国家・ナショナリズム

2016.4.29.

「国家というものは、市民の需要の満足を目的としている。ただ、その需要が有効需要であることを要するため、結局ブルジョワジーの需要がもっとも多く国家を動かすことになる。国家がはじめからブルジョワジーの利益のためにある、という考え方は、あまりに目的論的思考で、社会学的でも、歴史的でもない。」(対話 p.43)
「国家。
 国家はたんに多数者の利益の代表であって はならない。それはまた少数者(少数民族、異端、その他社会的偏見の犠牲になり易い存在)の保護の機関でなければならぬ。社会的圧力にたいして国家の強制力が対抗しなければ、こうした少数者の保護は十分保証されないだろう。政府がたんに多数政党によってだけ占められる際の危険は一つにはこの点にある。いわゆる「人民国家」の危険もまた同様である。人民が完全に等質的成員から成ることはありえないからである。」(対話 p.70)
「国家-とくに近代国家-は市民の需要(価値要求)を満足させる装置である。ただこの場合も資本主義経済における需要と同様に、需要は有効需要である。ブルジョアジーの利益が国家の政策決定を動かす最大のファクターであるとするならば、それは彼等が有効需要を最大に作りうるためだ。大衆の団結も現実の需要を有効需要にする手段の一つである。」(対話 p.71)
「国家機構は、政策決定機構(価値と役割(→賞与)の権威的割当て(調停も含む)機構)と資源調達機構(財政・人事)と暴力(→制裁)機構とをすくなくも不可欠の構成要素とする。渉外機構・情報蒐集及P・R機構・機構管理機構(行政管理庁など)・価値配分機構・助言機構等がそれに附随して発達した。むろん法制上の機関(国会・内閣・官庁)は、これらの機構の二つ又は三つにまたがっている事が少くない。  国家「権力」の「本質」とか「核心」といわれているものは、実は論争的又は期待的概念であって、以上の機構のうちの一つにことさらにアクセントをおいている。革命者は直接的に軍隊や警察と直面するから、暴力機構-つまり物理的強制手段にすぎないもの-を核心とみる。普通の民衆の伝統的イメージではむしろ国家とは税をとるものであり、したがって財政調達機構と映じている。自律的に社会的価値を生産する伝統の弱いカルチュアにおけるほど、価値配分機構としての国家への期待が大きく、また歴史的には、市民社会の自動調節機能が減退し、国家の介入度が高くなるほど、価値配分機構としての国家がクローズ・アップされてくる。」(対話 pp.71-72)
「近代国家は国民国家(ネーションステート)と謂われているように、ナショナリズムはむしろその本質的属性であった。…
 ヨーロッパ近代国家は…中性国家たることに一つの大きな特色がある。換言すれば、それは真理とか道徳とかの内容的価値に関して中立的立場をとり、そうした価値の選択と判断はもっぱら他の社会的集団(例えば教会)乃至は個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、かかる内容的価値から捨象された純粋に形式的な法機構の上に置いているのである。近代国家は周知の如く宗教改革につづく十六、十七世紀に亘る長い間の宗教戦争の真只中から成長した。信仰と神学をめぐっての果しない闘争はやがて各宗派をして自らの信条の政治的貫徹を断念せしめ、他方王権神授説をふりかざして自己の支配の内容的正当性を独占しようとした絶対君主も熾烈な抵抗に面して漸次その支配根拠を公的秩序の保持という外面的なものに移行せしむるの止むなきに至った。かくして形式と内容、外部と内部、公的なものと私的なものという形で治者と被治者の間に妥協が行われ、思想信仰道徳の問題は「私事」としてその主観的内面性が保証され、公権力は技術的性格を持った法体系の中に吸収されたのである。」(集③ 「超国家主義の論理と心理」1946.5. pp.19-20)
「国家主権と主体的個人の両極が隔っている限り、自由権の範囲に応じて主権が制限されるわけだが、個人が"公民"として主権に一体化した極限状況を予想すると、そこでは個人的自由と主権の完全性とが全く一致する。これが国民主権に基づく民主主義国家の理念型だ。ルソーの有名な普遍意志…の理論は、こういう近代国家の発展の極限状況を図式化したものと見るのが正しい。国民が主権を完全に掌握している限り、国家主権の万能は理論的には、なんら国民的自由の制限にならない筈(はず)だ。もし之をラッセルの様に全体主義と呼ぶならば、フランス革命憲法、とくにジャコバン憲法はまさしく全体主義の典型といわねばなるまい。だからラッセルやデュギーや多元的国家論者たちのルソー的理論への反情は結局、民主主義のもたらす多数の"圧制"に対する個人主義者の本能的恐怖に根ざしていると言える。…だがロックのchecks and balancesの理論は自由主義にこそ妥当するが、近代の民主主義の現実には妥当しない筈だ。だからラッセルも立法部と執行部の関係の歴史的変遷を述べて、執行部の優越した最近の英国政治の段階を以て、ロックの原則に背反したものと言っている…。結局最近のmass democracyへの傾向に対する不信が根底にあるんだね。…どうもラッセルに限らず、英米系統の学者は近代的自由が、民族国家そのものの構成原理であるという点の把握が足らない様に思えるね。
 …英国の自由主義だってむろん国民的一体性の背景の上に主張されているんだが、その一体性が早くから確保され…ていたために、その前提が強く意識にのぼらず、専ら国家からの自由という世界市民的遠心的傾向を表面に出して来たんだと思う。その点になるとフランスやドイツの様に、外的圧迫からの国民的独立に苦しんだところでは、近代的自由の持っている構成的積極的契機は一層強く自覚せられざるをえない。こうして、"自由"の立ち遅れているところにかえって"自由"の理論的掘り下げが行われる事になるのだ。例えばナショナリズムという観念にしたって、ドイツやフランスではナショナリズムがリベラリズムの双生児であることは国民的常識であり、フランス革命や解放戦争の歴史的事実によって、明々白々に証示せられている。ところが、英米ではナショナリズムという言葉にははじめっから何か重苦しい連想がつきまとっている様だ。」(集③ 「ラッセル「西洋哲学史」(近世)を読む」1946.12.pp.72-74)
「近代国家とくに近代市民革命の基底となった「国民(ナシオン)」観念は決して単なる国家所属員…の総体を漫然と指称するのではなくして、むしろ特殊的に近代国家を積極的に担う社会層を意味しており、従ってそこではアンシャン・レジームの支配層は原則的に排除されているのである。フランス革命の際、等族会議(エタ・ジェネロー)の否定体として生れた第三身分の会議が自らを国民会議…と称したことの歴史的意義はまさにここにあるのであって、それはやがて人権宣言第三条における国民主権の規定に連なっている。」(集③ 「陸羯南-人と思想」1947.2.p.102)
「愛国心:もっとも抽象的一般的意味においては愛国心とは人がその属する政治的社会に自己を同一化identifyするところから生ずる感情や態度の複合体にたいして名づけられた言葉‥。それはナショナリズムと密接な関係にあるが、後者が一応ネーションを基盤にしているのにたいして、愛国心は例えば古代ギリシャの都市国家のばあいにももちいられるようにより概念が広い。しかし今日愛国心の政治的意味を論ずるときには近代の民族国家におけるそれをさすのがふつうである。…
 近代国家における愛国心はほぼ二つの段階を経て成立した。第一に、絶対君主による中央集権的統一国家の樹立は中世における領主、教会、ギルド、自治都市へのloyaltyを崩壊させ、あらたに愛国心の地盤としての国家領域national territoryを登場させた。…しかし近代の愛国心の形成に決定的な重要を持つ第二の契機は自由・民主主義の発展であった。愛国心という言葉にはじめてその近代的意味をあたえた政治家が十八世紀初期のイギリスにでたのは偶然ではない。…さらにルソーの思想において自由と愛国の二つの観念はロマン的な色調をおびて結合され、これがフランス革命において指導的なスローガンとなった。…」(集⑥ 「政治学事典執筆項目 愛国心」1954.5.pp.75-76)
 「近代的な愛国心は市民的自由によってささえられ合理化されつつ発展していったけれども、他面愛国心は今日までエスノセントリズムの臍帯(さいたい)をまったく断ちきるにいたっていない。とくに近代国家体制に内在する矛盾が十九世紀後半以後激化するにしたがって、愛国心のもつ非合理的な激情性は皮肉にも極度に合理化された政治技術-マス・コミュニケイションと結びついた宣伝・教育-によって計画的に動力化され、支配階級のおこなう対内抑圧と対外侵略のための最良の武器とされた。そうした政策が各国において驚くべく成功した秘密は愛国心の政治心理的な構造のうちに見出されねばならない。愛国心は‥人々が自我とその属する国とを同一化する感情である。この同一化は本来非人格的な「くに」を人格化することによっておこなわれる。ところが一方国土とその歴史・伝統が人格化される心理的過程と、他方装置としての政治・国家機構が人格化される過程とは、特に政府が国民の危機意識に訴える場合には容易に合流する。こうしてときの支配権力は自己にたいする敵対者を「くに」にたいする敵対者として多数の国民の眼に映じさせることによって反対者を「非国民」「売国奴」として葬ることに成功する。こうした場合愛国とはすなわち批判の封殺、不寛容、権威への默従と同義になる。…さらに自我の国家権力への投射は、しばしば対外的な膨張や侵略にたいする熱烈な追随としてあらわれる。愛国心はかくて国への献身という利他的感情と、国家との同一化から生ずる自我拡張の欲求とを同時に満足させることになる。…
しかし愛国心の非合理的源泉は他の条件のもとにおいては歴史的な進歩と解放の動力として作用する。とくに帝国主義国家の軍事的侵略の対象となった国や植民地化された地域においては、国民は日々慣れ親しんだ生活環境の無残な破壊に直面するから、愛国心はその最底辺としての郷土愛の次元に一旦否応なくおしさげられることによってかえってそこから強烈なエネルギーとして再上昇する。」(集⑥ 同上pp.78-79)
「今は"国家とは何か"ということが問われる非常にいい時期だと思うんです。つまり中越戦争、ベトナム・カンボジア戦争は国境の問題、領土の問題の本質を明らかにしている。つまり我々が昔大学で憲法を習いますと、国家の三大要素は主権者・人民・領土と教えられました。…やはり現代の社会主義の最大の問題は、伝統的な国家概念を一歩も脱していないということなんです。我々が習った国家概念がそのままなんですね。尖閣列島問題じゃないけれども、神聖なる領土とか言っている。神聖なる領土なんて社会主義のどこから出てきますか。ということは、逆に社会主義の中で国家論というのが階級という観点だけからできていて、我々が習ったブルジョア的な国家論‥に対して単純に国家死滅論というものが信仰されたために、その問題の重みというものが本当に反省されなかった。
 ところで、領土というのは実に深刻な問題ですね。私は日本というのは将来こんな狭いところにこういう国家観念がある間はもう浮かぶ瀬ないと思うな。つまり領土とか、そういう観念をなくしていく以外ないんですよ。領土というのはどこに線をひっぱるかということでしょ。パスカルが言っているように、「この線の向こうで人を殺せば英雄になるし、こっちで殺せば殺人になる」と。変なものですよね、実にこれは。だけど、領土というのはそういう重みをもったものなんです。領土とは主権がおよぶ範囲です。ですから、国家主権によって我々は保護されているわけです。金大中事件というのはまさに国家主権の侵害でしょ。私が日本の右翼が如何にインチキかと思うのは、真っ先に怒るべきなのは金大中事件なんですよ。だって首都の真中で国家主権の侵害がなされたということに対して全然怒らないで、日本の右翼というのは元号とかなんとか言っているわけですよ。いかに本当の意味で国家観念がないか、といえる。‥左翼は逆に国家観念というものを定義し直さなければならない。そういう意味で私はやはりゆるいかもしれないけれども、ヴァンガード[前衛、先駆者]として新憲法でもって新しい-つまり武装しない国家というのは、はじめてですからね-国家の定義をくださないと、日本は国家ではないことになってしまう。「諸国家の公正と信義に信頼して、日本の国の独立を保持する」なんていうのは、伝統的国家概念から絶対に出てこないです。みんな武装をして自分の国の独立を保持しているんですから。だから、そういう意味で日本はヴァンガードたらざるを得ないんですね。中国もソ連もでっかい国でね、それがアンシャン・レジーム[旧体制]から継承した領土を何の矛盾もなく自分の領土としているでしょ。どうしてこれが革命的と言えますか。ちゃんちゃらおかしいって言いたいんだな、私に言わせれば。全く伝統的な国家概念を継承しているんです。領土は御先祖様からもらっている。ちょうど親の遺産をそっくりもらって、それを湯水のように使いながら社会主義者になっているのとよく似ているんです。だから国家というのはそれだけ現在の問題的存在なんですね。」(手帖12 「慶應義塾大学 内山秀夫研究会特別ゼミナール 第二回(下)」1979.6.2.pp.13-14)
「「主権」という言葉はきわめて多義的に用いられてきましたので、‥つぎの点だけをはっきりさせておきます。それは国家内の主権‥と国家の主権‥との区別ということです。国家内の主権とはいわゆる人民主権とか君主主権とか国会主権とかいうような、国家における最高権力-憲法制定権力ともいわれます-の所在の問題です。これにたいして国家の主権というのは一つの国家が一定の領域内で他の諸国家から完全に独立した自主的な統治権をもち、諸外国と対等の条約締結その他の外交関係をむすぶ権利のことです。といっても歴史的に見ると、主権概念はもともと十六、七世紀絶対主義の発展期に、中世の教会とか封建領主とか自治都市とかにたいする論争的概念として成立し、フランス革命前後の国民国家の形成期にも、右の二つの意味合いはからみ合って発展して来たのですが、近代国家論では、概念整理の必要上、この両者の意味を区別することが常識になりました。‥ここで「主権国家」というのはむろん後者の意味-つまり国家の対外的主権性を示す意味で用いております。こうした主権国家を平等の構成員とする国際社会が一つの「システム」をなすと考えられるのは、もと「キリスト教的共同体」という普遍社会をなして来た西欧が、近代になってそれぞれ主権をもった領域国家に分裂し、その大小の国家が国家平等原理の下に、国際法(自然法もふくめた)という共通の規範の承認の下に立って外交関係をとり結んできた由来があるからです。戦争もまた外交の一つの表現であり、まさにクラウゼヴィッツの有名な定義のように「他の手段をもってする政治の継続」と考えられてきました。狭い意味では国際政治上の勢力均衡原理(バランス・オヴ・パワー)も西欧的国家体系を構成する要因です。」(集⑭ 「「文明論之概略」を読む(中・下)」1986.pp.279-280)
「「国家理性」の問題、レゾン・デタというのは中国語に訳しにくいけれど、消去法的に言うよりほかないんですね。「国家理性」という概念が出てくるのは絶対主義時代のマキャベリ以後ですけれど、個人のモラルと国家のモラルとは違う。国家が国際関係のパワー・ポリティックスの中で行動する時には、そんなきれいごとを言っていられないという面がある、「マキャベリズム」という言葉が出てくるように、国際権力政治の中で国家の存立を全うしていくという問題。これは個人関係にない問題。そこから出てくる問題が国家理性の問題なんです。実際には絶対主義の時代から出てくるわけです。実際には絶対君主の利害と違った国家の利害とか国家の必要とか、英語ではずっと遅れるけれど、ナショナル・インタレストという言葉が、「国家理性」の問題なんです。絶対君主の利害とか王朝の利害とか…から分離された国家の必要、国家の存立というものが支配階級の存在と区別されて意識される時に初めて、「国家理性」の問題が出てくる。マイネッケの本(『近代史における国家理性の理念』)がそういう趣旨でずっと書かれています。
 ぼくが戦争中にマイネッケを読んで一番面白かったところは、最後の「国家理性の堕落」のところなんです。彼に言わせれば、ビスマルク時代のドイツが健康な国家理性があった最後なんですね。第一次大戦直前のドイツがビスマルクとビスマルク時代のドイツと対比されているわけです。ヴィルヘルム二世やベートマン=ホルヴェークとか、そういう連中になると、国際関係に対する冷徹な見通しの上に立って、その中でドイツがどうやって生きるかという問題じゃなくなって、国民の間に興った狂熱的な愛国心に引きずられちゃうんですね。彼はミリタリズムと資本主義と技術革新だったかな、三つぐらいを国家理性堕落の原因に挙げていますけれど。もちろん為政者の無能というのがあるんだけれど、自分で見通しを持たないでズルズルベッタリに状況に引きずられちゃって、特に、いまの言葉で言えば、情報社会化すると、国民の間に排外的な狂熱的な愛国心的な感情が高まって、為政者がコントロールできなくなっちゃう‥。ズルズルベッタリに破局にいくんですね。それをマイネッケは「国家理性の堕落」と呼んでいて、結章にしているんですね。国家理性の中にマキャベリズムにいく危険な要素もあるけれども、健全な時には権力の自己抑制の意識がいつも働いている。それが失われていく。それが、戦時中に読んでいて、我が身につまされるようだったんです。」(『手帖』61 「丸山眞男先生を囲む会(上)」1991.8.4.pp.8-9)
「僕は、国家という言葉を使わないんだ。ポリティカル・コミュニティー、政治的統一体と言っている。国家というのは歴史的産物だから。政治的統一体をつくる可能性がなければいけない。政治的統一体というのは、広すぎてもいけないし、狭すぎてもいけない。広すぎるのが、現在で言うと、ソ連と中国とアメリカだと思いますね。適正規模を越えているんだな、政治的統一体の。これは必ず一種のユニオンになる。ソ連は本来、ユニオン・オブ・ソヴィエト・ソーシャリスト・リパブリックスだったんだけれども、米ソの対立、あるいは資本主義国との対立という大きな流れの中で、ユニオンというのが、どこかへ吹っ飛んじゃったわけです。だけど、本来はユニオンです。ロシアがいちばん威張っているけれども、今また、ユニオンに戻りつつある。アメリカはユナイテッド・ステイツだけれど、これも、どうなるか分からない。ステイツごとに分裂するということは、もうないけれど、大きすぎるから、どうなるか。中国は、例えば、チベットとか、台湾は、また別の理由だけれど、少なくも自治領にしないと、どうにもならないんじゃないですか。…
 歴史的に言うと、主権国家というのは、大体、一九世紀です。ドイツとイタリーだと一九世紀の中頃でしょ。ドイツの統一が一八七〇年、イタリーが六〇年前後でしょ。だから新しいんですよ、主権国家というのは。いかにも昔からあるように思っているけれど、つい一世紀かそこらでしょ。これが永久の世界秩序単位になるということ自身が妄想です。現在のあれが強いから、国家、国家と言っているんですけれど、実際は、かなり破綻している。第一に経済の面で破綻しているけれど、他の領域でも出てくると思います。…
 政治的統一体の基礎に非常に大事なことは、最低限の文化的共通性、最低限の教育の普及、それから、宗教的寛容です。」(手帖42 「丸山眞男先生を囲む会(下)」1993.7.31.pp.28-30)
「思想的に言うと、ジャン・ボダンの主権論からはじまるんですけれど、スヴレンテ‥から主権という言葉が生まれた。それまでは中世のヨーロッパの文献をいくら探しても、主権という言葉はないんです。イギリスでみますと、ジョン・ロック以後も、イギリスの政治学の文献に主権という言葉はほとんど現れない。イギリスが世界帝国になるでしょ。すると主権国家と言わないで済むんです。主権ということをどこが言ったかというと、ヨーロッパオ大陸国家、特にフランスですね。イギリスに対抗するために主権国家だということをいちばん強く言った。その伝統は今日もあります。もう一つは、フランス革命が画期的な意味を持っている。人民の国家になったということと、主権国家ということは、同義的、今日の意味では。しかし主権概念の成立はもう少し前です。フランスで言うと、だいたいルイ王朝。それまでは統一国家というものじゃないわけです。領土と人民を持った貴族がいるでしょ。そういうのは主権国家と言わない。
 江戸時代の日本は主権国家じゃない。つまり、藩があるでしょ。例えば江戸幕府は主権政府ではないんです。だから人民に税を課せられない。江戸幕府はあんなに強い権限を持っているけれど、直接人民に税を課す権力はないんです。‥幕府は全国から税を取れないわけです。一地方政権なんです。戦国時代の徳川政権という一地方政権が全国を政治的に制覇したというのが、江戸時代。大名にさえ税を課せられない。‥近代国家というのは、そういう藩、独立国家をつぶしちゃって、統一国家にする。そこで明治維新以後を近代国家と言う。その時いちばん上にいる政府が、日本国全体についての主権を持っている。」(手帖54 「「アムネスティ・インタナショナル日本」メンバーとの対話」1993.10.20.pp.8-9)
「〔1930年代になると〕ラスキがマルクス主義に転向しちゃうし、ファシズムとの対立になっちゃったわけです、世界的に。国際的緊張が激化すると、多元論というのはダメなんですよ。敵と味方になるんだな。多元的国家論、あるいは、政治的多元論とも言いますが、それが何も根付かないうちにファシズムの時代になってしまった。…実際はこれからなんですね。ソ連が崩壊して、階級国家観だけじゃなくて、社会集団の自立性をもっと認めた多元的な国家論。労働組合もあるけれど、学校とか、企業体とか、いろいろな社会集団、そのフェデレーション、連立として、国家を認める。したがって国家は他の社会集団の機能には深く干渉しない。いま、それ以外にないんです。それでまた見直されてきた。」(手帖66 「「丸山眞男先生を囲む会」最後の記録」1995.8.13.pp.3-4)
 「国家権力を制限するには二つ方向があって、国家内の社会団体の自主性を強くすること。それから、そういう社会団体が国家を経ないでグローバルに結びつく。NGO、例えばアムネスティとか。ああいうのがどんどん出て来る。内からと外からと、両方から国家主権が制限されていく。だからどうしても、国連の改組にいくんです。ぼくに言わせれば、国連という名前もダメなんです。ユナイテッド・ネイションズでしょ。ネイション(国家)の集まりなんです。地球組織とは言えないんだな。それが矛盾なんです。バルカン問題とかに無力なんです。軍事の問題だけじゃなんだけれど、結局、軍事になっちゃう。そうすると国連の名においてと言いながら、実際は強国の利害ということになっちゃう。ロシアも相変わらず大きな力を持っていますけれど、主にアメリカとイギリスとフランスでしょ。ある意味で古いんです、国家主権にこだわるという点で。」(手帖66 同上p.5)
 「国家主権に対する批判がヨーロッパで一番強くて、ヨーロッパ連合に一番熱心なのは、ドイツです。…むしろ国家主権を制限するという連帯意識が。それと自己批判、ワイツゼッカーみたいな。フランスはどうにもしようがないですね。核実験だけじゃなくて、フランスはやっかいなんだ。あれは本物のナショナリズムです。…フランスは本家本元のナショナリズム、あれはフランス革命の時に生まれた。だから、Allons entants de la Partie「行け祖国の子らよ」でしょ。「パトリ」、祖国という言葉は、フランス革命の時に生まれた。日本のナショナリズムと違うのは、Aux armes, citoyens「武器を取れ、市民よ」でしょ。ナショナリズムの担い手が市民なんですね。それは日本のナショナリズムにはない。日本の場合は国家になっちゃったから。そこはさすがです。「ナシオン」(nation)も元祖だから。こういう時代になって一番始末が悪いのはフランスです。
 (しかも自分の文化に対する自信というか、という発言に応じて)そうそう、両方ある。文化だったら中国、中華主義が強いですけれど。中国のほうは、軍じゃないんですよ。中国はオレの文化が世界一だと思っている。中国は文化主義だけれど、フランスは両方なんだな。アメリカのナショナリズムは戦後ですからね。ソ連に対抗するナショナリズム。由来から言うと、アメリカはユナイテッド・ステイツですから。中央の国家権力を強くすることに絶えず抵抗があるんですね。それは州が抵抗するだけじゃなくて、いろいろな団体が、ワシントンの力が強くなることに対して非常な抵抗がある。日本のビジネスとの一番の違いですね。ビジネスが政府に対して批判性がある。日本のビジネスは政府に仕立てられて発達しているでしょう。だから、日本の場合には、ビジネスが政府に非常に弱い。」(手帖66 同上pp.5-6)