進歩

2016.4.21.

「知性の進歩とは何か。  人間知性の発展は不完全な認識からヨリ完全な認識への発展だという考え方の基底には、たとえ何万年先であろうと、いな現実には到達不可能であろうとも、世界の完全無欠な認識が理念としてありうるし、なければならないという前提がある。これがクラシックな真理観である。しかしそれは人間知性の発展が同時に困難性の、挑戦の増大であるという側面を無視している。もし昔の時代に存在した困難性、問題だけが、現在でも問題性のすべてであるとしたならば、すでに知性は、世界を殆どくまなく認識していることだろう。現実は、進歩というものが、まさに新たな困難の発生と相関的なことを示している。困難性の増大という側面にだけ着目するのがペシミストであるなら、逆に困難性を固定的に見て、知性の進歩だけを見るのが、啓蒙的合理主義のオプティミズムの盲点なのである。新たな理論は新たな困難性の発見、その解決の必要から生れて来る。それまでは、認識の到達しない範囲そのものがインタレストの対象とならない。」(対話 p.117)
「昭二〇・一〇・二五
 東洋精神に欠けてゐるものは時間との対決だ(歴史哲学)。時間をうつろふもの、仮相とみるかぎり、人間精神の形成が時間を通じてのみ実現されるといふことは、一つの単なる偶然、止むをえざる廻り道にすぎなくなる。かくては思想史といふものは無意味なものとなり、人間はかつて数千年の昔にソクラテス、孔子、キリストの到達した精神的高みから一度顚落して以後、徒らなる混迷と低徊を繰返してゐたにとどまる。
 しかしわれわれは、よしソクラテスからプラトーへ、孔子から孟子への展開が顚落であるにせよ、やはりそこに顚落に必然性を思はずにはゐられないのだ。しかもそれは決して単なる顚落ではない。それはソクラテスや孔子に於ける絶対的なものが、ソフィストや諸子百家の出現によって相対性にまで引下げられた時代を背景としてゐる。かゝる時代には、さうした相対的立場に一旦自らも立つて、それを通じて絶対的なものへ高まる以外に生きようがないのだ。さうして、かくして再び獲得された絶対的なものは、ソクラテス、孔子よりも関連的に豊かになつてゐる事は否定出来ない。われわれはそこに進歩を認める。」(対話 pp.7-8)
「(ラスキ「信仰・理性及び文明」によれば)現代(1944年)はちょうどローマ帝国の末期と同じように、一切の古き文明の価値体系が頽廃し、没落しつつある時代である。そこでは政治は特権階級の利己的恣意に委ねられ、富は集中し、官吏は腐敗し、支配者にも被支配者にも内的確信が失われ、文化は末梢的にまで洗練され、大衆は希望も光明もなく、むなしくデカダンスのなかに沈淪している。こうした時代の甦生は新たなる価値体系の再建によってのみ可能である。一つの新しき信仰によって人間が絶望より甦り、再び生活への張りを見出し、社会と文化の新たなる建設に憧憬と抱負を以て立ち向う。かくして人間の歴史に於ける新しきエポックがつくられる。」(集③ 「西欧文化と共産主義の対決」1946.8.p.43)
「単なる平和主義や国際主義の願望がいかに空しいものかは、inter-war yearsが世界史上嘗てないほど、そうした思想の基調の上に立った会議、条約、調査が氾濫した時代であったことを以ても知られる。…ラスキは、…大西洋憲章やいわゆる「四つの自由」の雄弁な約束が安心ならない所以を、ウィルソンのFourteen Pointsの遭遇した運命からして、警告するのである。そして前大戦の後に於て、戦争の結末を更に積極的な目標に向って押し進める事を怠った各国政治家の懶惰、怠慢、無気力を鋭く剔抉する。」(集③ 同上pp.44-45)
「政治の領域に見られるかくの如き「中間期」の頽廃性-ムッソリーニやヒットラーによる「権力政治」の再登場はその最も露骨な表現にすぎない-はまた思想、文化の面に於ても覆わるべくもない。この二十年間には新しき創造の準備をなすような思想家や作家は一人も現われていない。…なにより問題なのは、この時期の知識人が大衆から遊離し、時代の最高の社会的闘争の外に超然としながら、むしろ逆にそうした孤高性に矜恃を抱いている事である。…そうした文学に共通するものは、新しき信仰と勇気の欠如であり、現代世界の終末と頽廃を認識しながら、決然として新しき秩序の形成に赴こうとせず、知られざる未来の世界の前に尻込みする臆病さである。
 ラスキの骨を指す批判は転じて学界に及ぶ。…この二十年間の学界をもって、まさに歴史とのたわむれとして弾劾する。そこには旧態依然たる範疇の使用と叡智の欠乏が特徴であった。その原因として、ラスキは、学問の過度の専門化と学者の不偏不党の崇拝(cult of impartiality)を挙げている。…最近の五十年間、とくにこの二十年間に於て、学問と生活との乖離は著しくなった。学者はもっぱら他の学者に向って説いた。学者は専門化を極度に押し進めた結果、学者の著作は普通の知識を持った人間には無意味となった。…
 要するに、十九世紀の傑出した知識人は、バイロンであれ、ディッケンズであれ、スコットであれ、バルザックであれ、みな大衆の生活の切実な課題と取り組み、同時代の人々の思想と感情に決定的な影響を与えた。…それはまさにデモクラシーと勃興期に於ける知識人と大衆との美わしき結合であった。…  大衆の生活に内在する醜さ、貧弱な家屋、半飢餓、絶えざる失業の不安、低賃銀、長時間労働-こういったすべての環境が、芸術についての一般公衆の趣味を低劣な水準に押しさげて来た。…この不可避性を前提として、インテリは大衆に呼びかける事を止め、社会的革新への関心も打ち捨て、次第に支配階級の添え物(appendage)に成り下ったのである。それは知識人の最高の任務を裏切ることであり、この任務を怠ったことが、ドイツの、イタリーの、またフランスの悲劇を招来したのである。…知識人は私人であると共に一市民であること、もし、知識人が時代の直面する重大問題に、大衆にとって生死を意味する問題に背を向けるようなことがあれば、その時代の一切の文学は決して時代を救い得ないし、又偉大な文学にもなり得ない、という事なのである。」(集③ 同上pp.46-49)
「フランス革命においてはじめて、革命過程における逆行的な動向や旧体制の復活をめざす党派が、同時代人によってréactionとかréactionnairesとかいう呼称を冠せられ、一八三〇年から四八年頃までの間に広くヨーロッパで用いられるようになった。しかもフランス革命は‥普遍人類的な理念(自由・平等・博愛)によって指導された史上最初の「イデオロギー的」革命であったところからして、そこでの「反動」的動向や党派は必然的にこうした理念とそれを具体化した人権宣言の諸原則に対する反動として現われざるをえず、これが「反動」に一定の伝統化した意味内容を賦与する契機となったのである。つまりフランス革命は、(1)「反動」という今日的意味の範疇をはじめて生んだことと、(2)現実的に反動を代表した王党派(ロワイアリスト)たちの政策・政治手段・思考様式がその後の反動派の原型となったこと、という二重の意味で、「反動」の歴史的起源となったわけである。…現代反動のイデオロギーは究極のところ、「一七八九年の理念」とさらにはその思想史的前提としての啓蒙精神の否定と抹殺にまで遡らざるをえない。」(集⑦ 「反動の概念」1957.7.7.pp.80-81)
 「「反動」は範疇としても現実的にも、革命を直接的な与件として登場したが、「進歩の概念」は必ずしもそうではなかった。それはフランス革命の思想的な背景とはなったが、それ自体が十八世紀全般を通じて徐々に形成された観念であるばかりでなく、そこでの歴史的進歩の内実はテュルゴーの著名な「人間精神の継続的進歩の哲学的叙述」‥という題名がなにより物語っているように本質的に連続的発展として把えられていた。したがって、革命という短期間における集約的なエネルギーの爆発と、歴史的進歩という長期的な過程を通じての価値の蓄積と-この二つのものは啓蒙的合理主義の立場に立つかぎり、たとえ革命の「理念」を通じて関連していても、必ずしもピッタリ合一したイメージを結ばないとしても怪しむに足りない。歴史的進歩が同時にaction(行動)の過程として、また本質的に飛躍=非連続を内包するものとしてとらえられたとき、はじめてそれはre-actionと一義的に対応するようになる。マルクスにおけるこうした進歩の観念の転回を可能にしたのは、いうまでもなく革命の論理としての弁証法であった。」(集⑦ 同上pp.96-97)
「ところで啓蒙的な進歩の理念はさまざまのニュアンスを含んでいるが、大ざっぱにいってそこには三つの契機が含まれている。第一は文明化であり、第二は技術化であり、第三は平等化である。この三つの契機に照応して歴史はそれぞれ、(1)人間の知性と教養の向上による因習と偏見の駆逐、(2)科学の適用による自然の征服、および労働組織の発達に伴う生産力の発展、(3)教育と社会制度の改革を通ずる政治的隷属や社会的(人種的)不平等の打破という過程を辿ると考えられる。そうしてその根底には人間性の開発についての無限の可能性‥と、「人類」の理念が横たわっている。…しかし啓蒙主義が社会主義にまで発展したのは思想史的に見ても決してスムーズな直線的な過程を通じてではなかった‥。啓蒙における文明主義と進歩主義はルソーによるその激烈な否定を媒介としてはじめてプロレタリアートの立場と接続することができたのである。十八世紀の啓蒙は現実に宮廷貴族の「サロン」と結びついていただけでなく、論理的にも知的貴族主義をともなわざるをえなかった。…ところがルソーは‥まさに文明の洗練と人工性のうちに人間性と社会のもっとも深い頽廃を読みとったのである。…彼をつうじいまや価値のヒエラルヒーを根底から顚倒するエトスが形成された。進歩と見えるものがむしろ堕落であり、農民大衆の無智と粗野がかえってこの虚偽を「下から」くつがえすエネルギーとなった。フランス革命の指導理念のなかにはこうして「進歩の観念」から来た歴史的楽観主義とルソーのそれへの反逆とがともに流れこんだわけである。ここに内在する「精神(知性)の進歩」と「大衆の反逆」との矛盾はやがてヘーゲル左派において新たな段階で爆発する運命をもった。」(集⑦ 同上pp.97-98)
 「「進歩」と「人間大衆」との敵対関係が止揚されるのは、進歩から大衆への一方交通によってでなく、また「大衆の反逆」の即自的な肯定によってでもない。「進歩」に対する大衆の反逆を通じて進歩が自らの矛盾を露呈し、新たな段階に飛躍することによってはじめて大衆もまた喪失した人間性を回復する条件を獲得する。…進歩の観念の思想史的な転回の意味をこのように考えるとき、そこには一見するよりはるかに重大な含意が見出されないだろうか。それはたとえばヨーロッパ的「文明」に対するアジアの「野蛮」の問題にも、またいわゆる国内的国際的な「プロレタリアートの前衛」の問題にもけっして無縁ではなかろう。」(集⑦ 同上p.100)
「マルクス主義のなかにある最良の思想は何か。マルクスにとって、プロレタリアートというのは、ちっとも美化されていない。プロレタリアートは、まさに、現代社会における疎外の集中的表現なんです。自分一身で人間の自己疎外の、いわば罪を背負っている人間なんです。だから、自己否定を通じてでなければ、社会をトータルに変えられないようなものです。それは両方から言えることで、社会をトータルに変えることは、同時に、自己を否定することなんです。プロレタリアートは、自己否定の集中点と言える。集中点であるというところから出てくる強烈なパトスというものが、全社会を変革して行く論理になるし、また情勢になって行くということだと思います。このことはプロレタリアートが、なんとなくそれ自身正しくて、悪玉のブルジョアジーをだんだん撃破して自分の領域を拡大して行くという方式と、基本的にちがった原理を打ち出している。これが弁証法の論理です。根本的に倒錯した社会が資本主義社会のなかにだけあって、すでに地上に実現している社会主義社会にあっては、部分的にであれ解放が実現されており、その世界が、倒錯した資本主義社会を次第に圧倒して行く、善なるもの正なるものがソ連や中国とかにすでに内在していて、それが餅みたいにふくらんで世界全体にひろがるという革命運動観と、マルクスが考えた革命とは基本的にちがいます。自己否定を内に含んだ革命だけが、革命の名に価するということを、マルクスがプロレタリアートについてまさに言っていることなんです。ドラマに即して言えば、マルクス主義の最良のものが、近代日本の原罪-沖縄が過去背負ってきたもの-の関係のなかに示され、断絶しなければ結合できないという点が非常にはっきり打ち出されていて、僕は大賛成です。(集⑨ 「点の軌跡 -『沖縄』観劇所感」1963.12.pp.132-133)
「共同体が壊れることは、私に言わせれば、いいとか悪いとかいうことではなくて、ウェーバーのいう宿命なんですね。これは、どこを見てもそうなんです。どんな意共同体がいいと言ったって、どんどん、どんどん壊れていくということを前提にしていっているわけです。つまり、テクノロジーと産業化によって壊れるんです。
 だから、産業化および工業化というものを否定したらどうなるのか。否定したら、まず第一に生きていけないわけです。‥つまり、一定の工業的生産力というのがあって初めて、文字通り最低の物質的生活ができるという状態に人間ははい上がったわけです。だから、第三世界の多くの人にそういう日本の共同体論を聞かせてごらんなさい。"ぜいたく言うな"と、一喝しますよ。毎日毎日餓死者が出ているんだ、と。中国も含めてそうです。私は、鄧小平路線というのはあんまり好きじゃないけれども、それは別として工業化というものは、もうそれをしなければどうにもならないものなんですよ。工業化をした上で、さて先進国を見てここで公害があるぞとかいろいろな問題が出てくる‥。他律的に工業化するか、自律的に工業化するかだけが問題なんです。…
 すると、工業化とそれに伴うテクノロジーの発展ということは、産業革命以後起こった世界史におけるある革命なんですね。これは不可逆的な革命なんです。したがってそれは急速に発展する。これぐらい文化の相違を超えて急速に伝播する革命は人類の歴史で今までなかったですね。…したがって産業革命以前の共同体というのは破壊される運命にある。破壊されたということは、その中から私の言うindividuationが生じてくるんです。そのinidividuationのいろんなパターンだけが問題なんです。」(手帖10 「内山秀夫研究会特別ゼミナール 第二回(上)」1978.6.2.pp.31-32)
「私の思想へのマルクス主義の影響がいかに大きかったにしても、それを全面的に受け入れることに対しては、「大理論(グランド・セオリー)」への私の生得の懐疑と、それから人間の歴史の中で働いている理念の力への私の信頼との両者がつねに牽制要因となった。他方、唯名論の方へどんなに引き寄せられても、そのことが、有意味な歴史的発展という考えをまったく私から捨て去らせるまでには至らなかった。私は自分が十八世紀啓蒙精神の追随者であって、人間の進歩という「陳腐な」概念を依然として固守するものであることをよろこんで自認する。私がヘーゲル体系の真髄とみたものは、国家を最高道徳の具現として賛美した点ではなくて、「歴史は自由の意識に向っての進歩である」という彼の考え方であった。…私は歴史における逆転しがたいある種の潮流を識別しようとする試みをまだあきらめてはいない。私にとって、ルネッサンスと宗教改革以来の世界は、人間の自然に対する、貧者の特権者に対する、「低開発側」の「西側」に対する、反抗の物語であり、それらが順次に姿を現わし、それぞれが他のものを呼び出し、現代世界において最大規模に協和音と不協和音の混成した曲を作り上げている最中である。われわれは、これらの革命的潮流を推進する「進歩的」役割を、なんらか一つの政治陣営にア・プリオリに帰属せしめる傾向にたいして警戒を怠ってはならない。われわれはまた、なにか神秘的な実体的な「諸力」の展開として、歴史を解釈する試みにも用心すべきであろう。けれども、われわれが言葉のプロパガンダ的な使用にうんざりするあまり、人間の能力の一層の成長を胎んでいるような出来事と、人間の歴史の「時計の針を逆にまわす」意味しかもたない出来事とを見分ける一切の試みをあきらめてしまうならば、それは情けないことではないか。」(集⑫ 「「現代政治の思想と行動」英語版への著者序文」1982.9.pp.48-49)
「文明とは文明化の問題ということになります。シヴィリゼイションとはシヴィライズしてゆく、もしくは、されていく過程ですね。文明というものが、そこに不動の形であるのではなくて、文明とは文明化なのだという、これが非常に大切な主張です。そこでおのずから文明の段階論へと議論が進みます。…
 文明化の過程ということは、文明の「進歩」の過程として歴史をみることを意味します。…いわゆる「進歩の思想」‥です。十八世紀から十九世紀にかけてのヨーロッパ文明史というのは、進歩史観と不可分なのです。日本では自由民権思想以降ずっと、マルクス主義に至るまで、広い意味で、進歩の思想といえます。…
 ヨーロッパを見ますと、必ずしも同じではないいくつかの思想の流れが、歴史の進歩という考えのなかに合流して、進歩観というものが形成された。…  一つの流れは、十八世紀啓蒙の進歩観です。「理性の時代」という別名をもつ十八世紀に形成された進歩観で、これが狭い意味での「進歩の思想」です。…人間の知性の進歩と増大が社会を変え向上させる。知性の進歩と社会の進歩がワンセットになっているのが啓蒙思想の特色なのです。蒙昧から開明へという図式です。…ところで、知性が進歩するというのは、知性が蓄積されていくことです。知性の進歩と増大イコール知性の蓄積です。そうでないと、たんなる「変化」であって「進歩」にならないというのが啓蒙の進歩観です。…
 そこへ現実に到達するかどうかは別として、本来いずれは達するはずだという楽観的想定があって、歴史をそこへ向っての歩みとして見る。したがって、歴史が目標をもっているということです。何か価値をもった目標へ向っての進歩。そうでなかったら、進歩は変化と区別がつかない。逆に、その目標に向わず、むしろ逆行する動きが、反動あるいは退行と考えられるわけです。
 歴史にゴールがあるという考え、これは東アジアにない思想なのですね。聖人の道がおこなわれた堯舜の代というのは、大昔に設定されていますし、老子の「大道廃(すた)れて仁義あり」という反儒教思想にしても、歴史を理想社会から遠ざかっていった過程とみる堕落史観では、儒教と共通しています。せめて過去の堯舜の世にすこしでも近いところに持っていこうという主張はあっても、未来に究極目標があるわけではない。だから、進歩史観は東アジアから内在的には出てきません。やはりヨーロッパ思想の影響を受けてはじめて生まれるのです。…
 この十八世紀啓蒙の進歩思想について、さらにそのルーツは何かということになると、いろいろ説があります。キリスト教的世界観の世俗化だという説も有力です。つまり、神が宇宙を創造して、そこで神の計画を実現していく場が歴史でしょう。ですから、当然に歴史は神的目的に向っての歩みとなる。…
 さて、進歩史観を構成する第二の契機が、歴史的発展の観念です。発展というのは‥固くつつまれているものが開かれる、ほどけてひろがってゆく、という意味ですね。そういう歴史の「発展」の観念は、ヘーゲル、マルクス、歴史学派など、つまり十九世紀の広い意味での発展段階説がこれに入ります。これは、ちょっとみると啓蒙の進歩観と同じようですが、ちがっている。というのは、一定の歴史の段階の中に内在しているある契機が発展して次の段階が生まれるという考え方がそこにあるのです。内在的歴史観というべきものですね。…だから、完成状態の方から逆算して歴史を区切っていくのと、ちょっと考え方がちがうわけです。
 第三の契機となるのが「進化」です。…
 十九世紀の終りになると、歴史の進歩観といわれるもののなかに、この三つが交りあうわけです。…
 日本の場合でいいますと、これらのうち、「発展」という考え方は、入ってくるのがいちばん遅れます。まず啓蒙の進歩の思想、それから踵(きびす)を接するように‥進化の理論が移入され、その二つが合流して自由民権期の日本の進歩思想になります。十八世紀の啓蒙思想と十九世紀のダーウィニズムとは相容れないところがあるのですが、日本にはほとんど一緒になって入ってきて、まじりあって進歩思想を構成する。
 スペンサーは、一方では進歩思想として自由民権論の武器になりますが、ところが、やがてソーシャル・ダーウィニズムのなかにある適者生存の論理が、現実権力の正当化や帝国主義のイデオロギーとして用いられます。人種闘争のなかで優越した人種が勝ち残っていくということで、強者の権利あるいは帝国主義の合理化の武器になるのです。日本の訳語では"survival of the fittest"が「優勝劣敗適者生存」であり、これは明治十年代のはじめに加藤弘之が言い出したのです。加藤弘之は‥優勝劣敗適者生存の論理で、自然法的な天賦人権論の虚妄を攻撃し、強者の権利の謳歌者になってゆくのです。だから、進化の理論まで進歩思想に入れてよいかどうかは、それだけ孤立してとり出すと疑問になります。」(集⑬ 「文明論之概略を読む(上・中)」1986.pp.93-98)
「中国が西洋から受けた衝撃は[日本に比べて]歴史的にみればもっと大きいんです。だけどその主観的な衝撃からいうと小さい。つまり機械・技術ですから。高級文化、精神文化からみれば低いわけですよ。ただ、西洋の思想が入ってくるでしょ。進化論に中国は革命的な衝撃を受けた。これは日本と逆なんです。日本と中国はアジアの国だから一つだなんて決して言えないぐらい伝統が違うんです。
 進化論が中国に来た時に、厳復という偉い人がいたんです。彼が進化論をはじめて中国に紹介する。『天演論』、それは驚くべき革命です。天の思想というのは古くからある中国で最も強い天の信仰。天子ってあるでしょ。天の子でしょ。天は絶対なんです、中国では。ちょうどキリスト教の神にあたる。天は永久不変にして恒常なもの。したがって動かない。天が動くというのは驚くべきことなんですね。天は動かないで永遠だから天。それが動くという進化論ってのは革命的……。進化論が来たから共産主義に。進化論から共産主義まで一歩に過ぎない。
 日本も驚いたことは驚いた。しかし明治の日本にきた時に、進歩派も反動派もあっとばかりに進化論を最新学説として受けとめた。その意味では衝撃じゃないんです。というのは、万物は動くというのは日本の昔からの信仰なんです。天の思想はうんと入ってきました。そこで、なぜ天子と言わないで-漢文で書く時は天子とも言いましたよ-普通は天皇でしょ。万世一系でしょ。変わらないのは天じゃなくて、「天皇」、中国では「天の子」だからね。天命に反した子は放伐していい。打倒していい。「暴君放伐」論という。孟子がはっきりと言っている。紀元前の思想家が革命を是認したわけです。革命ってのは、天命を革(あらた)める。『書経』という古典にある。天の命を人間が受けて代行するのが革命。そこで革命は昔から是認される。
 日本では天子にあたるものが天皇になっちゃった。そこで易姓革命の思想をどう日本化したかというと、天は変わらない、天子・天皇は変わらない。その下の幕府が変わる。‥幕府の交替に易姓革命の理論が一段ずつずれている。天皇は万世ずっと続いている。天皇が天にあたる。だから進化論の影響を天皇は受けない。
 そこまでの議論をした人はそもそもいないけれども、もちろん他に理由がある。一つは天皇が政治的に全く無力だから。中国の天子みたいに、本当にデシジョン・メイキング[政策決定]をやったら続いていませんよ。」(手帖13 「伊豆山の対話(下)」1988.6.4.pp.51-52)
「アナーキズムというのは、リベラリズムの中の人間性は善だという考え方を極端にまで押しつめた考え方なんですね。クロポトキンの相互扶助論。つまり、なまじっか制度とか法律があるから悪くなる。たしかにそういう面もあるんだ。全く嘘とは言えない。それでは、人間性そのものをそれほど楽観できるか。人間のエゴの要素をアナーキズムは根本的に無視しているんだな、政治思想としては。
 もちろん、権力とか制度というものに対してネガティブになるのは、そういうものが、人間そのものをかえって抑圧しているから。このごろの管理とかを見てもそうですね。たしかに抑圧している中にマイナス面は明らかにある。逆にそういうものが全部なくなれば、人間の各々助け合う心情だけが伸びていくかというと、実際はそれほど甘くはない。それには両方あって、アダムとイヴ以来、りんごの実を食ったマイナスの面が。大げさに言うと人間性の中にある罪の要素というか、罪にまでいかなくてもエゴイズムの……。厳しすぎるんですね、アナーキズムというのは。‥
 ある意味で進歩思想とは、みんなそうなんです。デモクラシーもリベラリズムも、究極はアナーキズムになるんです。それは、制度なんてないほうがいいに決まっている。みんなが相互に助け合ってうまくいけば、一番いいじゃないですか。いいに決まっている。
 だけど、例えば、大杉栄は本能の絶対肯定でしょ。とくに日本みたいに理想主義の伝統が弱いと、克己という、自分を克服するというのが出てこない。これは全面解放だから、なにも女性関係だけじゃなくって。それは、ちょっとひどいものだ。自分が自分を抑えるというか、自分の中の分裂を認めないんだから。自我の解放ですから。自我の解放というのは、日本的心情主義と相通じるところがある。ファウストじゃないけれど、「わが中に二つの魂がある」というのはないんだ。魂は一つしかないから、レーベンが、生命力が外へ向かって噴出しようとするのと、それを抑えようとする権力の制限との闘いという、その二元論しかないわけ。自分の中の二元性というのを認めない。だから、当為とか、そうすべきだということが出てこない。」(手帖41 「丸山眞男先生を囲む会(上)」1993.7.31.pp.22-23)
「(「人権にしても、民主主義にしても、自由にしても、強い個人というのを前提にしている。だけど人間はそんなに強くないんだから、強い個人を前提にした意見は非現実的であって、結局まずいことになる」「つまり、人間は弱いもので、共同体があってはじめて生きられるようなものだから、あまり強い個人を主張するような意見は、非現実的ではないか」「つまり「こどもの権利条約」で子どもが強くなる、女性差別反対で女が強くなる。そうすると家庭が崩壊してしまうのではないか」という質問に答え)非常に深く考えれば、自由・平等・博愛・人権という思想は、人間性を高く見ているんです。高く見過ぎているからいけないというのに対しては、反駁が困難ですね。だから理想になるんです。どの国も完全にそれらを実現していないんです。そういう社会は世界中どこにもない。にもかかわらず、自由・平等・博愛・人権がなぜ理念になるのかと。それを目指さなければいけないという方向性にあるからです。現実の人間はそれよりはるかに下なんです。以下だから、それを目指さなければいけない。みんな理想なの。問題は、人間は自分の力でその理想に近づけるのか、近づけないのかということです。極端に言うと、これは宗教問題になっちゃう。仏教で言うと、自力・他力なんです。キリスト教も他力です。内村みたいな厳しいクリスチャンは、デモクラシーとか自由を全然認めないです。あれは人間絶対主義の否定だから。人間の罪というものに対する自覚が足りない。人間が自分の努力で理想社会をつくるなんてとんでもない。特にプロテスタントにはそういう考え方がずっとあります。だから理想社会をつくろうという考え方自身が、傲慢なんですね。人間の能力に対する傲慢から発している。深刻な問題になっちゃって難しいんですが、それに対してはオルタナティブ、じゃあどうしたらいいですか、ということを訊ねることが大事。どうせ現実の状態がそうだから、貧富の差がいくら大きくても仕方がないと黙っているのか。差別があってもしょうがないからと黙っているのか。どんなに遠い理想であろうと、どんなに現実に人間がそれから遠くても、それを目指すことによって、一歩でも二歩でもそれに近づき得るのか。そうしたらそこに寝そべっちゃうよりいいじゃないかと。僕は現実に寝そべるよりは、理想を求めたほうがいいということ以外に言えないです。日本では変な現実主義が多いんです。理想主義というのは、高いところにあるものを取ろうとするわけです。高いところにあるものを取ろうとすると、転んだりして変な格好になる。いちばん安定しているのは、寝ていることなんです。寝ていて、あんな格好してバカだなぁと言っている。これが日本の現実主義。これがいちばん安定している。所与の現実をただ絶対化する。しかし、これでは全然進歩がないです。それでいいんですか、と。転びつ、まろびつ、少しでも理想に近づいていくという、そういう人間観をとるかということです。」(手帖54 「「アムネスティ・インターナショナル日本」メンバーとの対話」1993.10.20.pp.46-48)