デモクラシー

2016.4.23.

「〔一九五五年手帖より〕
デモクラシーはestablished formでなく、まだtrial & errorの段階であること。こう考えてこそ、政治的なimaginationが触発される。
 イギリスの議会政治が長い間、oligarchyであったことを忘れてはならない。‥democracyがparliamentと結びついたのは、いわば歴史的偶然だった。」(対話 pp.44-45)
「〔一九五六年手帖より〕
デモクラシーにおける論理が説かれて、デモクラシーをつくる論理が説かれないという宿命。」(対話 p.45)
「政治における疎外は、成員の安全等々……の需要を満足するための権威的装置がそれ自体自己目的となって、成員からの価値収斂装置に転ずることである。広義における民主主義とはこの疎外の恢復への動向を意味する。」(対話 p.72)
「ルソー的社会契約的民主主義=団体の単一性Einheitと全体性(共通目標)Ganzheitが前提になっている。
(a) 「一般意思」への到達を目標とした討議と交渉。
   各成員が特殊意思(個別的、集団的利害に制約された意思)を抑制して、「全体性」を志向した討議をすることが前提となる。‥
(b) 異った「身分」・団体間(コルポラチオン)の契約を目標とした討議と交渉。
    ここでは、異った身分・団体を包括する単一的秩序は前提されていない。複数団体間の多くの個別的契約の複合が、具体的秩序を構成する。
 (中世)
  この場合の交渉は「全体性」への志向がそもそもないから、異った「利害」の妥協としての「一致」しかない。それだけに「契約は守らざるべからず」(pacta sunto servanda)が厳守されねば、永遠の「無秩序」が残るだけである。もう一つ前者とちがうのは、ここでの交渉における団体代表者は、きびしく委任命令に拘束されていることだ。それは「代表」よりは「代理」に近い。
 (c) 代表制民主主義における討議は現実には、(a)と(b)とのあいまいな混合である。アメリカ型は(a)に近く、イギリス型は(b)に近い。our governmentという考え方と、consent of the governedという考え方。」(対話 pp.215-216)
「お互いの自由討議によって、銘々が自己反省しヨリ高い状態に進むということは人間性を信頼してこそ言えるのではないでしょうか。もし人間が我慾と我執のかたまりなら、他人の意見を謙虚に聞くという態度がそもそも生れる余地がありません。‥どんなに意見や利害がちがっていてもよく話し合えばお互いの立場が了解され、円滑な共同生活が出来るという考え方は、人間が自分を反省する能力があることがそもそもの立て前になっているわけです。この自己反省の能力が即ちわれわれの理性であり、自由主義や民主主義はすべてこうした人間理性に対する信頼を基礎とした主張です。私が人間性に対する楽観主義といったのはこの意味です。従ってそれは決して人間が現実のままで完全であるとか、人間の性質のなかには「悪」がないとかいう意味ではありません。人間は不完全で利己的な邪悪な性質を持っています。そうした不完全さや悪を人間の力でどうにもならぬもの、或いは固定した動かぬものと決めてしまえば、そういう人間を共同生活させるにはちょうど動物を扱うように、外部からの力で枠の内にしばりつけて置くよりほか手はありません。これが専制主義なり独裁主義なりの考え方です。これに反して人間はいかに不完全でも、自分で努力してその不完全さを正して行きたいという意思と能力を具えているとすれば、鞭や刑罰で人間をしばりつける事をなるべく止めて、人間に自由を与え、みんなが自分の長所をのびのびと発揮し、短所はお互いに反省して自分で矯めて行くようにした方が、人間の進歩と向上にとって一層望ましいにちがいありません。‥もし人間性の進歩を進ぜず人間性を絶対に悲観するならば、人間に自由を与えるなどとはとんでもないこと、サーベルと監獄で脅かして抑えつけて置くのが一番安全ということになるわけです。‥
 そういうわけで自由主義も民主主義も‥精神史的な側面についていえば、共通の地盤に立っているといえます。ただ自由主義は個人の自由を妨げている種々の法的・社会的拘束をとりのぞくという点に重点があり、民主主義はそうした自由権の基礎に立って、国家的・社会的共同生活の仕方を、能う限り多くの人間の参与によってきめて行くという点に重点があります。従って前者は消極的な自由であり、後者は積極的な自由であるともいえます。民主主義は自由主義の主張を政治的・社会的にひろげて行ったものです。歴史的に言っても、封建主義に対して自由主義の主張がまず現われ、やがてそのなかから民主主義が成長して行ったのです。」(集⑯ 「デモクラシーと人間性」1946.4.30.pp.370-371)
「民主政治は人民が国家の主人であるところの政治形態です。いいかえれば人民の一人一人が治者としての気構えと責任を持つところに、民主主義の本質がある筈(はず)です。治者としての気構えを持つということは、更に言いかえれば、政治の全体性、綜合性をつねに見失わない事です。これに反して、政治からつねに個別的具体的な利益だけを期待するのは被治者根性というものです。被治者根性からは政治に対する訴え(アピール)しか生れません。何とかして下さい、食べさせて下さい、家を建てて下さいという訴願だけです。これに対して、政治を全体性に於て考える者は必ず、一歩進めて、食べさせるにはどうしたらいいか、家を建てるにはどういう手を打つべきかという事を考えます。そこに自(おのず)から意見(オピニオン)というものが出て来ます。民衆が政府に対して単に「訴え」だけでなく「意見」を持つようになったとき、アピールがオピニオンにまで高まったとき、そのときはじめて民主政治が根を下ろすのです。(集⑯ 「政治と台所の直結について」1946.7.20-21.p.377)
 「デモクラシーの認識はきれいごとであってはならぬ。デモクラシーがきれいごとの様にとかれることは、かえってデモクラシーのために危険である。…デモクラシーは自己の醜悪さをも隠蔽せずに、それを明るみに出して、そのよって来る所を検討しつつ向上する事の出来る唯一の政治形式であり、そこに他のあらゆる政治形態に対するデモクラシーの健康さがある。デモクラシーをきれいごとで修飾するのはこのデモクラシーのもつ最大の長所を自ら放棄するに等しい。」(別集① 「現代政治学の課題」1947.12.5 pp.274-275)
「デモクラシーを新に維持発達させてゆく地盤はどのようなものか。
 一に、政治的な惰性は排除せねばならぬ。われわれは政治的権力に対して常に醒めていることである。Why(何故)の気持ちを持ち続けなければいけない。権力に対して常に問いかけること、問い続けることである。選挙や定期的な集会は権力に対して、目を醒ますのに役立つ。…
 二に、固定的な人的連鎖関係を作らないようにする。固定的な人的連鎖関係においては主義や主張では動かないで、親分子分の関係で決してしまう。われわれは環境によりかからないで、面倒くささを感じないで、自分自身で判断し、それを信奉する強い意志の人間を作り出していくことが必要である。自律を愛し、他律を排除する人とならねばならない。…集団から投げ出されて無力感を抱く人は独裁者を渇望することになる。
 三に、また国際的危機、対外危機を作り出すことはデモクラシーの最大の敵である。国際的に武力のない人間が米ソ戦争を望むことは、手足のない人間が火事泥棒を働くのと同じで、焼き殺されてしまうのである。
 四に、他律的人間より自律的人間へ。他律でもたらされた秩序は動物的秩序で、動物的秩序より人間的混乱の方がまだ望ましい。Uniformityは未開の象徴。集団から投げ出されるとまったく無力。…抑圧委譲は陰険な卑屈な心理。堂々と抗議する明朗さ。対立を恐れるな。
 五に、多元的価値観にもとづく人間観。誤謬・過失を悪としないで、それを未来の善に転化する精神。善悪を絶対化しない教育、ヨリ善いものへ向上する精神。善悪を絶対化すると類型的固定的教育となる。」(別集① 「政治嫌悪・無関心と独裁政治」1948夏 pp.304-305)
「産業革命以後生産の異常な発達によって、政治を駆使する技術手段が厖大化し、民主主義の危機をまねいている。これは民衆が政治をコントロールすることが困難になったためである。民主主義とは治者の権力を被治者(民衆)がコントロールするためのテクニックである。したがって、民主主義の危機とは、治者の行使する技術的手段が膨大化して民衆のコントロールが及ばなくなったことに核心がある。両者の不均衡。それは集中的に議会制の危機として表現される。…
 ‥議会制の危機は第一大戦以後深刻な世界的問題である。…それは偶然ではない。よってきたる根本原因は、技術文明の広汎な進展(政治化)と社会機能の複雑化に対して、古典的な議会制が適応困難になったためだ。20世紀の独裁制はこの危機の産物である。それは単純に政治化の悪しき意図や国民の愚どんに帰するには問題はあまりに深刻である。これは結局、治者と被治者との距離の近接、大衆と権力の直接的対峙から生まれる(大衆独裁政)。民主主義がこの危機を乗り切るためには、牧歌的な時代に生まれた議会政治の諸原則を墨守するのではなくて、大胆にこれを新しい文明の要請に適合させなくてはならぬ。…
 政治権力の異常な増大に対して、もし議会だけでコントロールすることが不可能なら、他のコントロールの手段を考えねばならぬ。さもなければ政治化によって被治者たる個人は押しつぶされるばかりだ。…
集中された権力をいかに民主的にコントロールするかに問題がある。…議会という通路は大衆と権力を結ぶべくあまりにせますぎるのは当然である。もしこれを強いて議会という一本の通路しか民意の表現をみとめないとすると、いわばふっとうしたエネルギーを細いパイプで処理しようとするようなもので、かえって爆発して混乱と無秩序を結果することになる。それを防ぐためには、むしろ民意を表現するいろいろのルートを議会とならんで、公認するにしくはない。デモンストレーションや大衆の大集会は‥そうした大衆民主政の傾向の表現として生まれてきたものであるが、問題はこれを嫌悪したり禁圧することではなく、それに新たなる民意の表現方法たるにふさわしい秩序と規律とを与えることである。…
政治は技術文明に適応した新しいテクニックによらねばならない。‥今日の危機の実態を突きとめて考えるなら、過去のメカニズムのみにとらわれず、新しいメカニズムに応じていかなければならない。…民主主義は権力を弱めることではなく、どんな強大な権力でも民衆がコントロールしている限り不安はない。間接のみならず、直接的にも考えていかなければならない。…
こうして、政治を大衆に近しいものとし、大衆の政治参与がたんに何年かに一ぺんの投票日に限られるということでなく、日常生活を通じて不断に政治的関心を喚起することが大事。これによってデモクラシーははじめて生きたものとなり、お題目化や形式化が避けられる。立法者としての人民というルソーの理想が、今後は文明技術の発展によって夢でなく現実化していくのである。しかし、それには他面なお一層高度の政治的訓練が必要となる。さもなければ大衆の直接民主政的傾向はたんなる群衆(モッブ)の騒乱にすぎなくなる。」(別集① 「民主主義政治と制度」1948夏 pp.310-317)
「自利と他利、私益と公益、快楽と道徳の究極的一致というロックの思想こそは後にスミスからベンサムに流れ込んでイギリス・ブルジョアジーの強靱なイデオロギー的伝統をなした…」(集④ 「ジョン・ロックと近代政治原理」1949.8.p.192)
 「(二) 一切の政治権力が人民の信託(trust)に基づくこと。従って政治的支配の唯一の正当性的根拠は人民の同意(consent)にあるという原則」(集④ 同上p.192)
 「(三) 力は権利を生まぬという原則」(集④ 同上p.195)
 「(四) いわゆる三権分立の原則(check and balances)」
 ロックが…立法権、行政権、連合権の三者を区別したことが、モンテスキューによって受継がれ、連合権の代りに司法権が置かれることによって、近代憲法の基本原則の一つになり、アメリカ憲法やフランス革命の人権宣言の中に採用された…。しかしこの発展のうちには多分にロックの思想の誤解が含まれて居り、その責任はモンテスキューにある。…立法権と行政権とは、なるほど分離すべき事は主張されているが、アメリカ憲法のように、夫々対等の独立性を持つものとは考えられないで、むしろ立法権の行政権に対する優越が説かれているのである。」(集④ 同上p.197)
 「(五) 「法による行政」の原則
 立法権の優越に基づく権力の分立と不可分に結びついているのが法による行政の理念である。…法における予測性…の要請、従って抽象的法規範(法律)の具体的法規範(命令・執行)に対する優位、罪刑法定主義、法の前での平等というごとき近代法治主義の基本原則がここに悉(ことごと)く芽をふき出している。」(集④ 同上p.198)
 「(六) 人民主権による革命権
 ロックは…主権という言葉を避けて居るが、一切の政治権力を究極的に人民からのトラストに基礎づける彼の立場がいわゆる人民主権を意味する事は明瞭である。…ロックによれば通常の場合は立法府が最高権を持っているのであるから、人民の最高権が発動するのは、もはや合法的手続では人民の自然権を保持出来ぬ場合であ…る。」(集④ 同上p.199)
 「(七) 思想信仰の自由と寛容の原則」(集④ 同上p.201)
「今日まであらゆる統治関係は一方において権力・富・名誉・知識・技能等の価値をさまざまの程度と様式において被治者に分配することによって、本来の支配関係を中和するような物的機構と同時に、他方において、統治を被治者の心情のうちに内面化することによって、服従の自発性を喚起するような精神的装置を発展させて来たのである。もし、そうした社会的価値への被治者の参与と、政治的服従の精神的自発性をデモクラシーの決定的な特徴とするならば、-奇矯な表現にひびくかもしれないが-一切の政治的社会は制度的にも精神構造としてもこうした最小限度の「デモクラシー」なくしては存続しえないのである。」(集⑤ 「支配と服従」1950.12.p.49)
 「むろんこのような政治的社会の中核をなす支配関係を中和し、被治者の自発的服従を喚起する物的精神的装置は必ずしもかかるものとして理性的に自覚されていたわけではない。むしろそれは現実には圧倒的に非合理的な「下意識(サブコンシャス)」の次元での事柄であった。しかも被治者にとってと同様、治者にとってもそうであった。現実の歴史はまさにこの非合理的な「デモクラシー」が治者と被治者の双方の立場から、次第に理性的に自覚され、意識的に形成されて行った過程といえよう。その結果どういう事態が起ったか。…今日は被治者は憲法に明記された制度的保障によって治者の権力に参与し、その「意見」は計数的に測定されて政府の交替を可能ならしめるまでに至った。しかし同時に治者はもし通信交通報道手段の広汎な利用によって、被治者の「意見」をあらかじめ左右しえたならば、投票という「客観的」形態で確保された被治者の「同意」の上に何物をも憚るところなく権力をふるうことが出来るようになった。民意の流出する明確な溝が出来たことは、逆に治者による民意の操縦をも容易にしたのである。被治者が社会的価値への参与と政治的服従の自発性を自覚的に組織化して行く過程は、一面においてはたしかに文字通り民衆の政治的=社会的=市民的権利の獲得とその主体的意識の向上の歴史であった。しかしそれは反面からいえば、この物的=精神的装置の果すイデオロギー的役割、すなわち、現実の政治社会にまぎれもなく存する支配関係を精錬し、抽象化し、その実態を被治者の眼から隠蔽するという役割を治者がますます明白に意識し、そうした目的意識に基いて大規模にこの装置を駆使するまでに至った歴史ともいえる。…この点で「二十世紀の神話」(A.ローゼンベルグ)に依拠するカリスマ的支配がまさに「人民の同意」に基いて現われえたという事実にもまして、以上の両面的な合理化に内在する巨大な矛盾と痛ましい悲劇とを物語るものはなかろう。)」(集⑤ 同上pp.50-51)
 「とくに現代においてあらゆる政治的イデオロギーが好んで用いるのは集合概念としての「人民」に支配の主体を移譲することによって、少数の多数に対する支配というあらゆる支配に共通する本質を隠蔽するやり方である。支配の非人格化のイデオロギーの最大のものは「法の支配」のそれである。「人間が支配せずに法が支配するところに自由がある」というカントの定言が近代自由主義の大原則である…が、それが、現実に法を解釈し適用するのは常に人間であり、抽象的な法規範から自動的に一定の具体的判決が出て来るわけではないという自明の理を意識的=無意識的に看過し、国家権力の現実の行使が支配関係の基礎を、それに対するチャレンジから防衛するという至上目的によって制約されているにも拘わらず、国家及び法の中立的性格を僭称することによって、しばしば反動的役割を営むことは、例えばH・J・ラスキが米国の大審院の歴史などについて鋭利に指摘したところであった…。なお、国民共同体の理念やいわゆる国家法人説のようなものも、やはり支配の非人格化のカテゴリーに編入されよう。」(集⑤ 同上p.53)
「治者がいかに暴力ないし暴力の威嚇を以て被治者を支配してもそこからは被治者の自発的な服従というものは生まれて来ないのです。そこでいやしくも持続的な統治関係を樹立する為には治者は…被治者に統治関係を、積極的でないにしても尠(すくな)くとも消極的に認めさせなければなりません。被治者の服従に最小限度の能動性が無ければ何事をも為し得ない。被治者の能動的な服従は、被治者が治者の支配に何等かの意味を認めて始めて可能であります。…被治者が明示的にせよ黙示的にせよ統治関係を容認し、これに意味を認める根拠を通常権力の正統性的根拠と呼ぶのです。…歴史的に現われた、主な正統性的根拠の類型を列挙して見ましょう。」(集⑤ 「政治の世界」1952.3.pp.153-154)
 「最後に挙げるべきは近代に於て最も普遍的な正統性的根拠としての人民に依る授権です。デモクラシー原理が世界中到る所に於て勝利を博するようになったために、現代の凡ゆる支配者は自己の支配を人民に依る承認ないし同意の上に根拠づけるようになりました。…正統性的根拠に関する限り、現代の主要な政治思想は悉く民主主義的正統性に帰一したといえるでしょう。しかしそのことを逆にいえばある政治権力が民主主義的正統性に依拠しているからといって、それだけではその権力が現実にどの程度人民に責任を負い、どの程度人民の福祉に仕えているかを判断する規準にならないということにもなるわけです。或る場合には人民と自己を同一化することによって政治権力は国民や人民の名に於てどんな専制的な残虐な行動を仕出かさないとも限らない。随って人民の同意ということに現代の正統性が帰着すればするほど、それだけ、私達は権力に対する監視と批判の眼を鋭くしなければならないのです。」(集⑤ 同上pp.158-159)
「近代国家の母体となった十六・七世紀の絶対主義国家において、統治体制はそれ以前の段階から飛躍的に組織化されました。…物的手段の所有から切り離されて君主の下で俸給をもらって専門的に行政・軍事を担当する近代官僚の組織が誕生しました。封建的な権力の多元性はこれによってはじめて打破されて、統一国家が形成されたわけです。ところがやがて中世の等族会議から発達した「議会」が統治機構の中で立法機関として漸次重要な地位を占め、君主及び官僚層に依って代表される行政機関と併立するようになり、行政機関から又司法機関が分化して、ここに立法部、司法部、行政部という殆ど常識化した近代国家の統治組織の分類が生れるようになったのです。
 三権分立と俗にいいますが統治組織の問題としては三機能の分化といった方が正しいのです。…これが諸権力の分立のように観念されているのはひとえにその歴史的由来によるものです。…行政府は君主貴族という旧支配階級のシンボル、立法府は新興ブルジョアジーのシンボルとしてそれぞれ異質な社会的利益を代表するものとして観念せられ、そこからこれら諸機関の間の牽制と均衡(checks and balances)によって国家権力の濫用を防ぎ市民的な自由と安全を守るという自由主義の政治観念が発展したわけです。そうした思想を最初に体系づけた思想家はジョン・ロックでした。…最初は‥主として立法府による行政府の牽制が問題になっていたのです。それがモンテスキューにいたって始めて三権分立という観念に発展し、独立後のアメリカ憲法の中にこの観念が成文化された為に恰(あたか)も三権分立が近代憲法の基本的原則であるかのように考えられるようになりました。…イギリス型の議院内閣制にせよ、アメリカ型の大統領制にせよ、国家の諸機関を互に牽制させてそれに依って人民の自由を保証するという考え方は、二十世紀に入ってからは益々影が薄くなって、むしろそうした諸機関が緊密に協同して統一的な国家意志として強力に作用する為の配慮に益々重点が置かれるようになりました。権力の分立ではなくして却って権力の統合と集中という問題が日程に上って来たのです。つまり権力の分立とは実は諸機能の分化と分業に過ぎないという統治組織本来の面目が益々はっきりして来たともいえましょう。…こうした傾向を一歩進めれば議会政治の実質的な否定に立ち到ることはナチスの「授権法」や我が国の戦争中の「国家総動員法」「戦時行政特例法」などがヒットラー、東条独裁の足場になった例からも明白です。…この執行権の強化の傾向を如何にして民主主義の要請と調和させるか、いい換えれば増大する執行部の勢力を如何にして人民に責任を負わせ人民のコントロールの下に置くかということが世界中を通じての現代の最大難問の一つになっています。」(集⑤ 同上pp.162-166)
 「これは国家組織だけでなく、‥凡そ現代のあらゆる組織に共通する問題です。…もしこの傾向が一方的に押し進められるなら、組織の一般構成員大衆は組織の運営に対して益々無関心になり、その組織の一員としての自覚なり責任感なりは減退し、遂には組織全体の作用能力そのものが麻痺してしまうわけです。…機能的合理化を一方的に押しすすめると実質的な不合理性が生れて来る。ここに現代のあらゆる組織の、したがって国家組織の当面する大きなディレンマがあるのです。」(集⑤ 同上pp.166-167)
「昔から治者が最もしっかり握って放さなかった価値は政治権力であって、権力は唯被治者の圧力に依ってのみ譲歩されて来ました。いわゆる民主化の過程というのは、この意味で何より権力配分の過程、逆にいえば、被治者の権力参与の過程として現われるわけです。近代国家に於てこうした権力配分過程を具象化しているのはいうまでもなく、代議政治(representative government)の発達でした。しかしながら代議政治を具象化している議会は単に人民の力の結集点ではなく、‥一面ではどこまでも統治組織の構成要素なのです。この面を忘れると、あたかも代議政治によって、支配関係が消滅したかのような幻想が生れます。…フランス革命に於て定式化された、いわゆる自由主義的デモクラシーの根本的な建前は一方、市民社会を構成する人間の具体的な生活条件を不平等のままにしておいて、他方抽象的な公民としては万人平等の権利を与えたということにあります。…法的地位の平等に依って却って資本家、地主、労働者、サラリーマン、自作農、小作農といった社会的地位の不平等が裏付けられているのです。随ってここで「民意」と呼ばれているものも、人民がそれぞれの職場で自分の所属する階級の具体的一員としての意見ないし利益を主張することではなくて、寧ろ各人が抽象的公民として持っている一票ずつの投票権を算術的に寄せ集めた結果に他なりません。…こうした、算術的計算の上に立つ選挙制度は確かに直接的な物理的強制の行使に比して遙かに合理化された政治的テクニックではありますが、同時にそれが人民をバラバラな原子的個人に解体することに依って、その階級としての組織化をチェックする客観的役割を果すことは到底否定することは出来ません。…人民が日常的に働く職場を通じて具体的に権力、財貨、尊敬等の価値に参与する時に始めて民主主義は現実の人民の為の民主主義になるのです。…いまやますます激化して行くこの矛盾(丸山:政治権力が大衆に与えられているのに経済的権力が少数階級の手中にあるという矛盾)を解決しうるかどうかに、代議制の将来はかかっている…。」(集⑤ 同上pp.170-172)
「近代の議会政治における選挙には二つの大きな目的があります。一つは、国民のなかにあるいろいろな立場なり、意見なりができるだけ忠実に議会に反映されるということです。つまり選挙に現われたいろいろちがった国民の意見や立場が、みながみなというわけには行きませんが、少くもある程度有力な意見なり立場なりがみな議会の中にすくいあげられる。ということで、つまり議会が国民意思の鏡であるというのは、こうした面を指しているわけです。 それと同時に、選挙にはもう一つ重大な役目がある。それは、国の政治を決定し遂行する主体-政党-をきめる。いいかえれば、一体いかなる政党が政権をとって政局を担当するかをきめるということです。国民のなかにどんなにいろいろの立場や政党があっても、究極には国政は一つの国家の意思として発動するわけですから、選挙は、この担当者をきめる意味をもつ。そうして、選挙の結果、多数をえた政党は、国民が政局担当をその政党に委ねたという建て前がとられる。つまり多くの政党のなかからその政党を国民が選択したという建て前がとられるわけです。
以上の二つの意味というものは、必ずしもいつでもうまく一致するというわけには行きませんが、少くも民主主義的な選挙と称しうる限り、この二つの意味を共に欠くことができない。…
第二次大戦後のいわゆる西欧国家群のなかのある国々では、こういう下からの自発性を殺さぬようにするという工夫よりも、むしろどうしたら特定の勢力、具体的に申せば左翼勢力の進出をくいとめうるかということに選挙法改正の中心が移ってしまった。始めからある結果が望ましいと考え、その望ましい結果を国民の意思という建て前の下につくり出すために、選挙法をいじくる、ということになった。」(別集② 「議会政と選挙の機能」1953.6. pp.41-43)
「いやしくも民主主義の下での選挙である限り、第一と第二の両面は密接に関連していて、第一の民意の反映、民意の吸い上げの機能が著しくそこなわれると、結局第二の政治的指導の主体を国民が選択し決定するという機能も円滑に行われなくなるのであります。そのわけをできるだけ簡単に御話して見たいと思います。…
多数党が民意を代表しているという建て前をそのまま現実と混同して、その上にあぐらをかいてしまうと、そこから多数党の横暴、数の暴力といわれる様な現象が発生するのです。
議会の中でも外でも、少数者が多数の支配を承認するのは、いわゆる少数者(建て前の上の)の言論の自由その他の基本的人権が尊重されるからであって、この少数者の権利、具体的には反対勢力権が保障されているからこそ、少数者は明日には多数になりうるという希望をもち、今日の多数党の支配をみとめるのであります。これがいわゆる合意/納得(コンセント)による支配といわれる所以であります。この意味で、ケルゼンが多数決原理は正確には多数少数決原理というべきだ、といっているのは、味わうべき言葉だと思います。」(別集② 同上pp.45-48)
「現在の権力者が権力を維持し政局を安定させるために、選挙法を操作するというのは目的と手段を顚倒しているといわねばならない。政局の安定自身が最上目的になって、選挙はその手段にすぎないということになると、次の段階には、民主的な選挙のフェアな手続そのものをふみにじっても政局安定をはかるということにならざるをえない。こうなるともういわゆる独裁政治であります。
一見きわめて技術的に見える選挙法のなかに実は民主主義の根本にふれる重大な問題がふくまれているということについて皆様に考えていただきたいというのが、私の趣旨なのであります。」(別集② 同上p.49)
「現代は民主主義が世界的に正しい政治様式として承認され、もはや実際はともかく口で正面から民主主義を否定する政治思想は地上から姿を消してしまった観があります。ところがこのように民主主義が普遍化した現代に、政治の名目上の主人公である民衆がますます政治的な問題に積極的関心を失い、むしろ政治から逃避する傾向が増大していることが、日本だけでなく、アメリカ・イギリス・フランスのような先進民主主義国でも顕著になっていると報告されているのです。…
 要するにわれわれの生活環境がすべてこういう政治に対する消極的受動的態度を培養するようにできていることは否定できないと思います。第一、日常生活がますます多忙になり職場での労働で人々が神経をすりへらされて、政治に関心をもつ時間的余裕も心理的余裕もないというのが大多数の人々の状態です。しかも他方、大衆の娯楽機関や観るスポーツなど、政治などのメンドクサイことから逃避させる仕組はいよいよ発達します。
 そこへもって来て、大きな政治問題がますます自分の手のとどかない国際情勢によって左右され、いくら政治に関心をもってもどうにもならないという絶望の気分がひろがって行きます。こうして、かつてルソーがイギリスの民主政治をふうしした言葉-「イギリス人は自分を自由だと思っているが、彼等が自由なのは選挙の日だけで、選挙がすんだ翌日から奴隷になる」〔『社会契約論』第三篇第15章〕という言葉がいよいよ実感をもって現在の大衆民主政の時代に迫って来るようになったのです。
 ともかく、本当に民主政治の将来を憂える学者や思想家によって、アメリカでもイギリスでも、どうしたら大衆の政治的無関心と政治からの逃避をくいとめることができるのか、ということが真剣に考慮されています。」(別集② 「政治的無関心と逃避」1953年? pp.51-52)
「デモクラシーの健全を保つ為には、行政権、執行権の決定方式を一方においては内部的に民主化してゆき、他方、対外的には人民にたいしてもっと行政権が責任を持つ体制にしていくということが必要になってくるわけであります。しかも大事なことは、本来デモクラチックな制度であるはずの政党なり、労働組合にしても、そういった組織において、党内民主化、団体内の民主化問題というものが非常に切実な問題になるわけであります。」(集⑥ 「現代文明と政治の動向」1953.12.p.29)
 「企業全体の運転の努力目的が私的利潤の増大ということにある為に、企業の内部が徹底的に合理化され、計画化され、組織化されているに拘らず、企業の対社会的な責任ということになると少しも考慮に入れられない。‥対内的合理性と対外的非合理性と無責任制との矛盾が極点に達する‥。…現在の問題は、こういう巨大な組織を依然として、私的権力体として放っておくか、それともそれを社会的なコントロールの計画の下におくかという、ここに現在経済組織のいちばん根本の問題があるのであります。
 ‥現在の民主主義化は選挙権の拡充といったような方向で、いくらかでも政治的社会の民主化は出来たけれども、‥経済的にはかえってますます寡頭政的な(民主主義と逆の)傾向が増大してきた。これはどっちかの犠牲において埋め合せなければならない。政治社会の方も民主化を犠牲にして寡頭支配にするか、それとも経済社会の寡頭支配ということを民主化して政治社会の方に適合させるか、どちらかの途しかない。政治社会の寡頭支配はいわゆるファシズムであり、政治社会における民主主義を逆に経済社会に押し及ぼそうじゃないか、というのが社会主義の根本の考え方に他ならないのであります。」(集⑥ 同上pp.pp.29-32)
 「現在社会においては非常に多くの人間が巨大な組織体の一員として属しているので、そういう社会のデモクラシーが、政治的に関心を持たない、持つことを禁止された人々、能率をあげることだけを唯一の道徳であるように訓練された人々の大量によって支えられているということになりますと、如何に形式的に発達したデモクラシーでも中がガランドーなデモクラシーであって、自発的、能動的な、市民的な精神は、みるかげもなく失われてしまうのであります。」(集⑥ 同上p.35)
「近代国家における愛国心はほぼ二つの段階を経て成立した。第一に、絶対君主による中央集権的統一国家の樹立は中世における領主、教会、ギルド、自治都市へのloyaltyを崩壊させ、あらたに愛国心の地盤としての国家領域national territoryを登場させた。…しかし近代の愛国心の形成に決定的な重要を持つ第二の契機は自由・民主主義の発展であった。愛国心という言葉にはじめてその近代的意味をあたえた政治家が十八世紀初期のイギリスにでたのは偶然ではない。…さらにルソーの思想において自由と愛国の二つの観念はロマン的な色調をおびて結合され、これがフランス革命において指導的なスローガンとなった。…」(集⑥ 「政治学事典執筆項目 愛国心」1954.5.p.76)
「あらゆる革命政権が権力を掌握してまず直面する政治的課題は、旧体制の社会的支柱をなして来た伝統的統合様式を破壊し、‥社会的底辺に新たな国民的等質性を創出することである。それは同時に新たな価値体系とそれを積極的にになう典型的な人間像(たとえばフランス革命における「市民(シトロイアン)」、人民民主主義における「人民」)に対する社会的な合意(コンセンサス)をかちとる道程でもある。…この段階では形式的民主主義のある程度の制限が少くも歴史的に避けられなかった…。民主主義的諸形式はこの国民的=社会的等質性の基盤の上にはじめて円滑に機能し、後者の拡大と共に前者の拡大も可能となる。ルソーの社会契約説における原初契約が「全員一致」を条件とし、この基盤の上に多数決原則を正当化したことの意味はここにあり、それはまさに来るべきブルジョア革命の論理化であった。」(集⑦ 「現代政治の思想と行動第二部 追記」1957.3.pp.19-20)
「多数決という考え方には、違った意見が存在する方が積極的にいいんだという考え方が根底にある。違った意見が存在するのがあたりまえで、それがないのはかえっておかしいという考え方ならば、全員一致はむしろ不自然だということになるんです。ここではじめてつまり、反対意見にたいする寛容、トレランスということが徳とみなされるようになる。…反対少数者が存在した方がいいという考え方から、少数意見の尊重ということが、あるいは、反対意見に対する寛容ということが、民主主義の重要な徳といわれる理由はすべてそういうところから出てくるわけであります。…
 つまり、全員一致を理想とする考え方と、デモクラチックな多数決という考え方とは似ているようで意味が逆になるわけです。多数と少数との議論によるプロセスそれ自身を重視するか、それともその結果だけを重視するかということの違いになってくるわけであります。」(集⑦ 「政治的判断」1958.7.pp.342-343)
「日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。…「自分が捉(とら)われている」ことを痛切に意識し、自分の「偏向」性をいつも見つめている者は、何とかして、ヨリ自由に物事を認識し判断したいという努力をすることによって、相対的に自由になり得るチャンスに恵まれている‥。…自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的にもっています。民主主義的思考とは、定義や結論よりもプロセスを重視することだといわれることの、もっとも内奥の意味がそこにあるわけです。…身分社会を打破し、概念実在論を唯名論に転回させ、あらゆるドグマを実験のふるいにかけ、政治・経済・文化などいろいろな領域で「先天的」に通用していた権威にたいして、現実的な機能と効用を「問う」近代精神のダイナミックスは、まさに‥「である」論理・「である」価値から「する」論理・「する」価値への相対的な重点の移動によって生まれたものなのです。」(集⑧ 「「である」ことと「する」こと」1959.1.pp.24-26)
 「民主主義とはもともと政治を特定身分の独占から広く市民にまで解放する運動として発達したものなのです。そして、民主主義をになう市民の大部分は日常生活では政治以外の職業に従事しているわけです。とすれば、民主主義はやや逆説的な表現になりますが、非政治的な市民の政治的関心によって、また「政界」以外の領域からの政治的発言と行動によってはじめ支えられるといっても過言ではないのです。」(集⑧ 同上p.38)
「現実の政治は必然的に権力を伴い、一方的な強制力の行使を前提とする。‥にもかかわらず一般には、かかる現実は無視され、政府と被治者の間の権力関係は忘れられ、もしくは隠蔽されて、あたかも政治がround tableの討議と同じであるがごときイデオロギー的錯覚に陥っている。特に日本のような権威崇拝の伝統の強いところに、民主主義の理念が華々しく祝福されるところでは、こうしたイデオロギー的欺瞞が一層甚だしいように思われる。政治社会はどんなに民主化されても、依然として権力現象であり、組織的強制力を行使できる治者と、然らざる者との関係は不平等なものである。…  つまり、民主主義の理念は、本来、政治の現実と反するパラドックスを含んでいるのであり、このパラドックス性を忘れて、実際に行われている「民主主義」政治を物神崇拝することは、警戒しなければならない。しかし、かくのごとく、「人民の支配」ということが理論的に矛盾を含み、そのままの形では実現できないとしても、決して民主主義が無意味なのではなく、むしろそのギャップのゆえにこそ、たえず民主化せねばならないという結論が出て来るわけである。そしてこのためには民主主義を既成の制度として、あるいは固定的なたてまえとしないで、不断に民主化してゆく過程として考える訓練をすることが重要であろう。…結局、政治における少数支配と権力関係の介在を不可避のこととして、その前提のもとに権力を不断にコントロールしてゆこうとするところに民主的なものが生まれてくる重大な契機がある‥。」(集⑧ 「民主主義の歴史的背景」1959.2.pp.89-90)
 「今日の民主主義には大まかにいって二つの系譜があり、その合流、葛藤によってさらに種々のものがでてきた‥。
 そのⅠの系譜は「ポリス(ギリシャの都市国家)的民主主義」の概念である。ここでの中核概念は積極的市民すなわち公民が公共事の決定および施行に参与すること、つまり市民の参与participationである。…
 Ⅰの系譜からは、間接民主制より、直接民主制の方がヨリ民主的という結論が出てくる。また、ここからいわゆる「人民主権」-権力行使についての最終的判定者は人民である-の考え方が出てきて、革命権、反抗権が正当づけられる。換言すれば人民と国家権力とが一体化すればするほど民主化というわけで、思想史的にはルソーがこの古代的デモクラシー理念の系列を代表し、ジャコバン主義へと流れ込む。
 これに対しⅡの系譜は「クリスト教および中世に由来する民主主義」であり、これはむしろ立憲主義Constitutionalismといった方がよいかもしれない。ここではストアから中世に至る自然法思想や中世に由来する立憲主義的伝統が基礎となる。権力が単一主体に集中したり、ヨリ上級の規範によって拘束されないという事態になると、本来よい目的をもった権力でも濫用されたり害を生ずる、という考え方が中核をなす。…
 Ⅱの系譜はその由来を問えば、本来aristocraticなもので、封建貴族、自治都市、教会、地方団体等が自分たちの身分的特権を王の恣意的権力行使から守ろうとしたところに端を発している。しかし、ここからも、特権は自然法によっているという理由のもとに、自然法に反する君主の権力行使には反抗する権利がある、という身分的立場からの抵抗権の主張が生まれた。現在の西欧民主主義は十九世紀後半に、このⅠ・Ⅱの系譜が合流し、妥協してできたものである。
 一般に「マルクス主義的な民主主義」あるいは「人民民主主義」とよばれているものはⅠの流れから発展したものである。…Ⅰを発展させると人民と国家権力との合一化が理想となり、この点にまで至った国家権力は万能であってもかまわないということになる。…そこには大衆の自発性、潜在能力に対する無限の信頼があり、男女間・民族間の完全な平等、人種の無差別の思想が盛られている。…
 自由が制度的に保証されていても、中身が空洞化しているということはよくあることである。…自由は使わなければすぐさびたり、腐ったりするものである。民主的権利は日々行使することによって始めて保たれる。…未来に向って不断に民主化への努力をつづけてゆくことにおいてのみ、辛うじて民主主義は新鮮な生命を保ってゆける…。」(集⑧ 同上pp.90-95)
「政治行動というものの考え方を、‥私たちのごく平凡な毎日毎日の仕事のなかにほんの一部であっても持続的に座を占める仕事として、ごく平凡な小さな社会的義務の履行の一部として考える習慣-それが‥デモクラシーの本当の基礎です。…私たちの思想的伝統には「在家仏教」という立派な考え方があります。これを翻案すればそのまま、非職業政治家の政治活動という考え方になります。…つまり本来政治を職業としない、また政治を目的としない人間の政治活動によってこそデモクラシーはつねに生き生きとした生命を与えられるということであります。」(集⑧ 「現代における態度決定」1960.7.pp.314-315)
「社会主義について永久革命を語ることは意味をなさぬ。永久革命はただ民主主義についてのみ語りうる。なぜなら民主主義とは人民の支配-多数者の支配という永遠の逆説を内にふくんだ概念だからだ。多数が支配し少数が支配されるのは不自然である(ルソー)からこそ、まさに民主主義は制度としてでなく、プロセスとして永遠の運動としてのみ現実的なのである。  「人民の支配」という概念の逆説性が忘れられたとき、「人民」はたちまち、「党」「国家」「指導者」「天皇」等々と同一化され、デモクラシーは空語と化する。(昭三五・八・一三)」(対話 p.56)
「非常に迂遠かもしれないが、僕は自然状態から考えてみる。かりに一人一人が、自分の生活なり幸福というものを、自分の責任で守ってゆかねばならない、つまり外からの侵害にたいしてめいめい自分一人で棒きれでも何でも使って身をまもらねばならない状態を想定してみる。万人の万人にたいする戦い、という極限状況が、いつも生き生きとしたイメージになってはじめて、国家が暴力を独占していることの意味-意味というのは同時に限界ということだが-その意味がきびしく問いつめられる。…
 ところが、日本はむかしから、自然的・地理的な境界が同時に国家なんですね。で、どうも「自然状態」っていうものがイメージとして浮かばないんですね。もし浮かぶとすれば共同体ですが、共同体的自然状態ではこれまた、暴力の制度化という必要の切実さがでて来ない。そういう日本の歴史的条件だけから見れば、僕のいう無数の内乱状態と制度との二重イメージがひろがるということは、絶望的に困難なように思われる。ところが逆に、核兵器の飛躍的な進歩とか放射能の問題の方から考えると、一人一人の人間が国家などは超越したものすごい暴力に直面しているという状況に、またなってきているんじゃないかしら。国家あるいは政治権力に人々がともかく服従しているのは、結局生命財産を保護してくれるという期待があるからです。ところが、世界中でだんだん、もはや国家頼むにたらず、という状況になってきつつある。だから、ぼくは日本でも生き生きした自然状態のイメージが出てこないとは必ずしもいえないと思いますね。
 「近代」っていうものを、成熟した高度資本主義のモダーンじゃなくて、近代社会がうまれてくるその荒々しい原初点でね、もういっぺん思想的につかみなおそおう‥。
 僕は永久革命というものは、けっして社会主義とか資本主義とか体制の内容について言われるべきものじゃないと思います。もし主義について永久革命というものがあるとすれば、民主主義だけが永久革命の名に値する。なぜかというと、民主主義、つまり人民の支配ということは、これは永遠のパラドックスなんです。ルソーの言いぐさじゃないけれど、どんな時代になっても「支配」は少数の多数にたいする関係であって、「人民の支配」ということは、それ自体が逆説的なものだ。だからこそ、それはプロセスとして、運動としてだけ存在する。…
 マックス・ウェーバー‥は「権限」を厳守する官僚制の精神と「自由」な政治家の責任倫理とを区別した。けれども、たんに区別しただけじゃない。機構のなかにあることの不可避性の自覚が、瞬間瞬間の自由な人格的決断に結びつくところに理想的人間像を求めた。その意味ではすべての人は合理的官僚であると同時に指導者でなければならない。それ以外に自由の将来はあり得ない。共同体的自由も「山林の自由」もこの現代の宿命を自覚しないからどうしても無責任になっちゃうと思うんです。」(集⑯ 「5.19と知識人の「軌跡」」1960.9.19.pp.32-34)
「流動する社会現象は‥一定の道にはまらないという性格が強い。そこでわれわれに与えるイメージはおのずから強烈になる。この強烈なイメージが、したがってわれわれにいろいろな感じを呼び起こさすわけです。
 ‥出来事の意味を調べて、われわれの既存のイメージをそれに従って検討していくという余裕のないところは、それ自身として不愉快なものとして、あるいはもっとはなはだしくなると、起こるべからざるものが起こったとして、それを見ようとするわけであります。そういう政治的状況ほど、制度と反対にわれわれの内部に住みついていないからであります。ところがわれわれがほんとうに批判的であるとするならば、制度による高速と、状況による拘束というものとに敏感にわれわれの意識を働かせなければいけない。…
 ところが大多数の人はそうではない。制度にのっとった行動は非常にナチュラルに思える。国家の管理が職権を越えて行動する場合には、‥越えた部分は純粋な組織的暴力であります。しかしそういう感じをわれわれは普通にはほとんどもちません。民衆の中における集団運動の行き過ぎは非常に強烈な意味ですぐわかる。…
 これは考えてみれば非常に不思議なことであります。ラスキーがいっているように、この不思議なことをストレンジとみる、あるいは驚くべき現象だということをみる感覚、そこからデモクラシーが育ってくる。…驚くべき現象に対して驚くこと、その驚くことから権力の濫用をチェックしなければいけないということが生まれる。…本来手段である制度というものが目的になる。それが自然のものとなる。…そういうところからわれわれの権力に対する絶えざる問いがなければ、権力の濫用が何時も起こりやすいということが、歴史の教える教訓になってくるのであります。」(別集②「内と外」1960年pp.374-376)
 「議会政治というものは、一面では国民が権力の行き過ぎ、権力の乱用をコントロールする装置、権力に対する制御装置であります。他面においては、政府ができるだけ国民の理解と意見を聞いて、その上に政策をするための装置であります。これを受信装置に変えるならば、議会政治の安定性はどこにあるか。議会の外に行われている出来事にできるだけ多様の通信を自分のうちに正しく受信する能力、その上に政策の決定がなされる。これが大事なことです。それによって政策の安定がもたらされる。国民が権力を制御するために、国会なり政府に対していろいろな通信を送る、選挙における投票はその一つにすぎない。しかしそれだけでなくて日ごろ権力に対するいろいろの通信を送る行動を絶えずとっている。それを議会の方で正しく受信する。多様の通信をできるだけ受信し、国民に対して政策決定として送信する。この通信が円滑に行われている場合は、議会政治は安定するのです。  もしそうでなくて、ちょうど議会が閉じた社会のように、ある種の通信をはじめから受けつけない、あるいは国民が国会と政府に対する制御-リモート・コントロールを働かせない場合はどうなるか。そうなると国会と国民は離れていく。議会制度は国民があっての議会であるのに、制度自身が独り歩きする、国民から遊離してしまうことになる。」(別集② 同上p.377)
「私自身についていうならば、およそ政治制度や政治形態について、「究極」とか「最良」とかいう絶対的判断を下すことに反対である。…私は議会制民主主義を理想の政治形態とはけっして考えていない。しかしその反面、来たるべき制度、あるいは無制度のために、現在の議会制民主主義の抽象的な「否認」をとなえることには、政治的-議会政治的だけでなく-無能力者のタワゴト以上の意味を認めがたいのである。
 …民主主義は議会制民主主義につきるものではない。議会制民主主義は一定の歴史的状況における民主主義の制度的表現である。しかしおよそ民主主義を完全に体現したような制度というものは嘗(かつ)ても将来もないのであって、ひとはたかだかヨリ多い、あるいはヨリ少ない民主主義を語りうるにすぎない。その意味で「永久革命」とはまさに民主主義にこそふさわしい名辞である。なぜなら、民主主義はそもそも「人民の支配」という逆説を本質的に内包した思想だからである。「多数が支配し少数が支配されるのは不自然である」(ルソー)からこそ、民主主義は現実には民主化のプロセスとしてのみ存在し、いかなる制度にも完全に吸収されず、逆にこれを制御する運動としてギリシャの古から発展して来たのである。しかもこの場合、「人民」は水平面においてもつねに個と多の緊張をはらんだ集合体であって、即自的な一体性をもつものではない。即自的な一体として表象された「人民」は歴史がしばしば示すように、容易に国家あるいは指導者と同一化されるであろう。民主主義をもっぱら権力と人民という縦の関係からとらえ、多にたいする個体という水平的次元を無視もしくは軽視する「全体主義的民主主義」の危険性はここに胚胎する。なにゆえに民主主義的な政治体の仮説が社会契約と統治契約という縦横二重の構造をもっているかという問いが現代においてあらためて問い直されねばならないのである。
 こういう基本的骨格をもった民主主義は、したがって思想としても諸制度としても近代資本主義よりも古く、またいかなる社会主義よりも新しい。それを特定の体制をこえた「永遠」な運動としてとらえてはじめて、それはまた現在の日々の政治的創造の課題となる。」(集⑨ 「増補版 現代政治の思想と行動 追記・附記」1964.5.pp.172-174)
「「近代化」の問題と関連して、ちがったパターンの近代化がありうる。典型的、つまりThe「近代化」があるのではなく、複数「近代化」がある。日本の近代化のパターンと中国の「近代化」のパターンは同じないし、また同じである必要もない。日本の「近代化」とヨーロッパの「近代化」はまたちがうように。…あるトラディショナルな一つの体制が打破される時には、いろいろな方向をとりうるのであって、その一つが西ヨーロッパにおける資本主義的な方向です。…あるトラディショナルな社会がこわれた時にとる方向は、名は近代化であろうと実は多元的で、その形をいろいろ比較してゆくほうが有効なのではなかろうか。ヨーロッパはそのうちの一つの型なのではないか…。」(集⑯ 「普遍の意識欠く日本の思想」1964.7.15.pp.54-55)
「ヨーロッパの自由・デモクラシー・立憲主義の‥あるものは中世に根をもち確立されたもの、あるものはギリシャで確立し、そうしたものがあいあつまってブルジョア・デモクラシーを形成しているわけです。それゆえに、その中に矛盾するものがいくらもあるわけですね。たとえば、権力の分立と人民の支配-つまり治者と被治者の合致という理想とは矛盾する。この両者は系譜としてはちがったものからきているわけで、ちがった系譜からの思想で矛盾するものはいくつもあるわけです。」(集⑯ 同上p.58)
「民主主義が世界的に承認されるようになったのは第二次大戦以後のことです。‥味方も民主主義、敵も民主主義といわざるをえなくなったのは第二次大戦以後のことなんです。それぐらい新しいんです。というのは、逆に反民主主義的な考え方はそんなになまやさしいものではない。それなりの長い由来と論拠をもっているということなんです。それと闘ってどうやって民主主義を築いていくかということは大変なことなんです。」(集⑯ 「丸山眞男教授をかこむ座談会の記録」1968.11.p.81)
「デモクラシーの考え方というのは、パート・タイム政治参加です。つまり、国民の大部分は職業政治家じゃないわけです。人民主権という意味は、大部分は職業政治家じゃない人民が、政治について最後の発言権を持つ、という考え方でしょ。ということは、政治のアマチュアが最後の発言権を持つ-政治について。なぜかと言えば、政治、政策の影響を受けるのはわれわれ一般国民でしょ。決して一部の政治家じゃないです。だから政治に関係していない一般国民が、政策の是非について最後の判断を持つというのが人民主権のたてまえ。アマチュアがスペシャリスト(職業政治家)をコントロールするというのが民主主義の考え方です、根本の。したがってアマチュアが"知らねえや"とシラけちゃうと、"政治なんて関係ねえや"ということになったら民主主義はおしまいです。つまり、政治というものが政治家のものになっちゃったら、民主主義というのはない方がいい。というのは、民主主義のたてまえというのは、そもそも政治家じゃないものが政治に関心を持つことによって成り立っている。アマチュアですから皆ほかに職業を持っているでしょ、だから政治に対する関心の持ち方というのは非常に限られています。パート・タイム参加というのはそういうことです。パート・タイムにしろ参加してなきゃいけない。このパ-ト・タイムというものを、できるだけ日常的に……。
 …パート・タイム参加というのはやっぱり日常的な参加、しかしそれはパート・タイムです。フル・タイムの参加はできない。皆、別の職業を持っているのですから。職業政治家じゃないんですから、少しの時間を割いて、職業政治家のやる政治を監視しなきゃいけない。厄介なんですよ、しかし実にやっかいなことによってデモクラシーは成り立つ。
 素人のパート・タイムの政治参加によってデモクラシーというのは保たれている、そういう政治の仕組みなんです。…デモクラシーのやっかいなのは、素人が皆パート・タイムで政治に参加しなければいけない、そういう仕組みになっていること。しかし歴史的にいうと、そうでないと危ないんです。巨大な力を持っていて、われわれの生命を左右する力を持っているんですよ、政治というのは。したがって、どうしたってわれわれは、パート・タイムにしろ政治の動向ってものを監視しなきゃ、結局その結果はわれわれの上に降りかかってきて、その災いというのはわれわれ自身が受けなければならない。」(手帖7「丸山先生と語る会-岩手県東山町-」1977.10.22.pp.14-15)
「二〇世紀に入ってまったく新しく出てきた思想というのはほとんどないんですよ。全部一九世紀に寄生している世紀だと、実に二〇世紀というのは貧しい世紀だと。原水爆だけじゃないかと僕はよく言うんですけれどね。あとは実存主義にしろ、社会主義にしろ、有力な思潮というのは、ことごとく一九世紀なんですね、生んでるのは。‥それから、自由主義の展開もそうですしね。自由主義と民主主義とは非常に違った概念なのに、自由民主主義といって一緒になったのも、一九世紀ですから。
 そうすると、二〇世紀になって一体何が初めて生まれたのかというと、少なくも思想については全くないんですよ、もう二〇世紀も終わろうとしていますけれどね。ですから、一九世紀の偉大な遺産を食いつぶしている世紀だと、今でも僕はそう思っています。」(手帖22 「聞き書き 庶民大学三島教室(上)」1980.9.15.p.9)
「スピノザのいうオムニス・デテルミナツィオ・エスト・ネガツィオ[Ominis determination est negatio.]あらゆる定義[決定]は否定である。つまり、AはAであるという自同律では何も言っていないんです。それによって何が否定されているかということで。例えば、民主主義はいい制度だというだけじゃよくわからない。民主主義ってのは何を否定することによって民主主義であるのかということによって、民主主義が生き生きとしてくる。
 民主主義が制度化されちゃう危険はそこにあるんです。何の否定で成り立っているかということがなくなっちゃう、運動面がなくなっちゃうと。運動と制度の弁証法的統一なんだ、民主主義というのは。全部レールが敷かれたみたいになっちゃうと、何を否定することによって民主主義が成り立っているのかという、実に危ない制度、危ないというか一瞬にして崩壊する制度だということが、わかるんです。」(手帖11 「早稲田大学 丸山眞男自主ゼミナールの記録 第一回(下)」1983.11.26.p.7)
「ヨーロッパの民主主義は、そういう反民主主義と闘いながら、やっと成長してきたものなんです。大変なことなんだ、これは。つまり、公理の上に立ってるから。
 そして、敵も味方も民主主義って言い出したのは、わずか三、四〇年前のことですよ。‥やっと、そこまで来た。‥わずか第二次大戦後に。そのぐらい、民主主義は新しいし、また、ある意味では不自然な考え方なんです。例えば人民主権を言った同じルソーが、「多数が支配し、少数が支配される」ってのは不自然であると言う。支配というのは少数支配なんでね、多数が支配するってことはない。つまり、民主主義は多数支配、それだけじゃないけれど、民主主義には、そういう不自然なところがいっぱいあるんです。
 権威主義のほうが自然なんですよ。名君英傑が出て、あとは、そんな天下国家のことなんて考えないで、みんな自分の好きなことやってるほうが、楽じゃないですか。民主主義というのは、みんなが天下国家のことを、少しは考えるということを前提にしているから非常にやっかいなんだ。民主主義ってのは、みんなアパシー[apathy 無関心]になっちゃったらダメなんだ。人民が主権者であるということは、人民が最後的な決定権を持っているわけでしょ。その人民がアパシーになっちゃったら、どうにもならない。ところが、天下国家なんてものは、みんなが考えることじゃないわけですよ。僕は、パートタイム民主主義ってよく言うんですが、(笑)一日のうち五分間でもいいから天下国家のことを考えたらいいんです。それでなきゃ無理なんだ、職業政治家じゃないんだから。だけど、五分間でも天下国家のことを考えなかったら、民主主義は滅びます。そのぐらい無理な主義なんだ。非常に自然に反する主義なんです。
 …民主主義というのは、多かれ少なかれ全員が、政治的決定だけじゃなくて、社会的決定も含めて、決定過程に参与するから、その中からリーダーシップが出てくる条件は、ほかの社会よりも多いわけです。そうすると、指導者の調達がほかの政治形態よりは容易になる。そういうことなんですよ、簡単に言えば。指導者選択の手段にすぎない。民主主義それ自身が教育機関ですから、民主的決定過程を通じてわれわれが教育されていくわけです。」(手帖11 同上pp.25-27)
「個人の主体性ということは、ギリシャ・ローマの時代には全くないんです。ギリシャではデモクラシーがあれだけ開化したけれど、個人の主体性って考えはゼロ。全部ポリス的人間ですから、ポリスのなかでしか人間は生きられない。ポリスを離れては人間はないんですよ。‥個人の自立という考えが、[近代民主政で]初めて出てきた‥。ギリシャのは参与なんです。つまり、市民全部がアゴラに集まって討議して、そして決定をする。これがギリシャ民主政なんです。そうすると、集団に対する個人の自立性とか、そういう問題意識がないわけ、ギリシャのなかには。‥政治思想じゃないけれど、キリスト教、つまり、一人ひとりの魂が神につながっているという考え。これをまったく知らない、ギリシャ・ローマは。
 そういういろいろな契機が集まって、個人の、‥世のなかに一人しかいないと。こういう考え方が初めて生まれる。だから、個人の自立性という考え方と日本の民族の自立性とか、日本の思想の自立性とかいうのは、レベルが違うんです。」(手帖19 「早稲田大学 丸山眞男自主ゼミナールの記録 第二回(上)」1985.3.31.p.23)
「専門、非専門にかかわらず市民としての政治的義務ということ-変な言葉ですがノンポリの政治的責任と義務ということです。実はノンポリの政治的責任という逆説でしかデモクラシーというのは正当化できない。ぼくは‥在家仏教という比喩をよく使うんです。つまり宗教が坊主の仏教になったらおしまいなのと同様に、デモクラシーというのはもともと在家仏教であって、政治を職業としない、つまり坊主でない、政治以外の職業についているシロウトの政治的関心によってはじめて支えられるものです。‥政治をたんに軽蔑していたら、結果として最悪の政治を招来する。といって、政治参加することは必ずしも職業政治家になることじゃない。政治音痴の文化をもった国ほど、朝から晩まで政治屋、あるいは自称革命家になるか、それとも反対に一切の政治運動を軽蔑する反政治主義かどっちかになりやすい。反政治主義は、人間活動の一部として政治を積極的に位置づけないから、政治の限定ができない。だから一旦緩急あるとオール政治主義になって氾濫する。‥あえて公式的にいえばデモクラシーの歴史が浅いところでは、こういう政治音痴が多い。」(集⑫ 「中野好夫氏を語る」1985.4.8.p.175)
「彼(福沢)には、過度の中央集権に対する根本的な警戒があるわけです。ミル、トクヴィルからそれは学んでるんです。ミルはトクヴィルから学ぶ。トクヴィルはフランス革命の結果を見てるわけです。有名な‥『アンシャンレジームとフランス革命』、それは絶対主義下のフランスと、フランス革命後のフランスとの連続性を評価したものなんです。絶対主義下ですでに開始されていた中央集権を、むしろ極端にしたのがフランス革命だと。実際そうなんですね。今日でもそうですけど、フランスほど中央集権な国はないんですよ。‥
 トクヴィルが、これに対蹠させたのがイギリスなんですね。もう一つは、アメリカ、‥『アメリカの民主政治』です。このアメリカの場合は、ちょっと複雑でね。
 デモクラシーっていう言葉は、ヨーロッパでは使わなかった。一九世紀のはじめですから。その当時、アメリカだけが「デモクラシー」と言った。で、トクヴィルのあの本は、驚くべき予言の書で、だからいまでも古典になってますけども。…
 「平等化が画一化を伴う」とかね、「狭い個人主義の跋扈」とかね。つまり、デモクラシーが発達した社会では、自分の周辺のことにだけ関心があって、パブリック・マインドが減退しちゃうと。
 いわゆる平等化がものすごく進展したとき、一つは画一化現象、もうひとつは狭い個人主義。さらには多数の横暴‥が起こると。
 多数に対して、少数者が「ノー」とは非常に言いにくい。トクヴィルは、アメリカに行って、現実にそのことにびっくりしたらしいんです。‥ファッションのレベルから政治思想にいたるまで。フランスから行って、とくにそれにびっくりしたわけ。だから、ラスキは、のちにトクヴィルのそこから学んで、アメリカについて「デモクラシーがこれほど発達している国はない。精神の独立がこれほど稀薄な国はない」と言ってるんです。つまり、アメリカでは、個人が、大衆の圧力に対して非常に弱い。
 (鶴見「それは、イギリスとアメリカの決定的な違いですね。」)片や、平等のほうは、断然アメリカが発達している。イギリスは、やっと少しは平等になったけどね、これについてはひどい国です。けれど、ぼくが住んだ経験ではいちばんファシズムに対して免疫があるのはイギリスです。フランスより、もっとあります。あのくらい、平等がなくて、自由が絶対、という国はない。
 アメリカは、その後を見ても、そこから言うとちょっと危ないところがある。禁酒法とか、ああいうのが一挙に成立しちゃうでしょ。いまのSDI(戦略防衛構想)だの。今後どうなるか分からないけど、風潮ができるとね、さあーっと、なびいちゃうんだ。それを百年以上前にトクヴィルが予測してるわけです。
 このトクヴィルからミルが学んで、‥『代議政体論』のなかで、はじめてこの「ティラニー・オブ・ザ・マジョリティ」-多数の横暴っていう言葉を使ったんです。で、ミル‥はインディヴィジュアリティっていうのを、とくに強調する。‥(これは)大陸から来た考えなんです。具体的には選挙法の問題で、比例代表制を主張するわけです。比例代表だと少数者の意向も反映されるから、そのことをいちばん強く言ったのが、ミルなんです。
 福沢が、それをよく読んでる。トクヴィルとミルは、福沢の必読文献というか、非常に早くから、この問題を考えてる。それが後進国のおもしろさなんですね。まだ議会もなんにもないときに、多数の横暴とかね、デモクラシーが発達するとどうなるかということを考えてるわけですから。」(自由 1985.6.2.pp.130-133)
「"The Origins of Totalitarian Democracy"(『フランス革命と左翼全体主義の源流』)ってのをタルモンが書いていますけれども、これはルソーからバブーフと、フランス革命を最後まで行くんです。で、バブーフから、マルクスはプロレタリア独裁を学ぶんです。つまり、ルソーの「一般意志」から、バブーフに行って、ロベスピエールもそうですけども、それからマルクスに行くっていう系列があるわけです。「全体主義的民主主義」、つまり、リベラリズムがないデモクラシー一辺倒。デモクラシーを徹底すると、そうなるわけですよ。‥
 つまりですね、マルクスとレーニンを比較すると、マルクスは啓蒙の子ですよ。ぼくはマルクスは一生懸命勉強したから、自信あるんだ。‥一方、レーニンは、やっぱりツァーリズムの負の遺産を非常に継承している。だから、あそこで変質しています。
 ただし、マルクスは啓蒙の子なんだけども、やっぱりどっちかっていうと、ヴォルテールよりはルソーですから。そうするとね、単純化して言うと、リベラリズムかデモクラシーかになっちゃうんですよ。で、どっちかというと、マルクスのほうはデモクラシーになるわけですね。だけど、西欧の伝統があるから、個人の自立性というのが非常に強いでしょ。それが、ロシア革命後の、つまりローザ(・ルクセンブルグ)とレーニンの党内民主主義についての有名な論争となって残るんです。
 ‥そもそも、独立社会民主党からスパルタクスに行ったドイツ社会民主党の左派と、ボルシェヴィキとの基本的な違いは、個人の自由の問題なんです。ローザの有名な自由についての言葉で-「自由というのはいつでも、他人と考えを異にする自由である」、ぼくは好きなんだよね、これが。この伝統のあるなし、そこの違いなんです。民衆の解放とかいうよりね。つまり、自由とは、あなたと考えを異にする伝統なんです。」(自由 同上pp.139-141)
「ワイマール・ドイツで、一九二五年の社会学大会っていうのがあって、そこでいちばん議論になったのが、デモクラシー論争なんです。そこでは、リベラール・デモクラティー-リベラルなデモクラシー-と、ゲマインシャフト・デモクラティー-共同体デモクラシー-という両派があって、大論争やるわけです。デモクラシーというものから、その両方が出てくるんです。で、その共同体デモクラシーっていうことを言ったやつらは、みんなナチになっちゃった。…もっとも進歩的な憲法を持ったワイマールから、結局、ナチが出てきたわけでしょ。つまり、デモクラシー理論で行くと、だいたい、人民投票的独裁制が出てくる。アメリカにもそういう要素がある。
 「アメリカの大統領っていうのは、四年にいっぺん選挙されるシーザーだ」っていう有名な言葉があるわけ。四年にいっぺん選挙されるけれど、独裁制だと。あんなに絶大な権力を大統領が持ってるところは、ほかにないわけですよ。ただ、三権分立だから独裁者とは言えないけど、普通の議院内閣に較べますとね、ものすごく裁量が自由です。人民が直接に国家の元首を選ぶ、そういう直接民主政的なデモクラシーってのは、実際は危ないんですね。ナポレオン三世がそうだし、ヒットラーがそうだし、人民投票で権力をぜんぶ掌握する。権力が集中してるから、トップを掌握しちまえば、もう、それでいいわけですよ。チェックス・アンド・バランセズでやってるところは、なかなか、そうはいかない。どっかで勝っても、ほかでは失敗するとかで。  他方、アメリカがかろうじて救われてるのは、三権分立を学んだことで、いまのレーガンもそうだけれども、議会がそうは簡単に自由にならない。」(自由 同上pp.139-143)
「「ハイル・ヒットラー!」という何万の大衆が、独占資本の暴力的支配で説明できますか。ぼくはできないと思う。やっぱり、そこにはファシズムのレジティメーションがあるわけです。半分はデモクラシーに依存してるわけだ。だから、ナチのイデオローグは、「なんで選挙が人民の意志を代表するのか。あんな算術的な計算よりは、人民の歓呼のほうがはるかに生き生きと大衆の意志を表現するじゃないか」と言ったんですよ。
 やっぱり大衆の意志なんです、レジティメーションは。ファシズムの恐いところは、それなんだ。単なる反動と違うところは、大衆の意志に依存しているということなんです。そこにないのは、リベラリズムなんです。それから、少数者の権利なんです。
 日本でデモクラシー一辺倒になる危なさは、そこなんです。ぼくは絶えず、何十年にわたって言ってるんだけど、むなしいね。」(自由 同上pp.160-161)
「権力分立、チェックス・アンド・バランセズという考え方は、決して近代の産物ではないのです。いわば「純粋封建制」〔の産物〕。‥だからマグナ・カルタが〔立憲制の〕起源だというのは、もっともなのですよ。あれは貴族が王様を制限しただけで、国民というか庶民は関係ないわけです。そういうコンスティテューショナリズムの起源というのは、全部中世です。これは現代では、政治学史上の常識になりました。立憲制というものは全部中世に始まる。
 デモクラシーは近代〔に始まる〕。立憲制とデモクラシーの矛盾というのは、非常に大きくクローズアップされてきた。デモクラシーとなると、劃期はフランス革命になるんです。」(手帖38 「リッターリッヒカイト〔騎士道精神〕をめぐって(上)」1988.5.14.p.12)
「シュミットのデモクラシーの定義というのは、治者と被治者のイデンティテートです。リベラリズムと基本的に違うのです。リベラリズムとデモクラシーとは全く対立する。リベラリズムというのは、ガバメント・バイ・ディスカッション〔討議による統治〕。ガバメントがデモクラティックな基礎を持つかどうかは、全く別の問題。実は発生からしてそうなのです。僕は非常に鋭いと思うな。
 つまり人民代表からは議会を基礎づけられないというのです。ではどうして定員を決めるのか。どうして四百人なら人民を代表していて、二百人だとあまり人民を代表してなくて、一人だとゼロになってしまうのかと。それでは千人にすればよいのか、二千人にすればよいのか、と。全く〔根拠となる〕基礎がないじゃないか、定員には。
 もっと積極的に言うならば、議会制の基礎というものは、レプリゼンタツィオーンReprasentation(代表)にあるのではなくて、ガバメント・バイ・ディスカッション〔にある〕。ではどうしてガバメント・バイ・ディスカッションの信仰ができたかというと、市場のモデルなのです。つまり、「神の見えざる手」〔アダム・スミス〕によって、需給関係から価格が決まってくるように、いろいろな意見が〔衝突し、競争する中から〕、一つの真理が出てくると。その市場原理を議会に応用したのが議会政治なんだ、ガバメント・バイ・ディスカッションなんだというのが、カール・シュミットの有名な『現代議会主義の精神史的地位』という非常に鋭い〔著作〕。
 学生の時に読んで「違うぞ、違うぞ!」と。僕は議会主義への懐疑〔を説くシュミットへの疑問〕から始まっている。それで今でも議会主義者ですから、そういうシュミットとどうやって戦っていくのかということですね。だから、代表原理から議会主義は基礎づけられないというシュミットの考えは僕も正しいと思います。イギリス〔の議会の歴史〕をみても、デモクラシー〔が成立したのは〕一九世紀の終わりですね。議会というのはものすごく古くて、フランスの三部会までさかのぼれば、ズーッと先に行っちゃうわけ、身分制議会でしょ、全部。ただ、ガバメント・バイ・ディスカッション、つまりディスカッションした方が、ヨリ確かな世界だと。ただし僕は、市場原理から導き出したというのはシュミットの誤解だと、はっきりと〔学生時代の欄外〕書き込みがあります。
 〔シュミットは〕非常に鋭いのですけれど、エドマンド・バークは、アメリカ独立に賛成しフランス革命には反対したのだけれど、最も優れた「保守」思想家です。彼はトクヴィルと同じ時代だったのですけれど、議会制の基礎づけをする中で、命令委任-つまり選挙民が代議士をヒモつきにするということ-を鋭く排撃した。それ以来、〔代議士を〕ヒモつきにしてはいけない。世界中どこでもそうです。ナショナル・インタレストを代表しているから、特定の選挙区に拘束されてはいけないわけです。圧力団体ではないわけです、選挙区というのは。だから圧力団体と峻別するためには、選挙民がヒモつきにすることを禁止しなくてはならない。マンダ・アペラチーフmandai imperatifと言うのですけれど、「命令委任」の禁止。これはエドマンド・バーク以来なのです。選挙されている選挙区の代表ではなくて、ザ・ホール・ネイションを代表しているのだという「国民代表」の理論は、そこからきているのです。
 商品生産者の場合は、みんなが自分の利潤を追求したでしょ。自分の利潤を追求して自由市場で競争する結果、神の摂理によって、客観的には需給関係ができるということでしょう。ところが、議院の代表というのは、自分の利潤を追求してはいけないのです、逆に。人間は理性的人間であって、自分の利害に拘束されないで-つまりカント的なんだな-、何が正しいかということを判断し得る。オプティミズムです、そういう意味では。そういう人間が集まって議論する、ある意味でエリート〔いわゆる「教養と財産」ある理性的「市民」〕なのですね。これが脈々とあるのです。それが「大衆」民主主義時代になって、つまり議会主義が危機になるのはそこなのです。」(手帖38 「リッターリッヒカイト〔騎士道精神〕をめぐって(下)」1988.5.14.pp.21-23)
「大体近代国家というものがヨーロッパで発生しているわけです。近代国家の発展に伴って経済、それから近代法、それから絶対主義、次には自由主義、民主主義-そういう政治上のイデオロギー、社会主義を含めて、これは全部ヨーロッパ、キリスト教と違ってヨーロッパに発生したんです。…  プラトン、アリストテレスの中にデモクラシーから独裁政治にいたるまでのモデルが全部あるんです。それを近代的に今度はまた編成替えしているわけです。だけど少なくとも近代デモクラシー、近代自由主義、近代社会主義-ファシズムを含めれば-これは全部ヨーロッパ。それから近代的な統一国家がはじめてできるのがヨーロッパですから、したがって統一国家的法体制もヨーロッパです。」(手帖13 「伊豆山での対話(下)」1988.6.4.pp.48-49)
「ワイマール時代に有名な論争があるんです。リベラーレ・デモクラティー=リベラル・デモクラシーとゲマインシャフツ・デモクラティー=共同体的デモクラシーと大論争があって十九世紀でリベラル・デモクラシーの時代はもう終わった、今やゲマインシャフツ・デモクラティーの時代になった、と。‥その時、共同体的デモクラシーを言った人はみんなナチにイカレたんです。リベラル・デモクラシーと言ったのが頑張ったのです。というのは、リベラルと言うと個人が残るから。共同体的デモクラシーと言うと、ゲマインシャフトの中に没入しちゃうんですよ。共同体の中に個人が。それでみんなナチに。ナチはデモクラシーですからね。やっぱりそれは。リベラルでないだけで。リベラリズムがないだけで、ナチは断然"人民の意志"ですから。人民の意志というのは、カール・シュミットが言っているように、‥算術的計算よりは、はるかに生き生きと人民の喝采によって実現される、という有名な言葉があるんですよ。…人民と結びつかなくちゃ絶対ナチスというのはないわけよ。だからデモクラシーの要素はあるんです。ただ反対する意見とかリベラリズムの要素はない。
 だからゲマインシャフトと言ってリベラルな要素を脱落しちゃうと、全体主義になっちゃう。スターリニズムもそうです。あれを反デモクラシーと言ったら間違いなんです、その意味では。やっぱり大衆の意志に基礎を置いているんですよ。毛さんだってやっぱりそうだと思う。全く[大衆と]無関係に独裁権を持ったのではない、その基盤があるんです。」(手帖4 「「権力の偏重をめぐって(下)」1988.8.10.p.55)
「ポリスの民主主義と近代の民主主義とはどこが違うのか。最大の違いは、ギリシャの民主主義においては私権と公権との分岐がないんです。つまりすべての市民は、-奴隷を除きますよ-すべてのアテネの市民は参政権を持つ。そして自由に議論して指導者を選ぶ。そして同時に指導者を追放し得る。けれども、政府の限界、政府が人民の権利にどこまで干渉できるかという問題意識がないんです。なぜならば人民の政府ですからね。人民の政府が人民を抑圧するはずがないと。そういうことは考えられないんです、ポリスの建て前によれば。‥マルクスの社会主義というのはポリスの伝統の継承だと言ったのは、私権と公権の分裂がない民主主義ですね。ということは、私的自由というものの存在の余地がない。
 …人民の自然権というのは、前国家的、前ポリス的と言ってもいいんです。前政治団体的権利なのです。人間が人間として生まれた以上持っている権利というのがあって、それはいかなる政府といえども干渉してはいけないということですね。これがつまりイデオロギー的に言うと自由主義の系譜に属するし、その起源を言いますと、むしろ中世にあるんですね。近代的自由の中世的起源としばしば言われる。中世というのは、ヨーロッパの中世です。  例えばマグナ・カルタ‥ですね。…元はといえば封建貴族が王権の絶対性を制約したもの。しかし思想というのは面白いもので、それがどんどん継承されていって、そして今度はいかなる人民も主張できるようになって、政府に対して「基本的人権を侵害してはいけませんよ」、「どんなによい政府でも侵害してはいけませんよ」と。これがマグナ・カルタに発しているのです。…
 思想とは、その時代に生まれたその歴史の制約を負っていながら、その時代を超えて生き延びていく。‥抵抗権というのは、封建身分が絶対君主に対して抵抗する権利を言ったんです。人員の抵抗権ということはどこにも書いてありません。しかし権力に対する抵抗権があるという考え方は継承されているわけです。それでフランス革命[の時の一七九一年憲法]にもちゃんと抵抗権の規定があります。‥
 近代憲法で、法理論的に、形式理論的に言うと、抵抗権というのは本当におかしいんですね。というのは、人民が合法的に選挙した政府に対してどうして抵抗権があるのかと言うことを法律学的に説明するのは非常に困難です。…
 これはいかに民主主義と自由の関係というのは複雑であり、かつ、そう一概に言えないかと言うことで、つまり権力相互の間でチェックス・アンド・バランセズが必要であると同時に、人民相互の間のチェックス・アンド・バランセズが必要である。つまり、人民の多数が人民の個人を圧迫するという可能性がいつもある。それに対する保障というものが民主主義の重要な指標である。それでなければモッブの支配になる。群集心理に左右されたモッブの支配になる。それに対して個人が独立することが非常に困難になる。これがミドル・クラスに関係してくる。福沢が‥どうして知識階級との同盟を考えたかというと、その精神の自由と独立なんです。‥ミドル・クラスがない、つまり人民支配だけだと、多数の横暴になると。福沢はミルとかトクヴィルを読んでいますから、そこが非常に後進国の面白い点なんですが、先進国のものを読んでいると、先進国に出ている弊害の面も見えてくるわけですね、先に。だからデモクラシーが進むとこうなる、ということも分かってしまうわけです。これからデモクラシーにしなければいけない段階で、デモクラシーのまずい点も見えてくるわけです。それはマイナスの面もあります。しかし賢明な人はそこから学ぶ。デモクラシーのマイナス面から学ぶ。そこでやっぱり多数者の支配だけでは十分でない。多数者に対する人民の個人の自由及び少数者の自由というものが非常に必要だということを、‥ミドル・クラスというものが必要であると言い出したわけです。不幸にして日本では行われませんでしたけれども。
 だから立憲主義と民主主義との関係づけ、自由主義と民主主義の関係づけというものを伴った民主主義でなければいけないし、そういう意味の民主主義だけが永久革命の名に値する。世界中どこにも民主化が完了した国はないし、これから永久に革命していかなければならない。つまり民主化だけが問題になるのであって、存在している民主主義というものはない。あらゆる国は民主化の過程にあるということしか言えない。…古代からあって現在なお完了しないイデオロギーというのは民主主義だけです。これが永久革命としての民主主義ということを私が言う所以なのです。
 この民主主義だけが体制の区別、経済体制の区別を問わずどこでも必要とされる。私は経済体制に関するかぎりは自分では社会主義者のつもりです。しかし社会主義の問題性を言うのならば、‥経済体制と政治体制の区別がはっきりしない。そこから、例えば多数の支配、多数対少数の問題というのは少数の特権者対多数の人民という問題しか考えていない。実はこの中にも多数対少数という問題がある。多数の意見で少数の意見を圧殺してはいけないというのは、どんな集会にもある。多数対少数というのは、実体的な人民対少数特権者という問題だけじゃなくて、機能的な区別である。いかなる社会にも存在する機能的な区別である。したがって少数者の権利の保障というのはどんな小社会にもどんな大社会にも必要なものである。個人の自由も同じことですね。その面が、やっぱりブルジョア的民主化に対する反発ということに主たる力点を置いてきた社会主義の一つの盲点ではないかと私は思います。」(手帖17 「中国人留学生の質問に答える(下)」1988.10.5.pp.15-20)
「民主主義というのは理念と運動と制度との三位一体で、制度はそのうちの一つにすぎない。理念と運動としての民主主義は、‥「永久革命」なんですね。資本主義も社会主義も永久革命ではない。その中に理念はあるけれども、やはり歴史的制度なんです。ところが、民主主義だけはギリシャの昔からあり、しかもどんな制度になっても民主主義がこれで終わりということはない。絶えざる民主化としてしか存在しない。現在の共産圏の事態を見ても分ります。それが主権在民ということです。主権在民と憲法に書いてあるから、もう主権在民は自明だというわけではなく、絶えず主権在民に向けて運動していかなくてはならないという理念が掲げられているだけです。決して制度化しておしまいということではないんです。その理念と運動面とを強調していくことがこれからますます大事になって行くと思います。」(集⑮ 「戦後民主主義の「原点」」1989.7.pp.69-70)
「投票というのは民主主義的行動様式の、たくさんある中の一つであって、それ以上じゃないんだな。それ以上にしても、また、いけない。これが難しい。つまり、投票ということだけを絶対化すると、有名なルソーの「投票した翌日から奴隷になる」というのに、反駁がなかなか困難になる。日常的に、民主的な行動というのはあるわけ。選出したやつを監視するとか、納めた税の行方をよく知っているとか。みんな民主的な行動様式の一部分なんです。難しい問題ですよ、これは。答えはないけれども、根本は投票も含めて、やはり市町村の政治なんですよ。これは近いから。投票が一番効果があるんですね、総選挙なんかに比べると。‥地方自治がしっかりすれば、投票行動も含めて民主主義的行動様式も、もっと育つと思う。」(手帖41 「丸山眞男先生を囲む会(上)」1993.7.31.p.26)
 「デモクラシーというのは多層的なので、自分の身辺の社会環境の中でディスカッションの習慣があって、その多層の積み重ねが……。アーネスト・バーカーが何遍も言っているガヴァメント・バイ・ディスカッション、多層的であると。あらゆる層でディスカッションで物事を決定するというのが習慣化してないと、ガヴァメントだけでディスカッションしてもダメ。そうすると、議会が儀礼化しちゃう。それをさんざん言っているんです、彼が。」(手帖41 同上p.27)