国際社会

2016.4.30.

「国際的な抗争や分裂が私達の眼にますます大きく映って来たということ自体、世界の相互依存関係が今までになく密接になり、政治権力の及ぼす波紋が世界的に拡まって来たことを物語っています。」(集⑤ 「政治の世界」1952.3.p.128)
「冷たい戦争という現象は‥アメリカの実力を中心としてその利益とイデオロギーに従って国際社会を組織化して行こうという傾向と、ソ連の実力を中核としてその利益とイデオロギーに従って世界を組織化して行こうという傾向、との争いなのです。」(集⑤ 同上p.128)
 「現在の国際社会の様に地球上の空間が残りなく大国の力関係に依ってコントロールされている時には、力の拡張の何処迄(まで)が防禦的で、何処迄が攻撃的かという限界は甚だつけ難いのです。」(集⑤ 同上p.141)
「十九世紀のヨーロッパ国際社会は、列強が勢力均衡のもとで対峙し、いわゆる武装平和を保っているという側面と、諸国家の上にこれを平等に制約する規範があり、その規範は国家間の全面的な暴力的衝突の際にあってもなお、戦時国際法として妥当しているという側面と、この両側面によって構成されており、こうした権力政治と法の支配という二元的な構造がともに把握されなければ、その十分なイメージを描くことは出来ない。」(集⑧ 「開国」1959.1.p.61)
「現代というのは、ちょうどあの幕末のときと同じように、われわれの世界像というものの根本的な転換が要求されている時代であります。われわれの世界というものが、宇宙時代といわれるように地球の外にまで急激に拡大している時代です。これはたんに自然科学や技術だけの問題でなく、たとえば国際法にしてもいまや宇宙国際法という、まったく新しい問題に直面しております。と同時に、他方では、何百年の間、歴史の発展からまったくとりのこされ、あるいはたんに支配の対象にすぎなかった地球の厖大な地域に舞台の照明があてられ、そこに住む世界人口の大半を占める人々が多年の眠りからムックリ起きあがって、にわかに世界史のドラマの進行に重大な役を演じはじめた時代であります。にもかかわらず、われわれが世界を見る範疇、国家とか国際関係を見る範疇というものは、旧態依然としております。現在の国際社会の構造あるいは観念は、近世絶対主義国家の時代から十九世紀いっぱいかかって形成された西ヨーロッパの主権国家間のシステムを、ただ世界的に拡大適用したものであって、国際連盟も国際連合もそういう由来を負っております。国連の組織が現在直面している苦悩の源も、そうした伝統的システムと解決すべき課題との間のギャップにあるとさえいえます。
 …われわれの頭の中にある世界地図というものがほんとうに今日の状況に合っているかどうか、われわれの「世界」とか、「国際的」とかいうときのイメージは明治の鹿鳴館時代以来形成されてきたイメージとどれだけ変わっているか、ということを、このさいもう一度考えてみる必要があると思います。」(集⑨ 「幕末における視座の変革」1965.5.pp.246-247)
「日本が名誉ある一員たる地位を占めるべき国際社会というものが、この前文ではどういうイメージで描かれているかを考えねばなりません。それはこの憲法の国際主義の性格に関わることです。つまりここでは現実のパワーポリティックス、およびパワーポリティックスの上に立った国際関係が不動の所与として前提されて、このなかで日本の地位が指定されているのではない。むしろここで前提されているのは「専制と隷従、圧迫と偏狭」の除去に向って動いている、そういう方向性をもった国際社会のイメージであります。このイメージが、「国際連盟規約」以来問題になっておりますところの国際社会の構造の平和的変更(ピースフル・チェンジ)の課題に連なります。具体的には植民地主義の廃止、人種差別の撤廃、そういった方向に向っている国際社会ということになります。したがって、ここで日本がコミットしている国際主義は国際社会の現状維持ではありません。むしろそうした現状維持の志向に立っているのは、権力均衡原理です。この前文は植民地主義の廃止、あるいは人種差別の撤廃といった問題を平和的に実現する使命を、日本に課しているということになります。」(集⑨ 「憲法第九条をめぐる若干の考察」1965.6.p.269)
「ギゾーに拠れば、「外交」というものがヨーロッパに生まれたのは十五世紀末ですが、本当に外交が組織的性質をおび近代国家のなかで重大な意味を帯びるのはルイ十四世の時代からであり、具体的にいえば「勢力均衡(バランス・オヴ・パワー)」体制がこのときに誕生した、と見るのです。このころから外交と戦争とはともに個々の君主や支配者の気まぐれや野心といった偶然の事情で左右されるものでなく、また宗教的親和関係からも「独立」して、国家の政治的力の考慮の下に、つまり国家実存理由(レーゾン・デタ)の要請にもとづいて、同盟や連合が結成されるようになります。近代的意味での「外交」の誕生はヨーロッパでも比較的に新しい出来事だったわけです。」(集⑭ 「文明論之概略を読む(中・下)」1986.pp.110-111)
「「外国交際」とここでいうのは「西欧的国際システム」(the Western state system)といわれている近代国際社会に日本が自主的に加入する、という問題です。西欧的国家システムを手短かに定義すれば、十七世紀にグロチウスが「戦争と平和の法について」‥の古典的著述で基礎づけて以来-そうして西欧外交史上の事件でいえばウェストファリア条約以後-十九世紀後半までに西欧を中心としてほぼ完成を見た主権国家を構成員とする国際社会のことです。」(集⑭ 同上pp.278-279)
「「主権」という言葉はきわめて多義的に用いられてきましたので、‥つぎの点だけをはっきりさせておきます。それは国家内の主権‥と国家の主権‥との区別ということです。国家内の主権とはいわゆる人民主権とか君主主権とか国会主権とかいうような、国家における最高権力-憲法制定権力ともいわれます-の所在の問題です。これにたいして国家の主権というのは一つの国家が一定の領域内で他の諸国家から完全に独立した自主的な統治権をもち、諸外国と対等の条約締結その他の外交関係をむすぶ権利のことです。といっても歴史的に見ると、主権概念はもともと十六、七世紀絶対主義の発展期に、中世の教会とか封建領主とか自治都市とかにたいする論争的概念として成立し、フランス革命前後の国民国家の形成期にも、右の二つの意味合いはからみ合って発展して来たのですが、近代国家論では、概念整理の必要上、この両者の意味を区別することが常識になりました。‥ここで「主権国家」というのはむろん後者の意味-つまり国家の対外的主権性を示す意味で用いております。こうした主権国家を平等の構成員とする国際社会が一つの「システム」をなすと考えられるのは、もと「キリスト教的共同体」という普遍社会をなして来た西欧が、近代になってそれぞれ主権をもった領域国家に分裂し、その大小の国家が国家平等原理の下に、国際法(自然法もふくめた)という共通の規範の承認の下に立って外交関係をとり結んできた由来があるからです。戦争もまた外交の一つの表現であり、まさにクラウゼヴィッツの有名な定義のように「他の手段をもってする政治の継続」と考えられてきました。狭い意味では国際政治上の勢力均衡原理(バランス・オヴ・パワー)も西欧的国家体系を構成する要因です。」(集⑭ 同上pp.279-280)
「福沢が悲願とした主権的国民国家の形成という課題が、今日の世界においてもつ意味と限界についての私の考え‥。
 …日本が明治一ぱいの時期を費してようやく一人前の主権国家として国際社会から「認知」された‥まさにその頃から、「西欧的国家体系」の歴史的基盤は崩壊の様相を露(あら)わにしはじめたのです。…
 これまで戦争は一般に主権国家の当然の権利(むろん原理的に)とされてきたのに、いまやこのワン・ワールドの「秩序」を脅かす種類の戦争は国家によって犯された違法行為とされるようになった‥。ちょうど国家の内部において国法に違反するある種の個人又は団体の行為が「犯罪」として訴追されるように、同じ論理が国際社会に延長され、今日では国際社会秩序を脅かす侵略戦争を遂行した国家は、たとえその国家の国家実存理由(レーゾン・デタ)から見れば「止むに止まれぬ」戦争であったとしても、国際社会秩序を侵害する犯罪行為とみなされるようになったのです。‥こうした画期をなした第一次大戦が、はからずも西欧国家体系の黄昏(たそがれ)を告げる鐘でもあったのです。第一に、もっとも誰の目にも顕著な事実として、世界秩序における新たな覇者として登場した二大強国-米国とソ連-はたんに地域的に、狭義の「西欧」の外に位置しただけでなく、ともに巨大な「連邦」として、これまで西欧諸国家に妥当したような国家平等原理になじまないような、いわばそれ自体一つの新しい秩序単位-世界のなかの世界-をなしております。しかも、第二にそのうちの一つ、ツァーリスト・ロシアの呼びおこした「プロレタリア革命」は、一世紀ちょっと前のフランス革命に輪をかけたような普遍主義的な「マルクス主義」のイデオロギーを通じて世界に伝播し、主権国家内部の階級対立にとどまらず、西欧的国家体系の外周をなして来た植民地の反帝革命(国際的階級闘争!)の火種となりました。歴史の皮肉はそれにとどまりません。ウィルソンの提唱した「民族自決主義」の世界的普及は結果としては、いまや百数十国におよぶ世界秩序の構成単位へのワン・ワールドの原子的分裂をもたらしたのです。…十九世紀末から顕著になったワン・ワールドへの動向というのは、テクノロジーの発達といった一応価値中立的な要因を別とするならば、実はこの西欧的国家体系の諸原則をグローバルに延長したものにすぎないのです。共通の見えない歴史的文化的靱帯を基礎とした西欧的国家体系の「地球化」は、いまや異質的な宗教、異質的な世界観、異質的な生活様式をその内部にかかえこんだ「世界秩序」に変貌したのです。ワン・ワールドの形成の楯の半面が、なんら暗黙の共通了解のない原子化された国家もしくは国家群相互間の地域的武力衝突の激化であり、このワン・ワールドの警察的機能を実質的に執行しているのは、相も変らず主権国家を組織の構成単位としている国際連盟や国際連合ではなくて、米ソ-それ自体主権国家の一員にすぎない-の超大国であり、実質上は彼らを主導とする「国際的制裁」に秩序維持が依存しているところに、現代世界の「構造」的矛盾が象徴されている‥。
 …果して然らば西欧的国家体系の地球大への拡大にかわって、どういう具体的な世界秩序の構想があったか、主権国家にかわる、この秩序の構成単位は何か、それを組織化するグローバルな計画が提示されたか、と問うならば、残念ながら答えは否というほかありません。
 こうした矛盾を最も集中的に露呈しているのが西欧的帝国主義の打倒をもっとも声高に叫ぶ社会主義国家群と、いわゆる発展途上国から成る「第三世界」です。…彼らが帝国主義反対を唱えるときの概念枠組が西欧的国家体系のそれを根本的に超え出ていないこともまた否むべからざる現実です。国籍とか領土とかのカテゴリーはむろんのこと、領海・領空といい、公海の自由といい、内政不干渉の原則といい、いずれも西欧型の主権国家を前提として、その利害から歴史的に編み出された原則です…。
 領域団体としての主権国家というものは依然として私たちが観念的に考えるよりはるかに重たい存在として私たちの頭上にのしかかっている…。
 今日核戦争による人類共滅の可能性は、すくなくも頭の中では世界の万人によって理解される現代の危機です。けれどもどんなに顕著で巨大であろうと、それは「西欧的国家体系」を基礎とした現在の世界秩序の危機の表層に位置します。この危機の地殻をほりさげて、‥本当の「世界新秩序」が具体的に構想されたとき、そのときはじめて私たちは福沢の「最後最上の目的」‥に向かって、それはもはや論理的にのみならず、歴史的にも超克されたものだ、と安んじて宣告を下すことができるのではないか、と思います。」(集⑭ 同上pp.321-326)
「イェリネックの有名な「国際法というのは主権の自己制限である」、主権国家が自分で自分を制限する。主権以上のものは何もないんですよ、国家主権絶対でしょ。そうするとなぜ国際法というのはあるのか。主権国家が自分でこういうことをしちゃいけないと、自分で自分を制限するんだから、本当は法じゃないんですね。
 (自己立法の精神なんですね、そういう意味で。)そうです。しかし、自己立法というときにはカント以来、立法という意味がちょっと倫理的な意味ですけれど……。倫理と区別された法というときには、他者が誰かを処罰するというのが法なんですね。構成要件というんですけれど、ある事件が起こったならば、そのある人に対して強制が行われるというのが法の特色なんです。…人間がある行為を行ったときには、その人間に対して強制が行われる。これが道徳と法律の最大の区別です。道徳というのは良心ですから強制できないんです。法律というのは他から強制できる。そういう要素がないと法律じゃない。
 そこで国際法というのは法じゃないんじゃないか、倫理に過ぎないんじゃないかというのが、現在に至るもあるのは、つまり国際連合というのは無力でしょ。だから主権国家に対して警察行為を行う力がないわけですよ。ですから結局は主権国家の自己制限なんですよ、現実でも。それを代行してるのが米ソということになっちゃった。そこで米ソが自分を正当化するときには警察なんです。」(手帖12 「伊豆山での対話(上)」1988.6.4.pp.51-52)
 「一九世紀まで我々が考えてきた戦争はみんな主権国家同士が-清国と日本が相互に相手を敵と選ぶわけです。そこで宣戦布告ということになる。それをしないで戦争をしたらいけないというのが戦時国際法にある。真珠湾攻撃が非常にけしからんと言われるのは、宣戦布告なき戦争だからなんです。ところがヴェトナムであんなにやっているのに宣戦布告はないでしょ。それはおかしいですよ。偽善といえば偽善なんです。だけど現実にはそういう例があるから奥野長官の例が出る、"みんなやってるじゃないか。どうして日本だけが非難されるのか"と。
 不戦条約を一九二八年に結んでいるんです。田中義一内閣のときに侵略戦争をやらないということを、日本は誓約しているんです。戦争ということになると、不戦条約違反になっちゃう。…日本軍が満州にいる権利はポーツマス条約で決められた条約上の権利なんですね。これは侵略じゃない、法的にいうと。条約で取り決められて満州に駐屯する権利を持っている。その他の特殊権益も持っているわけです。それは一九世紀では普通です。二〇世紀になっていかに主権国家をめぐる観念の革命的な変化が行われたのか。奥野長官の[発言の]まずいのはその変化が全然わからない。つまり一九世紀までの戦争観。そうするとアヘン戦争は何だ。清仏戦争は何だ。みんな中国を侵略しているじゃないか。どうして日本だけが責められるのか、と。
 昔だったら当たり前なんです。戦争か平和かを主権国家は自由に選べる。イェリネックは一九世紀の終わりの学者ですけれども、主権国家の自己制限としてしか国際法を規定できなかった。国際連盟規約の一六条で制裁を決めたでしょ。ということは、ここではじめて変わった。国家以上の存在というのが国際的にあって、これが国際秩序を維持する警察機能を営むんだと、国際連盟は。それを受けて国際連合がある。」(手帖12 同上pp.52-53)
 「法が法として成り立っているかということと、それがどこまで実効性をもっているかということは別なんです。
 国際法の場合、まだ実効性が非常に低いわけです。というのは、国家の上の権威がないから。」(手帖12 同上p.57)
「確実に言えることは、アメリカのヘゲモニーの没落ですね、これは賭けてもいいな。世界的ヘゲモニーの没落です。ちょっとソ連は分からない。非常に良くなるか、あるいは修正すべからざる荒廃にわたるのか、わからない。ただ、アメリカ国民はエネルギーはありますよ、ウォターゲート〔事件〕じゃないけれど、やっぱり大統領を引きずり落とすだけの力を持ってるわけでしょう。だからアメリカが滅びるというようなことはあり得ない。でもアメリカの国際的地位は確実に没落しますよ。ということはヨーロッパが自立化する。賭けてもいいな。やっぱりEC(欧州共同体)というのは強いですね。伝統があるから。僕は見直されると思うな。二〇世紀はヨーロッパの没落の世紀でしたが、〔二一世紀はそのヨーロッパが〕見直されてくる世紀でしょう。ECを中心に国家を単位としないで一体化したヨーロッパというのは、アメリカの没落と同時に米ソに対して相対的に強くなります。世界的に見て。それを見通さないと日本はえらいことになります。‥ECというのは、昔の復活ですからね。国家の枠、主権国家の枠というのはダメになりましたから、相互依存性が非常に強くなってくる。いちばん早く離脱できて、先進的で、しかも伝統があるでしょう。ECには国家の枠を離脱できる伝統があるわけです。アメリカの場合は元来普通の国家ではないですけれど、非常に遅くナショナリズムに目覚めたところがあるんですよ、ソ連との対抗上。逆に言うと、それがまずい点です。非常に政治的に未熟で、それで世界政治を支配しているわけだから。つまり米ソ支配というのは、狂人に手を貸したようなものなんだ。メッテルニッヒ等々のすごい政治家を生んだヨーロッパから見ると、子供が刃物を持っているわけで、危なくてしょうがない。
 ヨーロッパの疲弊というのは、直接的には第一次、第二次世界大戦のせいですから。それをもろに受けたのが二〇世紀です。もう少し長い目で見てごらんなさい。経済力が相対的についてくると、それはすごいです。ヨーロッパの伝統は。それにソ連の東欧支配が相対的に弱まるでしょう。東欧、西欧というのは元来政治的区分、第二次世界大戦の結果生まれた勢力均衡原理での政治的区分なんです。‥今後どうなるかわからないけれど、大勢としてはヨーロッパに接近します。元来ヨーロッパなのだから。ショパンを生んだ国、リストを生んだ国は元に戻ります。そうするとヨーロッパというのは、驚くべき潜在力を持っていますよ。文化の力というのは大きいからね。
 アフリカなんかはこれから蓄積していくんです。ある意味で、ゲルマンと似ている。二一世紀をかけてヨーロッパの文化を吸収していく、それではじめてアフリカは、独自のものを含めて一つの力になっていくでしょう。情報を含めて先進国に追いつくのは大変です。テクノロジーは早く発達するけれど、人民レベルで水準が高くなるのは五〇年はかかります、少なくとも。二一世紀の前半はそういう時代です。つまり日本が明治維新後経過したように近代化路線を人民レベルで進めていく。」(手帖52 「丸山眞男先生を囲む会」1988.6.19.pp.53-55)
「僕は政治にも適正規模というのがやっぱりあると思うんだ。米中ソが非常に大きな意味を持った二〇世紀の悲劇は、でか過ぎる国が非常に大きな意味を持ったというところにあるんじゃないか。別に国民国家がいいと言うんじゃないんです。国民国家の時代はもう終わった。さりとて、米中ソはみんなでか過ぎるんですね。‥新しい政治単位がどういうふうに設定されるかは、二一世紀の最大の問題です。中国が一番わからないな。アメリカとソ連の支配権が緩むことだけは、もう一〇〇%賭けていい。つまり東欧が自主化して、昔のヨーロッパにかえる、ヨーロッパ文化圏ですから、元来。‥東欧は各々ソ連の規範から離れて、離れてと言ったって戦争するという意味じゃなくて、一つの大きなヨーロッパの単位の中にかえる。中南米がアメリカの規範から離れる。これももうほとんど昔の動向、中南米とヨーロッパは文化的伝統がありますから、わりあい早く自立すると思うんです。」(手帖25 「丸山眞男先生を囲む会」1988.11.27.pp.30-31)
「世界秩序を構成する政治単位は何なのか。今まででいうとそれが主権国家、主権国家が世界秩序の構成単位であった。ところが世界秩序という考え方が新しいんで、実際は国際秩序なんだ、今までは。インターナショナルだったんです。したがって一九世紀までは国際法ってのは、イェリネックが言ったように、国家主権の自己制限なんです。国家を超えたものはないわけです。だから憲法が最高の法なんですよ。国際法というのは、法だけれどもそれは主権国家が自己制限したもの。自分で自分を制限するんだから、その意味ではいつでも破られるわけです。…
 (国際連盟は)‥現実の問題を別にして理念でいうならば、国家主権の単なる連合ではない。国際連盟規約は国家間の条約の集まりではないんです。つまり世界-ワールド・オーダーがあの時初めてできたのです。その構成員として主権国家を認める。したがってワールド・オーダーの秩序に違反した主権国家は国際秩序によって罰せられる。その罰する機関というのが国際連盟であり、連盟の理事会であるという組織が初めてあの時できたのです。…
 国連ができて初めて大国も小国も網羅したワールド・オーダーができたわけです。ただその構成単位というのは相変わらず国家ですね。一九世紀以来の主家絶対の近代国家の長い歴史があるわけですから、超国家的な強制力を持った組織をつくることは非常に難しい。これは二一世紀の問題だと思うんですよね。  国家がなくなるのではないけれども、今まで国家主権といわれていたものの内容が大幅に縮小される。経済が一番進んでいて、すでにそうなっている。政治が一番遅れているわけです。その大きな流れの中で憲法第九条は前衛的意味がある。‥従来の伝統的定義からすれば、国家じゃないんです、これは。日本の行き方からすれば、国家の定義を改変するか、それとも国家じゃないと言うか。二者択一なんですね。憲法第九条を変えない限り、残念ながら第九条擁護派にも、その厳しさが欠けています。
 なぜそれが大事かというと、憲法第九条を国内問題と思っているけれども国内問題じゃないんです。あそこには原理的には二一世紀を見通している問題があるんです。つまり、軍事力を持っていることが国家の絶対条件か、ということ。主権国家である限り、国家は軍事力を自由に行使できるわけです。今の仕組みでは国際連合にもかかわらずそうなんです。例えば防衛戦争は、今の国際法からいっても正義の戦争であり、自分の軍事力を使って自分の国を守るということは、国際法上認められているんです。ということはやっぱり自前の軍事力は持ち得るということになっているんです。でも、本当は国家という団体が国際連合から委任された範囲においてのみ軍事力を行使できる、ということになって、初めて国際連合が国家を超えた権力といい得るんですね。…
 新しい世界秩序は、国家と世界しかないんじゃなくて、国家が一つの構成単位になるけれども同時に-極端に言えば-例えばアムネスティやカトリックなどが単位になるわけ。つまりそういうふうに多元的な世界構成の秩序単位ができる。その中で国家も一つの単位になる。もちろん従来の伝統があるから、国家は非常に強力な単位ですが。
 世界秩序の主体的な構成単位というものをプルーラルに育ててゆく。その構成単位の国家は責任をとりますね。国家じゃない団体の直接の世界秩序関与がなさ過ぎるんですよ。例えばアムネスティがもっと強くなって、もっと決定権、強制力を持つということになれば、責任は自ずから出てきます。…僕の言うプルーラリズムというのはそういう意味です。単に単位がいろいろできるというだけじゃなくて、性質の違った、今までのような国家という政治的な独立体じゃない、宗教的な団体と科学術的な団体、あるいは実業団体‥が世界秩序を構成する基礎単位であるということです。」(手帖7 「秋陽会記」1991.11.3.pp.57-60)
「(ソ連解体の議論の中で)やっぱり第一次大戦の始末がついていないんだな。帝国が崩壊する中で、ロシア帝国だけ残ってしまったんですね、連合国だったから。革命が起こったものだから、それをそっくりソ連がもらっちゃったでしょ。あとの帝国はみんな滅びたんですね。オーストリア・ハンガリー帝国、ドイツ帝国。その代わりにウィルソンの民族自決主義と。民族自決主義は格好良いけれど。‥
 民族自決主義だと無限分裂になっちゃうんですよ。種族、レースとどう違うかという。‥その後、民族自決でやたら〔主権国家が〕できちゃったんで、かえって紛争の原因が増えちゃったんですね。今頃第一次大戦で起こるべきことが起こっている。‥
 第一次大戦というのは、帝国の崩壊と民族自決。民族自決というのは、帝国が下の方に行く方向でしょう。それから国際連盟ができて、主権国家より上の組織ができた。みんなその続きなんですね。国連は国際連盟の続きだし。だから主権国家の上に行く方向と、主権国家の下、いろいろな民族や種族が独立する方向。集中と分散が両方並行して進んでいるから、その中に矛盾があるんですね。
 ヨーロッパはもともと民族国家が一番早くできたし、その前は神聖ローマ帝国だし、元帝国があって、それが分裂して民族国家になった。西ヨーロッパからネーション・ステートという観念を世界中に広めている。ナショナル・セルフディターミネーション〔national self-determination〕もそうだけれど。ネーション・ステートというのは、歴史的なもので、できたのは一九世紀ですからね。‥
 だけど、ネーション・ステートの意味が曖昧でね。結局、主権国家と言った方がいいかもしれない。それを単位に国家平等原則というのができて、国際社会ができた。だから大小にかかわらず主権国家は平等であるという原則は、ウェストファリア条約です。国民国家は厳密に言えば、フランス革命〔以降にできた〕。(手帖49 「「楽しき会」の記録」1991.12.22.pp.44-46)
「ブッシュなんて僕はとんでもないと思うんですが、彼の演説を聴くと、理念ですよ。アメリカ合衆国は、これに服さなければいけないと。それは建前かもしれない。しかし、アメリカの現実の行動は、それによって縛られているわけですよ。アメリカはセルフ・インタレストで動いているけれど、それだけじゃないですよ。
 普遍的な国際的な理念があって、それにアメリカは従わなければならないと。本音はそこなんですよね。
 (「しかし、一方で国際貢献というのが、今、国家派のキーワードなんです。」という問題提起に対し)それは、国家が単位なんですよ。だから国家がトンネルみたいになっていて、国家を通過しないと、国際というのは出てこない。コスモポリタニズムというのは、本来個人ですからね。」(手帖49 同上p.56)
 「良心的兵役拒否というのを制度的に認めているのは、なぜですか。クエーカー教徒が、戦争が嫌だからというのではないの。そして、それを国家が認めているわけ。それはどうしてですか、ということです。これが、理念が国家を越えているということ。〔日本では〕何でも国家が単位で、国家の理念で。そうすると国際基軸というのは国家が何かをするということで、国家以外の団体とか個人が国家を飛び越えて直接何かをするということではないわけ、日本の観念では。これはどうにもならない島国の考え。しかしこれ〔を変えるの〕は容易なことではないですよ。」(手帖49 同上p.57)
「「国家理性」の概念は、絶対主義の段階をものりこえて、近代の諸々の主権国家の並存の時代にまで生き延びることとなった。こうした主権国家が、国際法の諸原則にしたがって外交関係を結び、条約・同盟・戦争などさまざまの手段を通じて、それぞれの国家利益を追求する「国際社会」(international community)は、ほぼ十七世紀のヨーロッパで形成されたので、これを一般に西欧国家体系(the western state system)と呼ぶ。そこには、主権国家平等の原則と、勢力均衡(balance of power)という二つの柱があり、「国家理性」もこの両柱に支えられて展開した。」(集⑮ 「「近代日本思想史における国家理性の問題」補註」1992.6.p.176)
 「こうした西欧産の国際社会は成立ののち、今日までその構造に変化がまったくなかったわけではない。とくに第一次大戦以後、国際連盟規約とか、不戦条約の成立などを歴史的契機として、かつては国際社会における国家間の紛争解決の一手段として主権国家の当然の法的権利と認められていた戦争に、ますます国際法上の制限が加えられ、ある種の戦争-とくに「侵略」戦争-は、国際法的に「違法な」戦争として、これを遂行した国家に国際的制裁が加えられるようになったのは、そうした変化のもっとも顕著な例である。ただ、国際社会とその組織化が、依然として主権国家を構成単位としているために、主権国家にたいする国際法優位の原則が必ずしも事実上の実効性を伴わず、権力政治の力関係が国際紛争解決において占める比重は、今日でも大きい。また、経済・社会・文化の諸領域でのさまざまの問題がいわゆる地球化(globalization)によって、もはや主権国家のコントロールをこえた困難をかかえるようになったこと(たとえば公害問題や難民問題を見よ)も、最近の大きな変化である。けれども、そうした諸矛盾にもかかわらず、「西欧国家体系」は今日なお基本的に構造が変化したとはいえない。」(集⑮ 同上pp.176-177)
 「つまりこれは、現代の世界秩序が、「西欧国家体系」をモデルとして、その諸原則を地球的に拡大するという形で形成されてきたことを意味する。…第二次大戦後に独立国家となった「第三世界」の国家群が、どんなに反西欧植民地主義あるいは反西欧帝国主義を-十分な歴史的理由をもって-声高に叫んでいるにしても、彼らは依然として、国家主権概念、及びそれと連結した「領土」「領海」「領空」などの範疇をもちい、国家平等原理とか、内政不干渉とか、いずれも「西欧国家体系」が生み出した諸原則に依拠しながら、その国際政治上の活動を展開している。その限りにおいて、マイネッケが近代ヨーロッパを素材として提起した「国家理性」の思想史的問題性は、非ヨーロッパ世界の諸国家にとっても、けっして無縁とはいえないのである。」(集⑮ 同上p.177)
「(「社会連帯主義」という発言をしたことの意味について問われて)プルーラリズムということを言いたいためです。‥一つの社会というのがあるといのじゃなくて、たくさんあるということが前提なんです。たくさんあるだけだと無政府になっちゃうから、それで連帯と言った。社会連帯主義と言ったのは(エミール・)デュルケムなんです。あそこで一番言い足りないのは、国家主権に代わる強制力の行使をどうするか、という問題です。二一世紀までかかる、と言ったんだけれど。…国家だけが人を殺すということを正当化できる、そういう制度をやめようじゃないか。国家であろうと何であろうと、人を殺すのはいけない。ということは、国内的にはまず死刑制度の廃止、国際的にはもちろん戦争の放棄。これはパラレルだと思うんだ。
 それから、国連の改組。‥国連という名前をやめて、グローバル・オーガニゼーション、地球組織、と言うんです。ネーションが集まったものじゃなくて、グローバルな組織を作る。それを上下両院に分けて、上院はいままでの国家から代表者を出す。いまの国連とほぼ同じ。それは国家というのはなくならないから。上院が国家代表。下院の構成をプルーラルにして、まず個人が投票権を持つ。被代表権も持つ。それから社会団体が持つ。経済ではいろいろなインターナショナルな連盟がありますね。NGOもそうだし、アムネスティもそうだし。世界大学連盟というのがありますが、そこからも代表を出す。それから個人もあってもいいと思う。選挙区の決め方が難しいけれど。…当選したら国籍を離脱する。つまり、地球組織のメンバーになるわけです。…その下院を中心とする。上院の役割は難しいんだけれども、いろいろな委員会を作って、その中の一つに、いまの安保理事会に当たる、世界秩序を維持するのがどうしてもあるわけ。これが、やっぱりいざという時に軍事力を行使しなけりゃいけない。多国籍軍じゃいけないわけ。グローバルな組織が直接武力を行使する。それには、メンバーがみんな国籍を離脱した世界人にならなければ、自国の利害を代表していることになりますから。武力による紛争解決をできるだけ避けることはもちろんだけれど。最後の手段として、武力による国際紛争の解決。それをいまのように国家に委ねない、ということなんです。…
 …結局、ぼくは個人主義ということだけだと、個人が世界を直接構成するのは無理じゃないかということと、個人の秩序に対する侵害と、そうじゃない行動とを、その個人が弁別するというのでは、それほど個人を信頼できるかということで。結局テメエの利害になっちゃうのじゃないか。その上級のものとして、社会というものを認める。国家じゃなくて。それは、社会がたくさんあって、そのチェックス・アンド・バランセズなんですね、社会のルールの関係は。チェックス・アンド・バランセズと同時に連帯です。
 基本は個人です。基本的人権です。基本的人権が中心の社会連帯主義。基本的人権は個人ですが、個人の基本的人権の主張だけになると、基本的人権同士の衝突をどうするかという問題が出て来ます。そういうことは今後ますます増えていく。
 いま、自由のぶつかり合いの問題ですね。報道の自由とプライヴァシーの保護と。それは、ぼくは、個人を越えた社会機関じゃないと、調整できないんじゃないかと思う。夢みたいなものです。逆に、いまの主権国家の寄せ集めのような国連で何ができるかというと、ぼくは、何もできないと思う。実際に、主権国家は世界経済に対しては全く無力でしょ。…」(『手帖』66 「「丸山眞男先生を囲む会」最後の記録」1995.8.13.pp.35-37)