法の支配

2016.4.23.

「法による統治
 「われわれの市民的自由や政治的自由が成文憲法のなかに抽象的に規定されているために安全だと考えることは、法的な形態を自由という生きている実体と思いちがえることである。法による政府を持つことはのぞましくもあるし、また実際必要なことでもあるが、法による政府をもっているから、人間による統治を持っていないと考えることは、人を誤らせる危険な論である。政府というものは、どんなに賢明に考えられ、どんなに効果的な秩序をもった法による政府でも、その政府を運営し、之に服従する人民以上によいということは決してないのである。」(カー・ル・ベッカー、アメリカの生活様式における「自由と責任」訳一二〇頁)」(対話 p.66)
「目的と手段の問題。
 手段の副作用の問題。‥正義=司法、法の正当な手続 対 革命的祖国を反革命からまもるという、政治的利害とのディレンマ!
 ディレンマの感覚があるかどうか、いい気になって、得意になって、自己正当性(self-righteousness)だけでパリサイ人のように行動しているか、それとも、手段の犯罪性の重みの感覚があるか。-そこに政治的行動、「大義」のための行動の倫理性の規準がある。いかなる大義のためにも、たった一人を正当な手続なしに裁いてはならぬ。
 法の正義→裁判手続なしに、制裁なし。いかなる「悪逆」な者にたいしても。」(『対話』pp.148-149)
「問題は、この法治国という観念、法治国ということを言う際の、われわれの物の考え方、そこに問題がある。市民的な「法の支配」という考え方が、どういう歴史的な背景をたどって生じてきたか‥。これは人の支配にかえるに法の支配という理念、つまり特定の人間が、権力によって他の人間を支配するということが、政治社会の不可避的な現実であるということを承認したうえで、その現実の人の支配から出てくる恣意的な結果、すなわち人が人を支配するということがでたらめに行われないように、恣意的な権力の行使をあらかじめ定立された法によって、できるだけチェックする。こういう趣旨で発達してきたわけです。つまり近代的な法というものは、なにより第一義的に権力者を対象とし、権力の専制を防ぐために存在している。そこで暴力といわれるのは、法を無視した権力ということを意味する。だから、デモクラシーの理念においては、権力機構としての政府が、みずから法を破ったときには、被治者としての国民は、自動的に服従義務を解除されるということは、当然の原理的な前提になっている。つまり、フランスの人権宣言、アメリカの独立宣言が、圧制に対する人民の抵抗権というものを規定しているのはこういう精神です。
 はたして、日本での遵法とか、法治という考え方はどうかを考えてみたときに、市民的な法治国の観念と臣民的な法治国の観念との間に、非常なギャップがある‥。法治国である以上、法に従えという論議は、ここでは圧倒的に被治者たる国民に対して、むしろ権力の側から強調されているわけです。…権力の側が、まず法を守らなければいけないということが、常識として確立している国とは、精神的風土が非常に違っているわけであります。」(集⑦ 「思想と政治」1957.8.pp.138-139)
「ヨーロッパで、近代的な法観念ないしは基本的人権とか、ルール・オブ・ローとかいう観念が発達してきたのはなぜかということには、もちろんいろんな歴史的原因があります。しかし、しばしば忘れられていることの一つに、‥ヨーロッパというものはもと非常に異質的な文化、異質的な民族・人種・言語、そういうものが絶えず接触し、混乱を起こしながら、だんだんとあるまとまった文化圏をなしていった社会、その意味で、多元的な社会だったということです。…完全な他者と他者が向い合う社会はどういう社会かということを、極端な理念型として考えますと、これが、ホッブスなんかが社会契約説をとった時に考えた自然状態です。規範とか秩序とかについての共通の了解が全くない社会というものを想定しますと、これはさっきいった、人間関係における他者の行動にたいする期待可能性がゼロの社会です。…これではとうてい暮していけない。そこでしかたなく、‥契約をとりかわす。とにかく、突然とびかかって私を刺すというようなことはよそうじゃないか、私もやらないという約束がまずできるわけです。これが秩序をつくる最初の行為です。もし二人のうちどちらかがこの約束を破ればどうなるか、これは自然状態に復帰するわけです。‥そこで契約は守らなければならないというルール意識が出てくる。ルールというものは、他者と他者とが相対した時に、相手の行動の予測可能性がゼロですから、自分の自然権をまもるためにも、契約をして一つの秩序を維持する、というところから出てくる。これは現実にそうだったというのではない。ですから、社会契約説というのはフィクションです。しかし、それは相互に他者であるような人間によって構成された社会ほど、このフィクションは想像力によって裏づけられる。お互いに契約を守らないとこういうことになるぞということからして、法意識および規範意識というものがいわば下から発達してくる。」(集⑯ 「丸山眞男教授をかこむ座談会の記録」 1968.11.pp.110-111)
「ハイジャックの問題(『手帖』編集者注による:1977年9月28日に日本航空機が日本赤軍に乗っ取られた事件と同年10月13日に西ドイツのルフトハンザ機が西ドイツ赤軍派に乗っ取られた事件に対する日独両政府の対応)ですが、日本がとった措置が良いのか、ドイツがとった措置が良いのかという問いは、その問い自身が、-比較すること自身がおかしいんじゃないかと思うんです。…
 日本のジャーナリズムを見てますと、例えば、西独の考え方を、法秩序を守るためには少々人命を犠牲にしても仕方がない、と-こういう面ばかり出てますね。確かに問題は法なんです。しかし法そのものの考え方が、ヨーロッパ人と日本人との間に違いがある。そういうことを考えないで、法か、人質の命か、というふうに考えたら問題がおかしい。法についての考え方自身が違う。
 何故かというと、もし法がなくなったらどうなるか-これがヨーロッパ人の考え方、一つの。法というものを何と対比するかというと、力と対比するわけです。法がなくなったら力の支配がある。すべてが事実上の力関係-強い奴が勝つという社会になる。つまり、法というのはそれを抑えるためにある。全部を事実上の力関係にしない。‥法というものの基には、事実上の力の支配に人間の関係を委ねないということがあります。‥事実上の力関係ということになると、これは野蛮状態-つまり強い者勝ちの社会。それに対するのが法だ、と。これが基本的なヨーロッパに発達した法思想なんです。
 ところが日本とか、例えば儒教の伝統のある中国なんかでもそうですけれど、法というのは権力の手段として、法と権力とはほとんど同じように考えられている。権力者が法を使って何かするという-こういうのが法観念ですね。そこに非常に大きな違いがある。…
 法の関係というのは"べきです"という関係。これを難しい言葉で言うと規範関係。規範関係と事実関係とは相反する。だから法がなくなると規範がなくなるわけです。"べき"という世界がなくなる。ということはすべてが"である"の社会。事実関係で力の強い奴が力の弱い奴に対して、金を奪おうと殺そうと勝手だ、ということになるでしょ。それを抑圧するために……。ヨーロッパの法思想はそうやって発達してきた。近代の法思想は特にそうです。したがって、法と自由というのは不可分なんです。切り離すことができない。法がなくなれば自由がなくなる。逆に言うと自由を守るために法というものがある。無法状態になると全部が力関係になってしまう。
 ‥ホッブスが法のない社会というものを想定した。これは彼の想像なんですが、彼は一七世紀のイギリスの内乱の時に生きていた。内乱状態という無法状態でしょ。その中で彼の有名な"万人の万人に対する闘争"と。法のない社会というのは、すべての人がすべての人と闘争状態に入る社会。これを彼は「自然状態」と言った。…彼は内乱の中でこういう状態を現実に体験したわけですね、無法状態を。何の約束もないわけでしょ。そうすると、隣の人がいつ何時(なんどき)襲いかかってくるかも知れない、一刻も安心できない。
 そこでどうするかというと、…まず各自の生命、財産の安全というものをお互いの契約によって守る。そこから始まって結局、‥全部[の人]が、自分の本来事実上持っている自由の一部を放棄するわけです。その放棄した分をかき集めて、これを国家に預ける。国家が契約でできたというのは、そういう意味です。国家によって安全を保障してもらうということは、そういうことなんです。各自が本来持っている自由というものを一部制限して、そのかわり国家に強制力を持たせる。ですから法というものは、一つは各人の自由を保障するために、一つは事実上の弱者を保護するために。つまり、事実上の強い者勝ちになっては困るから、法によって弱者を保護する。法がなくなると自由がなくなる、逆に言うと自由がなくなると、法がなくなる。そのかわり国家の強制力というのは、各人が本来持っている自由の一部分を削り取ってかき集めたものですから、それ以上のことをしてはいけない。それ以上のことをする何らの権利も国家にはない。…国家が行使する権力の中で法を超えた権力の行使は、われわれ個人が使う暴力と同じになる。したがって、国家の権力が乱用されないようにいろいろ工夫をするという考え方が、そこからまた出て来る。そういうふうにして法体系ができてくる。法というものはそういう位置を占めているわけです。
 これは、法を国家が支配する手段だとする考え方とは非常に違うことが分かるでしょ。法を国家が支配する手段だとすれば、法を使ってもいいし、面倒くさかったら法を使わないで事実上殺しちゃったっていいわけですよね。法というものがそういう意味で各自の自由を守るものだとしたら、国家がそれを超えた権力を行使することは許されない。したがって国家は自由に法を使ったり、あるいは事実上の力を使ったり、勝手に選択はできない。必ず法に基づいて権力を行使しなければならない。法によって国家の権力は制限されている。それによってわれわれの自由というのは守られている。…法を大事にしなければ、無政府状態、無秩序。無秩序というのは隣人が何をするか分からない。だから具体的な措置ややり方とは別に、何故そういう態度をとったか、という歴史的背景およびその基礎にある自由観念ということを理解することの方がより大事。
 われわれとしては、むしろわれわれの盲点に気をつけなければならない。盲点とは何かというと、事実関係と規範関係、権利・義務の世界と事実の世界というものとの区別が余りはっきりしない。権利・義務の世界というのはルールの世界、ルールがなくなるとどうなるか、という感覚があまりない、われわれは。というのはルール感覚がなくなっても"同じ日本人同士だから"という思い込みで今まで何とかかんとか来たんです。果たして今後それですむでしょうか。…
 今度の問題[ハイジャック]を契機にして、そういう背景を-自由とは何か、法とは何か、そういうことを考える材料にした方がいい。[日本とドイツの]どっちがいいかを言うのは全く無意味-条件が違うんですから。それを契機に根本問題を考えた方が良い。」(手帖7 「丸山先生と語る会-岩手県東山町-」1977.10.22.pp.2-6)
「近代法の「法の支配(ルール・オブ・ロー)」の考え方は、けっして性悪説に基づいているわけではない。福沢の巧妙な表現によると、すべてが悪人だからでなく、世の中が複雑になると、「善悪相混じて弁ず可からざるが故に」、いやたった一人でも悪人が交ると見分けがつきにくいから、結局、規則を作って善人を保護しようとするのがその趣旨になるといって、にせ通貨の例を出します。
 これも、かつて講義のとき末弘(厳太郎)先生が言っておられたことなのですが、法律はどうも杓子定規(しゃくしじょうぎ)でいけない、もっと人情を重んじろなどと、世間でよくいう。だが、杓子定規でなければ法律というものは用をなさない。一メートルの単位が縁故や情実によって伸びたり縮んだりしたら、これこそコネによる決定で物事がはこぶことになり、法の前の万人の平等という原則に反する。杓子定規であることに近代法の意味がある、と末弘先生はよく言われた。これは実際は説明のための意識的な誇張で、近代法にも、情状の酌量とか具体的妥当性の考慮という、もう一つの原則があるのですけれど、伝統的な恩情主義にショックを与えるために、「杓子定規」の例で「衡平の原則」の意味を先生は強調されたわけです。」(集⑭ 「文明論之概略を読む(中・下)」1986.pp.54-55)
 「こういう「法の支配」は、政府と人民の関係についても仁君政治を逆転させる。法というものは、昔は政府が人民を保護し秩序を維持するためにあったものだが、今は政府の権力の濫用を防ぐために人民が法を作って自分自身を保護しようとする。これは、考え方としては、ほとんど人民主権に近く、福沢がこれを言った当時の現実からは、非常にかけはなれています。だから福沢自身も、この現実離れを意識していて、‥そういう社会にもそれなりに秩序があり条理があるのであり、しかも今の世界は好むと否とにかかわらず、この方向に向っている。こういう文明の不可避の傾向のなかで一国の独立をはかるほかはないと強調するのです。」(集⑭ 同上pp.56-57)
「中世ヨーロッパに、教会法の伝統があれほど確立したことの一つの歴史的意味は、それによって法の手続の感覚が発達した点にあったということも否定できません。宗教の俗権からの独立があったために、ある事柄が、教会法によって裁かるべきか、それともまた通常の俗権によって裁かるべきことか、というような裁判管轄権の所在が非常にやかましい問題になる。こうして法の手続-いわゆる法の正統な手続(due process of law)-の感覚が鋭くみがかれていくことになります。(集⑭ 同上p.179)
「ローマ法とゲルマン法の二つ、これが近代法の元になる。その中で、‥近代法の観念も生まれるし、国家主権の観念も生まれるし、近代的自由の法の観念も生まれてくる。
 そういうのが世界的に伝播する。世界的に伝播するには二つ理由があって、ヨーロッパが押しつけるという面もあるけれども、同時に非ヨーロッパが自発的に取り入れる。つまり旧体制を変革する。ヨーロッパを武器として変革する。ヨーロッパに発生した思想を武器として変革する。日本が一番早くそれに成功した、いろいろな理由によって。ヨーロッパ型の近代国家というものを東アジアではじめてつくった。その由来が今まで続いているから変な国になってんですよ。日本が近代国家をつくるまでは、[西欧人は]およそ近代国家というものは、またおよそ近代資本主義というものは、西欧以外では絶対にできないと思った。西欧人がびっくりしたのは日本なんです。日本という何か小さな国家が近代国家をつくり、近代憲法を-もちろん新憲法とは違うけれども-明治憲法のモデルは。…そうすると、これは必ずしもヨーロッパだけのものはないということを、日本の例ではじめて知った。これが衝撃として非常に大きい。この衝撃がどこに一番大きかったかというと、他のアジア諸国。中国、朝鮮、インド、みんな「我々もやろうと思ったらやれるんだぞ」と。それで明治維新がモデルになった。
 西洋帝国主義に対抗するためには、やっぱり西洋の武器で武装しなければならない。西洋の武器とは、文字どおりの武器もあるけれども精神的な武器もある。憲法とか人権とか。テクノロジーはもちろんのことです。あらゆる面で西洋の近代文明を武器としなければ、西洋帝国主義に対抗できないということを、日本の例で知るわけです。」(手帖13 「伊豆山での対話(下)」1988.6.4.p.49)