安倍官房長官が広島で総裁選への出馬表明を行ったことに関して(朝日新聞の記者の取材)

2006.09.02

昨日、安倍官房長官が広島で総裁選への出馬表明を行ったことに関して、朝日新聞の記者の取材を受けました。その中で話したことなどを整理しておきます。

1.何故広島で出馬表明なのか?

私は、この質問を受けたとき、意表を突かれた感じがしました。

記者に答えたように、自民党の中国ブロックでの大会開催は安倍氏個人の意志によって決められたものではないだろうから、あまり安倍氏の出馬表明の場所が広島であったことの意味を勘ぐるのはおかしいと感じたからです。安倍氏からすれば、総裁選の日取りなどから逆算すれば、自民党中国ブロックの大会開催日に出馬表明をするのが適当と考えたとしても、まったく不自然ではありません。

ただし、そのように答えた上で、次のことをつけ加えることが必要だと思い、実際にそう発言しました。つまり、いわゆる「改憲派」であり、自民党内きっての右バネの代表である安倍氏としては、自らの「力による」平和観・平和主義を、「力によらない」平和観・平和主義の日本における数少ない拠点である広島でぶつけることによって、自らの立場を鮮明にすることに大きな意味を見いだしていた可能性はある、ということです。平和憲法を否定し、「戦争する国」になるための新憲法制定に野心を隠さない安倍氏としては、ある意味、広島の客観的存在理由に対する挑戦状(というより、最後通告)を突きつける行動に出た、ということは、あながち否定できないのではないでしょうか?

そういう意味では、来年2月の広島市長選挙に対する自民党・保守政治の出方は大いに注目する必要があると思います。彼らが本気で広島を保守政治の中に取り込むことを狙うとすれば(日本全土を保守一色に塗りつぶすためには、沖縄と並んで、広島は重要な地位を占めることは間違いありません)、広島市長のポストを奪還することは至上課題と位置づけられても何ら不思議ではありません。幸か不幸か、広島の保守陣営は一枚岩ではないだけに、中央の意向が簡単に候補者一本化に結びつくかどうかは予断を許しませんが、自民党・保守政治の本気度を占う重要な材料であることは間違いないでしょう。

2.被爆者対策で安倍氏はどう出るだろうか?

被爆認定訴訟で被爆者勝訴が続く中で、総理・総裁になった場合に、安倍氏がどう出るか、という記者の質問には、私は次のように答えました。

私自身が官僚だった経験からいうと、保守政治は、彼らにとって「災い転じて福となす」式の「ウルトラ・C」を仕掛けてくる可能性は十分にあると思います。このケースで考えられるのは、判決に従って被爆者に対する手当を厚くする方向に梶を切るということです。しかし、その場合においても、保守政治の言い分は、被爆者の方たちが老齢になられて一刻の猶予も無くなっていることに着目した特別の措置であって、決して国の戦争責任を認めたわけではない(かつての軍国主義・日本が犯した戦争責任を認めることはあり得ず、「受忍」論の立場は堅持する)、とすることは目に見えています。つまり、安倍氏からすれば、自らの政治信条を追求することと、被爆者に対する特別措置を講じることとは必ずしも原則問題として困難なことではないのです。

むしろ、この「ウルトラ・C」の「ウルトラ・C」であるゆえんは、被爆者救援をやることに応じることの見返りに、被爆者が政府の原則的立場に対してこれ以上争わないように仕向けることになる、ということだと思います。それだけではありません。改憲、「戦争する国」に向けての舵取りに対して、広島・被爆者が異議申し立てを行えないようにもっていく、ということも当然なることでしょう。つまり、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ウォー」の真髄・精神を骨抜きにすることにより、広島・被爆者を保守政治の懐に包み込むことを狙ってくる可能性は十分あると見ておかなければなりません。

問われるのは、広島・被爆者がこの「ウルトラ・C」に対してどういう答えを示すかということです。その答えの内容如何によっては、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ウォー」は力尽き、広島・被爆者が最終的に日本の右傾化の波に飲み込まれるという最悪の事態も考えられます。

広島・被爆者の底力を期待したい、と私は自らの発言を締めくくりました。