大衆デモクラシー

2016.4.23.

「彼(福沢)が文明を「人の智徳の進歩」と簡潔に定義した際においても、その智徳の担い手となるものは少数の学者や政治家ではなくてどこまでも人民大衆であった。彼が…歴史の原動力が…時代の「気風」にあることを力説し(た)…と言うのも、彼が精神をどこまでも客観的精神乃至社会意識として理解していたことを示している。…その社会意識としての「気風」の進化は何によって促されるのであろうか。…固定的な社会関係が破れて人間相互の交渉様式がますます多面化することが社会的価値の分散を促し、価値基準が流動化するに従って精神の主体性はいよいよ強靱となるとするならば、社会的交通(人間交際)の頻繁化こそが爾余(じよ)の一切の変化の原動力にほかならない。かくて、近代西洋文明の優越の基礎も究極においては、この交通形態の発展に基くということになる。…この点において福沢の関心を最も惹き付けたのは当然に十九世紀初頭の産業革命であった。…こうした新しい交通形態の発展はまさしく「人類肉体の禍福のみならず其内部の精神を動かして智徳の有様をも一変したもの」といわざるをえない。…福沢によれば、今日まで支配的な政治形態はすでに現在の交通・技術の発展に照応しなくなっている。…この様な政治形態と交通技術の発展との間に存在するギャップのうちにこそ福沢は十九世紀以降における諸々の社会的闘争の発生原因を見た。…こうして福沢は交通技術の飛躍的発展が人民相互を精神的物質的にも未曾有の緊密な相互依存関係に置いたことによって、いまや政治の舞台における厖大な「大衆」の登場が不可避的となったゆえんをすでに明治十五、六年の頃驚くべき鋭利な眼光で洞察したのであった。」(集③ 「福沢諭吉の哲学」1947.9.pp.192-195)
「近代国家を理念的な純粋な型で捉えてみると、ここでは統治者が特別の権威を飾る道具を一切用いず、もっぱら法の執行者として実質的価値と一応無関係に、法の形式的妥当性の基礎上に政治的支配が行われるのを建て前とする。そこでは権力はもっぱら法的権力として現われ、従って初めから内面性に属する領域への侵入は断念している。ここでは思想、学問、宗教の自由といういわゆる「私的自治の原理」が承認される。何が真理か、何が正義かはこの私的自治の領域に属する諸問題であり、国家権力の決定すべきものではないとされる。かくて法とか政治はもっぱら外部的なもののみにかかわり、宗教とか思想はもっぱら内部的なもののみにかかわるというのが近代国家の少くとも本来の建て前なのである。
 ところがこういう近代国家の建て前は、いわゆる立憲国家の段階においては妥当するが十九世紀中葉以後マッス・デモクラシーが登場してくると、再び変貌しはじめた。「大衆」というものがあらゆる領域において登場してきた。…十九世紀以後に、通信機関、交通機関が非常に発達して、それによって報道機関とか、映画とか、一つの観念あるいは思想を伝達する手段が厖大になり、この通信、交通機関の発達と、大衆の大規模の登場という条件が、再び現代において新たなるマイランダ(丸山:被治者に治者あるいは指導者に対する崇拝・憧憬を呼び起すもの。(例)国家の行う儀式、祝祭日、国旗)を生ぜしめてきたのである(丸山:(例)大広場での集会、デモンストレーション)。…こうして近代国家によって一旦分離された、外面と内面・公的なものと私的なもの・法的=政治的なものと文化的なものとが再び区別ができなくなってくる。…かくて古典的意味における思想、信仰の自由は日に日に狭められつつあると言ってよい。現代の自由主義というものは新聞、ラジオ、映画等の宣伝機関を縦横に駆使することによって、その誕生期-ロックの時代とまったく相貌を変じているのである。昔の自由主義は私的な自由を確保するために、どうしても必要な限りで政治的なものをミニマムに許容した。ところがそれは今日では遙かに積極的な意味をもち西欧文明全体の擁護者として立ち現われている。しかもそれ自身巨大な政治的力として、自己に敵対する原理に対して、世界的な規模において自己を組織化しつつあるのである。従ってそこにおける被治者も昔のように「自然」的な自由というものは享受していない。やはり巨大なイデオロギー闘争に、その全生活をあげて巻き込まれていると言ってよい。ここに近代国家における人格的な内面性と言われたものの危機が叫ばれるゆえんがある。」(集③ 「人間と政治」1948.2.pp.216-219)
 「このような洪水のような宣伝網の中にあって、ほんとうに自由に自主的に考えるということは口で言うよりも遙かに困難で、われわれが自主的に判断していると思っても、実は自己欺瞞であることが少くない。われわれは表面からくる宣伝には敏感になっているが、最も巧妙な宣伝というのは決して正面からは宣伝しない。…そういうふうにしてわれわれの「輿論」が、日々、新聞・ラジオによって養われていく。このような無意識的に潜在している心的傾向を利用する宣伝からわれわれの自主的判断を守ることは非常に困難である。」(集③ 同上pp.220-221)
 「権力が駆使する技術的手段が大であればあるだけそれが人格的統一性を解体してこれを単にメカニズムの機能化する危険性もまた増大する。権力に対するオプティミズムは人間に対するオプティミズムより何倍か危険である。しかしながら同時にわれわれは古典的な近代国家におけるように私的内面的なものと公的外部的なものとを劃然と分離しうる時代には既に生きていないという現実から眼を蔽ってはならない。…従って今日は内面性に依拠する立場自体が、好ましからざる政治的組織化に対抗して自主性を守り抜くがためには必然的にまた自己を政治的に組織化しなければならぬというパラドックスに当面している。…もしこの煉獄を恐れて、あらゆる政治的動向から無差別に逃れようとすれば、却って最悪の政治的支配を自らの頭上に招く結果となろう。」(集③ 同上pp.221-222)
「現代というのはつまりマスデモクラシーの時代ですね。‥現在の政治の納得させる仕方は、大規模な技術的手段を通じて、といふのはラヂオとか映画とか、街頭の拡声器とか或は新聞といつた様な伝達手段を通じて、民衆を大量的につかまへようとするわけです。益々コミュニケーションが発達してきますと、人間が昔のやうに、個人的に判断し決断するといふことがだんだん困難になる。いろいろ巧妙な手段での政治的宣伝がラヂオや新聞を通じてばらまかれる。十九世紀末までは、なんといつても人間相互の生活の間に空間がありましたから、個別的判断による納得を通じて政治を行はないと人民が動かないといふ要素が却つてあつたけれども、現在では一挙に、大量的に民衆の心理をつかまへうるし、これから益々デモンストレーションとか、さういつた大衆を大量的に動員する方法が発達して来ますから、納得による政治といふのも、ロックが考へたやうな意味でのラショナルなものではなくなつて来るわけです。…
 …やつぱり機械文明の発展と共にどうしても人間の生活様式(デイリイ・ライフ)がだんだん画一化されてくるといふ傾向があるんぢやないか。例へば社会的事件についての価値判断にしてもインフォメーションを得る源泉がますます限定されるわけです。有名な新聞をみな読むわけですね。判断の基礎になるファクターが似てゐますからどうしてもだいたい似たやうな思考様式になつて行くわけです。明白に宣伝の形であらはれて来るものに対しては一応警戒しますけれども、事実として提供されたものに既にある選択が加へられてゐるとなると、それを看破することは容易でない。かういふ隠れた宣伝によつて気のつかないうちにある特定のものの考へ方を無批判的に受取つてしまう。これがむしろ現代デモクラシーの危険なんぢやないか‥。」(手帳52 「歴史と政治」1949.6.pp.10-11)
「二十世紀になってから、とくにコミュニケーション(通信、報道、交通手段)の発達に従い、ラジオ、通信網、拡声機などの利用によって、政府と民衆が相互の意志を敏速に表明し、伝達する事が出来るようになって来た。治者と被治者が媒介者を要せず直接に対話する形になったため、民衆は自分達の代表者を選んで議会に送り、凡ての問題をそれ等代表の討議によって決めるという間接的な方法だけではまどろしくなって来た。議会は民衆が自分の政治的意志を直接に表明するテクニックや機会を持たなかった時代に、直接民主政のいわば止むをえぬ代用品だったという事になる。…デモや屋外集会等が政治を動かしていっている現実において、こうした民衆の政治意欲をたった一つの議会という煙突から発散させるだけでやってゆけるか?
 現代ではもはや"議会政治一本でなければならぬ、議会外の力は凡て暴力である"という見方は、歴史の必然として登場して来た労働者階級の政治的エネルギーをいたずらに圧迫して、却(かえ)ってこれを非合理的な形で爆発させる危険がある。むしろそうしたエネルギーを合理的に表現するルートをいろいろ設けること、その意味で新しい政治機構が考え出されねばならないと思う。
 僕は議会政治を否定するのではない。議会は今後も大きな役割を果してゆくと思うが、議会外の大衆行動をすべて暴力とみなして圧迫するやり方では今後の事態は乗り切れないと思う。議会と並んでもっと職場と結びついた合議機関を考えると同時に、直接民主政的なテクニックをとり入れてゆくことが望ましい。‥例えばアメリカ・デモクラシーにおけるプレッシャー・グループ‥の役割などが参考になると思う。…大統領制とか、行政権・司法権に対する民衆のコントロールとかはアメリカ民主主義の特色で、二十世紀の民主主義の形態を暗示している。
 行政が専門化し技術化している時代では、代議士だけではコントロールしてゆく事は難しい。執行権の集中は世界的傾向だから、議会が執行権を統制できなければ、議会政治とは名のみで、実質的には官僚政治になってしまう。特に日本では代議士の質が悪いから、その弊害は一層いちじるしい。大きな執行権をにぎった官僚が権力を濫用しないように、人民が直接官僚をコントロールしてゆく新しい形が考えられねばならない。」(集⑯ 「"社会不安"の解剖」1949.8.pp.4-6)
「ファシズムの歴史的な本質、或はその出現する色々な具体的な社会的、思想的な条件といったようなものについて十分の予備知識をもっていてはじめてファシズムの台頭を防ぐことが出来ると思うのであります。
ファシズムというのは20世紀に現れた国際的現象であり、決して一つの国だけに起った現象ではありません。第一次大戦以後の世界的な現象であります。…歴史的に分析してみると、大体ファシズムというものに共通する一般の性格が抽出されて来るわけであります。…
 まず第一には、ファシズムというのは独占段階における世界資本主義の危機に現れる現象だということであります。資本主義が独占化の段階にまで成熟していないとファシズムは起らない…。第一次大戦後世界資本主義を襲った経済的政治的危機、その集中的表現としての世界恐慌-これがファシズムの発生する第一の条件であります。…
 第二の条件は第一の条件に関連するけれども、国際的な対立が非常に激化するということ‥であります。それが‥排外的、ショーヴィニズム的な空気をみなぎらせる、ということです。
 第三の条件としては、こういうように国際的な対立が激化しまた国内的にも恐慌による経済危機の嵐が吹きすさんでいるのに、それに対応するだけの強力な政治力がその国に欠けているということ、そういう危機を乗切るだけのかんじんの政治力が麻痺しているということが一つの条件であります。…  それから第四の条件は、上の様な情勢の緊迫によって、一方においてプロレタリアートが非常に政治的に急進化しながら、しかも他方においてプロレタリアートの組織勢力が内部的に分裂しているということであります。これがファシズムの制覇する重要な基盤であります。…
 次に第五の条件は中産階級の広汎な没落であります。…」(別集① 「ファシズムの歴史的分析」1949.12. pp.360-372)
 「以上は主としてファシズムを台頭させる社会的経済的な基盤をのべたわけですが、それと共にわれわれはファシズム発生の思想的な地盤、精神的な条件というものをどうしても無視することは出来ないのであります。…
 まず第一に、こういうファシズムの精神的条件として敗戦国もしくは戦勝国でも、戦争の結果の期待を裏切られた国、そうした国における国民的なプライドから生まれる屈辱感、これが一つの大きなファシズム台頭の基盤であります。…
 それから第二に、この経済的な窮乏と社会的混乱から生れるところの絶望的なニヒリスティックな気分、あらゆる秩序とか組織とか約束とかそうした既成の束縛というものを一さいぶち破りたいという衝動、あるいはこの既成の学問とか芸術とか道徳とかの文化価値への絶望、そういうニヒリズムの信条がファシズムを培養する。そこから生れるのはまず積極的には盲目的な行動主義です。何でもいいから行動する、目的意識によって行動するのでなく盲目的に何でもいいから暴れていると精神が爽快になるといった気分、何のためという合理的な目的もなく、ただ何かにぶつかり、何かをぶちこわせばいいという焦燥感であります。…
 更に、消極的にはこういうニヒリズムからは全くの政治的無関心、あるいは政治的無差別観が生れます。どうでもなれというなげやりの気持、どれがいいどれが悪いということでなく政党なんてものはどれもみんな同じだという政治的な絶望感は、結局受動的にすべてのものを受入れて行くという態度になるわけであります。…いいとか悪いとかの区別は出来なくなる、つまり批判的な精神が失われる。批判するというのはやはり一定の規準がなければ出来ない。…
 更に第三には、第一、第二と関連して生れて来る劣敗者心理あるいは社会的孤独感という事を考えなければならない。inferiority complex、自分が劣敗者であるという意識、しかも劣敗者であるという意識があるだけに、それから何とかして逃れたいと思う意識が逆説的に独裁的な英雄や強権を崇拝する気持になるのであります。…」(『別集』① 同上pp.372-378)
 「さて次にはファシズムの‥歴史的な発展法則について述べて見ましょう。世界的にはファシズムというのは必ず一定の発展の法則というものをもっている。
 まず第一には、‥失意感をもち、エネルギーの捌け口に困っている大衆を組織化して戦闘的な軍隊的編成をもった政党を作る。これが第一段階であります。…
 第二段階が漸次サラリーマン、官吏、学生層、小企業主、小地主といったこういう比較的広い中間層に組織をひろげ、ある程度まで未組織の労働者階級やインテリ層の支持をも獲得して行く段階であります。…
 従ってこうした初期の段階においてはファシズム運動は一方においては勿論猛烈な反共産主義、反マルクス主義を標榜するわけでありますが、他方において資本主義とくに金融資本家や大地主に対しても、中産階級を没落させるという故を以て反民族的、反国家敵であるとして、猛烈に攻撃する。…
 ところがファッショ政党が勢力を得るに比例してこういう社会主義綱領が影が薄くなって来る、というのがまたファシズムの共通の性格です。残るものは国民の経済生活の全面的な国家的統制、強力な賃金統制と自主的労働組合の解体を伴ったような国家統制、これがいわゆるファシズムのいう「社会主義」なるものの実態になってしまいます。それに代ってもっとも強調されるのは何かといえば、いわゆる国家或いは民族の階級に対する優越、階級より国家の方が上であるという全体主義です。更に権威主義或は指導者原理という名において、あらゆる社会部面における下からの民主的なコントロールが廃止され、反対政党は全部抑圧され、議会は形骸化され、経営の内部にも労働者階級の一切の闘争手段が禁圧され、御用組合が編成されます。そうして、対外的には、自民族の世界的優越、あるいは特殊の他民族に対する憎悪が煽られる、こういう面が最後まで残り、また実現されるところのスローガンであります。」(別集① 同上pp.378-380)
「私達が現在当面する最も大きな矛盾(は)‥政治権力の及ぶ範囲が横にも縦にも未曾有の規模で拡大し、国民の日常生活が根本的に政治の動向によって左右されるようになった時代において、かえってますます多くの人が政治的な問題に対して積極的関心を失い、政治的態度がますます受動的、無批判的になり、総じて政治的世界からの逃避の傾向が増大しつつあるといういたましいパラドックスです。民主主義が抽象的政治理念としては世界中でゆるぎない正当性を認められるようになった時代において、民主主義の当の担い手である一般民衆が、政治的無関心と冷淡さを増して行くという事態は何としても驚くべき現象ではありませんか。
 …民衆が政治をもっぱら上から、或は外から与えられた環境として宿命的に受取り、みずからの生活を向上させるために、自分達の力で変えて行くべき条件というふうには考えない長い習慣が滲み込んでいる日本のような国と、民衆が革命というような大変革を自力でなしとげて、よろめき、つまずきながらも、政治的権利を血と汗とで獲得して行った西欧諸国とでは、自からその点に少からぬ差異があるでしょう。政治的無関心が権力の濫用や腐敗を生み、それがまた逆に国民の政治に対する嫌悪と絶望をかきたてるという悪循環は、一般に民主主義の伝統の浅いところほど甚しいにちがいありません。」(集⑤ 「政治の世界」1952.3.pp.181-183)
 「私達は「政治化」が進めば進むほど大衆の「非政治化」が顕著になるという矛盾が、いかに現代文明の本質に根ざしているかということをためらわずに認識して、そこから将来の打開の方向を真剣に考えて行かなければならないのです。
 「政治」の領域の未曾有の拡大および滲透をもたらした根本的な動力が生産力および技術・交通手段の飛躍的な発展であった‥が、それと逆行する大衆の非政治的受動的態度をはぐくむ地盤も実はやはり現代のいわゆる機械文明にあるのです。現代を機械文明とか機械時代とかいうゆえんは‥社会そのものの組織がますます機械化され、人間があたかも機械の部分品のようになって行く根本的傾向を指していうわけです。…現代の人間は昔のように家族とか部落とかいった「自発的」集団に全存在をあげて包まれているのではなく、むしろ、多数の目的団体に同時的に所属しておりますから、現代社会の「機械化」とともに、人間は四方八方からの部分品化の要請に適応するために、その人格的な統一性を無残に引き裂かれ解体される運命にあります。  …こうして人格的な全体性を解体され部分品と化した人間に、どうして社会や政治の全般を見渡す識見と自主的判断が期待されるでしょうか。…新聞・ラジオ・テレビといった報道手段は‥いろいろの仕方で大衆の非政治化に拍車をかけています。マス・コミュの恐るべき役割は積極的に一つのイデオロギーを注入することよりも、寧ろこうして大衆生活を受動化し、批判力を麻痺させる点にあるといえましょう。…
こうして多忙な生活に追いまくられる現代人は職場において「部分人」となるだけでなく、家庭へ帰っても、大量的報道手段‥の圧倒的な影響下にさらされて、自発的な思考力を麻痺させられてしまいます。…現代文明は実にこのように、独自の個性と人格的統一性を喪失して、生活も判断も趣味、嗜好も劃一的類型的となりつつある夥(おびただ)しい「砂のような大衆」を不断に産み出しているのです。
 現代民主政治がこうした原子的に解体された大衆の行使する投票権に依存しているところに、形式的な民主主義の地盤の上に実質的な独裁政が成立するゆえんがあります。大衆が日常的に政治的発言と討議をする暇と場所がなくなればなくなるほど、彼の政治的関心は非日常的、突発的となります。それだけに彼は容易に新聞の大見出しに興奮し、巷間のデマに忽ちまどわされます。…「砂のような大衆」は社会的実体として存在するというよりは、むしろ現代社会の人間が身分地位教養の如何を問わず持つところの或る行動様式(ビヘイビア)であり、資本主義の高度化はこうした行動様式をますます普遍化しつつあるということが出来ましょう。…
 民主主義を現実的に機能させるためには、なによりも何年に一度かの投票が民衆の政治的発言のほとんど唯一の場であるというような現状を根本的に改めて、もっと、民衆の日常生活のなかで、政治的社会的な問題が討議されるような場が与えられねばなりません。‥民間の自主的な組織が活潑に活動することによって、そうした民意のルートが多様に形成されることがなにより大事なことです。」(集⑤ 同上pp.185-190)
「反革命のための強制的同質化というファシズムの機能が戦後自由民主主義の仮面の下に現われるときに、どういう形をとるか…。アメリカのように本来の自由主義の原則が長く根をおろしていたところでさえ、自由を守るために自由を制限するという考え方は現在の客観情勢の下ではズルズルとファシズム的な同質化の論理に転化する危険があるとするならば、わが日本のような、自由の伝統どころか、人権や自由の抑圧の伝統をもっている国においては、右のようなもっともらしい考えの危険性がどれほど大きいか…。」(集⑤ 「ファシズムの現代的状況」1953.4.p.312)
 「政治的デモクラシーの進展と経済的寡頭制によって引き裂かれた近代社会の矛盾は、結局デモクラシーの理想を経済組織にまで及ぼすか、それとも、いっそ政治の面でもデモクラシーを切り捨ててしまうかしなければ、縫い合せられないのですが、その後の方のやり方がとりもなおさずファシズムの途にほかなりません。
 しかし実は政治的デモクラシーの方にも問題があるので、近代の議会政治という仕組自体の中からも執行権の集中や指導者主義の傾向が出て来ており、議会政治を動かす政党の内部がまた中央執行部と「陣笠」とのピラミッド的なひらきが大きくなりつつある…。この近代デモクラシーを支えている国民の日常的な生活環境自体が先に述べた「マス」化を促進するあらゆる条件を具えている…。つまり近代生活の専門的分化と機械化は人間をますます精神的に片輪にし、それだけ政治社会問題における無関心ないし無批判性が増大します。…
さらに現代生活において国民大衆の政治的自発性の減退と思考の画一化をもたらす大きな動力があります。それはいうまでもなくマス・コミュニケーションの発達によるわれわれの知性の断片化・細分化であります。…全く無関連な印象を次々と短時間に押しつけられると、一つの事柄について持続的に思考するというようなものは段々減退して刹那々々に外部からの感覚的刺激に受動的に反応することだけに神経をつかってしまう。ある事件や事柄の歴史的社会的な意味というようなことはますます念頭から消えて行くのです。こういう知性のコマギレ化に並行して、思考なり選択なりの画一化が進行します。…
 こういうようにファシズムの強制的同質化を準備する素地は近代社会なり近代文明なりの諸条件や傾向のなかに内在しているものであって、それだけに根が深いといわなければなりません。これに抵抗するためには、国民の政治的社会的な自発性を不断に喚起するような仕組と方法がどうしても必要で、そのために国民が出来るだけ自主的なグループを作って公共の問題を討議する機会を少しでも多く持つことが大事と思われます。」(集⑤ 同上pp.315-318)
「イギリスはデモクラシーの母国であるといわれますが、大衆に基盤が与えられたのは実は新しいのでありまして、そういう意味で大衆の民主主義ということを基準にすれば、日本はそんなに後進国として卑下するに当らない。それまでのデモクラシーは、いわゆるマス・デモクラシーでなく、工業家と大地主の上層ブルジョアジーに限られていた。いわゆるブルジョアデモクラシーといわれるものであって、‥第一次大戦で初めて男子の完全な普通選挙権と婦人参政権が実現し、これでイギリスでは初めてブルジョアデモクラシーが大衆化した。
 こういう風にマスが大量的に政治の舞台に登場してきたのはきわめて新しい現象です。…デモクラシーの発展が大衆の勃興の原因なのではなくて、むしろ社会の普遍的な現象としての、大衆の勃興というものにリベラルデモクラシーが自分を適応させたといった方がいいのであります。」(集⑥ 「現代文明と政治の動向」1953.12.pp.36-37)
 「大規模な大衆の登場をうながした社会的な要因は、例えば、選挙権がだんだん拡充されて、普通選挙権が布かれるようになったという政治的傾向とは必ずしも同じではない。選挙権の拡大は勿論、大衆の登場にとって非常に大きな意味を持つわけでありますが、そういうことだけが問題ではなく、また、そういうことだけが大衆の登場の社会的原因なのではなくて、例えば近代国家には、義務教育の普及、あるいは通信、報道機関の発達、近代の工業都市の勃興、その工業都市へ農村から人口が集中してくる。こういう社会現象はことごとく大衆の勃興ということの社会的要因になっている。つまりヨリ能率的な生活形態、都会における集団的な生活形態に推移したことによって、一つの観念なり、一つの思想なり、一つの事件というものが、迅速に、殆ど時間的なズレがなく、多数の人に一度に伝達されるようになった。
こういう条件の下に一種の政治的、及び精神的な気圧が発生し、大衆の政治的、社会的圧力が増大してくると、ある一つの観念が急速に多数の人々に伝播され、また、その結果の反応が急速に政治にハネ返ってくる。‥つまり、こういう大衆の登場に伴い、巨大な政治的社会的エネルギー、気圧の発生ということが、その社会が民主化されていると否とに拘わりなく、通信、交通手段の発達とか、義務教育の発展とか、近代都市の勃興といった現象によって、否応なく起ってくるのです。」(集⑥ 同上pp.37-38)
「現代におけるアパシー‥の新しい問題意識が生れたのは第一次大戦以後であり、その直接の動機となったのは西欧におけるブルジョア自由主義と社会主義に共通するオプティミズムの破綻であった。十九世紀の自由主義者は、大衆の政治的受動性と無関心は彼等がおかれた無権利と無機会の状況の反射にすぎないから、選挙権の拡大と教育による啓蒙は「自(おのず)から」彼らの政治的自覚をたかめ、その結果個々の人間は自己の政治的利害にしたがって行動するようになると期待していた。同世紀後半の社会主義者は、自由主義的楽観の甘さとユートピア性を指摘し、個人的利害の観念を階級的利害のそれに、個人意識の問題を階級意識のそれに代えた。けれどもそこに暗々裡に前提されていたのはやはり自由主義的思考の流れにそった合理主義的な利害心理学であり、プロレタリアートの窮乏の増大によって「即自的」階級は自然必然的に「向自的」階級に転化すると考えられた。…しかし現実の事態の発展はこうした素朴な楽観を覆えした。…生活の不安や窮迫は必ずしも「自生的」に大衆の左翼化をもたらさぬこと、むしろ不安と挫折から生れる行動様式は自主的、合理的な組織化への方向ではなくて、しばしば逆に自我の放棄による権威への盲目的な帰依としてあらわれること-これがファシズムの勝利の教えた貴重な教訓であった。ファシズム独裁にたいする大衆的支持は積極的な政治的選択というよりは、むしろ大衆の現実政治にたいする無力感と絶望感の非合理的爆発にもとづくことが分析の結果明らかにされた。第二次大戦後の今日において、社会関係の「政治化」とともに大衆の政治的アパシーが増大するという逆説は依然として、いなますます西欧世界の深刻な課題となっている(日本のような場合には伝統型の無関心と現代型のそれとが重畳して事態は一層複雑である)。」(集⑥ 「政治学事典執筆項目 政治的無関心」1954.5.pp.112-114)
「テクノロジーの飛躍的な発展に裏付けられた大衆デモクラシーの登場は、政治過程への厖大な非合理的情動の噴出をもたらしたので、イデオロギー闘争はこれまでに比べて底辺からの牽引力を急激に増大した。政治的象徴の意義の増大、マス・メディアを通ずる宣伝と煽動の圧倒的な重要性、総じてイデオロギーのデマゴギー化の傾向はその主要な指標にほかならない。第一次大戦前後からとくに顕著になったこうした大衆社会の問題状況に対して、本来大衆の自主的解決をめざすイデオロギーとして登場したブルジョア民主主義や社会主義が敏速な適応を欠き、むしろ超国家主義やファシズムのようにその解放を阻止する諸々のイデオロギーがこの状況を百パーセント利用したということにもまして大きな歴史的アイロニーはなかろう。…民主主義者や社会主義者が‥合理性やヒューマニズムを政治行動の基礎に置き、大衆の能力の可能性に揺るぎない信頼を持つこと自体は当然であり、そこにこそ現代において自由と進歩の見せかけでない代表者たる資格があるのであるが、それが機械時代の精神的状況に対するリアルな洞察に裏づけられない場合には、一方では彼等の依拠する思想や理論自体が大衆にとってシンボル化しつつある現実に対して自己欺瞞に陥ると共に、他方では理論性や体系性において劣るもろもろのイデオロギーのイデオロギーとしての掌握力を過小評価して、それを下部構造の問題に還元し、あるいはたかだか「遅れた意識」の所産として処理しようとする(それが裏返しになると、理論の領域と別個に全く現実政治の戦術上の顧慮から、そうしたイデオロギーや情動を「利用」する態度となって現われる)。政治過程に噴出するもろもろの非合理的要素は、これを無視したり軽蔑したりせず、いわんやこれを合理化することなく、非合理性を非合理性として合理的に観察の対象とすることによって、そのはたらきを可能な最大限にコントロールする途がひらけるのである。」(集⑥ 「ナショナリズム・軍国主義・ファシズム」1957.3.pp.300-302)
「デモクラシーの進展にともなって、従来政治から締め出されていた巨大な大衆が政治に参与することになったわけでありますが、巨大な大衆が政治から締め出されていく度合いが激しければ激しいほど、あるいはその期間が長ければ長いほど、多数の大衆の政治的成熟度は低い。大衆の政治的成熟度が低いと、‥言葉の魔術というものは、益々大きな政治的役割をもちます。つまり、それだけ、理性よりもエモーションというものが政治の中で大きな作用をするということになるわけであります。…言葉の魔術というものが横行するという現象があるとすれば、それは国民大衆に過度の政治的権利を与えすぎた結果ではなくて、ながらく大衆に政治的な権利を与えなかった結果だと私は思います。…
 …デモクラシーの円滑な運転のためには、大衆の政治的な訓練の高さというものが前提になっている。これがあって初めてデモクラシーがよく運転する。しかしながら反面、デモクラシー自身が大衆を訓練していく、ということでもあります。この反面というものを忘れてはならない。つまり、デモクラシー自身が人民の自己訓練の学校だということです。
 大衆運動のゆきすぎというものがもしあるとすれば、それを是正していく道はどういう道か。それは大衆をもっと大衆運動に習熟させる以外にない。つまり、大衆が大衆運動の経験を通じて、自分の経験から、失敗から学んでいくという展望です。そうでなければ権力で押さえつけて大衆を無権利にするという以外には基本的ないき方はない。つまり大衆の自己訓練能力、つまり経験から学んで、自己自身のやり方を修正していく-そういう能力が大衆にあることを認めるか認めないか、これが究極において民主化の価値を認めるか認めないかの分れ目です。つまり現実の大衆を美化するのではなくて、大衆の権利行使、その中でのゆきすぎ、錯誤、混乱、を十分認める。しかしまさにそういう錯誤を通じて大衆が学び成長するプロセスを信じる。そういう過誤自身が大衆を政治的に教育していく意味をもつ。これがつまり、他の政治形態にはないデモクラシーがもつ大きな特色であります。…つまり、民主主義自身が運動でありプロセスであるということ。…その意味でデモクラシー自身が、いわば「過程の哲学」のうえに立っております。」(集⑦ 「政治的判断」1958.7.pp.339-341)
「現在は政治の力が野放図にふくれ上って、多方面に手を伸ばし始め、政治の限界が明確でなくなって来ました。それにつれて政治の動き方も少数の政治家や、政治に対して能動的な人々のいわゆる右とか左とかの運動によってのみ決定されるのではなく、無数の人々の目には見えない気分や雰囲気によって左右されるようになりました。たとえば政治的に全くパッシブな、無関心層の動向は無視してよいのではなく、それどころか政治的無関心層と言われるムードが、まさに政治の方向に大きく作用しているのです。
他方、政治・経済・文化などの相互関連が密接になり、しかもあらゆる面での組織化が進行して来ると、どんな地位にいる人間でも厖大な歯車の一員でしかないという気になってしまいます。我々は国民の一人として政治家は巨大な力をもって何千万の人間の運命を左右出来ると思っていますが、では政治家自身が実際にそういう力の意識を持っているかと言うと、目に見えない無数の牽制を受けて、どうも思うように動けないという実感をもっているというのが本当のようです。客観的には政治が大きな力を持っているにもかかわらず、政治家自身が自分の責任において自由に決断するという感覚を失っています。つまり決定の主体がぼやけて来た。ここに大きな矛盾があり、現代政治の問題点があるのです。
その上、日本においては政治が公的な問題とは無関係に、派閥争いなどの私的な人間関係によって決定される面がとくにひどい。この私的な関係と、政治の領域がキッカリと区分されなくなり、政治が非人格化されたという世界的な傾向とが、日本では変に癒着していよいよ問題が難しくなっているのです。これが現代の政治の様相といえます。」(集⑯ 「私たちは無力だろうか」1960.4.22.pp.12-13)
「現代とはいかなる時代か…。それは‥人間と社会の関係そのものが根本的に倒錯している時代、その意味で倒錯が社会関係のなかにいわば構造化されているような時代ということである。…倒錯した世界に知性と感覚を封じ込められ、逆さのイメージが日常化した人間にとっては、正常なイメージがかえって倒錯と映る。ここでは非常識が常識として通用し、正気は反対に狂気として扱われる。」(集⑨ 「現代における人間と政治」1961.9. pp.12-14)
 「どうしても湧きおこる疑問は、ドイツ国民は、-すくなくも熱狂的な党員以外の、多くの一般ドイツ国民はナチの一二年の支配をどういう気持ちですごして来たのか、その下で次々とおこった度はずれた出来事をどう受けとめて来たのか、ということである。…何故ドイツ人はあの狂気の支配を黙って見すごしたのか、何故あれほど露骨に倒錯した世界の住人として「平気」でありえたのか‥。…「おどかし屋」と世間から思われたくないと思って周囲に適応しているうちに、嘗てならば違和感を覚えた光景にもいつしか慣れ、気がついたときは最初立っていた地点から遠く離れてしまったというのは、ドイツだから起った事なのか、それとも問題はナチのようなドラスティックな過程でさえ、市民の実感にこのように映じたという点にあるのか。…
 ナチの「全体主義革命」はこれまでのべたような「時間」の問題、つまりその過程の急速性という点だけでなく、その市民生活への浸透度の徹底性-生活と文化の頂点から末端にいたる組織化-という点でもあまりに有名である。けれどもこの第二の問題でも、‥それは果して‥私生活の口腔に「政治」というささくれだった異物を押し込まれて柔かい粘膜をひっかきまわされるような感覚だったろうか。…(カール)シュミットは、西ヨーロッパの合理主義の長き伝統に加うるにドイツ人の「抜きがたい」個人主義は十数年の暴圧によって滅ぼされるような生やさしいものではないと揚言する。けれども、ドイツ知識層の日々の精神生活が表面の狂瀾怒濤の下で、静謐な自由を保持したということは、逆にいえば、現代においてはそうした「私的内面性」が、われわれの住んでいる世界を評価する機軸としてはいかに頼りないか、を物語っているわけである。…「抜きがたい個人主義」は、内面性の名において「外部」を、つまり人間関係(社会)をトータルに政治の世界にあけ渡すことによって、外部の世界の選択を自己の責任から解除してしまった。…あの果敢な抵抗者として知られたニーメラー(ルッター教会牧師)さえ、直接自分の畑に火がつくまでは、やはり「内側の住人」であったということであり、‥すべてが少しずつ変っているときに誰も変っていないとするならば、抵抗すべき「端初」の決断も、歴史的連鎖の「結末」の予想も、はじめから「外側」に身を置かないかぎり実は異常に困難だ、ということなのである。しかもはじめから外側にある者は、まさに外側にいることによって、内側の圧倒的多数の人間の実感とは異らざるをえないのだ。…
 ここで第三の問題、同じ世界のなかの異端者の問題が登場する。…内側から外側にはじき出されて行った人間-要するにナチの迫害の直接目標になった人間にとっては、同じ世界はこれまで描かれて来たところとまったく異った光景として現われる。…権力が一方で高壁を築いて異端を封じ込め、他方で境界に近い領域の住人を内側に「徐々に」移動させ、壁との距離を遠ざけるほど、二つの世界のコミュニケーションの可能性は遮断される。そうなれば、壁の外側における出来事は、こちら側の世界にはほとんど衝撃として伝わらない。異端者はたとえ、文字通り強制収容所に集中されなくとも、「自ずから」社会の片隅に身をすりよせて凝集するようになり、それによってまた彼等の全体的な世界像だけでなく、日常的な生活様式や感受性に至るまで、大多数の国民とのひらきがますます大きくなり、孤立化が促進される。ナチ化とは直接的な「暴圧」の拡大というよりは、こうしたサイクルの拡大にほかならなかった。…
 ‥一つは、‥正統の世界の住人のイメージと、異端もしくは精神的に「外側」にいる人びとのイメージとの鋭い分裂、両者の言語不通という問題である。もう一つは‥表層のプロパガンダの世界と、底層で「おのれの安全性のために」これに適応する民衆の生活次元とが、ここでも弁別されているということである。前者が全体主義下の精神状況の縦断面を示すとするならば、後者はいわばその横断面である。…知識層が「私的内面性」にたてこもったと同様に、大衆は大衆なりの日々の生活と生活感覚を保持した。それが保持されているという実感があればこそ、異端者あるいは外部からの「イデオロギー」的批判が彼等の耳に届いたとしても、それは平地(!)に波乱を起し、徒(いたず)らに事を好むかのような違和感を生んだのである。…
 恐慌のなかから誕生したナチズムの支配でさえ、民衆の日常的な生活実感には昨日と今日の光景がそれほど変って見えなかったとすれば、繁栄の時代のマッカーシイ旋風はなおさらである。だからといってここでの顕在的潜在的異端者にとって、それがナチより住みよい世界だったとは一概にいえないし、彼等が憎悪と不信、恐怖と猜疑にとりまかれている程度がヨリ少なかったわけでもない。「自由だと思ってい」る圧倒的多数の-したがって同調の自覚さえない同調者の-イメージの広く深いひろがりのなかで、異端者の孤立感はむしろヨリ大きいとさえいえるのである。…
 「世の中」イメージは、マス・コミも含めた意味での「上から」のいわば目的意識的な方向づけと、ひとびとの「自我」がいわば自主的につくり出す「疑似環境」(リップマン)との複雑な相互作用による化合物にほかならない。そうして周囲の「世の中」の変化について、それがかつてありし姿と倒錯するまでに至っても気付かないという悲劇または喜劇の進行には、そうした「自我」したがってまた「自己の利害(セルフ・インタレスト)」の現代的構造が無視できない役割を演じているのである。…
 カール・シュミットのいう「私的内面性への引退」がドイツの思想的伝統に属することは疑いない。が私達はそれを「縦から」だけでなく、同時に「横に」、つまり国際的に共通するある精神状況のドイツ的ヴァリエーションとして見る眼をもたなければならない。‥(トクヴィルは)「民主社会」‥における平準化の進展が、一方における国家権力の集中と、他方における「狭い個人主義」の蔓延という二重進行の形態をとること、中間諸団体の城塞を失ってダイナミックな社会に放り出された個人は、かえって公事への関与の志向から離れて、日常身辺の営利活動や娯楽に自分の生活領域を局限する傾向があることを鋭く指摘した。…この「狭い個人主義」は同時にリースマンのいう他者志向型の個人なのだ。だから現代においてひとは世間の出来事にひどく敏感であり、それに「気をとられ」ながら、同時にそれはどこまでも「よそ事」なのである。従ってそれは、熱狂したり、憤慨したり適当にバツを合わせたりする対象ではあっても、自分の責任において処理すべき対象とは見られない。…こうした自我の政治的「関心」は「自分の事柄」としての政治への関与ではなくて、しばしば「トピック」への関心である。しかしそれは必ずしも関心の熱度の低さを意味しない。むしろ現代の「政治的」熱狂はスポーツや演劇の観衆の「熱狂」と微妙に相通じているし、実際にも相互移行しうる性格をもっている。逆に無関心というのも、「自分の事柄」への集中でほかの事が「気にならない」ような‥無関心ではなくて、しばしば他者を意識した無関心のポーズであり、したがって表面の冷淡のかげには焦燥と内憤を秘めている。現代型政治的関心が自我からの選択よりも自我の投射であるように、現代型「アパシー」もそれ自体政治への-というより自己の政治的イメージへの対応にすぎない。政治的関心かアパシーかが問題なのではなく、政治的関心の構造が問題なのである。
 …対立する諸々のイデオロギーが販売抵抗の増大に面して、宣伝効果を相殺されたとしても、その空間を埋めるものは私達の「疑似環境」としてすでに定着し、自我のわかち難い一部となっているようなイメージである。…現代における選択は「虚構の」環境と「真実の」環境との間にあるのではない。さまざまの「虚構」、さまざまの「意匠」のなかにしか住めないのが、私達の宿命である。この宿命の自覚がなければ、私達は「虚構」のなかの選択力をみがきあげる途を失い、その結果はかえって「すべてが変化する世の中では誰も変化していない」というイメージの「法則」に流されて、自己の立地を知らぬ間に移動させてしまうか、さもなければ、自己の内部に住みついた制度・慣習・人間関係の奴隷になるか、どちらかの方向しか残されていないのである。…
 多くの知識人は、正統・異端のそれぞれの中心部ではなくて、むしろ‥境界-というよりかなり広い中間-領域の住人であった。どの社会でも知識人の多数はこうした領域に住んでいる。…境界に住むことの意味は、内側の住人と「実感」を領ち合いながら、しかも不断に「外」との交通を保ち、内側のイメージの自己累積による固定化をたえず積極的につきくずすことにある。中心部と辺境地域の問題の現代的な普遍性を強調することは、思想や信条にたいする無差別的な懐疑論のすすめではけっしてない。もし懐疑というならば、それは現代における政治的判断を、当面する事柄にたいする私達の日々の新たな選択と決断の問題とするかわりに、イデオロギーの「大義名分」や自我の「常識」にあらかじめ一括してゆだねるような懶惰な思考にたいする懐疑である。もし信条というならば、それは「あらゆる体制、あらゆる組織は辺境から中心部への、反対通信によるフィードバックがなければ腐敗する」という信条である。…
 自称異端も含めた現実のいかなる世界の住人も外側と内側の問題性から免れていない‥。ここにはディレンマがある。しかし知識人の困難な、しかし光栄ある現代的課題は、このディレンマを回避せず、まるごとのコミットとまるごとの「無責任」のはざまに立ちながら、内側を通じて内側をこえる展望をめざすところにしか存在しない。そうしてそれは‥、およそいかなる信条に立ち、そのためにたたかうにせよ、「知性」をもってそれに奉仕するということの意味である。なぜなら知性の機能とは、つまるところ他者をあくまで他者としながら、しかも他者をその他在において理解することをおいてはありえないからである。」(集⑨ 同上pp.17-44)
「現在のように支配と被支配と空間的に区分できなくなった社会において、ますます磁場を構成するマグネットが複雑になってきているというのは、逆説的にきこえますけれど個人個人の行動の意味が非常に大きくなっているんです。…社会というものが、各人の行動にたいする期待可能性の上にのっかっている度合いがそれだけ大きくなる。‥ですから、権力というのは非常に強いようですが同時にまた弱いんです。現代ではますます弱くなっているんです。…マグネットの力が、それは権力をにぎっているほうが相対的に現代の機構にたいするインプット能力が強いということはいえるでしょう。しかし、それも、ある日に、部下の一人がサボタージュをやり、つまり、期待にはずれた行動をとり、それが連鎖反応をおこすと、昨日まであんなに強かった権力が、突如マヒ状態に陥る。それは突然変異のように見えるけれども、よく見ると微細なところで目に見えない形でおこっていた行動様式の変化が、ある日化学作用をおこして爆発したにすぎない。現代の権力というものは、国家権力にかぎらず、すべてそういう相互依存性にのっかっている。のっかっているから強いし、のっかっているから弱い。どっちからでもえるわけです。そういうふうに現代の組織を見ないと、‥片隅異端みたいになってしまう。また、現実にもそれ以外にわれわれの社会を変えていく行動というのは出てこない。」(集⑯ 「丸山眞男教授をかこむ座談会の記録」1968.11.pp.107-109)
「共同体から個人が放り出されるということは決して個人の確立ではない、共同体から放り出されたからこそ、全体主義になるという要素があるんですよ‥。…
 …原子化された個人というのは、つまりリースマンの言う孤独な群衆です。孤独な群衆は、もうほとんど飢えるように、集団の中で孤独な自我を忘れたいという欲求を感じる。‥全体主義というのは、いちばんそれに向いている。孤独な自分を、あの中で忘れることができる。これはもう、全体主義の絶好な温床になるわけです。
 なぜ、ナチスが個人と国家の中間にある団体をしらみ潰しに押しつぶしていったかというと、中間にある自発的結社というのは、みんなその中で自我の充足感を感じられるわけです。そういうのがなくて、たった独りぼっちになっちゃって、しかも群衆ですから、銀座通りをいっぱい歩いていても、一緒にいるんだけれど、恐ろしく孤独だと。共同体の分解の中から、こういう個人が出てくるんです。これが全体主義の心理的な基盤として最も強力な温床になる。そういうことで、個人主義から全体主義が出てきますよ、ということも言おうとする、そこのアンビヴァレンスですね。個人が出てくることのアンビヴァレンスであって、決して、共同体が解体して個人主義、民主主義になるなんて、そんなおめでたいことを言っているわけじゃない。‥いい悪いは別として、共同体の解体の中から出てくる態度は、権威主義的態度もあるし、全体主義的態度もあるということを、まさに言おうとしている。それが、つまり、どういう要素がどういうふうに変わったら、自主的な結社形成の態度に移行していくのかというのを、類型化してみたわけです。」(手帖21 「早稲田大学 丸山眞男自主ゼミナールの記録 第二回(下)」1985.3.31.pp.2-4)
「トクヴィルは、判事として十九世紀初めにアメリカへ旅行して初めてアメリカのデモクラシーなるものを実際に観察します。デモクラシーという言葉は、当時まだヨーロッパではほとんど一般には使われていない。アメリカははじめから平等に力点が置かれています。そこで、「デモクラシー・イン・アメリカ」という題になるわけです。ヨーロッパはすでにフランス革命を経ているのですが、トクヴィルはアメリカで「抗し難い民主主義的革命」と「諸条件の平等」がもたらす現実の結果、そのヨーロッパとのちがいを見て、一種のカルチュア・ショックを受けます。彼の書物には、その平等社会のいいところと悪いところとが実に冷静に観察されていて、今日でも新鮮さを失っていません。ですからトクヴィルは、大衆社会の予言者などといわれ‥ています。
 福沢は、のちには直接にトクヴィルを読み、‥『概略』では、ミルを通じて「多数の圧制」についての醒(さ)めた見方を獲得していたのです。」(集⑬ 「文明論之概略を読む(上・中)」1986.p.236)
 「異端であることを恐れてはいけない、昨日の異端は今日の正統である、世論に束縛されずに少数意見を述べよという(福沢の)主張は、この衆論の変革の可能性と結びついているわけです。福沢における人民主義(ポピュリズム)と、知識人の使命観とは、このような形で結びついているのです。
 西洋で新聞紙や演説会が盛んで「衆口の喧(かまびす)しき」状態も結局、人民の智徳を鞭撻することになっている、という。福沢の「多事争論」のすすめもそこからきています。ですから、彼はまだ、今日の大衆社会におけるマスコミの発達のなかにひそむ問題性-世論を操作し、ステロタイプ化する作用など-は洞察していません。これは、西洋でも一九二〇年代になって、たとえばW.リップマンの『世論』などという著作でようやく指摘されるようになるのです。」(集⑬ 同上p.327)
「なぜミルが個性を強調したかといえば、デモクラシーの発達とともに、凡庸の支配が出てくる傾向がある。‥多数の横暴と同じく、ミルはそれを憂えた。社会の平等化とともに人間の平均化現象がおこる。これはトクヴィルの『アメリカにおけるデモクラシー』における大きなテーマでもあり、ミルは‥このトクヴィルからも学んで、平均化された大衆に対する「個性」の伸長の必要を『自由論』で展開したのです。」(集⑭「文明論之概略を読む(中・下)」1986.P.197)
「産業革命以前と以後の社会の区別は単にエネルギーの違い、牛や馬を使っているかそれとも無機的なエネルギーを使うかという産業構造の違いだけじゃなくて、民心、風俗その他を一変させると言うんです。このことを日本で一番早く唱えたのが、福沢諭吉なんですね。福沢の『民情一新』(一八七九年)という本はそれを一番早く-私の知る限り-主張したんです。‥(蒸気機関の発明というのは)自分でコントロールできない魔物を呼び出したようなものだと言うんです。無機的エネルギーを主として使い出す。すると機械時代がくるでしょう。これがオートメーション時代までつながるわけです。なぜそうかというと、思想とか観念の発達が電信・電気・鉄道その他によって非常に速く運搬されるでしょう。ある地に発生した思想なり観念なりが非常に速くパーッと違った地に伝わるようになる。昔は一部にとどまっていたある思想がたちまち全世界に普及していくようになる。そうすると誰もこれをコントロールできない。これは福沢が『民情一新』の中で先駆的に衝いているところです。…
 …これは驚くべき洞察ですね。インフォメーション、情報化社会の到来。テクノロジーが発達すると思想が非常に速く伝播する。ということは情報化社会が到来する、と。‥これが、つまりいかなる専制政府もいかんともすべからざる人民の勢いだ、ということを福沢は言っているんです。それは必ずしも肯定的な意味に使っているんじゃない。どんな政府でも人民の間にある思想がパーッと伝播するのをコントロールできなくなるということですね。これは、二〇世紀的な独裁政とそれ以前の独裁政の最大の違い。‥人民の圧倒的支持に基づいた独裁政が二〇世紀になって初めて成立するようになったということは、テクノロジーの発展と無関係ではない。‥これは必ずしもいわゆる古典的な民主主義にとっていい方向には働かない。人民の圧力というものによって、いわば直接民主主義的に独裁政が成立する。…人民のエモーショナルな動きが昔では考えられないほど非常に強くなった。それに政府当局者が左右されるということ。世論やなんかが必ずしも理性的に動かないでしょう。ある一つの動きが生ずると歯止めがきかなくなっちゃう。それは現代の情報化社会の特色をよく表している。つまり、必ずしもいい意味での民主化ではない。なぜならば、そこには人民のエモーションが入ってくるから。これが一八〇〇年代の画期的な変化だった。」(手帖17 「中国人留学生の質問に答える(下)」 1988.10.5.pp.5-7)
「『民情一新』(明治一二年)を見ると、テクノロジー革命というのを強調しているんですね。‥情報革命なんです、あそこで言っているのは。つまり、蒸気船車・電信・印刷・郵便の発達はどうなっているのか。第一には、観念の伝播が非常に速くなる。そうすると人民に目に見えないすごいエネルギーが生ずる。「情海の波」、情なんだ。人民がエモーショナルな動きをして西欧諸国が困っている。コントロールできないというんだ、この力を。だから「情から理へ」という、そういう合理主義じゃない。テクノロジーの発達によって、人民のエモーションを誰もコントロールできなくなるという。  『民情一新』のそういう解釈をどこから得たのか今でも分からないです。
 つまり僕は西洋文明の「二階建て説」なんです。『文明論之概略』で書いた西洋文明論のモデルはいろいろあって。ギゾーでしょ。彼はヨーロッパ中世の自治都市というところから説き起こしているわけです。ローマ帝国の末期ですからね。封建制の中にある自治の要素、それからチェックス・アンド・バランセスですね。そういうものをみんな入れているわけでしょ。これはヨーロッパ文明史の問題になるんですけれども、バンジャマン・コンスタンの「近代人の自由と比較された古代人の自由について」‥という有名な論説もそうです。ギゾーと同時代です。つまり古代と近代の対比なんです。近代に対するのは古代なんです。ギリシャのデモクラシーと近代のデモクラシーがどう違うか。
 ギリシャのデモクラシーというのは参政の自由‥。国家からの自由というのはないんですよ。それが出てきたのが近代デモクラシーだという。古代と基本的に違うというのが、ギゾーの見方。福沢もそこから学んでいるわけです。その場合の西洋文明というのは、ものすごく長期的でしょ。
 ところが、〔『民情一新』では〕「近時文明」あるいは「千八百年代の文明」と彼は言っているんだ。そこで質的な変化が起こったとしばしば言っている。産業革命なんです。僕がマルクス主義者に前から不満なのは、ブルジョア革命一般にしちゃうんですよ、産業革命を。そうすると分からないことが多い。‥
 ギゾーなんかも産業革命以前なんです。最近のイギリスのボブズボームなんてマルクシストは、「デュアル・レボル-ション」‥二重革命なんて言うんです。ブルジョア革命と産業革命の二重革命というふうに捉える。
 福沢はそれなんですよ。僕は「二階建て」と言うんだけれど。つまり、西欧文明と言っても「人民独立の精神」というのはその「一階」なんだ。「二階」は、テクノロジーの発達で人民にすごくエモーショナルな力が出てきて、政府もコントロールできなくなる。‥だからちょっと『文明論之概略』の西洋文明論とは違うんです。‥
 彼は科学のサイエンスと技術のアートとを区別するんです。アートを取り入れるとこれはいけない、サイエンスなんだと。科学には「サイヤンス」と仮名をふって、技術の「アート」と峻別しているんです。サイエンスを取り入れないからダメなんだ、サイエンスというのは空理、空論なんだ、と。空理、空論というのは今の言葉で言うと仮説なんだな。空理、空論を非常に力説する。モデルがニュートン物理学ですから。「人間万事試験の世の中」という考え方です。試験とは実験なんです。「仮説で実験し」ということをサイエンスと言っている。その結果、蒸気機関も生まれるし、と。そこが続いているわけですね。
 続いている面と、しかしそれが普及するとテクノロジーが思われざる結果‥が出てきた、と。‥テクノロジーの急速な普及によって、エモーションが爆発的に出てくる。これに対処しなければいけない。‥「二階建て」で面白いのは、「一階建て」では無形の文明‥が第一で、有形をあわてて取り入れるのはいけない、ということを言うでしょ。ところが、『民情一新』から変わるんです。「有形の文明が逆に人心を変えていく」と。‥つまり、テクノロジーが逆に精神の変革を起こしていくという。それが第一点。
 第二点は、先進国と後進国。テクノロジーが発達すると、昨日までの後進国が先進国を追いこす可能性が出てくると言っている。‥「二階建て」だと先進国・後進国という一列史観だから、追いこすということがあり得るわけ。だから僕はこれが進歩史観の良い面だと言うわけ。これが今流行っている文化人類学のように、文化個体説、あるいは文化の相対主義だと、方法論的な疑問は、何で比較するのかと。もちろん文化にはそれぞれ個体はありますが、比較尺度がないんですよ。‥こういう個体がある、違うんだ、ということは言えても、比較ができない。あらゆる比較学の根本的な難点だと思う。‥つまり、絶対主義とか独占資本主義とかは、マルクス主義が進歩史観だから。本質的停滞史観にならない。進歩史観の源流は、‥一八世紀の進歩史観なんですね。野蛮、半開、未開、それから文明といった一列史観。だから、本質的な停滞文化というのは出てこない。しかも「二階建て」になると追いこされちゃうわけ、ヨーロッパも。‥
 他のはモデルがあるんですけれどね。僕が今でも分からないのは、「二階建て」のほうの『民情一新』のモデルがあるか、ということです。…  福沢の電信というのはコミュニケーションなんです。‥コミュニケーションが観念の伝達を一瞬にすると言うんです。… どこからそこを区別するのか。「近時の文明」と「西欧の文明」という言い方と、「千八百年代」というのを一番使っています。「千八百年代以後の西欧の文明」はというと、明らかに『文明論之概略』〔で述べている西欧文明〕と違うんですよ、それは。そうするとここで何か質的な転換が起こったという認識を福沢は持っているんだな。まさに大衆社会論。民主主義の発達がメデタシ、メデタシじゃないんです、少なくとも。」(手帖56 「「楽しき会」の記録」1990.9.16.pp.3-7)
「福沢は情報革命という言葉を使ってはいないけれども、電信と鉄道が世界に及ぼす革命と言っている。おそらく、いちばん早いんじゃないんですか。情報革命という言葉を使わなかっただけで。出来事が忽ち世界的に伝わるということが、どういう意味を持つかということ。たいしたもんだな、「民情一新」、明治一三年頃から書いたんです。…それで、どうなるかというと、民衆が恐るべきエネルギーを持つようになる。これは、民主主義の勃興と別問題なんです。つまり、出来事を民衆が知ること。
 それから、上と下もそうなんです。上で何をやっているということは、いちばん速く下に伝達する。そうすると、両方でしょ。それと、その出来事によって民衆が反応する。と、それは民主主義の伝播と全然別の問題。彼の言葉で言うと、「情海の大波」という。決して、これは理性の発達じゃない。彼は非常にペシミスティックなんですね、テクノロジーの発達に。
 ‥テクノロジーが発達すると、いろいろな出来事が速く伝わるから、民衆のエモーションが、ものすごい巨大な力を帯びてくる。‥それは、進歩的であるとか、反動的であるとかを問わず、群衆のエネルギーによって、「治者は如何ともすべからず」と。…だから、科学が発達すると、だんだん理性が発達してくるというのは、大嘘だと言うんだ、彼は。むしろ、人間の激情が解放されるから、えらいエネルギーになるという。
 それは驚くべき洞察だな。進歩というと、情から理へという。だんだん理性が発達して情をコントロールするようになるのが、進歩だと。世界歴史はそうなるかというと、ならないと言うんだ。逆の現象がある。テクノロジーが発達すると、出来事が非常に速く伝播されるから、民衆的なリアクションが反動を起こす。それは、誰も統御できなくなる。治者が統御できなくなる。」(手帖42 「丸山眞男先生を囲む会(下)」1993.7.31. pp.32-33)