシンボル・パワーズがみんな自分の国を自分の国の軍隊では守れなくなった。主権国家の軍隊という意味が全く歴史的に変わった。それと戦争概念の変化があるでしょ。だから〔社会党は〕防衛じゃなくて宣伝すべき時なんだ、平和主義の国を。その仕方の拙さ。それがひとつ。
それからもうひとつ、生臭い問題で言いたかったのは、「集団的自衛権」という言葉は断固否定すべきだ、ということです。国際連盟も国際連合も安全保障というのは一般的安全保障なんです。地域的安全保障というのは軍事同盟の別名なんです。軍事同盟を美化する言葉です。地域的安全保障というのはあり得ないの。つまり、世界の警察なんです。国際連合は、世界の警察の役目で制裁するの。‥国内警察と同じように、違法行為を犯した奴を世界の警察が捕まえて裁判するんだ。それは警察であり軍隊なんだ。それを主権国家が代用しているのがおかしいの。国連には地域的安全保障という言葉はないんです。冷戦が始まって以後のことなんです、一般的安全保障の他に地域的安全保障があるのは。僕らが六〇年に安保に反対したのは、アメリカとの軍事同盟じゃないか、安全保障じゃないじゃないか、ということです。地域的安全保障というのは、主権国家の軍事同盟を体よく言い換えた言葉にすぎない。‥一般的安全保障だけが安全保障の名に値する。地域の安全保障というなら主権国家の同盟とどこが違うんだ。区別がつかない。いわんや地域的自衛権に至っては、自衛とは国家を単位とした言葉なんですからね。国家が大勢寄せ集まって自衛ということはあり得ないんですよ。軍事同盟の自衛なら分かります。「集団的自衛権」という言葉を使って、あたかも国連の是認を経たかの如く言うのは、言葉の欺瞞なんだな。国連が決めているのは一般的安全保障だけなんです。国連の規約をよく読めば分かります。国連の制裁というのは、国連の安全保障理事会の多数決を経て-ただし拒否権を発動されたら通らない-、総会で可決されたら〔発動する〕。これは特定の国家群ではなくて、グローバルな国際連合の行為なんです。警察と同じなんです、国連が。軍事行動を取るなら、世界警察としてのみ是認される。というのは、ワン・ワールドを前提にしている。ワン・ワールドを前提にしなければ軍事同盟なんです。…
 「集団的自衛権」という言葉を新聞でたくさん見たんだけれど、誰が言い出したんですか。政府も言っています。僕は国際上通用するはずはないと思いますね。コレクティブ・セキュリティというのは一般的安全保障で、今の言葉で言えば、グローバルな安全保障、世界の安全保障ということで、特定地域の安全保障をするということではないんです。リージョナル・コレクティブ・セキュリティという言葉は本当はないんです。」(手帖56 同上pp.29-31)
 「新聞を見て、いつから「集団的自衛権」という言葉を使うようになったのか。自衛権というのは国家の自衛権だけで、集団的安全保障なの、今まで使っていたのは。いつの間に「集団的自衛権」になってしまったのかね。(「憲法と日米安保条約のせめぎ合いのところで出てきて、日米共同演習とか、そういう場面で出てきた」という応答を受けて)「集団的自衛権」なり地域的安全保障というものは軍事同盟とどこが違うのかということを、どうして誰も国会で質問しないのか。想像すると、おそらく地域的安全保障は一般的安全保障の下位概念で、一般的安全保障はある特殊的地域については地域的安全保障になるという答えをすると思うんですけれども、これは僕は国連の制裁の意義に反すると思うな。すると軍事同盟、主権国家を前提とする立場。問題はどこまでも主権国家なんだ。主権国家が集まって同盟をするというのとどこが違うのか。現実はNATOも安保条約もASEANも違わないですよ。全部軍事同盟なんですよ、あれは。地域的安全保障と言ったって、美化以外のなにものでもない。軍事同盟なら軍事同盟と言えばいいんですよ。ソ連を防ぐためには軍事同盟がやむを得ない、と言えばいいんですよ。安全保障などと体のいい言葉を使うから、僕は頭にくるんだ。グローバルな安全保障だけが安全保障であって、軍事同盟に対立するものなんです。軍事同盟を否定するのが国際連合の政治。つまり、世界の警察軍だけを認める。ただ現実問題として主権国家が存在しているから、主権国家の軍隊の力を借りる。」(手帖56 同上p.33)
「熱核兵器および化学兵器の時代には、戦争は質的に変化したという認識が共有されなければ、どうにもならないです。つまり手段じゃない、手段が自己目的になっちゃっている。使ったら最後。聖戦論にはどんな大義名分があっても、戦争になったら最高度の兵器を使うのが当たり前でしょ。それでどうしたって共滅になってしまう。「聖戦」という考え自体意味がなくなっちゃうわけ。」(手帖61 「丸山眞男先生を囲む会(上)」1991.8.4.p.20)
 「湾岸戦争は従来の常識では理解できないということがみんな分かったんじゃないかな。…どんなに愚かなブッシュ大統領でも、ひとのお金で、お金をよこせと言って戦争をして、勝った、勝ったというのは、かつて世界史上にない、おかしいと、自分でも分かっているわけですよ。
 ‥朝鮮戦争・ベトナム戦争を含めて、戦後の戦争はすべて従来の主権国家を単位とした戦争じゃないんですね。もはやグローバルな世界秩序を乱すヤツをたたく、という性質を持つようになっちゃった。困ったものだけれど、世界はすでにそうなっている。グローバルになっているわけです。
 国連を強くする以外に「世界の憲兵」をなくす方法はないわけ。…主権国家の権力を根本的に制限し、国連を改組する。総会でも理事会でも、主権国家本位で主権国家が構成員になっているのを変える。…
 …相互依存性が一番はっきり出たのが経済だと思うんですよ。ほかの領域だと経済ほど出てないから、まだ惰性が非常に強くて国家が国家としてやっていけるという。しかし実際はもうそうじゃなくなっている。」(手帖61 同上pp.21-22)
 「国連の主権国家単位を根本的に改組しなくては、独立の軍備を持たない国家は国家じゃない、と言う議論に対して対抗できませんよ。いまは国家自身が変わっていると。どこの国でも自分の軍備を自分でまかない得なくなっている。自軍の国だけで戦争ができなくなっている。そこで、世界秩序を守らない悪者をどうやって退治するかという問題が残っているわけで、世界秩序を守るという問題は国内の問題と同じで、世界秩序を固定的に守るのだったら現状維持になっちゃう。…
 …戦争になる前に、国際平和を維持するためには国家を越えた国際的な機関を強力にしていくということと、いかにして国際秩序の平和的変更、戦争に訴えないで国際秩序を変えていくか。ちょうど、国内で言えば平和革命に当たるんです。暴力革命に訴えないで社会の変革をやっていくかというのに相応する問題に、いま世界は差しかかっている。それでなければ中東問題も何も片づかないです。いつまでたっても戦争を繰り返す。…やっぱり、いまの最大の問題は主権国家にあると思いますね。」(手帖61 同上pp.22-23)
「(アメリカ人の中で)本当に素直に日本とアメリカが共通の価値観を持っていると言う人が、どのぐらいいますか。
 僕が知っている限り、学者には〔日米が共通の価値観を持っているという人は〕ほとんどいないですね。だからライシャワーなんてのは、なまじっか理屈があって、なまじっか日本の歴史を知っているから、何とかして日本の歴史を含めて現在までの中で共通の価値観を見出そうと、ほとんど一生を費やしていた。いかに彼が例外な人であるか。大正デモクラシーをほめたり、封建制が日本とヨーロッパにだけあったとか。そこだけとればそうなんですね。古典的な封建制に近いのがあったのは、東アジアでは日本だけですから。セルフデセプション〔自己欺瞞〕ですね。絶対的少数です、日本学者の間でも。
 キッシンジャーは歴史家には違いないですけれど、彼の致命的な歴史家としての限界は、dissertation〔学位論文〕がメッテルニヒなんで、それが彼の固定観念です。バランス・オブ・パワーという原理は、ナポレオンの没落以後メッテルニヒが主導してできた。一九世紀の二〇年代から末までなんですよ、人類の歴史の中でほんのわずか。ところが、キッシンジャーはバランス・オブ・パワーがすべてですから。インターナショナリズムは否定するし、平和の保障はバランス・オブ・パワーしかないと言う。‥
 主権国家ができたのは、ウェストファリア条約以後だけれど、主権国家間がバランス・オブ・パワーで平和を保っているという世界秩序ができたのは、一九世紀でしょ。むしろその方が実に歴史が浅い。主権国家とはなんぞやというのが、今これほど問われている時はないのに、それを問わないでね。
 彼は徹底してイデオロギー離れしていますから、冷戦時代には当たるわけですよ。中国なんかについても、共産主義だからどうのこうのと言わない。全部力で見てるから、逆に非常にリアリズムになるわけ。メッテルニヒ的リアリズム。歴史における理念とかは全然分からない、個人的に話を聞いても。リアリズムというのは、力のリアリズム。力の中にも実は理念も入っているんだけれど。
 (「これだけ経済が世界を結びつけてしまうと、主権国家が果たして有用なのかどうかと言うことが、問題になってきますね」という問題提起を受けて)当分続きますよ。ただ、世界秩序の構成原理は主権国家であるというのは、一九世紀からなんですね。カール・シュミットではないけれど、純粋論理的に言うと、主権国家によって成り立っている社会では、正義の戦争というのはないわけです。我々が教わった国際法では、平時国際法と戦時国際法しかない。戦争というのは悪いものではない。正義の戦争というのはトーマス・アクィナスが言い出したわけですから、中世の考え方。有名な聖戦論というのがあります。超国家的な一つの権威があって、その超国家的な権威が、その戦争は正しいかどうかを決めるわけです。国家が構成単位になったら、これは紛争解決の手段に過ぎない。戦争と平和を自由に選び得る。一九世紀的な国際秩序を理念化すると、どうしてもそうなる。これを体現しているのが、キッシンジャーです。キッシンジャーの驚くべきリアリズムは、それです。同時にそこに限界がある。中世から長い間にわたって、just warという観念が伝わった。それがやっぱり主権国家ができてきて、戦争をやる以上は国際法に従ってやる。戦争が正しいとか間違っているとかは、言わないわけですよ。紛争解決手段です。武士の間の紛争解決手段の最後は決闘ですよね。ちょうど昔で言う仇討ちにあたるわけです。紛争解決手段として、敵討ちが是認されている。」(手帖49 「「楽しき会」の記録」1991.12.22.pp.51-53)
「核は画期的だと思うんです。初めて国家を越えた軍事力ができたということ。矛盾だらけなんですね、核だけをとっても。核拡散防止なんてのは、けしからん話で、持っているやつのエゴイズムですから。そこを今北朝鮮が突いているんですね。北朝鮮というのは、別の意味で始末の悪い国家だけれど、論理に無理はない。核拡散防止とはなんだと。核保有国のエゴじゃないかと。これには反駁のしようがない。(「彼らにしてみれば。自分を守るための開発だということもありますからね」との発言を受けて)そう。だから、国家を中心とした自衛権の否定までいかないと、片づかないんです。それが日本国憲法なんです、そういう意味では。国家を中心にした自衛権の否定ということになる。  日本は、有史以来、ある意味で、擬似的に国家だったからね。文化的統一体、言語的統一体、領土的統一体、中は分かれているけれど、よく他の国から言われるのは、他の国は戦争に勝ったり負けたりしているけれど、〔日本は〕一ぺん負けただけで、あんなに懲りるんだと。大国の言うのはみんなそれなんです。懲りすぎなんだと、第二次大戦から。まぁ、懲りて、ちょうどいいんだけれど。しかし、それももっともなんだ。普通の主権国家から言えば、戦争に勝ったり負けたりするのは当たり前で。一度負けたからと言って、戦争がいかんと言っている日本の平和というのは分からない。だけど、それだから〔日本は〕国家の防衛そのものがだんだん意味を失ってくるということを、最も強力に言える立場にあるということですね。…  人間の想像力なんて貧弱なものだから、イマジネーションがなくて、過去の経験を絶対化するんですね、どうしても。だから、軍事的な防衛力なしに国家の独立はないというのは、非常に根強い。」(手帖42 「丸山眞男先生を囲む会(下)」1993.7.31. PP.30-31)
「太平洋戦争が侵略戦争であったかどうかという問題と、広島と長崎に核兵器を使った問題とが混同されているんです。どうせ侵略戦争だからということで……。それこそ中世以来、戦争の正義性と、戦争における正義性との区別というのがあるんです。戦争自身が正義であるか、戦争手段が正義であるか、-これは厳密な区別。」(手帖5 「伊豆山座談(上)」1994.8.10.p.51)
「(朝鮮戦争に関して平和問題談話会で)いろいろな議論をしたけれども、両国が国境で緊迫して対峙している時に、人間の喧嘩と同じで、どっちが先に拳固で殴ったかというのはあんまり重要なことじゃない。どっちがどっちを侵略したというより、どっちが手を出してもおかしくないような状況があったということのほうが重要であって、先に拳固を出したのどっちだということを決めること自身が、あんまり意味がないんじゃないか、ということを言った覚えがあります。それは不可知論と結びついているんですね。仮に北が拳固を先に出したにしても、アメリカも韓国もいろいろな戦争準備をしているわけですね。挑発させて北に最初に拳固を出させたと言えないこともない。「三たび平和について」第一章・第二章‥をぼくが書いた背景には、軍事的対立の緊迫した状況自身を除かなければだめだという考え方がありました。」(集⑮ 「サンフランシスコ講和・朝鮮戦争・60年安保」1995.11.pp.327-328)
 「(朝鮮戦争に関する)政府及び一般の世論に対する強い批判も僕にはありました。朝鮮戦争での国連の大義名分は「地域的安全保障」ということでした。安全保障には一般的安全保障と地域的安全保障とがある。ある地域に紛争が起こった時に、世界戦争に拡大しないよう、国連の軍事制裁を課すべく、地域的安全保障という立場でできたんですね。ところが、クインシー・ライトの書いた『戦争の研究』など、いろいろな国際法や国際政治の本を読みますと、僕はそれは非常に疑問だと思ったんです。
 僕は、国連の安全保障というのは一般的安全保障だけを意味する、と考えたのです。もし地域的軍事衝突に対しても制裁を課し得るという立場をとると、国連の立場による行動と、特定の軍事同盟による行動とが区別できなくなる、これは国連の一般的安全保障の精神に反するという考え方です。僕はいまでもそう思っています。クウェート以来の戦争はすべて、地域的安全保障ということで合理化しているわけです。あれだと、「多国籍軍」という奇妙な言葉でよばれている大国の軍事同盟がやった行動が安保理事会さえ通れば国連自身の行動になってしまう。言い換えますと国連の規約に反する軍事行動は国連の加盟国すべてに対する脅威になるということだけが国連の制裁の根拠であって、極東地域に紛争が起こったというだけで、それがそのまま国際的な紛争、つまり国連の安保理事会の対象になるような一般的紛争とは言えない、というのが僕の考え方だったのです。」(集⑮ 同上pp.329-330)