「ヒロシマを聞く 被爆者から若者へ 未来への伝言」(中国新聞連載)

2005.04.24

被爆者・竹村さんに関する最初の紹介の記述

中国新聞で連載している「ヒロシマを聞く 被爆者から若者へ 未来への伝言」のシリーズの一つに、中学教員の松本明子さん(24)と広島市立大大学院一年の西野絵梨さん(23)が、元教員の加藤正矩さん(76)に話を聞くものがありました。「平和教育」ということが盛んに言われますが、以下の加藤さんと若い二人の会話は、そのありよう、あり方について本当に考え込まされます。「行事」としてではなく、本当に子どもたちが「平和」とは何かを自然かつ心底から考えるようになるためには、個々の教員だけの努力ではどうしようもないのであって、やはり日本が国を挙げて「平和」を実践しなければ、子どもたちには伝わりようがないのではないかと思いました。

-西野
(平和教育について)どんな方法がいいんでしょう。私の時はまだ被爆者も健在だった。でも今は人数が減って。そのうちリアルな視点で伝えることが不可能になるんですよ。子どもたちに身近に感じさせるにはどうしたら。
-加藤
原爆の話を聞かなきゃいけないという気持ちを起こさせることが大事。三十年後には、被爆者が学校で話す可能性もほとんどなくなる。日本が戦争に巻き込まれるかもしれないと危機感を持てば、真剣に聞くかもしれないね。
-松本
きっかけって、何なんですかね。
-加藤
うーん、被害の大きさ、無差別に焼き殺された人がどれだけいたか。それが、君たちの上に落ちたらどうか。結局、わが身に置き換える以外、ないんかな。
-松本
担当している一年生が二年になると(海軍兵学校があった)江田島に行くんです。今から事前学習しているんです。でもそれは、自分から興味を持って調べるというより、「行くからやるんよ」って感じになりがち。
-加藤
分かる、分かる。
-松本
調べたいと思わせるには時間もかかる。今、(きちんと指導することが)できてないな、って。自分の小中高時代は平和教育が盛んだったと(今になって)聞くけど、同級生の誰も授業内容を覚えてない。でも、興味を持って読んだ戦争文学なんかは覚えてる。
-西野
私も詳しい内容は覚えてない。ただ、七月に入ると平和一色だったような。
-松本
そう。一年を通してじゃない。(八月六日の)直前になってから歌を歌い始めたり。中学校の時に何やってたかは覚えてない。
-加藤
心に落ちなかった。
-松本
でも、でもですね、いつでも心の隅には引っかかってる。学生時代、他県の友達が「原爆ドームで昼寝をしたい」って。とんでもないと思った。一緒にいた長崎出身の友だちも、そう思ったみたい。
-西野
「何かしないと」って使命感に似た気持ちもあるんだけど、何もしてこなかった。もっとたくさんの人たちの話を聞けただろうに、今になって遅かったなと。
-加藤
何をするにも遅いことはない。一つひとつの言葉に「命の大切さ」がにじみ出ていれば子どもの心にストンと落ちていくと思う。一日一日が平和教育だと思ってください。