人間の尊厳

2016.4.22.

「今日はもはや徒((いたず))らなる大言壮語の時代ではない。吾々に迫りつつある問題が深刻かつ重大であればある程、吾々は益々深く内に沈潜し吾々自身の存在の内面的根拠をほりさげて行かねばならぬ。嘗((かつ))ていかなる危機の時代も、虚ろなる怒号や度を失った叱汰(咤)の声によって救われたためしはないのである。」(別集①「昭和18年度最終講義(昭19.1)における学生を送る言葉」p.77)
「国家が善を命ずる時でさえ、まさに命令するということのゆえに、善を破壊し、無価値なものにする。……命じられたからでなく、それを意識し、意欲し、かつ愛するがゆえに善を行うという点にこそ、人間の自由と倫理性と尊厳がある。(バクーニン全集一「神と国家」(一九〇〇年版)二八八頁)」(対話 p.81)
「多数を以てしても圧服できない個人の尊厳という考え方-その根拠づけがキリスト教以外のどこに求められようか。」(『対話』p.44)
「身分的と封建的と、専制的と。
 むろん、「身分的(シュテンディシュ)」は「封建的」より広義である。たとえば、近代社会における、裁判官や大学教授の「身分的」保障は、国家の承認した「特権」とはいえても、「封建的」とはいえない。「身分権」は特定学校の学生としての身分のように、法的保障なしにも存在する。学生処分は直ちに人権の制限や侵害ではなくて、まさに身分権の一部または全部の、一時的または永久的な停止である。
 身分は関係ではなくて、特定の資格が特定の人格に帰属することである。(これにたいして契約は、封建的契約といえども、関係である。)身分と身分とは契約によって関係をもつこともあるし、もたないこともある(身分の固有権的性格)。
 身分は名誉感を伴い、身分的特権はこの名誉感に裏打ちされて義務意識を伴うこととなる(いわゆるノブレス・オブリージュ)。トクヴィルによれば、フランス革命はまさに貴族がノブレス・オブリージュを失って、たんなる「特権」に堕したところにおこった。身分への教育は、この特定の名誉感の培養である。
 身分は本来的にパティキュラリスティックなものであることは、以上によっても明らかである。普遍主義的な市民(シトワイアン)の世界も、また一君万民的な平等主義的「民草」社会も、「身分」になじまない。職人の特権、仕事への誇り、排他的閉鎖的性格、一定のしつけによる行動様式の陶冶-はすべて、貴族やさむらいの「身分」を特徴づけている諸要素と共通している。逆にいうならば、たんに身分的なるものの否定からは、劃一的な平等社会-砂のように平坦で、他者とのけじめのない等質的な社会しか生まれない。近代市民社会は、「職業に貴賎なし」の原則によって、各職業にパティキュラリスティックな名誉感を培養することによって、または、他者とのけじめを身分でなしに、文字通り一人一人の「かけがえのない個性」にまで分解することによって‥、右のような砂漠の出現をくいとめようとして来たのである。しかも、やはりトクヴィルによれば、量的個人ではなく、「個性」のトリデとなるのは、身分=自主的集団(ゲマインデ)であった。」(対話 pp.156-157)
「儒学の古典、したがってまた江戸時代の学者の論著においてしばしば出会うのは、人は礼をもつことによって禽獣と区別される、とか蟄居して教なければ、禽獣と同じになるとかいう発想である。
 キリスト教の原罪的思想から見れば、こういう命題は、逆にいえば、礼を習得しさえすれば、教を受けさえすれば、人倫が実現されるという意味を含んでいるから、人間性にたいするナイーヴな楽天主義を表現していることになるだろう。しかし人間がどこで禽獣と区別されるのか、人間の尊厳の根拠はどこにあるのかが切実な問いとして意識されなければ、あれほどのくどさで右のような命題をくりかえすこと自体がそもそも起りうる筈がない。つまりこういう命題の背景には、人間と禽獣とはほとんど紙一重の差しかなく、したがって、その紙一重のしきりが破られた瞬間に人間行動は禽獣と同じレヴェルに顚落する。その顚落の可能性は、昔々あったのではなく、いつでも、只今この瞬間にもあるというクリティカルな意識が流れていたわけである。テクノロジーの進歩によって、人間と動物との文明度のギャップが日常的な見聞事においてあまりにも顕著になったために、人間の動物からの倫理的進化は、生物学的進化と同様に太古の出来事としてしか受取られなくなり、そのことによって、かえって人間存在の危機一髪的性格が切実に感じられなくなってしまった。儒教の右のような命題を陳腐なお説教としてわらう事しか知らない現代人は、その行動様式においてますます動物的になりつゝある。おそるべき逆説がここにある。」(対話 p.159)
「「グラマー」(ラスキ著Grammar of Politics)に於て「何物にも吸収されざる内面的人格性」と「自主的な判断」こそ人間が死を賭しても守り通すべきものとのべた、あの根深い「個人主義」にしても、この新著(ラスキ著「信仰・理性及び文明」)に於て、「我々には集団に対する義務の外に、我々の内面的自我に対する義務がある。その義務の遵守を他人に任せてしまうことは、我々の人間としての尊厳性に忠実であることを止めるに等しい」(三五頁)として依然保持されている。…私は本書を読んではしなくも、アンドレ・ジイドのコミュニズム観を思い起した。ジイドをしてコミュニズムへ傾倒せしめたものは、やはりコミュニズムに内在するエトスであった。そうして、その媒介をなしたのがほかならぬクリスト教であったのである。ジイドは一九三三年六月の日記に「私をコミュニズムに導くものはマルクスではなく、福音書である」と書いた。…ジイドもまた、ラスキと同様に、イエスの歴史的地位のうちにロシア革命とのアナロジーを見た。…私はここに西欧の最も良心的な知識人のコミュニズムに対する接近の仕方に一つの定型といったものを感ぜずにはいられない。
 彼らをコミュニズムへ導くのは、まがいもなく、クリスト教の普遍的な人類愛、地上に神の国を打ち建てんとする苦痛なまでの内面的要求である。しかも彼らをコミュニズムに単純に走らせぬ所のものも、またクリスト教の教えた個性的人格の究極性に対する信念である。…「よく理解されたコミュニズムとよく理解された個人主義は本質的に融和しえないものとは思わない」というジイドのいくぶん不安げな希望的観測はそのままラスキのそれではないだろうか。本書におけるボルシェヴィズムに対する委曲を尽した弁護は、或る意味では、ラスキのなかに潜む「個人主義」との血みどろの格闘といえないこともない。これを単にプチ・ブルジョアの根性との闘争と片付けてしまう事もむろん可能であろう。だが少くもそうした「プチ・ブルジョア性」こそは、西欧世界に於ける一切の精神的遺産の中核を形成して来た事は否定すべくもない。そこに含まれた問題は今まさに世界的現実に於てその解決を迫られている。  よそ事ではないのである。」(集③ 「西欧文化と共産主義の対決」1946.8.pp.60-63)
「宗教改革によって、カトリック教会の客観的権威が疑われると共に、真理の決定が個人の問題となり、これ以後個人主義は十七、八世紀にわたって宗教、哲学、政治、経済の各領域に漸次浸潤して来た。」(集③ 「ラッセル「西洋哲学史」(近世)を読む」1946.12.p.69)
「権力が駆使する技術的手段が大であればあるだけそれが人格的統一性を解体してこれを単にメカニズムの機能化する危険性もまた増大する。権力に対するオプティミズムは人間に対するオプティミズムより何倍か危険である。」(集③ 「人間と政治」1948.2.p.221)
「インテリは日本においてはむろん明確に反ファッショ的態度を最後まで貫徹し、積極的に表明した者は比較的少く、多くはファシズムに適応し追随はしましたが、他方に於いては決して積極的なファシズム運動の主張者乃至推進者ではなかった。むしろ気分的には全体としてファシズム運動に対して嫌悪の感情をもち、消極的抵抗をさえ行っていたのではないかと思います。…
 これは一つには、日本のインテリゲンチャが教養において本来ヨーロッパ育ちでありドイツの場合のように自国の伝統的文化のなかにインテリを吸収するに足るようなものを見出しえないということに原因があります。…しかし日本のインテリのヨーロッパ的教養は、頭から来た知識、いわばお化粧的な教養ですから、肉体なり生活感情なりにまで根を下していない。そこでこういうインテリはファシズムに対して、敢然として内面的個性を守り抜くといった知性の勇気には欠けている。」(集③ 「日本のファシズムの思想と運動」1948.5.pp.297-298)
「ラスキの思想における「変化を規定する不変なもの」は何であろうか。…それは人格的自我の実現を最高の価値とする立場である。そうしてそのコロラリーをなすものは、「すべての権力は腐敗の傾向をもつ」というあのアクトン卿の著名なテーゼである。この個人の内的価値に対するアイディアリズムと政治権力に対するリアリズムとが一貫して彼の判断の基準となっている。」(集④ 「ラスキのロシア革命観とその推移」1949.1.p.47)
「一九五〇年来の日本の状況を眺めるとき、ひとは至る所、あらゆる職場において恐怖の蔭を読みとらないであろうか。労働者やサラリーマンは明日をも知れぬ首切りと失業の不安に駆られている。中小企業者や農民は税金の攻勢と「「安定恐慌」の津波の前に戦慄する。大学から小学校に至るまでの教員は、多少とも「思想的」傾向をもった者はレッド・パージにおののき、そうでない者も、近来とみに昔日の権威を加えた校長や自治体ボスのにらみをひしひしと背中に感じている。ジャーナリストはプレス・コードに兢々とし、一見昂然たるかに見える共産党員も、嘗(かつ)ての暗い日々の回想が再び鮮やかに脳裏に甦るにつれて、不安と苦痛の面持を蔽うべくもない。このような社会の各層に共通する不安の恐怖の雰囲気のなかで生長するものは、他の何かではあっても、民主主義の教科書に書いてある個性の自由と尊厳の確立ではないことは確実だ。」(集⑤ 「恐怖の時代」1950.12.p.39)
「世界観的正統性からの解放ということは、マルクス主義の哲学なり科学なりにふくまれた真理性の否定ではむろんない。‥マルクス主義の右のような世界観的な自己限定がかえってまさにその中の真理をいよいよ確実にして行くのである。J・S・ミルが古典的に明らかにしたように、「真理」はまさに「誤謬」を通じてはじめて「真理」になるのであって、「誤謬」はない方がいいものではなくて、真理の発見のために積極的な意義をもっている。多様性は政治の必要からは「止むをえざる悪」とされても、真理にとっては永遠の前提である。マルクス主義がいかに大きな真理性と歴史的意義をもっているにしても、それは人類の到達した最後の世界観ではない。やがてそれは思想史の一定の段階のなかにそれにふさわしい座を占めるようになる。そのとき、歴史的なマルクス主義のなかに混在していた、ドグマと真理とが判然とし、その不朽のイデー(人間の自己疎外からの恢復とそれを遂行する歴史的主体という課題の提示)ならびのその中の経験的科学的真理とは沈澱して人類の共同遺産として受けつがれて行くであろう。」(集⑦ 「現代政治の思想と行動第二部 追記」1957.3.p.28)
「人間それぞれが個性をもっているというところに、この社会の発展の原動力がある。同じ人間ばかりだったら、人間も、社会も、進歩などありえない。だから、個性をもった人間同士の、対等なつきあいこそ大切である。カントがいっているように、われわれの人間関係も「人間を手段としてでなく、目的として扱う」のでなければならない。目的として扱うところに、個性の尊重も生まれる。」(集⑧ 「友を求める人たちに」1960.7.p.320)
「マルクスが疎外からの人間恢復の課題をプロレタリアートに託したとき、プロレタリアートは全体として資本主義社会の住人であるだけでなく、人間性の高貴と尊厳を代表するどころか、かえってそこでの非人間的様相を一身に集めた階級とされた。自己の階級的利益のための闘争が全人類を解放に導くという論理を、個人の悪徳は万人の福祉というブルジョアジーの「予定調和」的論理と区別するものは、ひとえに倒錯した生活形態と価値観によって骨の髄まで冒されているというプロレタリアートの自己意識であり、世界のトータルな変革のパトスはそこに根ざしていたのである。もし「逆さの世界」は敵階級だけの、その支配地域だけの問題とせられ、世界のトータルな変革とは、人間性の高貴と尊厳を-完全にではなくても-すでに代表している己れの世界が、他者としての「逆さの世界」をひたすら圧倒して行く一方的過程としてのみ捉えられるならば、それはマルクスの問題提起の根底にあった論理や世界像とはいちじるしく喰いちがうことはあきらかである。」(集⑨ 「現代における人間と政治」1961.9.p.42)
「普遍的なものへのコミットだとか、人間は人間として生まれたことに価値があり、どんなに賤しくても同じ人は二人とない、そうした個性の究極的価値という考え方に立って、政治・社会のもろもろの運動・制度を、それを目安にして批判してゆくことが「永久革命」なのです。」(集⑯ 「普遍の意識欠く日本の思想」1964.7.15.p.60)
「われわれは思想自身の独自の意味はどこにあるか、あるいは人間の尊厳というものはどこにあるかを考えてみなければならない。そういう意味で刺激と反応の間に距離があるということは、ある意味で不幸なんです。考えるということは人間を必ずしも幸福にしない。考える葦というのはまさに葦のように弱い。もしわれわれが動物のようにただ習性に従って反応していって、それに満足していればそのほうが幸福かもしれない。思考というのはその意味では人間を不幸にする。けれどもその不幸にこそ人間の尊厳がある。‥人間の特権は自分が悲惨であるということを知っていることだとパスカルはいう。これはむろんパラドックスでいってるわけです。けれども、この人間の不幸の源泉でもある「思考」を放棄して、ルーティンに従って、あるいは官能の赴くままに、すばやく反応する、そういうのは人間の特権を放棄するものです。われわれは刺激と反応の間にある距離において、悩み、迷いつつ、選択して決断する。そこに人間の尊厳がある。…官僚化された社会というのは、そういう意味では新しい思想および独立の精神をもった人間が生まれにくい状況です。というのは、すべてがルーティン化されている。…所与の現実を不動の所与として受取らない。もしこうだったらと想像力を駆使することによって、われわれの現在もっている権利というものを生き生きと実感することができる。」(集⑯ 「丸山眞男教授をかこむ座談会の記録」1968.11.pp.117-119)
「その時(日本が軍国主義に走っていった一九三〇年代以後)に、私たちの先輩の日本の知識人を見ておりまして、私は青年ながらも、日本の知識人は何か非常に弱いところがある。自分の周囲の動向、風潮、風向きというものに対して非常に弱い。‥「自分はここに立っている。これより他に仕様がない」という本当の自分の立脚点というものを持たない。周りの動向というものに流される。そういう弱さがあるということを非常に感じた。その中にあって南原先生とか矢内原先生という人々は-必ずしもキリスト者だけではありませんけれども-少しも揺るがなかった。…正しいか正しくないか、何が真理であるか、何が正義であるか、ということをまず第一に自分の態度決定として決めるという、当時の日本人の中の非常に少数の-私の見ていた範囲では-方々であったわけです。…
 つまり先生から根本に教わったことは、人間にしろ、国家にしろ、そういう経験的に目の前に存在しているものを絶対化してはいけない。国家というものがいかに大きな力を持っているにしろ、日本の帝国というものがいかに大きな力を持っているにしろ、日本の帝国がやることが正しいのではない。正義というものが日本の帝国の上にあって、それによって日本の帝国自身が裁かれなければいけない。日本の国自身が不正義の道を歩んでいるのであったら、それに与(くみ)するべきではない、ということですね。これはヨーロッパの思想史みたいに長い歴史の中において獲得されてきた立場です。そこに人間の尊厳とか、国家を超越した真理とか正義とかという考え方が伝統として……(テープ中断)」(手帖5 「南原先生と私」1977.10.23.pp.10-13)
「好さんにはコスモポリタニズムが感覚としてある、と肌で感じます。どこにも同じ人間がいる、というのは‥個性のかけがえのなさ、ということとちっとも矛盾しないんです。」(集⑩ 「好さんとのつきあい」1978.10.p.359)
「中学校で習志野に軍事教練に行ったときのことです。宿舎で何かいたずらの騒ぎをおこして先生から集合を命ぜられたことがありました。その時、先生は「首謀者は前に出ろ」といいました。私はまぎれもなく首謀者-すくなくともその一人でしたが、先生の形相がこわくて出そびれてしまいました。そのかわりほかの生徒が先生に主犯と目せられ、実は大した役割をしていなかったのに、可哀そうに大目玉を喰ったのです。すくなくとも十何人かの級友はこの光景を目撃しています。どんなに彼等の目に私はずるがしこい卑怯者と映ったことでしょう。私はいまでも中学のクラス会にあまり出たくないのは、このときだけでなく、中学生時代の自分自身について後々までむかつきたくなるほどの嫌悪感をもよおす思い出があるからです。…
 けれども、『君たちは……』(丸山:昭和十二年に『日本少国民文庫』の一冊として新潮社から出た『君たちはどう生きるか』)の叙述は、過去の自分の魂の傷口をあらためてなまなましく開いて見せるだけでなく、そうした心の傷つき自体が人間の尊厳の楯の半面をなしている、という、いってみれば精神の弁証法を説くことによって、何とも頼りなく弱々しい自我にも限りない慰めと励ましを与えてくれます。…自分の弱さが過ちを犯させたことを正面から見つめ、その苦しさに耐える思いの中から、新たな自信を汲み出して行く生き方です。この後の方の意味でも、私には思いあたる一連の出来事があったのです。
 高等学校二年生の終りごろ、私はまったく思いがけなく、本富士署に逮捕される目にあいました。…そのときの私はまさしく不覚をとったのです。…今後どういう運命が待っているかまったく可測性のない思想犯の烙印を押された自分は一体どうなるのか、このことが親に知れたら……といった、さまざまの思いが混乱した頭の中で飛びかう第一日の晩に、私の頬をポロリと涙が伝いました。‥「不覚」をとって涙をこぼした自分のだらしなさ、しかもそのことを同じ房につかまっている-このほうは本物の-思想犯の学友に見られたことの恥しさの意識は、これまた長く尾をひいて私の心の底に沈澱しました。けれどもそのときのだらしなさと恥しさの意識が、何ほどかその後の私をきたえたこともまた事実です。戦中のあの状況では、どんな事態が突如自分を襲うかもわからない、という心構え-つまり「不覚」と反対の心構えがいつしか身についたせいもあるでしょう。どんなに弱く臆病な人間でも、それを自覚させるような経験を通じて、モラルの面でわずかなりとも「成長」が可能なのだ‥。」(集⑪ 「「君たちはどう生きるか」をめぐる回想」1981.6.25.pp.377-379)
「人間ってのは、環境に対して意味を付与しながら生きていく動物なんです。動物の方が幸福なんですよ。やせたソクラテスと太った豚というミルの問いは、そこから生まれました。‥俺はやせたソクラテスを取るというのは、ある意味では、やっぱり人間の尊厳と関係してるんです。
 [人間は]環境に意味を付与することによって生きていく存在なんです。思想は大きくいえば環境への意味付与なんです。‥ただ、いちいち意味を付与してると、これはもう、面倒くさくってしようがないでしょ。それでルーティーンというのを作るわけです。‥そうすると、意味を付与しないで済むわけです。…
 だから、状況がしょっちゅう変わると、意味付与[の必要]が増大する。維新とか幕末にいろいろな思想家が出て来たのは、それなんです。昨日のごとく今日もないもんだから、ルーティーンが効かなくなっちゃう。ルーティーンが効いてる間は、意味付与なんてしないで生きてりゃいいわけですよ。環境から投げ出されると、そこで初めて意味付与の必要が生じてくる。思想というのは意味付与ですが、意味付与は、いいとか悪いとかの価値判断だけじゃないんです。認識も意味付与なんです。…
 環境と自分との間に、われわれは動物も人間も含めて環境からの刺激に対して反応しながら生きてるんです。これをSR方式といいます。Sはstimulus[刺激]です。Rはresponse[反応]。人間も動物も含めていえば、全部、刺激-反応-刺激-反応、こういう過程なんです。SとRとの反応の速さは、動物のほうが速いです。本能で反応するから。人間は「考える葦」であるっていう、その間に何かモタモタがあるんだ。‥刺激に対して意味付与をして初めて反応が出てくる。…考える葦だから、やっかいなんだ。やっかいだけれど、そこに人間の尊厳を認める。
 つまり、人間として生まれて人間の人間たるゆえんを認める以外に生き方がありますか、ということなんですね。‥動物は生きがいなんて考えなじゃないですか。生きがいなんて考えなきゃ、楽だっていえば楽ですよ。だけど、人間である以上、考えざるを得ない。」(手帖11 「早稲田大学 丸山眞男自主ゼミナールの記録 第一回(下)」1983.11.26.pp.19-23)
「五倫のなかの、君臣の義、君臣の義の君臣と父子、君臣道徳と父子道徳。これがなければ人間は禽獣になっちゃう、動物になっちゃう。人間が人間である由縁は五倫があるから。…五倫というのは、今の言葉で言うと人間の尊厳の象徴なんです。 思想史で大事なことは、当時の人の気持ちになって考えてみる。そして今度はそれを批判するということ、それが大事なんです。今から思うと、どうしてこんな-みんな君臣・父子・夫婦・兄弟でしょ、母子というのは出てこないんですからね。非常に偏っているわけです。しかし、五倫というものがあって人間ははじめて人間たり得ると。人間の尊厳の象徴なんです。そういうことを追体験しなくてはいけない。」(手帖16 「中国留学生の質問に答える(上)」 1988.10.5.pp.9-10)