「倫理がその内容的価値に於てでなくむしろその実力性に於て、言い換えればそれが権力的背景を持つかどうかによって評価される傾向があるのは畢竟、倫理の究極の座が国家的なるものにあるからにほかならない。こうした傾向が最もよく発現されるのは、国際関係の場合である。例えば次の一文を見よ。
「我が国の決意と武威とは、彼等(主要連盟国を指す-丸山)をして何等の制裁にも出(い)づること能はざらしめた。我が国が脱退するや、連盟の正体は世界に暴露せられ、ドイツも同年秋に我が跡を追ふて脱退し、後れてイタリヤもまたエチオピア問題に機を捉らへて脱退の通告を発し、国際連盟は全く虚名のものとなった。…」(臣民の道)
「攘夷論の変質と国際的環境への適合とは、思想史的に見ればほぼ二つの問題から接近することができる。一つは国際社会の認識の問題であり、他は具体的政策としての開国を正当化する仕方の問題である。…
(集⑧ 「開国」1959.1.pp.61-65)
(権力政治と法の支配という)二側面の認識は幾多の曲折を経て幕末維新の日本に受容されることとなった。もしそうでなかったならば、当時の日本が「開国」と主権的独立といういずれものっぴきならぬ要請に同時に答えてゆくのは、ほとんど絶望的に困難であったにちがいない。…幕末のわが国においては、どのような既知数がこうした未知数を解する手がかりになったのか。どのような既知の観念が思想的クッションの役割を果たしたのか。
‥列強対峙のイメージが比較的スムーズに受容されたのは、日本の国内における大名分国制からの連想ではなかったろうか。…国際法的概念の受容の過程については、‥儒教的な天理・天道の概念における超越的な規範性の契機を徹底させることを通じて、諸国家の上に立ってその行動を等しく拘束する国際規範の存在への承認が、比較的スムーズに行なわれたということである。…
ここでさらに近代日本の問題について仮説をのべるならば、儒教的教養が明治の中期以後、急激にうすれてゆき、しかも天命や天道にかわる普遍主義的観念が根付かなかったことが、伝統的な神国思想のウルトラ化を容易にした一つの思想的要因のように思われる。
国際的環境への適応をめぐる‥開国政策-ヨーロッパ文明の採用-を正当化する仕方については‥象山の「東洋道徳・西洋芸術」‥という使い分け方式が‥結局優位を占めたということである。」
「今の他民族を理解する、あるいは第三世界を理解する、全部同じ問題になります。日本人はとかく自分の像を相手に投影してしまうか、でなければ「関係ないや」かどちらかです。日本の明治以来の外国認識のあらゆる間違いはそこに根ざしている。中国に対する認識が根本的に誤っていたというのも、他者感覚がないからです。同じ漢字でしょ。「同文同種」なんて言っていた。実際は文法がまるでちがうし、同じ漢字の意味がちがうのに、なまじ字が同じだし、文化を殆ど中国からもらっているので、自分を相手に投影する。それがかえって誤解のもとになる。徂徠が「和臭」を去らなければ、漢文はわからぬといったのはそれなんです。中国よりももっと遠いヨーロッパ文化の理解となると、なおさら困難なのに、その困難の認識がない。…隣の中国さえわからなくて、どうしてヨーロッパがわかりますか。内在的にヨーロッパ文明を理解するということは、大変なことなんです。日本は‥中国文明を長い間摂取して以来つまみ食いの得意な国なんです。これは長所でもあり、同時に短所なんです。…だから、結局他者感覚がないと自分が採ってきたものを逆に輸出して、それをヨーロッパと同視してしまう。ヨーロッパのどこに、日本ほど自然を平気で破壊する国がありますか。どこに、最新流行の機械を追っかけている国がありますか。だから他者を他者から理解するというのは、たんに遠い歴史的時代の認識だけではなく、今の問題なんです。日本人として現代の問題だし、お互い一人一人の問題なんです。」
(集⑪ 「日本思想史に於ける「古層」の問題」1979.10.pp.175-177)
「それ(地動説)は、自分を中心とした世界像から、世界のなかでの自分の位置づけという考え方への転換のシンボルとして、したがって、現在でも将来でも、なんどもくりかえされる、またくりかえさねばならない切実な、「ものの見方」の問題として提起されているものです。…地動説への転換は、もうすんでしまって当り前になった事実ではなくて、私達ひとりひとりが、不断にこれから努力して行かねばならないきわめて困難な課題なのです。そうでなかったら、どうして自分や、自分が同一化している集団や「くに」を中心に世の中がまわっているような認識から、文明国民でさえ今日も容易に脱却できないでいるのでしょうか。つまり、世界の「客観的」認識というのは、どこまで行っても私達の「主体」の側のあり方の問題であり、主体の利害、主体の責任とわかちがたく結びあわされている、ということ-その意味でまさしく私達が「どう生きるか」が問われているのだ、ということを著者(吉野源三郎)はコペルニクスの「学説」に託して説こうとしたわけです。認識の「客観性」の意味づけが、さらに文学や芸術と「科学的認識」とのちがいは自我がかかわっているか否かにあるのではなくて、自我のかかわり方のちがいなのだという、今日にあっても新鮮な指摘が、これほど平易に、これほど説得的に行われている例を私はほかに知りません。」
(集⑪ 「「君たちはどう生きるか」をめぐる回想」198 1.8. pp.374-375)
「政治の領域における惑溺は、‥権力の偏重‥です。‥虚位を崇拝することで、本来人間の活動のための便宜であり、手段であるべき政治権力は、それ自身が自己目的の価値になっていくという傾向は、ぜんぶ政治的「惑溺」に入ってくる。国際関係で言えば、‥昨日まで、すっかり東洋にいかれていた。その同じ精神構造で西洋にいかれてしまう。そういう惑溺が「外国交際」の領域で起こるわけです。…要するに、あまり一方的になって、自分の精神の内部に余地がなくなり、心の動きが活発でなくなるのを、みんな「惑溺」と言っているのです。…思考方法としての惑溺というものを、彼(福沢)はいちばんに問題にしている。それからの解放がないと、精神の独立がない。思い込んでしまうと、他のものが見えない。しかも、それが長く続かないで、急激に変わる。今日のコトバで言い直せば、急に方向の変わる一辺倒的思考ということになります。…自分の自然の傾向性に対して、不断に抵抗していく。そうでないと、インデペンデンス・オヴ・マインド、独立の精神というのは確立されないということです。」
(集⑮ 「福沢諭吉の人と思想」1995.7.pp.291-293)