1.事案の概要
X(原告)は,昭和35年11月22日,発明の名称を「アレスリン等による殺虫方法」とする発明につき特許出願をしたところ(昭和35年特許願第45876号),昭和38年6月4日に出願公告がなされた(昭和38年特許出願公告第8000号)。
これに対し昭和38年8月1日訴外【A】から,昭和38年8月3日訴外【B】から,また昭和38年8月5日訴外ライオンかとり株式会社外7名から,それぞれ特許異議の申立てがなされた。特許庁が審理した結果,昭和39年4月14日付けで本件特許出願につき拒絶査定がなされたので,Xは,これに対し昭和39年7月4日審判の請求をしたところ(昭和39年審判第3052号),特許庁は昭和41年3月12日,実公昭29-6859号公報(以下,「引例1」という。),実公昭30-4844号公報(以下,「引例2」という。)に基づき,本願発明は,進歩性ある技術的解明をなしたものとは解し難いものであるから,特許法第29条の特許要件を具備しないものと認めるのが相当であるとして,審判請求は成り立たない旨の審決をした。
X出訴。
2.争点
本願発明の要旨認定。
3.判決
請求棄却。
4.判断
「一 請求原因一および二の事実(特許庁における手続経過と審決の理由)は当事者間に争いがない。
二 そこで審決の当否について判断する。
(一)本願発明の要旨について
本願発明の明細書の「特許請求の範囲」に,
「アレスリン或はピレトリンを繊維板類に吸着させ燻熱を伴うことなく120〜140度Cの温度に加熱してこれら有効成分を揮散させることを特徴とする殺虫方法」と記載されていることは当事者間に争いがなく,この記載に甲第2号証(本件における書証は,すべてその成立につき争いがない。)によつて認められる右明細書の「発明の詳細な説明」および図面の記載を対比すると,本願発明の要旨は,右「特許請求の範囲」の記載のとおりであると認められる。
以下この点に関するXの主張の当否について検討する。
特許法第36条第2項第4号が,特許出願にあたり願書に添附すべき明細書の必要的記載事項として「特許請求の範囲」を掲げ,同条第5項において右「特許請求の範囲」には,「発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない。」と規定しており,また出願発明が特許されたものである特許発明について同法第70条が「特許発明の技術的範囲は,願書に添附した明細書の特許請求の範囲の記載に基いて定めなければならない。」と規定しているのによれば,出願発明の内容の理解であるその要旨の認定も,特許発明の内容の理解であるその技術的範囲の確定も,明細書の「特許請求の範囲」の記載を基本とし,これによつてなさるべきものといわねばならない。そして「特許請求の範囲」の記載によるといつても,もとよりその記載された文言,表現のみによるべきものと解すべきではなく,例えば「特許請求の範囲」の記載に用いられている技術用語が通常の用法と異なり,その旨が「発明の詳細な説明」に記載されているとか,「特許請求の範囲」に記載されているところが不明確で理解困難であり,それの意味内容が「発明の詳細な説明」において明確にされているというような場合等に,これら用語,記載を解釈するに当つて,「発明の詳細な説明」の記載を参酌してなすべきであるのはいうまでもないが,これは,すでに「特許請求の範囲」に記載されている事項の説明を「発明の詳細な説明」の記載に求めるのにすぎないことであつて,「特許請求の範囲」の記載についてその合理的な解釈をすることにほかならない。しかしながらこれと異なり,「特許請求の範囲」の記載が明確であつて,その記載により発明の内容を適確にはあくできる場合に,この「特許請求の範囲」に何ら記載されていない,「発明の詳細な説明」に記載されている事項を加えて,当該発明の内容を理解することは,右のようにすでに「特許請求の範囲」に記載されている事項の説明を「発明の詳細な説明」の記載に求めることではなく,「特許請求の範囲」に記載されているものに,新たなものを附加することであつて,前記のごとく発明の内容の理解が「特許請求の範囲」の記載を基本とし,これによつてなさるべきことに反するものであり,出願発明の要旨認定においても,特許発明の技術的範囲の確定にあたつても,許されないところである。
これを本願についてみると,その「特許請求の範囲」の記載は前記のとおりであつて,その記載のどこにも繊維板類を120〜140度Cの温度に加熱する方法についてこれを限定する趣旨の記載はなく,その記載は明確であつて,これによつて発明の内容を理解するに十分である。そしてこの「特許請求の範囲」の記載と対比し,また当該各記載内容を検討するとき,Xの挙示する「発明の詳細な説明」の項におけるa,b,cの各記載は,「本願発明そのものの説明」として内容を規定すべきものではなく,本願発明におけるいわゆる具体的実施例ないし実験例についての説明であるとみるべきは明らかであつて,本願発明の要旨は前記のごとくその「特許請求の範囲」のとおりであると認定するのが,法の規定にそうこの出願発明の合理的解釈というべきである。すなわち本願発明はX主張のごとく「繊維板類を発熱体上に接触させて加熱すること」をその構成要件とするものではない。
(二)本願発明と引例1との比較
この点につきXは,本願発明がその構成において「繊維板類を発熱体上に接触させて加熱すること」を要件とするものであることを前提として,引例1に比し進歩性を有する旨主張するのであるから,前記したところによつて明らかなように,右主張は前提を欠き,それ自体失当というべきである。そしてこの点における審決の判断が相当であることはつぎのとおりである。
すなわち甲第3号証によれば,引例1には,内部に線香,ローソクランプその他電熱器等適当な熱源を装置した筒状体の頂部に,ピレトリン等の殺虫剤を附着ないしは浸透した繊維板を装着し,右繊維板を加熱することによつて,殺虫剤を揮散させる殺虫手段が記載されていることが認められるのであり,本願発明と右引例1とを比較すると,両者は,ピレトリン等の殺虫剤を吸着させた繊維板を燻熱を伴なうことなく加熱して殺虫有効成分を揮散させる殺虫手段である点で一致し,前者が繊維板類の加熱温度を120〜140度Cに規定する点においてのみ相違するといえる。ところで本願発明における右の加熱温度の規定が,殺虫剤の分解を防止してその有効な揮散をもたらすためのものであることは,明細書の「発明の詳細な説明」の記載によつて明らかであるが,引例1においても,特に繊維板の加熱温度について限定していないが,前記のようなその手段の性質上,ピレトリン等の殺虫剤を気化蒸発させるに十分な温度まで加熱し,またこれを燃焼させるものでないことは明らかであつて,引例1においても右の温度範囲ないしはその附近の温度を保持して加熱されるものとみるのが相当であるから,これと本願発明とは殺虫手段として格別の差異を有するものではなく,一方甲第4号証によつて認められる,すでに引例2によつてピレトリン等の殺虫剤を加熱して揮散させる殺虫手段において,その分解を防止すべく,高温加熱を遮断する工夫が示され,かように加熱温度の調整によつて殺虫剤の分解を防止する意図が提示されていることをも合わせ考えるならば,格別の具体的な適用手段の提供を伴なわない,本願発明における右の加熱温度の規定自体は,すでに引例1によつて公知である殺虫手段につき,殺虫剤の分解を防止して有効な揮散ができる最適の加熱温度を知覚,確認したのにすぎないことであつて,−かりにX主張・・・のような,本願方法を実施する装置についての商業的成功等の事実があるとしても−これによつて進歩性のある発明をしたものとはなし得ない(Xは,本願発明は,右の温度範囲の規定を適用する具体的手段とした「繊維板類を発熱体上に接触させて加熱すること」を提供したものであるというが,本願発明においてそのような加熱方法が構成要件とされていないこと前記のごとくであるから,それが120〜140度Cに加熱することないしはこの加熱温度に安定することについて適切,十分な手段であるか否かを問うまでもなく,右主張は採用に値しない。)。
(三)以上のとおり,Xの主張は理由がなく,本願発明に進歩性がないとしてその特許性を否定した審決は相当である。
三 よつてXの請求を棄却すべきものとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法第89条を適用して主文のとおり判決する。」