日本的「ナショナリズム」

2016.4.29.

「日本のナショナリズムを把握するに当って直面する困難性はさしあたり、その構成内容とその時間的な波動の特性という二点に帰することができよう(むろんこの両者も相関関係にあるが)。第一の構成内容という点では、なにより日本のナショナリズムがそこでの社会構成・政治構造ないしは文化形態に規定されることによって、一方において、ヨーロッパの古典的ナショナリズムと区別された意味でのアジア型ナショナリズムに共通する要素をもち、むしろその点ではヨーロッパの古典的ナショナリズムと区別された意味でのアジア型ナショナリズムに共通する要素をもつと同時に、他方において、中国、インド、東南アジア等に見られるナショナリズムとも截然と異なる要素をもち、むしろその点ではヨーロッパ・ナショナリズムの一変種形態とも見られる面をも具えているということからくる複雑性を挙げねばならない。第二の時間的な波動の特性とは何かといえば、それが、一九四五年八月一五日という顕著なピークを持ち、その前後の舞台と背景の転換があまりにはなはだしいために、問題の一貫した考察をきわめて厄介なものにしていることである。そこからまた日本のナショナリズムの今後の性格と他の極東諸国のそれとの間のデリケートな関連性が生れてくる。…今世紀後半を通じて、世界政治は恐らくこのアジア・ナショナリズムの勃興を基軸として旋回するであろう。その際日本のナショナリズムがどういう方向をとるかということはきわめて重大な意味をもっている。…アジア諸国のうちで日本はナショナリズムについて処女性をすでに失った唯一の国である。…歴史において完全な断絶ということがありえない以上、このかつてのナショナリズムと全く無関係に、今後のそれが発展するということは考えられない。新しいナショナリズムは、旧いそれに対応する反撥として起るにせよ、それとの妥協において、ないしはそれの再興として発展するにせよ、自らの過去によって刻印されざるをえないであろう。しかもそのいずれの形態をとるかによって、大にしては世界の、小にしては極東の情勢は著しくその相貌を変ずる。」(集⑤ 「日本におけるナショナリズム」1951.1.pp.58-60)
 「中国は支配層が内部的な編成替えによって近代化を遂行することに失敗したために、日本を含めた列強帝国主義によって長期にわたって奥深く浸潤されたが、そのことがかえって帝国主義支配に反対するナショナリズム運動に否応なしに、旧社会=政治体制を根本的に変革する任務を課した。…
 日出ずる極東帝国はこれと対蹠的な途を歩んだ。…近代化が「富国強兵」の至上目的に従属し、しかもそれが驚くべきスピードで遂行されたということからまさに周知のような日本社会のあらゆる領域でのひずみ或いは不均衡が生れた。そうして、日本のナショナリズムの思想乃至運動は…根本的にはこの日本帝国の発展の方向を正当化するという意味をもって展開して行ったのである。従ってそれは社会革命と内面的に結合するどころか、…革命の潜在的な可能性に対して、ある場合にはその直接的な抑止力として作用し、他の場合にはそのエネルギーの切換装置たる役割を一貫して演じてきた。しかも他方それは西欧の古典的ナショナリズムのような人民主権ないし一般にブルジョア・デモクラシーの諸原則との幸福な結婚の歴史をもほとんどろくに知らなかった。むしろそれは上述のような「前期的」ナショナリズム(丸山:「国民的な連帯意識というものが希薄で、むしろ国民の大多数を占める庶民の疎外、いな敵視を伴っていること」、「国際関係に於ける対等性の意識がなく、むしろ国内的な階層的支配の目で国際関係を見るから、こちらが相手を征服ないし併呑するか、相手にやられるか、問題ははじめから二者択一である」)の諸特性を濃厚に残存せしめたまま、これを近代ナショナリズムの末期的変質としての帝国主義に癒着させたのである。かくして日本のナショナリズムは早期から、国民的解放の原理と訣別し、逆にそれを国家的統一の名においてチェックした。そのことがまたこの国の「民主主義」運動ないし労働運動において「民族意識」とか「愛国心」とかいう問題の真剣な検討を長く懈怠させ、むしろ挑戦的に世界主義的傾向へと追いやった。そうして、それはまたナショナリズムの諸シンボルを支配層ないし反動分子の独占たらしめるという悪循環を生んだのである。」(集⑤ 同上pp.64-66)
 「日本のナショナリズムが国民的解放の課題を早くから放棄し、国民主義を国家主義に、さらに超国家主義にまで昇華させたということは、しかし単に狭義の民主主義運動や労働運動のあり方を規定したというだけのことではなかった。それは深く国民の精神構造にかかわる問題であった。…頂点はつねに世界の最先端を競い、底辺には伝統的様式が強靱に根を張るという日本社会の不均衡性の構造法則はナショナリズムのイデオロギー自体のなかにも貫徹した。…世界に喧伝された日本のナショナリズムはそれが民主化との結合を放棄したことによって表面的には強靱さを発揮したように見えながら、結局そのことが最後まで克服しがたい脆弱点をなした。あれほど世界に喧伝された日本人の愛国意識が戦後において急速に表面から消えうせ、近隣の東亜諸民族があふれるような民族的情熱を奔騰させつつあるとき日本国民は逆にその無気力なパンパン根性やむきだしのエゴイズムの追求によって急進陣営と道学的保守主義者の双方を落胆させた事態の秘密はすでに戦前のナショナリズムの構造のうちに根ざしていたのである。次にその主要なモメントを概観して見よう。
 まず第一に指摘されねばならないことは、日本のナショナリズムの精神構造において、国家は自我がその中に埋没しているような第一次的グループ(家族や部落)の直接的延長として表象される傾向が強く、祖国愛はすぐれて環境愛としての郷土愛として発現するということである。…近代ナショナリズム…は決して単なる環境への情緒的依存ではなく、むしろ他面において…高度の自発性と主体性を伴っている。これこそナショナリズムが人民主権の原理と結びついたことによって得た最も貴重な歴史的収穫であった…。日本は…国家意識の注入はひたすら第一次的グループに対する非合理的な愛着と、なかんずく伝統的な封建的乃至家父長的忠誠を大々的に動員しこれを国家的統一の具象化としての天皇に集中することによって行われた。…
 …国家意識が伝統的社会意識の克服でなく、その組織的動員によって注入された結果は、‥政治的責任の主体的な担い手としての近代的公民(シトロイヤン)のかわりに、万事を「お上」にあずけて、選択の方向をひたすら権威の決断にすがる忠実だが卑屈な従僕を大量的に生産する結果となった。また、家族=郷党意識がすなおに国家意識に延長されないでかえって国民的連帯性を破壊する縄張根性を蔓延させ、家族的エゴイズムが「国策遂行」の桎梏をなす場合も少なくなかった。」(集⑤ 同上pp.66-69)
 「日本の(国民的)使命感は全体的(インテグラル)であった(丸山:皇道宣布とか大義を宇内に布くとか八紘一宇とかの天皇を中心とする国内のヒエラルヒー構造の観念を国際関係に延長したもの)だけ、それだけその崩壊がもたらす精神的真空は大きい。戦後、新憲法の制定とともに「平和文化国家」という使命観念が新装を凝らして登場し、さまざまの「理論づけ」がほどこされたにもかかわらず、国民に対する牽引力をほとんど持たず、敗けたから止むをえずのスローガンだというような印象を払拭しきれないのは、逆説的にではあるが、旧日本帝国の使命感の全体性をなによりよく説明している。国民の多数は今なお、資源は乏しく人口過剰で軍備もない日本が今後の世界のなかで一体どのようなレーゾン・デートルを持つかについてほとんど答えを持っていない。今後新しいナショナリズムがどのような形をとるにせよ、この疑問に対して旧帝国のそれに匹敵するだけの吸引力を持った新鮮な使命感を鼓吹することに成功しないかぎり、それは独自の力としての発展を望みえないであろう。」(集⑤ 同上pp.72-73)
 「このような伝統的ナショナリズム感情の分散的潜在は今後の日本ナショナリズムに対してどのような衝撃をもつであろうか。第一にそれはそのままの形では決して民主革命と結合した新しいナショナリズムの支柱とはなりえないことは明白である。なぜなら、まさにその発酵地である強靱な同族団的な社会構成とそのイデオロギーの破壊を通じてのみ、日本社会の根底からの民主化が可能になるからである。…上のような伝統的ナショナリズムが非政治的な日常現象のなかに微分化されて生息しうるということ自体、戦後日本の民主化が高々、国家機構の制度的=法的な変革にとどまっていて、社会構造や国民の生活様式にまで浸透せず、いわんや国民の精神構造の内面的変革には至っていないことをなにより証明している。「デモクラシー」が高尚な理論や有難い説教である間は、それは依然として舶来品であり、ナショナリズムとの内面的結合は望むべくもない。それが達成されるためには、やや奇嬌な表現ではあるが、ナショナリズムの合理化と比例してデモクラシーの非合理化が行われねばならぬ。」(集⑤ 同上pp.74-75)
 「伝統的シンボルをかつぎ出して、現在まだ無定型のままで分散している国民心情をこれに向って再び集中させる努力が今後組織的に行われることがあっても、そこで動員されるナショナリズムはそれ自体独立の政治力にはなりえず、むしろヨリ上位の政治力-恐らく国際的なそれ-と結びつき、後者の一定の政治目的-たとえば冷戦の世界戦略-の手段として利用性をもつ限りにおいて存立を許されるのではないかと思われる。日本の旧ナショナリズムの最もめざましい役割は‥一切の社会的対立を隠蔽もしくは抑圧し、大衆の自主的組織の成長をおしとどめ、その不満を一定の国内国外の贖罪山羊(スケープゴーツ)に対する憎悪に転換することにあった。もし今後において、国民の愛国心がふたたびこうした外からの政治目的のために動員されるならば、それは国民的独立というおよそあらゆるナショナリズムにとっての至上命題を放棄して、反革命との結合という過去の最も最悪な遺産のみを継承するものにほかならない。それをしもなおナショナリズムと呼ぶかどうかは各人の自由としよう。ただその際いずれにせよ確かなことが一つある。この方向を歩めば、日本は決定的に他のアジア・ナショナリズムの動向に背を向ける運命にあること、これである。」(集⑤ 同上pp.76-77)
「占領政策はアルトラ・ナショナリズムの中心勢力に対しては峻烈な処置を躊躇しなかったが、同時に例えば天皇制から絶対主義的要素を除去しただけでこれを存置し、また戦犯裁判への天皇の訴追ないし召喚を避け、米兵に対して神社仏閣の冒瀆を厳禁するなど、保守的な国民層にプリヴェイルしている伝統的感情に対しても必要以上の刺激を与えぬよう、細心の注意を払った。…日本の支配層は労働運動や農民運動の「行き過ぎ」を押さえるために不断に総司令部の権威によりかかり、他方社会党や共産党等の進歩的ないし急進的グループもしばしば占領政策の違反とかサボタージュとかを責めるという形で保守政党や資本家、地主を攻撃した。このような状況は当然にナショナリズム運動ないし感情の勃興を抑止した。」(集⑤ 「戦後日本のナショナリズムの一般的考察」1951.12.p.105)
「日本全体の体勢として見ると、ナショナリズムが、しかも反動的ナショナリズムが、今後確かに台頭してくると思う。しかしその構造は戦前とかなり違うと私は判断します。第一は、-結論的に言うと-今後の反動的ナショナリズムはホーム・コンサンプション(国内消費)を第一目的とするものであって、戦前のような対外輸出面は後退するということです。その頂点は、どうしてもインターナショナルな力につながらざるを得ない。そういう意味ではかつての日本帝国主義と違って、日本が独自の経済力や軍事力で、従ってそれに裏付けられたイデオロギーをふりかざして外に向って膨張発展していくという地盤がないと思う。八紘一宇的なナショナリズムは頭打ちにならざるを得ない。それは対米従属という厳粛なる事実に規定されざるをえないからだ。さらに、アメリカが、その世界政策の必要から今後日本を反共防衛体制に組入れていく過程においては、ニュージーランド、豪州、フィリピン、南鮮その他にまだ根強い、日本の戦前のナショナリズムや軍国主義の復活に対する恐怖と警戒心とのバランスを考えなければならない。その意味からいっても対外的なナショナリズムの復活には大きなわくが加えられると思う。従って今後の日本における反動的なナショナリズムの構造として、頂点はインターナショナルなもので、底辺がナショナリズムという形をとるのじゃないでしょうか。底辺のナショナリズムは、いうまでもなく近代的なナショナリズムではなく、家父長的あるいは長老的支配を国民的規模に拡大した戦前ナショナリズムの変形で、これによって、国民の漠然としたいまだ組織化されていないナショナルな感情を吸い上げて行く。しかもそれが危険な反米という方向にいかないようにすることが必要である。そのためにはどういう手段が保守勢力によってとられるかというと、-これは予測の問題ですが-例えば現在ある程度現われている古いナショナリズムのいろいろなシンボルの中で、直接的積極的には政治的意味をもたないシンボルを大々的に復活させることです。
 たとえば村のお祭りとか、神社信仰の復活。その神社も国家神道という形であれば直接政治的になるが、そうでなく、ただ町村の神社やおみこしを再築するとか、祭礼や儀式を盛んにするとか、そういう形をとる。修身、道徳教育の復活もその一つだと思う。その際にも露骨な国体思想や神権思想はカットし、もっと日常的な徳目のような形で、日本古来の淳風美俗といわれる家族道徳や上下服従の倫理が鼓吹される。それから芸術娯楽面における復古調、たとえば生花、茶の湯からはじまって、歌舞伎、浪花節に至るまでいろいろあります。これらの現象はいずれも直接的には政治的意味をもたない。しかしながらこれらは、一定の状況の下では間接的消極的に非常な政治的効果を発揮する。いずれも戦前の日本に対するノスタルジャを起し、その反面、戦後の民主主義運動、大衆を政治的に下から組織化していく運動に対する鎮静剤、睡眠剤として、非常に大きく役立つということですね。言いかえると、大衆の関心を狭い私的なサークルの中にとじこめ、非政治的にすることによって逆説的に政治的効果をもつ。その場合、一つ一つを切り離してとりあげると、べつに目に角をたてて問題にするというほど重大な問題ではないし、また皆が皆それ自体が本質的に反動的とはいえない。しかしもっと大きな文脈との関連では、その一歩一歩が民主化に対するチェックとして働く可能性をもっている。」(手帖68 「民主主義の名におけるファシズム-危機の政治学-」 『世界』1953年10月号 pp.15-16)
 「戦前には、公的な天皇制のイデオロギーと、私的な家族制度のイデオロギーとが、万世一系と忠孝一致の神話において直結していた。さらに国内的なヒエラルヒー(階層秩序)を国際的に押しひろげるという形で、国内統治と世界政策とが直結していた。ナショナリズムの意識の面で最も根幹となる使命観を見ても、戦前では東洋の精神文明と西洋の物質文明とを日本の国体において総合するという全体的な構造をもっていた。むろん断わっておきますが、それは戦前の皇国イデオロギーが論理的統一性をもっていたということではないのですが、いわば情緒的な統一性があった。ところがこういう形のインテグリティーは戦後においては求むべくもない。そのため支配層やそのイデオローグの用いる政治的省庁が断片化し、コマ切れ化した。…そういう意味では、その都度シンボルであり、従ってその都度ナショナリズムにならざるをえない。つまりある具体的な問題が起ると、それに対応するのに差当たり必要なシンボルは、古いものでも新らしいものでも無統一に動員してくる。だから相互の矛盾撞着が至るところに起る。「民主主義」も日本古来の淳風美俗も、‥都合に応じてかつぎ出される。…だから例えば家族制度の復活を大っぴらに説く保守党代議士も「ただし個人の尊厳と男女の平等に矛盾しないように」と註釈を加えざるをえない。その意味で、さっき底辺が古いナショナリズムといったけれども、その底辺のナショナリズムも昔は昔なりにもっていた統一性がなくなって非常に奇妙な複雑な形をとっています。」(手帖68 同上p.18)
 「ナショナリズム一般を問題にしているのではなくて、戦前と戦後の関係を問題にしているわけです。戦前のような構造と機能をもったナショナリズムが、日本の支配層によって大規模に復活される条件及び可能性がどれほどあるかという問題提起なのです。ナショナリズム-というより、ナショナルな意識や感情はそれ自身無目的的なもので、国民感情として左にも右にも組織化される。それを右に動員する場合に限ってお話したわけです。右に動員する場合、どういう制約条件があるかというと、戦後のいわゆる逆コース・イデオロギーにはむしろ非常な脆弱性があるということを話したわけです。そういう意味では、‥反動的ナショナリズムの精神構造には永続性というものはないということです。旧権力の象徴のこま切れ性についていったのは、むしろ脆弱性を問題にしているわけだ。」(手帖68 同上p.20)
「日出ずる極東帝国はこれと対蹠的な途を歩んだ。…近代化が「富国強兵」の至上目的に従属し、しかもそれが驚くべきスピードで遂行されたということからまさに周知のような日本社会のあらゆる領域でのひずみ或いは不均衡が生れた。そうして、日本のナショナリズムの思想乃至運動は…根本的にはこの日本帝国の発展の方向を正当化するという意味をもって展開して行ったのである。従ってそれは社会革命と内面的に結合するどころか、…革命の潜在的な可能性に対して、ある場合にはその直接的な抑止力として作用し、他の場合にはそのエネルギーの切換装置たる役割を一貫して演じてきた。しかも他方それは西欧の古典的ナショナリズムのような人民主権ないし一般にブルジョア・デモクラシーの諸原則との幸福な結婚の歴史をもほとんどろくに知らなかった。むしろそれは上述のような「前期的」ナショナリズム(丸山:「国民的な連帯意識というものが希薄で、むしろ国民の大多数を占める庶民の疎外、いな敵視を伴っていること」、「国際関係に於ける対等性の意識がなく、むしろ国内的な階層的支配の目で国際関係を見るから、こちらが相手を征服ないし併呑するか、相手にやられるか、問題ははじめから二者択一である」)の諸特性を濃厚に残存せしめたまま、これを近代ナショナリズムの末期的変質としての帝国主義に癒着させたのである。かくして日本のナショナリズムは早期から、国民的解放の原理と訣別し、逆にそれを国家的統一の名においてチェックした。そのことがまたこの国の「民主主義」運動ないし労働運動において「民族意識」とか「愛国心」とかいう問題の真剣な検討を長く懈怠させ、むしろ挑戦的に世界主義的傾向へと追いやった。そうして、それはまたナショナリズムの諸シンボルを支配層ないし反動分子の独占たらしめるという悪循環を生んだのである。」(集⑤ 「日本におけるナショナリズム」1951.1. pp.65-66)
「日本のナショナリズムが国民的解放の課題を早くから放棄し、国民主義を国家主義に、さらに超国家主義にまで昇華させたということは、しかし単に狭義の民主主義運動や労働運動のあり方を規定したというだけのことではなかった。それは深く国民の精神構造にかかわる問題であった。…頂点はつねに世界の最先端を競い、底辺には伝統的様式が強靱に根を張るという日本社会の不均衡性の構造法則はナショナリズムのイデオロギー自体のなかにも貫徹した。…世界に喧伝された日本のナショナリズムはそれが民主化との結合を放棄したことによって表面的には強靱さを発揮したように見えながら、結局そのことが最後まで克服しがたい脆弱点をなした。あれほど世界に喧伝された日本人の愛国意識が戦後において急速に表面から消えうせ、近隣の東亜諸民族があふれるような民族的情熱を奔騰させつつあるとき日本国民は逆にその無気力なパンパン根性やむきだしのエゴイズムの追求によって急進陣営と道学的保守主義者の双方を落胆させた事態の秘密はすでに戦前のナショナリズムの構造のうちに根ざしていたのである。次にその主要なモメントを概観して見よう。
 まず第一に指摘されねばならないことは、日本のナショナリズムの精神構造において、国家は自我がその中に埋没しているような第一次的グループ(家族や部落)の直接的延長として表象される傾向が強く、祖国愛はすぐれて環境愛としての郷土愛として発現するということである。…近代ナショナリズム…は決して単なる環境への情緒的依存ではなく、むしろ他面において…高度の自発性と主体性を伴っている。これこそナショナリズムが人民主権の原理と結びついたことによって得た最も貴重な歴史的収穫であった…。日本は…国家意識の注入はひたすら第一次的グループに対する非合理的な愛着と、なかんずく伝統的な封建的乃至家父長的忠誠を大々的に動員しこれを国家的統一の具象化としての天皇に集中することによって行われた。…
 …国家意識が伝統的社会意識の克服でなく、その組織的動員によって注入された結果は、‥政治的責任の主体的な担い手としての近代的公民(シトロイヤン)のかわりに、万事を「お上」にあずけて、選択の方向をひたすら権威の決断にすがる忠実だが卑屈な従僕を大量的に生産する結果となった。また、家族=郷党意識がすなおに国家意識に延長されないでかえって国民的連帯性を破壊する縄張根性を蔓延させ、家族的エゴイズムが「国策遂行」の桎梏をなす場合も少なくなかった。」(集⑤ 同上pp.66-69)
「このような伝統的ナショナリズム感情の分散的潜在は今後の日本ナショナリズムに対してどのような衝撃をもつであろうか。第一にそれはそのままの形では決して民主革命と結合した新しいナショナリズムの支柱とはなりえないことは明白である。なぜなら、まさにその発酵地である強靱な同族団的な社会構成とそのイデオロギーの破壊を通じてのみ、日本社会の根底からの民主化が可能になるからである。…上のような伝統的ナショナリズムが非政治的な日常現象のなかに微分化されて生息しうるということ自体、戦後日本の民主化が高々、国家機構の制度的=法的な変革にとどまっていて、社会構造や国民の生活様式にまで浸透せず、いわんや国民の精神構造の内面的変革には至っていないことをなにより証明している。「デモクラシー」が高尚な理論や有難い説教である間は、それは依然として舶来品であり、ナショナリズムとの内面的結合は望むべくもない。それが達成されるためには、やや奇嬌な表現ではあるが、ナショナリズムの合理化と比例してデモクラシーの非合理化が行われねばならぬ。」(集⑤ 同上pp.74-75)
「今後の日本における反動的ナショナリズムの構造として、頂点はインターナショナルなもので、底辺がナショナリズムという形をとるのじゃないでしょうか。底辺のナショナリズムは、いうまでもなく近代的ナショナリズムではなく、家父長的あるいは長老的支配を国民的規模に拡大した戦前ナショナリズムの変形で、これによって、国民の漠然としたいまだ組織化されていないナショナルな感情を吸い上げていく。しかもそれが危険な反米という方向にいかないようにすることが必要である。そのためにはどういう手段が保守勢力によってとられるかというと、-これは予測の問題ですが-例えば現在ある程度現われている古いナショナリズムのいろいろなシンボルの中で、直接的積極的には政治的意味をもたないシンボルを大々的に復活させることです(丸山の挙げる例:村のお祭り、神社信仰の復活、修身、道徳教育の復、生け花、茶の湯、歌舞伎、浪花節)。もっと日常的な徳目のような形で、日本古来の醇風美俗といわれる家族道徳や上下服従の倫理が鼓吹される。これらの現象はいずれも直接的には政治的意味をもたない。しかしながらこれらは、一定の状況の下では間接的消極的に非常な政治的効果を発揮する。いずれも戦前の日本にたいするノスタルジヤを起し、その反面、戦後の民主主義運動、大衆を政治的に下から組織化していく運動に対する鎮静剤、睡眠剤として、非常に大きく役立つということですね。いいかえると、大衆の関心を狭い私的なサークルのなかにとじこめ、非政治的にすることによって逆説的に政治的効果をもつ。その場合一つ一つを切り離してとりあげると、目に角をたって問題にするというほど重大な問題ではないし、また皆が皆それ自体が本質的に反動的とはいえない。しかしもっと大きな文脈との関連では、その一歩一歩が民主化に対するチェックとして働く可能性をもっている。」(集⑥ 「戦後政治の思想と行動第一部 追記および補註」1956.12.pp.277-278)
「戦後日本の意識や行動様式が変ったとか変らぬとか論じたところで、どの次元の、どの成層で問題にしているのかということを抜きにしては意味がないわけである。一例を挙げれば、‥きだ・みのる氏の「日本文化の根底に潜むもの」は、氏が永らく住んでいる東京都の一隅の部落を例証にとって、日本の伝統的行動様式を解明した力作であるが、そこでは部落共同体の精神構造がほとんど超歴史的なまでの強靱さを以て日本文化のあらゆる面に特殊な刻印を押しているさまが興味深い筆致で語られている。…このような深層から、不断に変化する政治意識の上層までをあまねく視野に入れて、成層間の相互作用を探ることによってはじめて、今日の時点における日本政治の精神状況は全面的=立体的に解明されるであろう。」(集⑥ 同上pp.292-293)
 「最近の日本と世界の、社会的および政治的な状況変化は、今日の政治意識に種々な衝撃を及ぼしているし、また戦後の農地改革やさまざまの「法律革命」の影響が、一〇年の歳月の間に国民生活の底辺に漸次定着して行き、それがようやく今日に、国民の政治意識上の顕著な転換をもたらしている。‥昨年(一九五五年)の衆議院選挙と今年の参議院選挙の結果が如実に示したように、「新憲法」は今日相当広い国民層において一種の保守感覚に転化しつつあり、…つまり「既成事実」の積重ねはこれまで主として支配層の政治的手段であ(った)‥のが、次第に事態は変って、憲法擁護の旗印が‥日常的な生活感覚ないしは受益感の上に根を下ろすようになった。…基地反対闘争の場合を見ても、今や双方の側での既成事実を造り出す競争になろうとしている。さらに基地問題の場合特徴的なことは、土への愛着や共同体的感情のようなかつてのナショナリズムの構造的底辺をなしているものが、頂点(天皇制)との対応関係を失って、もっぱら私的=非政治的なインタレストとして底辺に固着し、しかも巨大な国際的政治力がこの私生活の最底辺まで下降するにおよんで、今後は、日常的なインタレストを基盤とする抵抗が逆に下から、原水爆反対というような国民的規模での象徴にまで昇華して行く傾向を示していることである。そうして郷土感情を保守的シンボルに多年動員して来た権力の側は、むしろ逆に一旦外国ときめたことだからという抽象的立場‥以外に、なんら具体的な説得の論理を持ちえぬところに追い込まれている。むろん他方において、革新陣営もナショナリズムの積極的なシンボルの創出に成功しているわけではない。ナショナル・インタレストの明確なイメージと、それから生まれるプログラムを保守・革新双方とも持ちあぐねている点に、現在の日本の政治的真空状態が象徴されている。」(集⑥ 同上pp.293-294)
「日本が所与としての日本の過去を背負ったまま、沖縄が沖縄の所与を背負ったままでは、沖縄の独立もないし祖国復帰もない、つまり、双方の側での自己否定を契機にしない限り双方の結合はあり得ない、ということなんです。そのことは、単に沖縄だけの問題ではない。僕は、知識人とか大衆とか、いろいろな問題でそのことを考えている。その意味では、あらゆる形におけるべったり土着主義というものを断ち切らねば、日本の独立、真のナショナリズムというものも出てこないということを考えるわけです。」(集⑨ 「点の軌跡-『沖縄』観劇所感-」1963.12.pp.131-132)
 「「沖縄」は、近代日本と沖縄の連帯という問題-それは、アジアの民衆との連帯ということでもいいですが-を提出しているんですが、実は、日本人のなかにおける隣人との連帯の問題が重要なのです。…日本対沖縄という問題が、政治的問題としてあるにしても、それを更につっこんで行けば、国内における連帯の問題になると思うのです。それは、内(うち)と外(そと)という問題です。内とか外とか、部落民対われわれ、われわれ対沖縄人、あるいは朝鮮人という形をとって、内と外の論理=思考様式というものが、日本人の相手同士にある。閥とか閉鎖的集団とか、内の人間と外の人間、インズとアウツというものを断ち切らねば、連帯の生まれようがない。インズとアウツというのは、僕にいわせれば「部落(ムラ)」なんです。これが原罪なんです。そこで、僕は土着主義を切らねばならないと思う。ムラが抵抗の根源であるとか、部落共同体というものが近代における抵抗の根源だとはどうしても思わない。これこそが、内と外という論理の醱酵するもとなんです。内というものは、空間の領域の区別、垣根のこっち垣根のあっちというのではなく、本当は内面性にならなければならない。内と外が、空間的にひかれた境界であるとすると、どうしても差別というものが出てくるし、人間と人間の結びつきは生まれてこない。それはちょうど、家族的エゴイズムというものがある限り、家族のなかにおける人間的結合がない、というのと同じでしょう。従って、沖縄に対して差別しているということは、日本人同士が差別しているということと同じなのです。」(集⑨ 同上pp.133-134)
「点-これが人間というものです。点ということは、昨日の自分と今日の自分とが、なぜ同じ自分であるかという問題です。空間でなく時間でのみ考えるということです。空間的に考える限り、昨日の状況にある自分と今日の状況にある自分はちがうんだから、ちがうのが当り前ということになり、そうすればどうしても流される。状況を断たなければいけない、自分を点にまで縮小しなければならないのです。ひろがりを持った自分を考える限り、そのひろがりは、あるいは家族であったり、部落(むら)であったり、学校であったり、仲間であったり、日本であったりする。そういう空間的ひろがりにおいて考えられたナショナリズムは、それこそ島国的ナショナリズムであって、そんなものを吹っ飛ばさない限り、本当のナショナリズムは出てきません。そういう意味では、個人がインターナショナルになることなしに、ナショナルなものは生まれないと言えるでしょう。」(集⑨ 同上pp.134-135)
 「今までのインターナショナルということは、内外(うちそと)論理です。外にいかれるということ、つまり土着ナショナリズムの裏返しです。特定の外国にいかれることを、インターナショナルといっている。‥これは、インターナショナルとなんの関係もない。その点、内村鑑三はえらかったと思うんだけども、彼は、日本人は人類というと、なんか遠くに住んでいるもののように思っている、世界というと、まるで日本の外にあるみたいに思っている、しかし、日本のなかに世界がある、隣りの八さん熊さんが人類なのだ、というようなことを言っているんです。そういう眼なしに、隣の八さん熊さんとの連帯はあり得ない、従って日本のナショナリズムも出てこない。内外論理は無限に細分化される。内の部落(ムラ)と外の部落(ムラ)、内の国と外の国、そういうナショナリズムは、精神的に自立したナショナリズムとは無縁です。普通の言葉でいう島国ナショナリズムを否定しなければならない。‥いわゆる日本のナショナリズムは、ケチなんです。ケチ・ナショナリズムですね。だからコンプレックス・ナショナリズムになる。沖縄がそうです。日本に対するコンプレックスを断ちきらなければならない。それは日本対ヨーロッパについても言える。そのコンプレックスが、いろんな形で現われて、やたらにすごんだり、米英撃滅といってみたり、アメリカ帝国主義の追及になってみたり、今度は逆に、居直りナショナリズムになったり、表現形態はいろいろ異っても、みんな似ているんです。…閉鎖的な地方主義というのは、もろいものです。だから僕は、ツベルクリン反応陰性だと書いたんですが、陽性にならなければいけない。結核菌を吸わなくちゃいけない、世界の毒を吸わねばいけない、毒を吸って自分の抵抗力を強くしなければならない。コスモポリタニズムの毒をうんとこさ吸って出てきたものが、本当のナショナリズムです。…どんどん貪欲に毒を吸収して、その上で出てくる土性骨-われわれは日本に生まれたんだという宿命、そこから出てくるナショナリズムが本当のものなのです。」(集⑨ 同上pp.138-139)
 「もともと、日本の土着的なものと言っても、らっきょうの皮をはぐみたいに縄文式文化までさかのぼってみれば、いずれはどこからか来たものでしょう。日本民族自身にしてもどこからか渡来したわけでしょう。なにが土着ですか。外来対土着という二分法を根本的に打破しなければいけない。アメリカだってヨーロッパだっていいじゃないですか、どんどん貪欲に毒を吸収して、その上で出てくるナショナリズムが本当のものなのです。しかし、このことは絶望的に通じない、というと諦観みたいだけど、垣根ナショナリズムといかれインターナショナリズムが多すぎるんです。これは同一なんで、両方を否定したい。だから、沖縄人や朝鮮人に対する残虐行為というものと、バターンやビルマでのそれとは、異質なものとは思わない。‥日本国内における抑圧と、よそものに対する扱い方は、そうちがわない。部落問題にしてもそうですが、果して被差別「部落」だけの問題かどうか。党と大衆団体にしても、内外論理、完全な差別観がある。インターナショナルになるということは、平凡なことです。普通の人間として隣人を愛することです。‥人間としてみる目が必要です。ナチュラルにそういう目を持つことが致命的に欠けている。複眼を持ってないんです。」(集⑨ 同上pp.139-140)
「戦前の愛国心がたった一度の敗戦でマッカーサー万歳となるほどにもろかったのはなぜか、その価値判断は別として、なぜあれほど立派に見えたナショナリズムがもろかったのかを問題にしなければならない。つまり日本のナショナリズムがどういう構造をもっていたかを考えてみるべきで、その上でのみ新しいナショナリズムが問題になると思います。それは‥世界市民主義つまり普遍者へのコミットがないナショナリズムは成り立たないわけです。異質的なものとの接触をへていない愛国心は実にもろいのです。‥主体性というのは外とぶつかりあうときの態度をいうわけで、たんなる内発性ではありません。だから、普遍的な真理を追求しないでは出てくるものではないのです。」(集⑯ 「普遍の意識欠く日本の思想」1964.7.15.pp.66-67)
「ドイツなんていうのは、だいたい近代国家になったのが、つまり統一されたのがビスマルク以後で、歴史が浅いでしょ。ところが日本はどうですか。「くに」という言葉がすでに『古事記』に出てくるわけです。それぐらい「くに」というのが"古"日本語なんです。‥ナショナリズムが日本で特に魔力を振るうのは、「くに」というシンボル、「くに」という言葉です。「くに」のためという。「くに」と言ったら「故郷(くに)」へ帰るのも「くに」でしょ。それから国土が「くに」でしょ。それから国家が「くに」でしょ。ステイトが「くに」でしょ。それからガヴァメント〔government〕-恐ろしいことに政府」〔ガヴァメント〕の支出というところを国の支出と言います。なるほどカントリー〔country〕というのも、故郷(くに)という意味と国土という意味とそれからカントリーのために命をすてるという意味もありますよ。多義的ですね。だけどガヴァメントと一緒になるというのはないですよ、これは。カントリーとガヴァメントでは、どこの国でも-レギールング〔Regierung 政府〕とハイマート〔Heimat 故郷〕とは別ですね。「くに」というのは、ハイマートからレギールングまで含むんです。これが「くに」シンボルの恐ろしさです。「「くに」のため」というと、みんな張り切っちゃうんです。政府から生まれ故郷まで含んでしまうわけですからね。だからそういう意味で、日本の「国体」-近代天皇制のシンボルというものは、その「くに」の基盤の上層建築としてできた。それが敗戦によって破れたということの、つまり敗戦を経験したということの契機は-戦争体験というのは、敗戦体験ですね-非常に大きいけれど、それはぼくは全日本の歴史の文脈の中で捉える。歴史の文脈の中でそれがどういう意味を持っているのかというのを捉えるのであって、ぼくは戦争体験というのは、非常に狭いのではないか、と。大事なのは第二次大戦が日本の全体の歴史の中で持っている意味なんです。」(手帖50 「日本思想史における「古層」の問題 補遺 -慶應義塾大学 内山秀夫研究会特別ゼミナール 第一回」1978.12.2.pp.50-51)
「やはり政府だけでなく、あらゆる集団の内部でオポジションを尊重する伝統を形成していく、そういうものを養っていく以外にない。反体制の、新旧左翼にも共通する問題で、それをナショナリズムというとあんまりナショナリズムの概念の拡張になるのではないか‥。ナショナリズムがそれ自体「悪」ではないので、所属ナショナリズムを、一身独立して一国独立す、のナショナリズムにきりかえてゆく、そういうナショナリズムの「構造」自身の変革が課題だと思います。「ネーション・ステート」自体を否定するのは、観念的で、口先でそういうことを言っていても、実際はそれに頼っているんです。誰も進んで無国籍者になろうとしないじゃないですか。」(集⑪ 「日本思想史における「古層」の問題」1979.10.p.214)
「近代知識人の課題に必然的につきまとうディレンマがあります。‥一つは、真理の普遍性に対する信仰です。これは言いかえれば、世界市民的な側面ということになります。‥身分社会から解放されて、思想の自由市場で多様な世界解釈を競うわけですから、どうしたって、ユニヴァーサリズム(普遍主義)の側面を持たざるをえない。普遍的な「世界解釈」の提供者ですから、真理の普遍性に対するコミットメントが一つの側面です。
 しかし、他方、‥目的意識的近代化の役割を課せられているわけですから、知識人に寄せられる期待なり役割なりは、どうしても特殊な集団に限定される。たとえば、日本をどういう国にするか、日本という国の独立をいかに計るかというふうに限定せざるを得ない。これは、さっきの真理の普遍性とは逆に、パティキュラリズム(特殊集団主義)へのコミットメントです。世界とか人類の問題よりも、まず日本を優先することになります。ここに当然ディレンマがあるのです。そうして、目的意識的近代化とは必ず計画的な近代化ですから、同時に選択的な近代化になります。何もかも一度にやることはできない。とすると、何を先にし、何を後にするかという優先順位の設定という問題が出てくる。これが‥『文明論之概略』を貫通する一つの大きなテーマになっています。…これが、いわゆるナショナリズムとインターナショナリズムの問題となってあらわれてくるわけです。」(集⑬ 「文明論之概略を読む(上・中)」1986.pp.53-54)
 「その一つは、民族のアイデンティティ、同一性の問題です。これは‥伝統と欧化、あるいは伝統と近代化の問題になります。日本がいったいどこまで「欧化」してしかも相変らず日本でありうるのか、という問題です。これは実は今の日本でも解決していない。一般的には、過去を変え、あるいは変わって行きながら、しかも同一性を保っていくこと、これが国民あるいは民族のアイデンティティの問題であり、そこにディレンマがあるのです。…
 つぎには、制度的な革命と精神革命の間の問題です。…福沢の言葉でいえば、文明開化の進展と独立自尊のディレンマです。…
 第三には、国内の改革と対外的独立の確保のあいだのディレンマです。…対外問題を考えていると国内の自由平等の実現が遅くなる。さりとて、国内的変革を遂行しようとすると、こんどは西欧の圧力に抗して独立を保持するという切迫した課題に間に合わない。‥これが自由民権と国権確立とのあいだのディレンマですね。
 四番目に言うならば、民主化と集中化のディレンマです。民主化というのは具体的にいえば四民平等、それから地方分権です。福沢は、この地方分権を強く唱えています。国権論を唱える一方で、同時に地方自治の確立を強く主張している。…
 これも今でもあらゆる「後進」国の近代化につきまとっている問題だと思います。中国で民主集中制といっているものは、その苦しいディレンマの表現だと私は思います。これは言葉で言っても、それだけで解決する問題ではない。集中の方に重みをかけてくれば民主化の方がどこかへ行ってしまい、反対に民主化におもりをかけるとアナーキーの傾向が出てきて、集中化(したがって計画化)ができない。そういうディレンマです。」(集⑬ 同上pp.55-58)
「国民とはネーションのことです。そしてこのネーションを基盤にして彼(福沢)は国体を定義しているのです。…日本人に生まれたという所属の意識だけではなく、自分が何をするかという発想で貫かれている‥。ここに近代のナショナリズムの特質がよくあらわれています。‥いずれも「自からする」という立場で、これで個人の選択による決断の問題が入ってくるわけです。…他でもないわれわれ自身が決断して日本人たることを選ぶのだと言う。十九世紀半ばにエルンスト・ケナン‥が「国民の存在とは日々の一般投票である」という有名な定義を下していますが、実際、私たちは毎日毎日、自分は日本人として留まると投票している、といえるわけです。少なくとも国籍を移す自由はあるのですから……。こういう所属意識にとどまらないネーションの意識は、今の日本でも根づいているとはいえないのではないでしょうか。」(集⑬ 同上pp.153-154)