普遍

2016.4.21.

「(イ) 権威の承認は人間に特有な現象である。動物は権威への服従をしらない。ただ物理的な力関係を知るだけである(「ジャングルの法則」)。
 (ロ) 人間社会においても、見えざる権威(*)-神の権威、真理・正義の権威、天・道理の権威-による内面的拘束が弛緩する程度に応じて、事実上の見える権威(**)-感覚的に触知できる権威による拘束が増大する。(「人に従わんよりは神に従え」「人を相手とせず天を相手とせよ」)。) 政治権力だけでなく、経済的な利益、世間の思わく、「世界の大勢」、集団的雰囲気等々からの自立は、見えざる絶対的権威の承認なしにはおぼつかない。たんに一切の権威の否定は、動物的な自己主張とほとんど区別しがたい。「理性」の権威だけをみとめるという場合も、その理性が自他をこえた普遍的なものとしてとらえられたとき、はじめて、たんなる自己主張と区別されるのである。逆にいえば自己、もしくは自己集団を絶対的権威の前に相対化することを知らない者は、「理性」を語る資格はない。
 「権利意識」と動物的主張とを区別するものは、やはり、権利の普遍性の承認、したがって他人の同様の権利の承認である。
(*)「千万人といえども我往かん」
   「私はここに立っている」
(**)見えるというのは、感覚的経験といいかえてもよい。視覚的に限らない。」(対話 pp.229-230)
「イデー。
 事実によって事実を批判することはできない。観念によってのみ事実を批判できる。事実によって批判したように見える場合にも、よく見るならば事実から構成した観念に依拠しているのだ。観念を否定する者は、事実を批判する足場を失い、結局目前の事実に押し流される。殷鑑遠からず、戦時中の大多数の知識人を見よ。
 観念はたんなるコトバではない。コトバのフェティシズムは所与のものへのもたれかかりという意味でそれ自体、日本的「事実主義」の変奏曲にすぎぬ。観念に深く沈潜するほど、ひとはそれを的確に表現するコトバに苦しむ筈だ。いわゆるイデオローグは観念過多症ではなくて逆に観念貧血病患者であり、コトバや用語に惑溺して、その奥にある観念を凝視する能力を失った人間なのだ。」(対話 p.67)
「人権の考えはギリシャにはなく、クリスト教から出て、ブルジョア憲法の中に制定化された考えですが、‥普遍的な人間性、人間というイメージがないと出てきませんね。普遍が特殊の下にあり、特殊の基礎であるという考えがないと出てこない。コスモポリタニズムの思想を通過しないと生まれないわけですね。コスモポリタニズムほど我々にわかりにくい考えはありません。つまり我々には世界が外にあるわけですからね。‥世界の市民であると同時に日本人であるという二重性において、コスモポリタン=人類の一員でありうる。人類は遠い所にあるのではなく、隣りにすわっている人が同時的に人類なのだ。そういうふうに同時的に見るべきことです。普遍は特殊の外にあったり、特殊を追求して普遍になるのではないのです。普遍はいつも特殊と重なってあるわけです。」(集⑯ 「普遍の意識欠く日本の思想」1964.7.15.p.59)
「古代では政治と宗教とはくっついていた。それがどう分離されていったか。宗教の政治からの独立は、古代の政治からの独立の基本的な型なのですよ。なぜなら、政治とちがう価値基準に立った社会集団ができるかどうかというのはそこできまるわけです。教会はどんなに堕落しても、俗権とはちがう価値基準に立っている。
 だから中世の教会から俗権に対する抵抗権という発想が出てくる。つまり、いかなる地上の俗権をもこえた価値の存在は、クリスト教でいえば神に対して自分がコミットしているということになる。「人に従わんよりは神に従え」という福音の言葉はそれです。‥どんなに俗権が強く、長い歴史をもとうとも、地上の権力を超えた絶対者・普遍者に自分が依拠しているのだということが、抵抗権の源泉であり、同時に教会自身が宗教改革を生みだした原因です。つまり、普遍者にてらして自分自身が堕落しているから、自分の中から改革を生みだしうるわけです。神でなくともよい。…特殊を絶対化する考え方からは、自分の中から、自分をトータルにかえてゆく考え方は出てこない。これはファシズムと社会主義・コミュニズムとの大きなちがいですね。
 そうした観点から見ると、宗教の政治からの独立は、学問・芸術の政治からの独立の基礎であるし、政治的集団とちがった社会集団の自立性の基礎ですね。ギルド・都市・大学などが国家権力に対して持つ自治の考えの基礎です。‥政治的な価値とちがった価値というものの自立性は宗教から始めて出てきたのです。日本の皇室は政治権力であり、同時に宗教権力であったわけで、それ自身特殊の絶対化で、これでは政治学はもとより、一般国家学さえ出て来る余地はない。したがって、そういう考え方がある所では、ガンが転移するように、あらゆる社会集団に同じ考え方がはびこる傾向が強いのです。マルクス主義の中にも入りやすい。これが左翼天皇制といわれているもので、もとは部族信仰です。その点、日本とヨーロッパとちがいますね。…
宗教、つまり聖なるものの独立が人間に普遍性の意識を植えつける。そしてこの見えない権威を信じないと、見える権威に対する抵抗は生まれてこない。見えない権威、それは無神論者は歴史の法則と呼びますが、神と呼んでも何と呼んでもいい、そうしたものに従うことは、事実上の勝敗にかかわらず自分の方が正しいのだということで、‥普遍的なものへのコミットとはそういうことです。それが日本では弱い。」(集⑯ 同上pp.62-64)
「…「末代まで恥を残すな」という気持ちがないとダメですね。‥歴史の審判ほど怖いものはない、右翼を恐れるのなら歴史の審判を恐れろ。-非常に乱暴なことを言うようだけれども、そういうことです。言論という、筆でものを言ったり、それに関係している企業は、非常に古い言い方だけれど、そういう覚悟がいるんじゃないかな。歴史の審判を恐れなければいけない。現在だけ見ていてはダメ。それが自分の支えになる。少なくも、何と言っても自分はベストを尽くしたということね。…
僕は非常に臆病者ですけれど、僕の実感では、そういう場合に、自分でそう考えますよ。普通の人間としてね。一つは、必ず歴史によって裁かれるということ。それからもう一つは、さっき言った原理的なこと。自分は何によって生きているのか。生きがいというものがあるでしょ。ただ物理的に生きているだけでは、犬や猫と同じ。その生きがいの根拠が、思想とか言論とかの自由なのです。それが骨になっている。それのないところでは、権力者なり、世論なりというものによって、言うことが決まってくる。ということは、自分以外の力に屈しているということでしょ。これでは、一体何のために言論で生きているのか、生きがいがなくなるわけです。そういう生きがいのない社会というものを作らないようにしなければいけない。」(手帖30 「筑摩書房編集者たちとの対話」1967.11.30.pp.15-16)
「もし日本の知性における「普遍主義」に疑問を投げかけるとすれば、それは「普遍主義」が、中国とか西欧列強とかいう、日本の「外」にある特定の国家や、文化の特定の歴史的段階-十九世紀の西欧文明といった-に癒着し、それ自体が一個の特殊主義(パティキュラリズム)に堕した、あるいは堕する傾向がある、という点にあると思います。…日本の思想史を見るとユートピア思想がきわめて乏しい。もともとユートピア思想というのは夢想や幻想ではなくて、現実に対する切迫した、またトータルな批判意識の所産なのですが、日本においては、‥ユートピア思想に代位したのが「模範国家」でした。模範国家は古代では隋・唐であり、その後も長い間、聖人の統治した太古の中国でしたが、幕末維新以後、それは「欧米」にきりかえられました。マルクス主義の場合でさえ、その普遍主義はソ連とか、コミンテルンとかいう、現実の国家もしくは特定集団と同一化する傾向を免れませんでした。…そうして、普遍主義が自分の、あるいは自分の国の「外」にある何ものかであることからして、その反動は、必ず「うち」の強調として出現します。「うち」とは精神の内部ということではなく、うちの国、うちの村、うちの家です。イデオロギー的にはそれはさまざまの変奏であらわれる「土着主義」(ヨリ正確には土発主義)の基盤です。こうして「よそ」を理想化する形の疑似普遍主義と「身内(みうち)」への凝集とが悪循環をくりかえして来ました。…本当の普遍主義は、「うち」の所産だろうが、「外」の所産だろうが、真理は真理、正義は正義だ、というところにはじめて成り立ちます。ヒューマニズムも同様です。「人類というのは、隣りの八さん熊さんのことだ」と内村鑑三が言っていますが、隣りの八さんを同時に人類の一員としてみる目-これがヒューマニズムであって、「人類」というのは遠方に、または天空の彼方に存在する何ものかではない筈(はず)です。」(集⑩ 「近代日本の知識人」1977.10. pp.264-265)
「その時(日本が軍国主義に走っていった一九三〇年代以後)に、私たちの先輩の日本の知識人を見ておりまして、私は青年ながらも、日本の知識人は何か非常に弱いところがある。自分の周囲の動向、風潮、風向きというものに対して非常に弱い。‥「自分はここに立っている。これより他に仕様がない」という本当の自分の立脚点というものを持たない。周りの動向というものに流される。そういう弱さがあるということを非常に感じた。その中にあって南原先生とか矢内原先生という人々は-必ずしもキリスト者だけではありませんけれども-少しも揺るがなかった。…正しいか正しくないか、何が真理であるか、何が正義であるか、ということをまず第一に自分の態度決定として決めるという、当時の日本人の中の非常に少数の-私の見ていた範囲では-方々であったわけです。…
 つまり先生から根本に教わったことは、人間にしろ、国家にしろ、そういう経験的に目の前に存在しているものを絶対化してはいけない。国家というものがいかに大きな力を持っているにしろ、日本の帝国というものがいかに大きな力を持っているにしろ、日本の帝国がやることが正しいのではない。正義というものが日本の帝国の上にあって、それによって日本の帝国自身が裁かれなければいけない。日本の国自身が不正義の道を歩んでいるのであったら、それに与(くみ)するべきではない、ということですね。これはヨーロッパの思想史みたいに長い歴史の中において獲得されてきた立場です。そこに人間の尊厳とか、国家を超越した真理とか正義とかという考え方が伝統として……」(手帖5 「南原先生と私」1977.10.23.pp.10-13)
「啓蒙的な意味の個人主義(は)普遍的な理性によってくくられるような個人主義、あらゆる人間には理性が備わっているんだ、ということを前提にした個人主義なんです。ところが啓蒙主義に反逆して起こってきたロマン主義になってくると個体概念が出てくるんです。‥それはニーチェまでいくんですけれど、個性的個人主義ですね。つまりこれは二人といないということになる。これが歴史的個体性です。これは上級のものによってくくれないんです。
 しかし、それも淵源はキリスト教なんです。つまり、神様にみんな一人ひとりの良心が直結しているでしょ。したがって同じ人間は一人としていない。そこが仏教なんかと非常に違っています。つまり一人ひとりの個体性という考え方もヨーロッパではキリスト教に発している。したがって個体の魂の不滅ですから永遠に責任を負わなければいけない。‥だからやはりキリスト教の中にそういう個体概念もある。しかし同時にキリスト教の中から啓蒙的な普遍的な理性という考え方も出てくる。そこが非常に錯綜していて、簡単に言えないですが……。」(手帖10 「内山秀夫研究会特別ゼミナール 第二回(上)」1979.6.2.pp.24-25)
「私の思想へのマルクス主義の影響がいかに大きかったにしても、それを全面的に受け入れることに対しては、「大理論(グランド・セオリー)」への私の生得の懐疑と、それから人間の歴史の中で働いている理念の力への私の信頼との両者がつねに牽制要因となった。他方、唯名論の方へどんなに引き寄せられても、そのことが、有意味な歴史的発展という考えをまったく私から捨て去らせるまでには至らなかった。私は自分が十八世紀啓蒙精神の追随者であって、人間の進歩という「陳腐な」概念を依然として固守するものであることをよろこんで自認する。私がヘーゲル体系の真髄とみたものは、国家を最高道徳の具現として賛美した点ではなくて、「歴史は自由の意識に向っての進歩である」という彼の考え方であった。…私は歴史における逆転しがたいある種の潮流を識別しようとする試みをまだあきらめてはいない。私にとって、ルネッサンスと宗教改革以来の世界は、人間の自然に対する、貧者の特権者に対する、「低開発側」の「西側」に対する、反抗の物語であり、それらが順次に姿を現わし、それぞれが他のものを呼び出し、現代世界において最大規模に協和音と不協和音の混成した曲を作り上げている最中である。」(集⑫ 「「現代政治の思想と行動」英語版への著者序文」1982.9.pp.48-49)
「(鶴見俊輔「ただ一つ私は疑問を言いますと、丸山さんの方法は経典から始まる。つまり、初めに言葉ありきという感じがするのですね。しかし、経典の前に何かあったというのを私は考えるんです。」)いや、経典という意味が、『資本論』とかそういう具体的な本を言うのなら、それは違います。そうじゃなくて、抽象的なイデーから出発していると言われたら、そうだと言います。
 (鶴見「イデーのほうも文字に宿っているような気がするんですが、どうですか。」)具体的には文字化される、だけどその後で、たとえばレーニンがまた書くでしょ。だから、その点が、鶴見君に対するぼくの逆批判にもなるわけだ。いつも、具体的なそういう書物と、その背後にあるイデーの次元とが一緒になっちゃう。ぼくはその背後にあるイデーを信じているわけ。それがぼくの偏向です、そういう意味で。事実によっては事実を批判できないというのが、ぼくの確信です。事実を越えた見えないイデーによって、初めて事実を批判できる。それを自覚していない人は自己欺瞞に陥っているだけだ。なんらかのイデーを前提としていながら、それを自覚していない。
 (鶴見「単純に私の考え方を言わせていただけば、イデーは何かに宿ると。経典の前に風俗があって、それが出てきた。つまり、行動というのはイデーかイデーでないか分かりませんね。だいたい、動物の行動というのはイデーを前提とすることができない。」)イデーを全部ふくんでいます。(鶴見「動物の行動がですか。」)ええ、全部ふくんでいます。
 (鶴見「そこがね、非常に長い間の堆積でして。経典から始める前に、そういうものがある。そして、経典ができてから以後も、その風俗と行動習慣のなかにいろんな思想的な働きが出てきて……。」)うん。ぼくに言わせれば、逆に、そういうイデーを抽象した行動というのは、物理的な運動にすぎない。ある物理的なものが、ある箇所から他の箇所へ移動したとか、それだけにすぎない。(鶴見「イデーを抽象しないんですよ。」)‥いや、いや、あなたのは抽象しちゃってるんだ。そうでなければ、必ずイデーが前提になる。つまり、イデーを全部どけちゃったものは何かというと、物理的なものしか残らない。(鶴見「イデーをどけないんです、まるごと。」)だけど、まるごとは認識できない、そりゃ違うんだ。‥風俗というと分かるような顔をして、思想っていうと分かりにくい、抽象的だと言うのは根本的な偏見です。風俗なんて、ぜんぜん分からない。思想のほうが……。
 (鶴見「ぜんぜん分からないっていうのは論理的になかなか言いにくいことですよ。私は論理的印象として風俗のほうがさらに分かりにくい。」)いやあ、それは言えないなあ。思想は分かりにくいからこそ、‥正統と異端の争いがあらゆる宗教について何千年前からあるわけで。何がほんとのマルクス主義か、何がほんとの仏教か、何がほんとの回教かというのが分からないからこそ、血を流して争っているんですよ。この現実をどうして無視できますか。それは人間がどんなにイデーに突き動かされているかということであって、決して、その時の風俗がどうだとかこうだとかと関係ないですよ。何千年前の風俗と現代とは、何の関係もないです。ぼくに言わせれば。
 (鶴見「私は、何がほんとうの、何が真のという問題のたて方に、非常に疑問をもっているんです。つまり、真理というのは方向性にしかないという考え方ですね。」)いや、だから何の方向性か――。(鶴見「提示できますよ。」)それは何ですか、何の方向性ですか。(鶴見「それは実証というか、検証による方向性です。」)いや、によるじゃなくて、方向というのは何かが動いているんでしょ。それは何ですか。(鶴見「それは人間の理想でしょうね。」)そんなら、おんなじじゃないですか。…そこを離れては肉体主義にすぎない。ただ物理的に動いているというだけのことになってしまう。だから、行動と言われるものの中に、思想は必ず必然的に含まれている。」(自由 1984.10.6.pp.32-35)
「私は徹底的に規範ということを、青年時代に習ったんですね。それはやっぱり、高等学校時代に読んだ新カント派です。規範、ノルムということですね。ノルムというものと存在というものと、単に自然に存在するものと規範とは、違うんだということ。規範が存在する、という言い方がもちろん言えます。言えますけれども、規範は現実じゃないから規範なんです。
 真・善・美-ヴィンデルバントが説いているように、真・善・美は価値〔である〕と。これはまぁ、価値哲学ですから、それを批判するわけです。善・美は何となく、価値というのがわかるんです。〔ところが〕真というのが価値というのは、私にはショッキングでした。〔新カント派から〕真理と事実は違うということを初めて教わった。真理というのは価値なんだ、それによって事実を裁く価値なんだということ。だから事実、事実と言って、それは事実じゃないかと言っても、事実をいくら堆積しても、それは事実であって、そこから価値は生まれない。だから学問的真理というのは、それを真理価値に従って多様な素材というものを構成しそして一つのセオリーにまとめる。それが美的価値が美学になるし、善価値が倫理学になる。…
 つまり、倫理的次元でもって規範と事実とを理解するならば、それが理と情、あるいは理と欲、つまり、規範というものが、人間の理性以外のものをコントロールするわけです。理性がそういうものをコントロールすることにおいて自由になる。で、自分が情なり欲なりによって行動したならば、それは自由とは言えない。なぜかというと、外から来ますから、感覚は。外から来たものに引っ張られるんだから、自由はないんだ。自分が自分を律する時のみ自由だというのは、‥簡単に言えば、カントの規範哲学です。‥
 そこで「自己実現」。自己実現の「自己」というのは当然、規範的自己なんです。…
 私はクリスチャンじゃないんですけれども、いろいろな意味で、はっきり言って非常に影響を受けていますね。超越的な神というものが持つ意味です。やっぱり経験的自我は、-罪の意識と関係するんですけれど、自分が神に縛られていることですね。それが基礎に-神の信仰はないんですけれど、そういう考え方です……。それがないと結局、自分の規範意識というのは出てこないんじゃないか。抽象的な、アイデアルと現実との二元論的対立だと、アイデアルとは頭の中にあるだけですから、どうしてそういうものが自分の現実の行動を縛り得るのか、自分の行動を規律できるのか、それだけの力を持つのか。自我内在的なものでは、説明できない。必ず自我超越的な要素によって自分が縛られている。自分というのは経験的自我です。縛られているという意識。それが前提、ドグマと言えばドグマです。」(手帖36 「『忠誠と反逆』合評会 コメント」1993.4.24.pp.7-10)
「普遍的というのは、何も空中に浮いているわけじゃないんですよ。みんな世間話をしているでしょ。それが普遍なんです。自分と直接利害のない話をしているわけです。アムネスティにとらわれずに、議論というか、ディスカッションというかな。自分の属している集団や職業に関係のない話を他の人とする習慣をつける以外ない。ただ考え方で大事なのは、言葉にとらわれてはいけないということです。言い換え能力を身につけるということ。その言葉でしか言い表せないと思ってしまうと、言葉の天下りになっちゃう。そもそも人権とは、と〔上から〕言うと、お説教だな、ということでおしまいになっちゃうんです。議論をする。例えば、あなたは会社の社員としてそう言うんですか。いえ、そうじゃないですと。すると、あなたは何々家の家族としてそう言っているんですかと。いや、そうじゃない。じゃ何でそう言っているんですか、と訊けば、ただ、私は自分の意見を言っているということになる。「ただ」というのは、人間じゃないですか。どうして人間を、あなたは抽象的と言うんですか、というふうになる。ちょっと議論すれば、すぐに矛盾が出てくるんです、特殊主義で人間が尽くせないということは。…
 違った考え方と絶えず接すると、それに対してどうやって説得するかということを考えざるを得ない。嫌がらないで接触を盛んにすることですね。そうだ、そうだ、というのがいちばん良くない。思考の惰性が蓄積されちゃうんです。極端になると、こんなにいいことがどうしてわからないんだろうってことになる。そうなると、危険信号です。違った考え方が理解できなくなる。‥他者を理解することに慣れなきゃいけない。」(手帖54 「「アムネスティ・インターナショナル日本」メンバーとの対話」1993.10.20.pp.29-30)
「(「人権という概念は、政治思想史の中で扱うことのできる概念なんですか」との質問に)政治思想史と法思想史でしょうね、扱えるのは。哲学では出てきませんね。‥哲学者は論じていますよ。ロックでも、ヒュームでも、カントでも、みんな人権は論じています。しかし、人権の歴史とか、そういうことを問題にすると、それは哲学史じゃなくなりますね。倫理思想史でも人権とはあまり言わないですね。ただ法、政治と倫理がいちばん関係が深いから、その次は倫理思想史でしょうね。(right)という観念自身が法的観念だし。それから次に政治的観念だし。それから倫理では正当という意味で。正当、正しいという意味でライトですね。
 (「人権という思想が日常道徳にあんまり関係しないというか、巻き込まれない」という発言に対し)それはまた別の問題。二つあるんですね、問題は。権利という観念と、「人(じん)」という観念と。人(ひと)という観念と権利という観念とがぶつかるわけでしょう。君主の権利とか、大統領の権利とか、あるいは、この家に長く住んでいる権利とか、俺はこんなに長く東京に住んでいるんだから、東京都民として権利があるのは当然じゃないかとか。そう言うほうがわかりやすい。人間としての権利というのがいちばんわかりにくい。そこが大事なんです。人権とは、「ただの人間」としての権利で、東京に住んでいるとか、日本人だとか、東大の教授だとかは関係ないわけです。それにもかかわらず人間として権利を持っているという観念が定着しにくいのはなぜか。  (「ただの人間としての権利というのは、いつ頃どこで生まれた考えなんでしょうか」との質問に答え)いわゆる人権という言葉が発したのは、西ヨーロッパですね。一般的に定着するようになったのは、フランス革命以後です。ある朝目覚めたら人権という言葉が出てきたということはないけれども、歴史的画期、エポックメイキングと言えば、フランス革命です。(「例えば東洋政治思想史の、堯・舜の時代に、人権という観念は」という問いかけに)ない。論理的に言いますと、その基礎にはユニーバーサリズムとパティキュラリズム、普遍主義と特殊主義の区別があるわけですよ。つまり、ただの人間というのは普遍主義的概念です。
 (「「ただの人間」という考えもやはり、人権と同じような頃に生まれてきた考え……」という質問に)言葉として流通するようになって、割合一般の人も使うようになったという画期は、フランス革命なんです。いつ頃から生まれたかというと、これは非常に古くなっちゃうんですね。やはり普遍宗教とともに生まれた、僕に言わせれば。例えば神道は普遍宗教じゃないです。これは日本の皇室の由来を説明する宗教だから、特殊主義的な宗教。仏教、キリスト教、イスラム教は全部普遍宗教。これらはどこの国の人間だからとかは関係ないんですよ。ユダヤ教はいかにもイスラエルみたいだけれど、あれも普遍宗教なんです。ユダヤ教を日本人が信じちゃいけないということはない。だからこれもやはり普遍宗教。‥僕の仮説、ドグマになりますが、普遍宗教がはじめて「ただの人間」という観念を生んだ。日本でそういう観念が薄いということは、言い換えれば普遍宗教の観念が薄いということ。つまり特殊主義的考え方が非常に強い。それが‥ウチ・ヨソと関係があるわけです。」(手帖54 「「アムネスティ・インターナショナル日本」メンバーとの対話」1993.10.20.pp.11-15)