日本の国際的位置

2016.4.30.

「アメリカという国は封建社会なしに、いきなり近代社会から出発した。ところがソ連はごく雑に言えば、西欧市民社会を経ないで封建社会から一足とびに社会主義社会になってしまった…。そういう意味でアメリカではともすると近代社会を絶対化し永遠化する傾向があって、近代社会の持っている危機なり矛盾なりに対して盲目になりがちだ。それに対してソヴェートはおよそ市民社会的なものを、西欧的とかブルジョア的とかいって頭から退けてしまう傾向がある。だからこの両雄が真正面から対峙すれば、一種の思想的な絶対主義と絶対主義とのぶつかり合いになる危険が非常に高い。そこで、この二つの国の間に挟まれていて、近代化と現代化という問題を二つながら解決することを迫られている日本の立場というものは、世界史的に見れば非常に重要な意味を持っているのではないか…。」(集⑥ 「現代政治の思想と行動第一部 追記および補註」1956.12.pp.275-276)
「自分の精神の内部で、反対の議論と対話しながら、自分の議論をきたえていくことがあまりにもなさすぎる。したがって、自分の議論というのはコトバだけ信じているということが多いから、世の中の空気が変わりますと非常にもろくくずれる。あるいは別の集団にいくと、今までとまったく違った見方に接して、なるほどそういう面もあるのかということで、一度にころりとまいってしまう。これは個人の思想だけではなくて日本民族の思想史にも、そういう傾向がある。日本人は非常に同質的な民族ですね。人種的にも言語的にも、宗教意識もこれぐらい同質的な国民は文明国民の中にはありません。島国で、しかも民族的同質性が高いもんですから、いわば日本全体が一つの巨大部落だったといってもいいわけです。‥ですからひとたび異質的な文明に触れますと非常にもろくいかれるところがある。…異質的なものとの対決を通じて自分のものをみがきあげ、きたえていく機会が非常に少なかったからです。これからの日本は、それではすまなくなると思うんです。」(集⑯ 「丸山眞男教授をかこむ座談会の記録」1968.11.pp.81-82)
「思想史でいうなら外来思想の問題が重要です。つまり、我々がもっている思想というのは、全部外来思想です。デモクラシーなんかだって外来思想であり、それから言葉が全部外来であり、翻訳語であるということ。権利とか義務とかいうのも全部翻訳語であり、全部明治以後できた言葉です。しかし、我々は非常に長い歴史をもっている。それまでそういう言葉を知らないできたわけですね。つまり、その問題が非常に大きいんです。…それが私の言う文化接触の問題です。西ヨーロッパに発生した文化価値というものが我々の精神の中に、もはや消しがたく入り込んでいる。しかし、それでは西ヨーロッパそのものになったかというと、今度はあまりに多く我々は我々の伝統的な価値がほとんど無意識の世界にまで浸透している。‥あらゆる生活、衣食住のあらゆるところで、そういう"ヨーロッパ的なもの"と"日本的なもの"、言葉は悪いんですけれど"伝統的なもの"の中に住んでいるわけです。  "我々とは何か"ということが、我々が問うべき第一の問題です。…
 あんなヨーロッパほどの狭いところに、東からはイスラム文化が来るし、それからゲルマン文化があり、それからこんどはラテン文化があり、それがごちゃごちゃしたってことはないんです。それが統合されるまでには中世全体がかかるわけです。中世でトーマス・アクィナスが統合したんだけれど、またそれに反逆して文芸復興になるでしょ。文芸復興とは何かというと、ギリシャ・ローマの精神にかえれということです。つまりキリスト教に対する反逆です。そういうふうに文化接触を繰り返す。だからヨーロッパはヨーロッパのそういう精神史を彼らは彼らで共有しているんです。その中でのバリエーションにすぎない。我々はそういう意味でやはりアウトサイダーなんですよ。‥我々の問題はそれだけ深刻なんですよ。にもかかわらず、‥工業化とテクノロジーは、あらゆる文化の差異を越えて世界的にたちまち伝播する。日本・中国だけではなくて、第三世界のいかなる国でも、ヨーロッパに発したところの産業革命のインパクトを避け得ないです。その中で、我々のカルチュアというものをこれから形成していかなければならないというときには、そこで負っている課題は、ヨーロッパの場合よりもはるかに難しいし、また彼らの知らなかった問題なんです。…
 どうして義太夫なんかよりベートーヴェンの方がピンとくるのかということ。それがまさに我々が考えるべき日本の思想の問題ということです。」(手帖12 「慶應義塾大学 内山秀夫研究会特別ゼミナール 第二回(下)」1979.6.2.pp.7-10)
「日本の場合には、学問そのものが、江戸時代の学問とかいろいろありますけれど、近代科学のいろいろな約束事は、全部西洋から来たものです。‥ヨーロッパ産の近代科学というものなしには学問活動ができないぐらい浸(ひた)されている。ということは江戸時代以前とは直接的には連続できない。…
 ですからそこに、ヨーロッパなりアメリカなりの人にはない以上に大きな困難というのが日本にはある‥。…横の接触を考えないですむ普遍史的な世界史的な法則では‥どうしても日本の問題は解けない‥。大化改新だって、そうなんですね。隋・唐文化との大規模な接触なしには、僕は大化改新はなかったと思う。大化改新、明治維新というのは、少なくも日本歴史をみれば、二大変革ですね、あらゆる領域において。これは全部外来文化に強烈に晒(さら)されたことと不可分です。…
 …世界史的な中で日本の運命が決まってくるというのは、非常に後なんです。そういう意味では孤島性をずっと保っていたわけでしょ。だから明治の断絶が非常に激しいわけです。したがって縦に日本の文化を古代からズーッと内在的に説明していくことは非常に困難で、横の文化接触の圧力というものを加えていかなければならない。これが、中国も朝鮮もそうなんですけれど、少なくも先進工業国と日本との非常に大きな違いだと僕は思うんです。」(手帖23 「聞き書き 庶民大学三島教室(下)」1980.9.15.pp.4-6)
「それ(地動説)は、自分を中心とした世界像から、世界のなかでの自分の位置づけという考え方への転換のシンボルとして、したがって、現在でも将来でも、なんどもくりかえされる、またくりかえさねばならない切実な、「ものの見方」の問題として提起されているものです。…地動説への転換は、もうすんでしまって当り前になった事実ではなくて、私達ひとりひとりが、不断にこれから努力して行かねばならないきわめて困難な課題なのです。そうでなかったら、どうして自分や、自分が同一化している集団や「くに」を中心に世の中がまわっているような認識から、文明国民でさえ今日も容易に脱却できないでいるのでしょうか。つまり、世界の「客観的」認識というのは、どこまで行っても私達の「主体」の側のあり方の問題であり、主体の利害、主体の責任とわかちがたく結びあわされている、ということ-その意味でまさしく私達が「どう生きるか」が問われているのだ、ということを著者(吉野源三郎)はコペルニクスの「学説」に託して説こうとしたわけです。認識の「客観性」の意味づけが、さらに文学や芸術と「科学的認識」とのちがいは自我がかかわっているか否かにあるのではなくて、自我のかかわり方のちがいなのだという、今日にあっても新鮮な指摘が、これほど平易に、これほど説得的に行われている例を私はほかに知りません。」(集⑪ 「「君たちはどう生きるか」をめぐる回想」198 1.8. pp.374-375)
「日本は[これから]激しい文化接触を必ず経験します。飛び地だったわけですから、[日本は]何千年来日本の思想の特質といわれてきた条件が、いま音を立てて崩れつつあるわけです、ジェット時代になって。激しい文化接触にさらされると、変革の可能性が出てくるわけです。ヨーロッパと似てくるわけです、異質文化とのごった返しのなかに置かれるわけですから。同質性ということが消滅するわけです。‥いままでは、テクノロジーが未発達なために同質性が保たれていた。その条件というのが急速になくなる。欲すると欲せざるとにかかわらず、文化接触の大波に洗われる。だから、結局、問題は二つに一つです。つまり、日本というものの思想的な主体性がなくなって、文化的にはどこか別の国の属国になっちゃうか、それとも、その文化接触の荒波のなかから、新しい日本の主体性を見出していくか、その試練はこれから諸君の双肩にかかっているんだ。」(手帖19 「早稲田大学 丸山眞男自主ゼミナールの記録 第二回(上)」1985.3.31.p.22)
「日本政府も国民も含めて、日本がどうして難民問題について比較的関心が薄いのかということの歴史的背景には、日本が東アジアでいちばん早く主権国家として世界に認められて、世界秩序に入ったということが深く関係している。それと日本の地理的位置とが深く関係している。「国」という言葉の曖昧さを見ればいちばんよくわかります。例えば、私の国は土佐ですと言う。それは故郷でしょ。国の支出でと言う時は、政府。アメリカに対して日本という場合は、国民と政府全部含めての国でしょ。国という言葉は非常に多義的なんです。こういう多義性は他の国の言葉にはありません。governmentとnationが同じ言葉で表現される。‥普通、外国では政府と国家とはちゃんと区別した言葉を使う。中国だってそうです。日本語には「国」という非常に便利な言葉があるので、そこがこんがらがるんです。‥
 (死刑廃止問題に関して、「世論というのがどこにいるのかわからない。また政府という時の、政府というのはどこにいるのかわからない」という発言を受けて)あなたが悩んでいることは、決して日本政府の問題じゃないです。我々の意識の問題です。日本政府もそれを反映しているに過ぎない。我々の意識とは何かと言うと、非常に簡単に言えば、ウチとソトという区別です。その区別の持っている強烈さです。英米仏、ヨーロッパのどこに、うちの会社は、という国がありますか。そういう言い方はないです。‥例えば、英語でstrangerという言葉がありますね。外国人。それはめったに使わない。strangerは余所(よそ)者という意味のほうが多いんです。外国というのは、strange countryですが、日常会話では、strange countryという言い方はまずしない。イギリスは、ベトナムは、朝鮮は、中国は、と言います。外国はという言葉は非常に日本的です。これは僕の言うウチ・ヨソ意識に深く根ざしている。難民というのは余所者なの。余所者の中の最も余所者なんです。そういう意味で関心が薄いんです。ウチに近いほど関心が深い。そういう世界像の問題と深くかかわっている。それは非常に難しいもので、世論の問題とは違うんです。‥日本の不幸なところは、主権国家になっちゃったでしょ。主権国家になったということは、世界的に独立国家として認められたということ。ところが、日本は古来から政治集団として独立しているんですよ。大和朝以後、少なくとも五、六世紀、遅くみも六世紀以来、一つの政治集団なんです。外国に征服されたことがない。言わば自主主権国家なんだな。これは、日本の地理的条件が非常に大きいです。大規模な人種混淆を知らない珍しい国。‥これはどういうことかというと、ウチ対ヨソという意識が非常に強くなる、異人種との交流がないわけですから。それを克服するのは容易ではないということ。」(手帖54 「「アムネスティ・インタナショナル日本」メンバーとの対話」1993.12.20.pp.10-11)