東京高判平成2年7月19日(平成元年(行ケ)第51号)

1.判決
  請求棄却。

2.判断
「一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯),二(本件第一発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は,当事者間に争いがない。
二 そこで,X主張の審決の取消事由の存否について判断する。
  1 Xらは,本件第一発明は,未完成発明であるか,又は特許法第36条第4項及び第5項の規定に違反するものであるのに,本件審決は,右の点に関するXの主張(本件審決の理由の要点@ないしB)についての認定,判断を誤った結果,本件第一発明の特許を無効とすることはできないとしたものであって,違法である旨主張する。
    これに対し,Yは,審判手続におけるXの主張@及びAについての本件審決の認定,判断は一次審決を取り消した一次判決に基づいてなされたものであり,本訴において右認定,判断を争うことはできない旨主張するので,まず,この点について,検討する。
    特許無効審判請求について特許庁がした特許無効の審決取消しの訴訟が提起され,裁判所が右審決の認定,判断の誤りを理由として右審決を取り消す判決を言い渡し,右判決が確定した場合,特許庁審判官は,さらに審理を行い,審決をしなければならない(特許法第181条2項)。そして,行政事件訴訟法第33条第1項の規定により,右取消判決は判決確定後の行政庁の行為を直接に規制するから,その拘束力は,当該事件について審理され,判決の理由において違法事由として示された事実上及び法律上の判断に及び,特許庁審判官は右判決のこの点に関する判断に抵触する判断をすることができない。
    ところで,特許庁審判官がした再度の審決に対してもこれに不服の当事者は審決取消訴訟を提起することができるが,行政事件訴訟法第33条第1項の規定は,取消判決の行政庁に対する拘束力を規定したものであって,裁判所を拘束する規定でないから,この規定から直ちに再度の審決取消訴訟において先の判決が裁判所を拘束するとはいえない。
    しかしながら,審決取消訴訟の訴訟物は審決の違法性であって,審決が違法になされたか否かが審理,判断の対象になるのであるから,再度の審決取消訴訟においては,取消判決の拘束力に従う法律上の義務のある審判官がした審決が違法になされたか否かが審理,判断の対象であり,再度の審決は,取消判決の拘束力に従ってなされた限度においては(審決取消訴訟において提出の許される新たな主張,証拠によって再度の審決と異なる結論に到達した場合を除き)これを違法とすることができないと解するのが相当である。
    したがって,再度の審決取消訴訟においては,取消判決の拘束力に従ってなされた審決の認定,判断の誤りを審判手続における主張,証拠に基づいて取消事由として主張することは許されないというべきである。
    これを本件についてみるに,成立に争いのない乙第1号証ないし第3号証によれば,次の事実が認められ,ほかに右認定に反する証拠はない。
    (一)Xらは,本件第一発明の特許無効の審判を請求し,その審判手続において前記1及び2と同趣旨の主張をしたところ,一次審決は,右主張について,「搬送手段を介して当て板をもって,ガラス板を凹面状に曲げた状態で搬送する構成をもってしては,研削状態で研削手段からガラス板が「後方に変化しない」「逃げない」「逃げを防止する」という目的,効果は達成し得ないものと認められ,発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その目的,構成,効果を記載したものとは認められず,特許法第36条第4項に規定する要件を満たしていないものと認められる。」,「研削状態で研削手段からガラス板が「後方に変化しない」「逃げない」「逃げを防止する」のは,ガラス板下端の研削のために研削手段の砥石近傍部が搬送手段を介して当て板の下端部分で支持されている状態の構成を採用しているためと認められる。ところが,この点の構成が第一番目の特許発明に発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項として記載されておらず特許法第36条第5項に規定する要件を満たしていないものと認められる。」との理由により,本件第一発明の特許を無効とする審決をした。
    (二)Yは,一次審決取消訴訟を提起したが,一次判決は,Yの請求に基づき特許庁における手続の経緯記載のとおりの訂正審決がなされたことにより一次審決は本件第一発明の要旨認定及び本件明細書の発明の詳細な説明の記載事項の認定を誤った違法があるとの理由により一次審決を取り消す判決をし,右判決は確定したが,右判決の理由中には,次の判断が示されている。
      「訂正された特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載によれば,本件明細書の特許請求の範囲には,ガラス板の一端縁部の面取り加工のためにガラス板の一端縁部近傍が搬送手段を介して彎曲状の支持面で支持されている状態の構成が記載されており,また,発明の詳細な説明には,右構成,及び右構成によって研削状態で研削手段からガラス板が「後方に変化しない」「逃げない」「逃げを防止する」という目的,効果を達成し得ることが記載されていることが明らかである。」
    (三)本件審判事件については,一次判決の確定により,さらに審理された結果本件審決がなされたものであり,本件審決の要旨は,審決の理由の要点記載のとおりである。
    以上の認定事実によれば,審判手続におけるXらの主張@及びAについての本件審決の認定,判断は,一次判決の拘束力に従ってなされたものであり,本訴において審判手続における右主張を繰り返して一次判決の拘束力に従ってなされたこの点に関する審決の認定,判断の誤りを取消事由として主張することは許されないというべきである。
    この点について,Xらは,「行政処分を取り消す判決は,その事件について当事者たる行政庁その他の関係行政庁を拘束するにとどまり,他の裁判所を拘束するところはないから,本件に対する裁判所の判断について,一次判決の拘束力が働く余地はない。また,一次判決は一次審決を訴訟物とするものであるのに対して,本件訴訟の訴訟物は本件審決であるから,一次判決の既判力が本件訴訟物に及ばないことは明らかである」旨主張するが,再度の審決取消訴訟においては,取消判決の拘束力に従ってなされた審決の認定,判断の誤りを審判手続における主張,証拠に基づいて取消事由として主張することが許されないことは前述のとおりであり,Xらの右主張は採用することができない。
    したがって,審判手続におけるXらの主張@及びAについての本件審決の認定,判断が誤りであるとするXらの主張自体失当というべきである。
  2 次に,審判手続におけるXの主張Bについての本件審決の認定,判断の当否を検討する。
    成立に争いのない甲第2号証(本件発明の特許審判請求公告公報記載の訂正明細書)によれば,本件明細書には,本件第一発明の技術的課題(目的),構成及び作用効果について次のとおり記載されていることが認められる。
    (一)本件第一発明は,ガラス板を一対の搬送手段で挟持搬送しながら,複数個の直列された研削手段により,ガラス板の一端縁部を面取り加工するためのガラス板面取り加工方法に係るものである(第2頁左欄第7行ないし第11行)。
      この種の従来の面取り加工方法は,可及的にガラス板を真直状態に挟持搬送しながら面取りしている(同欄第12行ないし第14行)。この方法を実施するための従来の面取り加工装置は,第1図(別紙図面一参照)に示すように,スプリング手段2,2を備えた押圧ローラ3A,3Bにより一対のベルト4A,4Bを介して押圧支持されながら搬送されるガラス板1を砥石によって面取り加工する場合,ガラス板1は,スプリング手段により研削開始とともに砥石から遠ざかる方向にわずかに逃げ,ガラス板1の始端から終端まで均一な面取り加工が行われ得ない。また,このような欠点を克服するために,第2図(別紙図面一参照)に示すようにガラス板1をベルト4Bの裏面に当接してベルトの内側部分を全面的に支持する平板状の当て板6を設けた場合には,ガラス板が薄板のとき,第3図(別紙図面一参照)に示すように当て板6がガラス板面を当て板の幅内において完全に把えることは困難であり,特にガラス板の面取り加工においてはガラス板の下端部(面取りされる端部)すなわち研削手段(砥石)にできるだけ近い部分を確実に固定支持することが重要である(同頁左欄第29行ないし右欄第25行)。
      本件第一発明は,右知見に基づき,ガラス板を搬送方向に直交するその断面形状が研削手段に向かって研削手段に近いガラス板の一端縁近傍まで延設された彎曲状の支持面により凹面状に曲げられた状態で搬送することにより,研削手段から研削抵抗力を受けても(研削手段に近いガラス板の一端縁部が)逃げることがなく,均一な面取り面が得られるガラス板面取り加工方法を提供することを技術的課題(目的)とするものである。
    (二)本件第一発明は,前記技術的課題を達成するため,本件第一発明の要旨(特許請求の範囲)記載の構成を(第1頁左欄下から第9行ないし第3行)採用した。
    (三)本件第一発明は,前記構成を採用したことにより,「研削手段近傍でガラス板を彎曲状の支持面により凹面状に彎曲することによりガラス板の面取り端部の逃げを防止する」(第3頁左欄第2行ないし第5行),「砥石による研削荷重によりガラス板が後方に変位したり振動したりすることはない。」(同欄第30行ないし第32行)という作用効果を奏し,所期の目的を達成するものである。
    右認定事実によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件第一発明の技術的課題(目的),構成及び作用効果が当業者に十分理解できるように具体的に記載され,かつその記載に整合性があるから,当業者は本件明細書の記載に基づいて容易に本件第一発明を実施することができるというべきである。
    本件第一発明の特許請求の範囲における「ガラス板の一端縁部近傍まで延設された彎曲状の支持面により凹面状に曲げられた状態」との構成は,方法の発明としては右記載自体から明瞭である。そして,これを実施するに当たり,具体的にどのようにするか,また,どのような手段を採用するかについては,前掲甲第2号証によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件第一発明の実施態様として,「ガラス板1は,フレーム8に固定された彎曲状表面7aをもって当て板7により,一方のベルトを介して支持されており,且つ弾性ロール3により他方のベルト4Aを介してベルト4B側に押圧され,前記当て板7の内側面の形状に沿って彎曲状に変形さる。」(第3頁左欄第23行ないし第28行)と記載され,また,「本発明ガラス板の面取り加工方法を実施するための装置の具体例」(第5頁右欄第25行,第26行)として,第4図に「彎曲面を有する当て板の配置及び押圧ローラの支持の機構を示した要部横断面図」(同欄第27行,第28行)が,第5図に「ガラス板面取り加工装置の正面図」(同欄第28行,第29行)が,第9図に「第5図に示された装置の概略横断面図」(同欄第33行,第34行)が,第10図に「第9図に示すベルトコンベヤ要部の拡大断面図」(同欄第34行,第35行)がそれぞれ記載されている(別紙図面一参照)ことが認められ,当業者はこれらの記載事項に基づき容易にその実施をすることができることが明らかである。また,本件明細書には,前記(一)認定のとおり本件第一発明が改良の対象とする第1図ないし第3図(別紙図面一参照)記載の装置が示され,第3図記載のものは,押圧手段(ローラ)を採用したものである。
    したがって,本件第一発明の特許請求の範囲における「ガラス板の一端縁部近傍まで延設された彎曲状の支持面により凹面状に曲げられた状態」との構成を実施するために具体的にどのようにするか,どのような手段を採用するかは,当業者が本件第一発明たる方法の発明を実施するにあたり任意に選択し得る事項というべきであり,本件第一発明の構成として不可欠な事項であるとすることはできない。
    この点について,Xらは,「本件出願前周知のガラス板面取り加工装置にあっては「押圧手段」なるものを観念する余地は存在しない。すなわち,「押圧手段」なる観念は,彎曲状の支持面なるものが考えられて初めて出てくるものといわなければならない。本件審決の認定,判断は,従前のガラス板面取り加工装置にも押圧手段が存在したと即断した点においてすでに失当である」旨主張する。
    しかしながら,本件第一発明の特許請求の範囲における「ガラス板の一端縁部近傍まで延設された彎曲状の支持面により凹面状に曲げられた状態」との構成は,方法の発明としては右記載自体から明瞭であり,これを実施するために具体的にどのようにするか,どのような手段を採用するかは,当業者が本件第一発明たる方法の発明を実施するにあたり本件明細書の記載に基づき任意に工夫し選択し得る事項であって,発明の構成として不可欠な事項といえない以上,本件出願前押圧手段が周知であったか否かは,本件審決の認定,判断の結論に影響を及ぼすものではないから,Xらの右主張は理由がない。
    また,Xらは,「本件出願前周知であったガラス板面取り加工装置の押圧手段は,本件発明の特許審判請求公告公報の第1図(別紙図面一参照)の3A・4Aに見られるごときものであり,同公報第2図及び第3図は,本件出願前の周知技術でない。本件審決認定のように,本件第一発明が「ガラス板の支持を『彎曲状の支持面により』行うという構成」を有するものであり,その構成により「研削手段により近い所まで彎曲面により支持することができる」という作用を有するものとすれば,前記3A・4Aに見られるごとき押圧手段では,別紙図面二に示すように押圧部材の下端からガラス板の下端までの間隔が大きいためガラス板の下端が研削手段からの研削荷重を受けた際,彎曲状の支持面の下端を支点としてそれより上のガラス板の部分が浮き上がり,その目的を達成し,所望の作用効果を奏することができないことが明らかである」旨主張する。
    しかしながら,本件第一発明は,本件発明の特許審判請求公告公報の第1図ないし第3図記載のような技術における欠点を改良することをその技術的課題とするものであることは前記認定のとおりであり,Xら援用の別紙図面二記載のものは,そのべルトの構成及び配置から見てガラス板の挟持搬送に不都合であり,また,ガラス板は当て板の内側面に沿って彎曲状に変形されておらず,ガラス板の下端部が確実に固定支持されていないから逃げを生じ,本件第一発明の支持面として機能することができないものであり,これが本件第一発明の方法に用いられる装置に当たらないことは明白である。したがって,別紙図面二記載のものが本件第一発明の方法に用いられる装置であることを理由として,本件第一発明は,その目的を達成し,所望の作用効果を奏することができないとするXらの主張は,採用できない。
    そうであれば,審判手続におけるXらの主張Bについて「ガラス板を彎曲状の支持面により凹面状に曲げられた状態で搬送するには,装置としては,支持面のほかにガラス板を挟んだ支持面とは反対側にガラス板を押圧する押圧手段を要することは請求人の主張のとおりであるが,(中略)本件第一発明において,押圧手段を具備するとの直接の記載がないことをもって,本件第一発明がその目的を達成し,所望の作用効果を奏するための構成を欠くものとすることはできない。」とした本件審決の認定,判断はその結論において誤りがない。
  3 以上のとおりであって,審判手続におけるXらの主張@及びAについて本件審決の認定,判断に誤りがあるとするXらの主張は主張自体失当というべきであり,また,右主張Bについての本件審決の認定,判断は正当であって,本件審決にXらの主張の違法は存しない。
二 よって,審決の違法を理由にその取消しを求めるXらの本訴請求は失当としてこれを棄却し,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第7条,民事訴訟法第89条第93条第1項の各規定を適用して主文のとおり判決する。」