大阪高判平成10年5月13日(平成9年(ネ)第1476号)

1.判決
 控訴棄却

2.争点
(1)Yが,Y製剤の製造承認を得るに必要な各種試験等を行うためにY製剤を製造した行為は本件特許権を侵害するか。
(2)本件特許権に基づき,存続期間満了後に,Y製剤の販売差止を請求できるか。
(3)不法行為に基き,Y製剤の販売の差止請求ができるか。
(4)Xの損害額。

3.判断
「第三 当裁判所の判断
  一 当審における請求の追加的変更の可否について
    本件の原審請求は,特許権等ないしは不法行為に基づく差止請求のみであったところ,Xは,当審第一回口頭弁論期日において,特許権等の侵害に基づく損害賠償請求を追加したことが本件記録から明らかである。
    Yは,当審における右請求の追加的変更は著しく訴訟手続を遅延させるもので許されないと主張するが,右追加請求における損害の主張立証は,特許期間中及び特許期間満了後二年六か月間のY製剤の製造販売額につき,実勢価格を基礎に実施料相当割合を乗じて算定するというものに止まるから,著しく訴訟手続を遅延させるものとは到底いうことができない。Yの右主張は理由がない。
  二 特許権の存続期間内に後発医薬品の製造承認申請に必要な各種試験等を行うために本件特許発明を実施することについて
    1 特許法は,「特許権者は,業として特許発明の実施をする権利を専有する。」(68条本文)と定めて,特許権の独占的効力を保障する一方で,「特許権の効力は,試験又は研究のためにする特許発明の実施には,及ばない。」(69条1項)として,特許権の効力に制限を設けているが,右のような制限を設けた趣旨は,特許権という私益の保護による発明の奨励と,発明の利用による科学技術の進展という公益との調和を立法的に解決しようとしたものであるから,右にいう「試験又は研究のため」の実施とはあくまで広く科学技術の進展に資するもの,あるいはそれを目的とするものでなければならないというべきである。
      したがって,右の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」が規定の文言上は何らの制限も付されていないからといって,試験又は研究に名を藉りて,特許期間満了を見越した将来の販売を目的として事前に特許製品の製造・備蓄等を行うことが許されないことはいうまでもない。
      しかし,「試験又は研究」は,その本来の性格上,結果が直ちに一定の成果として現われそれが直接科学技術の進展に寄与するとは限らず,むしろ,当該特許発明を多面的に検査分析することによって将来の科学技術の進展の基礎となるべき資料が得られるに止まって,いわば間接的に科学技術の進展に寄与するにすぎないことも多いものと考えられるから,成果が直接具体的な形に現われた場合のみを「試験又は研究」に当たるものと解すべきではない。
    2(一)新規医薬品につき薬事法の製造承認を得るには,ヒトに対する有効性及び安全性を確認するために,@物理化学的性質 A規格及び試験方法 B安定性試験 C製剤処方の検討 D安全性試験 E薬理試験 F有効性試験 G薬物動物試験 H類縁物に関する検討 I臨床試験,についての資料とデータを提出しなければならない(薬事法14条,同施行規則18条の3)。
      (二)これに対し,後発医薬品にあっては,先行医薬品と同一成分の医薬品を製造する場合には,再度有効性と安全性に関する試験を行う必要はなく,@規格及び試験方法 A安定性に関する加速試験 B生物学的同等性試験,に関する資料と,C当該有効成分の毒性,薬理作用,吸収,分布,代謝,排泄及び臨床試験等に関する文献等のリスト,その内容,概要並びに評価結果の資料を提出すれば足り,製造承認のための試験としては右の加速試験と生物学的同等性試験の他に確認試験,製剤試験のみとされている(前記第二の一4,甲34,弁論の全趣旨)。
    3 右のように,後発医薬品の製造承認申請に当たっては,薬事法上要求される各種試験等は簡略化されている。しかし,その試験を行うに際し,参酌すべき先行医薬品に関する情報は,化学物質発明の場合,化学物質の@特定 A同定資料 B製造法 C有用性(用途)等を,医薬用途発明の場合,@有効成分の特定 A薬理効果等(薬理試験・投与量・投与方法等)B毒性等を,特許明細書の記載から承知しうる以外には,専門学会誌に公表された製造承認申請データから知りうるに止まる(甲45,46)。
      そのため,先発品と同等もしくはそれ以上の規格を達成するには,独自の規格を設定し,かつ,その試験方法を考案しなければならず,また,医薬品の有効成分をヒトの体内に安全かつ有効に吸収させるために不可欠な製剤化技術に関しても,枢要な部分が先発医薬品メーカーの企業秘密として開示されていないため,後発医薬品の製造者は,製剤化技術を独自に開発し,@製剤の処方 A製剤の製造工程・製造方法 B主薬と製剤の品質,規格及びその試験方法 C生物学的同等性試験における血中成分の分析方法等について自らの製造基準や試験方法を設定考案したうえで,先発医薬品と同等もしくはそれ以上の品質,有効性,安全性を達成しなければならない(弁論の全趣旨)。
      このように,後発医薬品の規格や製剤化に関する製造基準や試験方法は,いわば後発医薬品メーカーのノウハウともいえる分野として,製剤の溶解性,吸収性,服用の便宜性についての試験研究を踏まえて,先発医薬品の成分・効能に相応しい製剤の型,用量,用法に関する技術上の知見を得ることができるのであるから,後発医薬品の製造承認申請のためにする各種試験等は,それが新規発明や利用発明に直結する性格の技術研究でないために,直ちに製薬技術に関する新たな改良進歩が得られない場合であっても,薬剤の規格や製剤化技術等製薬に関する幅広い技術的・基礎的検討を経て,それが蓄積されることにより,将来にわたる製薬技術進歩の基礎となりうる各種知見や情報が得られるのであり,その点において,広く科学技術の進展に寄与しているものというべきである。
      してみれば,特許権の存続期間満了後に後発医薬品の製造承認申請をする目的で,存続期間内に後発医薬品につき薬事法所定の各種試験を行うことは,特許法69条1項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たるものと認めるのが相当である。
    4 したがって,本件においても,Yが本件特許権の存続期間内に後発医薬品の製造承認申請のために各種試験等を行うことは,「試験又は研究のための特許発明の実施」に当たり,本件特許権を侵害するものとはいえない。
      Xは,Y製剤における製剤化の工夫はマイナーな改良にすぎず,全体として先発品のデータにただ乗りして製造承認を受けたもので「試験又は研究」には当たらないと主張するが,Y製剤における製剤化の工夫がたとえマイナーな改良に止まるものであっても,それを実現するには,その過程で各種の検討や基礎的な研究を経て,間接的ではあっても将来に有用な知見や情報を蓄積することができるのであるから,右の理由をもってしてはY製剤の製造が「試験又は研究」に当たらないとすることはできない。
    5 Xは,「新薬の開発には多大な労力,長年月及び膨大な費用を必要とするものであり,かつ,新薬開発の成功率も著しく低いうえ,当該新薬について特許権を取得しても,薬事法による厚生大臣の製造許可を得るのに相当長日時を要し,その間特許期間が侵食される。これに対し,後発メーカーが後発医薬品を製造販売するには,開発のリスクもなく,必要な費用も僅かであるうえ,新薬の特許期間満了に照準を合わせ,新薬の特許期間中に厚生大臣の製造承認取得のための各種準備行為をなすことを許容することは,著しく不公正である」旨主張する。
      しかし,特許期間の侵食については,昭和62年の特許法改正により,医薬品等については特別に特許期間の延長が認められたことにより解決されたものであり(特許法67条2項,それが不十分としてもそれは立法政策の問題である),また早期に後発医薬品が市場に提供されることは,一般国民の利益になることは否定できないのであって,先発メーカーの収益確保のみを重視するのは相当とは考えられない。
第四 結論
 以上によれば,被控訴人が前記各種試験のために本件特許発明の実施をしたことが違法であることを前提とする控訴人の各請求は,その余の点について検討するまでもなく,失当であり,控訴人の本訴講求を棄却した原判決は相当であって本件控訴は理由がなく,また控訴人の当審請求も理由がないから棄却すべきである。
 よって,主文のとおり判決する。」