2回目の広島での正月

2007.01.02

1回目の正月もそうでしたが、今回も次男と彼の彼女が一緒に過ごそうと広島に来てくれました。何も言いませんが、私たちが二人だけで過ごすことは寂しい思いがするだろう、という優しい思いやりが感じられて、心の中で感謝しています。私のwebページ(ミクのページ)も、彼のおかげで更にいい内容にしてもらうことができました。とにかく広島が気に入っている次男たちと、評判のタイ料理やつけ麺の店を訪れて、私自身も楽しんでいます。元日には去年と同じくまた宮島へ。去年と比べて大幅な人出の多さにびっくりしましたが、次男に宮島に惹かれる理由を尋ねると、しばし考え込んだ後に、「朱色が海面に反映される美しさかな」と、いかにも色彩にこだわる彼らしい返事で、私も妙に納得しました。

私の上さんも、友達との電話での話の中で、私たちの年のことを考えると、後何回広島で年越しを迎えられるか分からない、ということを口にしていましたが、この言葉も妙に心に響きました。そう、私もすでに65歳ですし、今年は66歳を迎えるのです。気持ちは若いつもりでも、確実に人生の終盤に向かって体の衰えが進みます。後どれぐらいの時間を広島で過ごすことができるか分かりませんが、これからもどん欲に広島を吸収していきたいものだ、と思いを新たにしています。

率直に言って、2年近い滞在をふまえた今の私の広島への思いは、広島に来る前に抱いていた期待感とはかなり違ったものになっています。広島が客観的にもっている日本・世界に対する灯台としての大きな可能性が生かされていない、という思いが次第に膨らんでいるのです。しかも、そのことについての自覚が広島からなかなか感じられない、というもどかしさも感じています。

そんな思いを抱いている私のところに、昨年末、5人の大学生が訪れてくれました。彼らは、「第2回広島国際ユースシンポジウム」を2月に予定しており、私にアドバイスを求めに来てくれたのでした。私にはこれまで大学生との交流の機会がなかったので、彼らとの交流はとても刺激的でした。しかも、彼らが、以上に述べた私の思いを共有していることを知り、私としては、非常に心強い思いをしました。更に驚きすら感じたのは、彼らが、自分たちがそのように感じることは、自分たちの未熟なせいである可能性があり、未熟さをわきまえず、シンポでそういう問題意識(広島は十分にその役割を果たしているとは言えないのではないかということ)を中心テーマに据えることは広島の人たちに対して失礼に当たるのではないか、という謙虚な気持ちをしっかりと我がものにしていたことです。

私は、彼らの問題意識の確かさに感心していること、広島に対する謙虚さは非常に大切なことであること、しかしその謙虚さの上に立っての広島に対する問題提起であれば、広島の人たちは正面から受け止めてくれるであろうことなどを話しました。それはまた、自分自身に言い聞かせることでもありました。

とてのすがすがしい思いと刺激を味わわせてくれた彼らに、心からシンポの成功を願う気持ちを伝えました。