2016.4.22.
「問題は、この法治国という観念、法治国ということを言う際の、われわれの物の考え方、そこに問題がある。市民的な「法の支配」という考え方が、どういう歴史的な背景をたどって生じてきたか‥。これは人の支配にかえるに法の支配という理念、つまり特定の人間が、権力によって他の人間を支配するということが、政治社会の不可避的な現実であるということを承認したうえで、その現実の人の支配から出てくる恣意的な結果、すなわち人が人を支配するということがでたらめに行われないように、恣意的な権力の行使をあらかじめ定立された法によって、できるだけチェックする。こういう趣旨で発達してきたわけです。つまり近代的な法というものは、なにより第一義的に権力者を対象とし、権力の専制を防ぐために存在している。そこで暴力といわれるのは、法を無視した権力ということを意味する。だから、デモクラシーの理念においては、権力機構としての政府が、みずから法を破ったときには、被治者としての国民は、自動的に服従義務を解除されるということは、当然の原理的な前提になっている。つまり、フランスの人権宣言、アメリカの独立宣言が、圧制に対する人民の抵抗権というものを規定しているのはこういう精神です。 はたして、日本での遵法とか、法治という考え方はどうかを考えてみたときに、市民的な法治国の観念と臣民的な法治国の観念との間に、非常なギャップがある‥。法治国である以上、法に従えという論議は、ここでは圧倒的に被治者たる国民に対して、むしろ権力の側から強調されているわけです。…権力の側が、まず法を守らなければいけないということが、常識として確立している国とは、精神的風土が非常に違っているわけであります。」(集⑦ 「思想と政治」1957.8.pp.138-139)
「今日の民主主義には大まかにいって二つの系譜があり、その合流、葛藤によってさらに種々のものがでてきた‥。
そのⅠの系譜は「ポリス(ギリシャの都市国家)的民主主義」の概念である。ここでの中核概念は積極的市民すなわち公民が公共事の決定および施行に参与すること、つまり市民の参与participationである。…
Ⅰの系譜からは、間接民主制より、直接民主制の法がヨリ民主的という結論が出てくる。また、ここからいわゆる「人民主権」-権力行使についての最終的判定者は人民である-の考え方が出てきて、革命権、反抗権が正当づけられる。換言すれば人民と国家権力とが一体化すればするほど民主化というわけで、思想史的にはルソーがこの古代的デモクラシー理念の系列を代表し、ジャコバン主義へと流れ込む。
これに対しⅡの系譜は「クリスト教および中世に由来する民主主義」であり、これはむしろ立憲主義Constitutionalismといった方がよいかもしれない。ここではストアから中世に至る自然法思想や中世に由来する立憲主義的伝統が基礎となる。権力が単一主体に集中したり、ヨリ上級の規範によって拘束されないという事態になると、本来よい目的をもった権力でも濫用されたり害を生ずる、という考え方が中核をなす。…
Ⅱの系譜はその由来を問えば、本来aristocraticなもので、封建貴族、自治都市、教会、地方団体等が自分たちの身分的特権を王の恣意的権力行使から守ろうとしたところに端を発している。しかし、ここからも、特権は自然法によっているという理由のもとに、自然法に反する君主の権力行使には反抗する権利がある、という身分的立場からの抵抗権の主張が生まれた。現在の西欧民主主義は十九世紀後半に、このⅠ・Ⅱの系譜が合流し、妥協してできたものである。(集⑧ 「民主主義の歴史的背景」1959.2.pp.90-92)
「十年代の自由民権思想は抵抗権発動の構成要件、主体、手続き等についての考察がほとんど欠けているにせよ、ともかく抵抗権という一般的発想はそこにかなり普遍的に見出された。ヨーロッパで抵抗権思想が元来キリスト教から発生し、それと不可分の関係で発展して来たことを考えれば、日本の近代キリスト教において、自由民権運動程度の漠然たる抵抗権思想さえも姿を消していることは、やはり大きな問題といわねばならない。…そこにはむろん宗教的伝統の相違など種々の条件が作用していたにちがいない。しかし同時に、日本帝国の頂点から下降する近代化が異常なテンポと規模で伝統的な階層や地方的集団の自立性を解体して底辺の共同体に直接リンクしたこと、その結果、中間層にとって公的および私的な(たとえば企業体の)官僚的編成のなかに系列化される牽引力の方が、「社会」を代表して権力に対する距離を保持し続ける力より、はるかに上廻ったこと-こうした巨大な社会的背景を度外視しては右の問題は考えられないように思われる。)(集⑧ 「忠誠と反逆」1960.2.pp.240-241)
「トラストの考え方から言えば、授権法を提出すること、あるいは通すことが、そもそも信託の趣旨に反しているわけです。そういう場合には人民主権というものを直接に発動しなければいけない。そこで初めて抵抗権とか革命権とか、いろいろな問題が出て来るわけです。ですから、国民が代議士に対して一定の範囲でもって信託しているのだからその範囲に背いた時には、何時でもその信託を撤回できるという心構えをひとりひとりが持つことが、第一に大事なことではないだろうか。…選挙の当日だけが問題なのではなく、選挙日と選挙日との間に出てきたいろいろな問題に対して、自分の選挙区から出た代議士はどう行動するのか、とたえず監視している心構えということになるでしょう。」(集⑯ 「私達は無力だろうか」1960.4.22.pp.13-15)
「古代では政治と宗教とはくっついていた。それがどう分離されていったか。宗教の政治からの独立は、古代の政治からの独立の基本的な型なのですよ。なぜなら、政治とちがう価値基準に立った社会集団ができるかどうかというのはそこできまるわけです。教会はどんなに堕落しても、俗権とはちがう価値基準に立っている。
だから中世の教会から俗権に対する抵抗権という発想が出てくる。つまり、いかなる地上の俗権をもこえた価値の存在は、クリスト教でいえば神に対して自分がコミットしているということになる。「人に従わんよりは神に従え」という福音の言葉はそれです。‥どんなに俗権が強く、長い歴史をもとうとも、地上の権力を超えた絶対者・普遍者に自分が依拠しているのだということが、抵抗権の源泉であり、同時に教会自身が宗教改革を生みだした原因です。つまり、普遍者にてらして自分自身が堕落しているから、自分の中から改革を生みだしうるわけです。神でなくともよい。…特殊を絶対化する考え方からは、自分の中から、自分をトータルにかえてゆく考え方は出てこない。これはファシズムと社会主義・コミュニズムとの大きなちがいですね。
そうした観点から見ると、宗教の政治からの独立は、学問・芸術の政治からの独立の基礎であるし、政治的集団とちがった社会集団の自立性の基礎ですね。ギルド・都市・大学などが国家権力に対して持つ自治の考えの基礎です。‥政治的な価値とちがった価値というものの自立性は宗教から始めて出てきたのです。日本の皇室は政治権力であり、同時に宗教権力であったわけで、それ自身特殊の絶対化で、これでは政治学はもとより、一般国家学さえ出て来る余地はない。したがって、そういう考え方がある所では、ガンが転移するように、あらゆる社会集団に同じ考え方がはびこる傾向が強いのです。マルクス主義の中にも入りやすい。これが左翼天皇制といわれているもので、もとは部族信仰です。その点、日本とヨーロッパとちがいますね。…
宗教、つまり聖なるものの独立が人間に普遍性の意識を植えつける。そしてこの見えない権威を信じないと、見える権威に対する抵抗は生まれてこない。見えない権威、それは無神論者は歴史の法則と呼びますが、神と呼んでも何と呼んでもいい、そうしたものに従うことは、事実上の勝敗にかかわらず自分の方が正しいのだということで、‥普遍的なものへのコミットとはそういうことです。それが日本では弱い。」(集⑯ 「普遍の意識欠く日本の思想」1964.7.15.pp.62-64)
「抵抗権というのは、つまり主君が主君の義務を果たさないときに抵抗の権利が生じる、-契約だから。だから抵抗権という考えは中世なんです。近代国家じゃないんです、逆にいうと、デモクラシーになっちゃうと人民の政府ですから抵抗権の根拠はなくなっちゃう。他者であるからこそ他者に抵抗する。主君が約束したことを果たさない、そこで忠誠義務が解除される、抵抗の権利がある、と。だから中世法、封建法ですね、ヨーロッパの伝統からいうと。それが近代まで継承されて近代の憲法にまで条文化されるところはありますが、由来は中世です。
革命権は近世です。革命と抵抗は違う。革命はシステムを変えることです。フランス革命の革命憲法も革命権なんです、性質でいうと。政府が暴政を犯したときは、これを転覆して新しい政府をたてる権利がある、ということであって、範疇的にいうと革命権であって抵抗権ではない。
範疇的にいうと(アメリカの)独立宣言のはやはり暴政に対する抵抗権。アレがフランス革命への橋渡し。憲法制定になると非常に保守派が台頭しましてね、アメリカの場合には。憲法と独立宣言とはかなり違うんです。進歩派の方は皆独立宣言を言い、保守派が憲法を言う。…」(手帖1 「丸山眞男を囲む或る勉強会の記録(上)」1981.6.16.p.62)
「抵抗権は(日本には)さすがにないですね、御成敗式目には。ないけども、問題なのは、コンフリクトは悪いという観念がないことで、これは日本の歴史の中でも珍しい。対等者間の争い。…
日本の場合にはまず忠誠がある。まず親分に忠誠を尽くすというんでご褒美に封土をやるという-強いて分ければ-、そういう区別がありますね。したがってご褒美にもらうものだから抵抗権というのは生まれない。」(手帖1 同上pp.62-63)
「ギゾーはこういいます-一切の権力の起源には区別なしに力が存在する、つまり暴力が存在する。しかし、いかなる権力も暴力の産物として考えられるのを許そうとはしない。「打ち克ち得ない本能によって、諸々の政体は、暴力は権原(タイトル)ではないこと、力(マイト)は正義(ライト)ではないこと、もし暴力よりほかの基礎をもたないとすれば、その政体には完全に権利(ライト)が欠けている、ということを、警告されて知っております。
この考え方はヨーロッパ近代の政治思想の最も主要な旋律の一つです。‥ルソーの社会契約論の最初から出てくる命題の一つは、力は権利を生まないということです。事実上の力関係からは権利という規範関係、法的関係は生まれない。力は権利を生まないということは、力は法を生まないということと同義です。よくMight is right「力は正義なり」と言うのはシニカルにそう言うだけで、実はマイト「力」とライト「正義」との区別-事実関係と法的関係とを区別し対立させる考え方を前提として、それを嘲笑しているのです。…力は、いつまでたっても力であって、権利義務関係とは全く次元が別だ、ということです。この考え方をのちにカントが、事実問題‥と権利問題‥と言って区別し、そういう考え方が基礎になっているから、法律は弱者の保護と考えられるわけです。事実上の力関係がすべてなら、強いもの勝ちの社会になる。それを抑えるために法を作って、弱者にも権利を保障し、事実上の力関係だけで人間関係がきまることを防ごうとする。法とは統治者の支配の手段だ、というアジアの伝統的観念と基本的に異なる点の一つです。
そのようなヨーロッパの法=政治思想史の主旋律の上に立ってギゾーも言っているのです。いかなる権力者も自分の権力について、暴力とちがった根拠を求めなければいけない。この根拠が即ち正統性の問題になります。…本来、人民は自分の権利を政府の暴力より先に持っていたのだと。だから、それは自然法および自然権という、実定法以前の、前国家的な権利の問題になります。実定法自身も規範体系ですから事実関係とはちがいますが、ただ、その実定法より前に自然法が優先するというのが、自然法思想の上に立つ、正統性の主張です。自分のもともとの権利が奪われたのだから、異議申立てをする本来の権利があるということになります。
ギゾーによれば、「政治的正統性の第一の特徴は、権力が暴力を自からの源泉とすることを否認し、自からを何らかの道徳観念、道義的な力-正義と権利と理性の観念-に結びつけようとすることにある」。ここで、Justiceの観念が出てきます。Justiceという言葉には、「正義」と「司法」と二つの意味があるのもここに由来しています。」(集⑬ 「文明論之概略を読む(上・中)」1986.pp.159-161)
「「抵抗権」も中世にできた。「抵抗権」をフランス革命は否定したでしょう、これは現在のドイツ、西ドイツの憲法に至るまで尾をひいている問題なのです。‥つまり、人民主権憲法下で「抵抗権」を認めますと、自分が選んだ政府に対して、なぜ「抵抗権」があるのかというのは、法的には解決がつかない。抵抗権というのはいろいろな身分があって、貴族が王に対して抵抗する、教会が俗権に対して抵抗する、そういう諸身分の対立と言ったらおかしいけれども、プルーラルに〔諸身分が〕あるところに初めて「抵抗権」がある。」(手帖38 「リッターリッヒカイト〔騎士道精神〕をめぐって(上)」1988.5.14.pp.12-13)
「暴力の正当性というのは極端に言えば、だんだん、だんだん昇化してきたんですね。…だんだん昇化してきて、近代国家だけが暴力の正当性を独占している。近代国家の特色というのは、そこにあったわけです。
…アメリカは昔から銃社会だと言うけれど、独立の時からそうですから。あれは基本的人権なんですね。…イギリスに対する独立戦争は民兵の武装から始まっているわけです。だから基本的人権なんです。これは徴兵制と全然違う、人民の自己武装ですから。「立て市民よ」というフランス革命と同じで、むしろアメリカの独立がフランス革命に影響したんです。人民の自己武装という観念がすり替えられるんです、徴兵制になると。国家が人民を徴発するという。一歩の差なんだけれど、まるで意味が違っちゃう。
…国家だけが武器を持っていて、人民が無抵抗でいいのかということです。国家に対する反逆は武器を持ってやる。個人の武装権です。」(手帖66 「「丸山眞男先生を囲む会」最後の記録」1995.8.13.pp.37-38)