名古屋地判昭和59年2月27日(昭和52年(ワ)第1615号)

1.判決
 (本訴)一部認容・一部棄却。
 (反訴)全部棄却。

2.判断
「一 本訴について
  1 Y1が本件特許権の特許権者であり,Y2がその専用実施権者であること,本件特許発明の願書に添付した明細書(補正後のもの)の特許請求の範囲にX主張のとおり記載されていること,Xが現在イ号製品を製造,販売していることはいずれも当事者間に争いがない。
  2 成立に争いのない甲10,14号証,証人【E】,同【F】の各証言によれば,次の事実を認めることができ,これに反する証拠はない。
    (一)加熱炉は分塊圧延された鋼片(スラブ,ブルーム,ビレツト)または連続鋳造された鋼片などを熱間圧延するため,その目的温度まで再加熱する設備であること。
    (二)加熱炉にはバツチ式と連続式があること,バツチ式加熱炉は鋼片を炉内で移動させず,定位置で加熱するものであつて,主に特殊サイズの厚板(例えば極厚板)などの加熱に使用される補助的な設備であり,また連続式加熱炉は鋼片を炉の一端から装入し,炉内で移動させながら加熱して他端から抽出するものであつて,プツシヤー式,ウオーキングハース式,ウオーキングビーム式,回転炉床式,ローラーハース式等に分類されること。
    (三)プツシヤー式加熱炉とは,ごく大まかに説明すれば,鋼片を炉の一端から順次装入し,プツシヤーにより押込むものであつて材料同士が押されて炉内の固定スキツド上を摺動,前進しながら加熱され,炉の他端から抽出される加熱炉であること,またウオーキングハース式加熱炉とは,ごく大まかに説明すれば,炉内に移動炉床と固定炉床を設け,このうち移動炉床が上昇↓前進↓下降↓後退の矩型運動を繰返し行うことによつて,炉の一端から装入した鋼片を摺動することなく搬送し,炉の他端から抽出する炉であること,さらにウオーキングビーム式加熱炉とは,ごく大まかに説明すれば,炉内に移動ビームと固定ビームを設け,移動ビームが上昇↓前進↓下降↓後退という矩型運動を行うことによつて炉の一端から装入した鋼片を摺動することなく搬送し,炉の他端から抽出する加熱炉であること,したがつてウオーキングハース式加熱炉とウオーキングビーム式加熱炉とは全く同じ鋼片の搬送機構を有しているが,ウオーキングハース式加熱炉は鋼片を上面からのみ加熱するのに対し,ウオーキングビーム式加熱炉は鋼片を上下両面から加熱する点において相違していること,ウオーキングハース式加熱炉はウオーキングビーム式加熱炉と呼ばれることもあること。
  3(一)弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲16号証,17号証の3,4,19号証の2ないし4,証人【G】の証言により直正に成立したものと認められる甲6号証の1ないし124,20号証,23号証の1,2,証人【E】の証言により真正に成立したものと認められる甲4,5,9,11号証,証人【F】の証言により真正に成立したものと認められる甲15号証,甲17号証の1,2,18号証,19号証の1ならびに証人【E】,同【H】,同【F】,同【G】の証言を総合すれば,次の事実を認めることができ,これに反する証拠はない。
      (1)X会社機械事業部東京販売部(以下「東京販売部」という。)は,昭和41年5月20日ごろ,富士製鉄から広畑製鉄所向の大形工場用の第二号連続式鋼片加熱炉(以下「加熱炉」という。)(容量100t/h)の引合(見積依頼)を受け,同月23日ごろX会社事業部高蔵製作所(以下「高蔵製作所」という。)に見積設計および原価見積の指示をなした。
        そこで高蔵製作所は,同月23日ごろから同月27日ごろにかけて,同社社員【G】を中心として,在来のプツシヤー式加熱炉の見積設計作業を行い,見積仕様書を東京販売部に送付するとともに,加熱炉製造原価の見積も行い,原価見積書を東京販売部に提出した。その結果東京販売部は,同月31日ごろ,富士製鉄に対し高蔵製作所から提出のあつた見積仕様書(甲6号証の25)等を提出した。
        その後,昭和41年7月19日ごろ,東京販売部の【H】,高蔵製作所の【G】らが広畑製鉄所に赴き,広畑製鉄所熱管理課の【I】掛長らとプツシヤー式加熱炉の基本仕様についての打合せを行つたが,その際,右【G】らは,広畑製鉄所が加熱炉の処理能力を100t/hから120t/hに高めようとしており,それに伴い加熱炉の基本仕様をプツシヤー式からウオーキングハース式(ただし上下焚)に変更し,しかもウオーキングハース式加熱炉の上下駆動方式につき「油圧に替わるよいものがあればそれにしたい。」旨の意向を有していることを知つた。
        そのため,高蔵製作所では,右打合せの翌日から【G】が中心となり,ウオーキングハース式加熱炉の上下動駆動を電動式とするウオーキングハース式加熱炉(ただし上下焚,以下これを「電動式ウオーキングビーム式加熱炉」という。)の見積設計作業に入つたが,同年8月10日ごろ,東京販売部は富士製鉄から広畑向ウオーキングハース式加熱炉(上下焚)(120t/h)の引合を受け,同月13日,その見積設計および原価見積を高蔵製作所に指示したため,高蔵製作所はその完成に向けて全力を注ぎ,見積仕様書等を作成し,東京販売部に提出した。また同じころ,高蔵製作所は電動式ウオーキングビーム式加熱炉の原価見積を行ない,東京販売部に原価見積書を提出した。
        以上の作業の結果,東京販売部は,同年8月31日ごろ富士製鉄に対し,電動式ウオーキングビーム式加熱炉の原価見積書,設計図(甲6号証の119,120,121),見積仕様書(甲6号証の49)を提出した。
        そのころからその後にかけて右【G】は,右電動式ウオーキングビーム式加熱炉のウオーキングビーム機構,電動機容量計算書,バーナ間引き動作,移動ビーム動作,燃料ガス配管系統図等の電動式ウオーキングビーム式加熱炉の説明資料の作成をなし,同年9月13日ごろ,右説明資料を持参し,広畑製鉄所へ電動式ウオーキングビーム式加熱炉の説明のため出頭した。
        またそのころ,Xは,受注に備えて大同機械株式会社に偏心カムを含む駆動部分の見積仕様書を提出してもらつたのを始めとして,例えばレキユペレーターや油圧装置等に関して各下請会社に見積を依頼し,受注の準備を一層進めた。
        しかるに,昭和41年9月20日,X会社大阪支店【J】が加熱炉の打合せのために広畑製鉄所に赴いた際,広畑製鉄所はXに対し,ウオーキングビーム式加熱炉の上下動駆動機構を電動式から油圧式に変更するほか数点につき再検討を要請したので,Xは,前記【G】を中心として同月21日ごろから同月25日ごろにかけてウオーキングビーム式加熱炉の変更やそれに伴う追加見積設計作業等を行い,東京販売部に提出した。
        東京販売部は,同月27日,油圧式ウオーキングビーム式加熱炉の原価見積書,設計図,見積仕様書(甲6号証の10)等を富士製鉄に提出した。
      (2)以上のとおり,Xは富士製鉄からの受注に成功するための諸々の努力をなしたが,同年11月19日ごろ,Xが受注できないことが判明した。
        しかしながら,Xは,富士製鉄から引合を受けた際に作成した見積仕様書等を整備保存したのみならず,その後も昭和42年に2件(ただし,いずれも上下動駆動装置は油圧式である。),昭和43年に2件(ただし,いずれも上下動駆動装置は油圧式である。),昭和44年に6件(ただし,うち2件の上下動駆動装置は電動式であり,その余のそれは油圧式である。),昭和45年に7件(ただし,うち3件の上下動駆動装置は電動式であり,その余のそれは油圧式である。),昭和46年に2件(ただし,いずれも上下動駆動装置は油圧式である。)等毎年ウオーキングビーム式加熱炉に応札を続け,うち昭和42年および昭和43年に各1件(ただし,いずれも上下動駆動装置は油圧式である。),昭和45年に3件(ただし,うち2件の上下動駆動装置は電動式であり,その余のそれは油圧式である。),昭和48年に2件(ただし,いずれも上下動駆動装置は油圧式である。),昭和51年および昭和52年に各1件(ただし,いずれも上下動駆動装置は電動式である。)の受注に成功した。
      (3)また前記のとおり,Xは富士製鉄からの受注に成功しなかつたが,もし同社から受注した場合には,Xが提出した見積仕様書(甲6号証の49)を基に富士製鉄との間で細部の打合せを行つて最終的な仕様を確定し,それに伴い最終製作図(工作設計図)を作成し,それに従つて加熱炉を築造する予定であつた。
    (二)また前掲甲6号証の1ないし124によれば,Xが右当時製造,販売しようとしていた電動式ウオーキングビーム式加熱炉は別紙第二目録記載のA製品であることが認められ,これに反する証拠はない。
    (三)したがつて,以上認定の事実にA製品が本件特許発明の技術的範囲に含まれること(このことは当事者間に争いがない。)を併せ考えると,Xは,本件特許発明の内容を知らずに昭和41年8月31日ごろまでの間にA製品を自ら発明し,本件特許出願の際(具体的にいえば昭和43年8月26日であり,また優先権主張によれば同年2月26日である。),現にその発明の実施事業の準備をしていたものと認めるのが相当である。
    (四)この点に関し,Yらは,Xが広畑製鉄所に見積仕様書を提出した時点ではいまだ発明を完成していなかつた旨主張する。
      しかしながら,「発明とは自然法則を利用した技術的思想」(特許法2条1項)であるから,本件のごとく物の発明において発明が完成したといえるためには,単に課題の提示だけでその物の具体的構成が示されていないものや解決方法について述べられていてもその物の構成によつてその解決がもたらされないものを除くものの,その物を製造するに足りる完全な製作図面もしくはその物自体が製造されていなければならないと解すべきではなく,製作図面等によつて課題の解決をもたらす具体的な物の具体的構成が示され,それによつて物の製造が一応可能となつている状況に至れば,物の発明としては完成しているというべきである。
      これを本件について見るに,Xは富士製鉄から電動式ウオーキングビーム式加熱炉の引合を受け,同社に対し,見積仕様書(甲6号証の49)等を提出したのであるが,右見積仕様書等によれば,当業者は当時Xが解決せんとしていた課題がいかなるものであり,またその課題を解決すべく具体的製品の基本的核心部分の構造がいかなるものかを読みとることができ,しかも証人【E】,同【G】,同【K】の各証言によれば,右見積仕様書等とその基礎となつた甲6号証に綴られた各種の計算もしくは図面を併せればXが当時製造しようとしていた電動式ウオーキングビーム式加熱炉の製造も可能であると認められるから,かかる事実を総合すれば,Xが右見積仕様書等を富士製鉄に提出したころには,Xは電動式ウオーキングビーム式加熱炉の発明を完成したと認めるのが相当である。
      したがつて,以上によれば,前記Yらの主張は失当である。
      もつとも証人【K】の証言によれば,現実に電動式ウオーキングビーム式加熱炉をつくるためには,さらに最終製作図(工作設計図)を作ることが必要であり,それには相当の日時を要することを認めることができ,しかもXが右最終製作図をつくつてなかつたことは前記のとおりであるが,いまだ右事実をもつて発明が完成していないといえないことは前記のとおりであるから,右事実は前記認定を左右するものではない。
    (五)またYらは,Xは見積仕様書を提出したにすぎないから,いまだ事業の準備をしていたことにならない旨主張する。
      しかしながら,先使用の制度は,特許発明出願の際,現に善意に国内において該特許発明と同一の技術的思想を有していただけでなく,さらに進んでこれを自己のものとして事実的支配下に置いていた者について,公平の見地から出願人に権利が生じた後においてもなお継続して実施する権利を認めたものと解すべきであり,かかる趣旨からすると,先使用権が発生するための要件である「事業の準備」をなしていたといいうるためには,いまだ試作や試験,研究の段階では足りないものの,当該発明を完成し,その発明を実施の意図をもつて現実にその実行に着手した実績が客観的に認識されればそれで足りると解すべきである。
      これを本件について見るに,前記認定の事実によれば,Xは富士製鉄に電動式ウオーキングビーム式加熱炉の見積仕様書等を提出したもののいまだ同社から注文を受けてなかつたため最終製作図は作成されていなかつたが,同社から注文を受け,広畑製鉄所との間で細部の打合せを行えば最終製作図面を製作可能な段階まで準備していたのであり,右事実に弁論の全趣旨および証人【G】の証言によつて認められる,ウオーキングビーム式加熱炉は引合から受注,納品に至るまで相当の期間を要し,しかも大量生産製品ではなく個別的注文をえて始めて生産にとりかかるものであり,あらかじめ部品等を買い備えるものでないことを併せ考えれば,Xが富士製鉄から引合を受け前記認定のとおり準備した以上,単なる試作,試験もしくは研究の域を越えて,現実にその準備に着手したというべきである。してみると,Xの右行為は「事業の準備」に該るというべきであるから,これに反する前記Yらの主張は失当である。
  4 ところで,特許法79条の規定によれば,先使用権の効力の及ぶ範囲は,先使用者が「その実施又は準備している発明及び事業の目的の範囲」であるが,ここにその実施または準備している「発明の範囲」とは必ずしも現に実施している構造のものに限られず,現に実施または準備してきた構造により客観的に表明されている発明の範囲にまで及ぶものと解すべきである。けだし,かように解することが前同条の文理にかなううえ,先使用者が発明の同一性をそこなわない範囲において実施してきた構造を変更した場合に,この変更した構造のものに先使用権の効力が及ばないとすることは,先使用者に構造の些細な変更をも許さず当初のものを強いる結果となり,先使用者にとつてあまりにも酷な結果を紹来し,特許権者と先使用者との間の公平を欠くものといわなければならないからである。
    かかる観点に立つて,XがA製品を発明したことによつて取得する先使用権の範囲について検討する。
    一 本件特許発明の特許請求の範囲にX主張のとおり記載されていることは前記のとおり当事者間に争いがなく,右争いのない特許請求の範囲の記載と,いずれも成立につき争いのない甲1号証の1(本件特許公報)および同号証の2(手続補正書)によれば,本件特許発明は,炉の耐火室を通して工作物を搬送する動桁型コンベアであつて,
      (1)工作物を交互に支持するための少なくとも二組のコンベアレール(64,94)と,
      (2)該コンベアレールのうちの少なくとも一組(94)を他方のコンベアレール(64)に対して相対的に移動させるためのキヤリツジ(100)とを包含し,
      (3)前記コンベアレールの各々が複数個の工作物支持パツド(82)を有し,
      (4)(イ)さらに前記キヤリツジ(100)の下側に沿つて延在する一対の平行桁(102)と,
        (ロ)該平行桁(102)の下側に配設され該平行桁および前記キヤリツジを支持し,かつ鉛直方向に往復動させるための少なくとも四個の回転偏心輪(160)と,
        (ハ)該回転偏心輪による鉛直運動より独立して前記キヤリツジを水平方向に往復運動させるための水平駆動装置とを包含し,
      (5)前記偏心輪のそれぞれが前記平行桁の下側の個所を手持するための回転自在な外周環(192)を有している。
という構成要件に分説される。
    二 ところで,A製品が別紙第二目録記載のとおりであることは前記のとおりであるから,A製品の構造と本件特許発明の右構成要件を比較対象すれば,A製品の技術思想が本件特許発明の全範囲に及ぶことが明らかである。
      もつともA製品は,別紙第二目録1ないし4の装置部分を予定するものではあるが,本件特許発明の特許請求の範囲には,
      (1)単にウオーキングビームを駆動する装置として「回転偏心輪(160)」と記載されているだけであつて,該「偏心輪」と「偏心軸」の取付構造についてまでは何らの記載もないこと
      (2)「偏心輪のそれぞれが・・・回転自在な外周環(192)を有し」と記載されているのみであつて,該「偏心輪」と「外周環(192)」とを回転自在とするためのベアリングの構造については何らの記載もないこと
      (3)「平行桁の下側の個所を支持するための回転自在な外周環(192)」と記載されているだけであつて,ウオーキングビーム支持平行桁の横振れ防止構造については何らの記載もなされていないこと
      (4)「鉛直方向に往復動させるための・・・回転偏心輪(160)」と記載されているのみであつて,「偏心輪駆動方法」については何らの記載もないこと
が明らかであり,右事実によれば,前記四つの装置部分はいずれも本件特許発明の必須要件ではなく,Xの取得した先使用権の範囲を何ら制限するものではない。
       またこのことは,次のことからも明らかである。
      すなわち,本件特許発明の作用効果が,
      (1)一回に複数の大きな鋼のスラブ,ブルームまたはビレツトを加熱して運搬する,それによつて工作物の一つ一つが全体にわたつて均一な温度に加熱される。
      (2)細長い工作物をたとえそれらが歪まされていても炉の中を横に有効に運ぶ。
      (3)別々にも同時にも垂直方向および水平方向に往復動をさせられる。
      (4)炉内の熱へのスラブの全表面積の有効な露呈を許す。
      (5)スラブ・サポートとの接触によつて起こされる加熱されたスラブ表面傷やチル点を実際上除去し,縮小させる。
      (6)1500000lbの総負荷を能率的に処理し,かつ操作し整備するに容易である単純で堅牢なものである。
ことはいずれも当事者間に争いがないところ,本件特許発明の右作用効果が前記四つの装置部分を備えることによつてもたらされる作用効果でないことは,本件特許発明の右作用効果とYらの主張する右四つの装置部分によつてもたらされる作用効果(具体的には別表(二)記載のとおりである。)とを比較対象することによつて明らかである。してみると,結局右四つの装置部分は本件特許発明の構成要件の一部を構成しているものではないというべきである。
      したがつて,以上検討してきたところによれば,XはA製品を発明したことによつて本件特許発明の技術思想と全く同一の発明をしたことになり,本件特許発明に含まれるすべての実施形式の先使用権を取得したことになるというべきである。
  5 そこで以上の前提に立つて,Xがイ号製品を製造,販売しうべき先使用権を有するか否かについて検討するに,XがA製品を発明することによつて本件特許発明に含まれるすべての実施形式について先使用権を取得したことは前記のとおりであり,このことにイ号製品が本件特許発明の技術的範囲に含まれる(このことは当事者間に争いがない。)ことを併せ考えれば,A製品とイ号製品が別表(二)記載の構造もしくは方法において相違していることが本件特許発明との間でいかなる意味を有するかを検討するまでもなく,Xがイ号製品を製造,販売するにつき先使用権を有することは論理上明らかである。
    してみると,Yらに対し,イ号製品の製造,販売の差止請求権不存在確認を求めるXの請求は理由がある。
  6 Xが本件特許発明のすべての実施形式について先使用権を有していることは前記のとおりであり,右事実に,Xが前記のとおりA製品の製造,販売の準備をしていたことからすると,Xの取得する先使用権の実施形態は製造,販売だけに限定されず,すべての実施形態に及ぶと解すべきであることを併せ考えると,Xは本件特許権に対して,実施形式のみならず実施形態においても何らの制限を受けない先使用権を取得したというべきである。
    そして,かかる場合には,XはA製品もしくはイ号製品等具体的な製品を表示することなく,本件特許権に対する先使用権そのものの存在確認を求めることができると解すべきであり,しかもXの先使用権の取得についてXとYらとの間で争いがある以上,本件特許権に対する先使用権の存在確認を求めるXの請求は理由がある。
    これに反するYらの主張は採用しない。
  6(一)XとYらが工業炉の製造,販売に関して競争関係にあることは当事者間に争いがない。
    (二)Xは,「Yらが本件特許の出願公告後昭和52年3月ごろまでの間,日本鋼管株式会社その他の顧客に対し,口頭で,『Xが製造,販売しているウオーキングビーム式加熱炉はY1の出願公告中の権利を侵害するものである。』旨の虚偽の事実を陳述,流布した」旨主張するが,これを認めるに足りる証拠はない。
      もつとも弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲22号証の1,2によれば,Xは昭和51年8月2日,新日本製鉄株式会社から同社釜石製鉄所向ウオーキングビーム式加熱炉をめぐつてY1との間で特許侵害紛争が生じた場合Xが責任をもつて処理する旨の念書の差入を要求され,同年同月11日付で右趣旨の念書を作成し新日本製鉄株式会社に提出したことを認めることができるが,いまだ右事実のみによつては前記Xの主張を認めることができず,他にXの前記主張を認めるに足りる証拠はない。
      またY2の取締役であつた【B】が昭和52年2月28日Xに架電したことおよび同年3月17日高蔵製作所に来訪したことはいずれも当事者間に争いがなく,右争いのない事実に証人【E】の証言ならびに弁論の全趣旨を併せれば,Xは,Y1の意向を受けたY2の取締役であつた右【B】から,Xが当時日本鋼管株式会社扇島製鉄所に建設中であつた電動式ウオーキングビーム式加熱炉がY1の出願公告中の権利を侵害しているから製造,販売を止めるよう要求されたことを認めることができる。
      しかしながら,不正競争防止法1条1項6号所定の「他人ノ営業上ノ信用ヲ害スル虚偽ノ事実ヲ陳述シ又ハ流布スル行為」とは,競争関係にある相手方に関する虚偽の事実を相手方の取引者等に陳述,流布するものであつて,相手方に対し直接虚偽の事実を陳述することは含まないと解するのが相当である。
      してみると,前記【B】のXに対する陳述は,仮にその内容が虚偽であつたとしても,同法1条1項6号所定の「他人ノ営業上ノ信用ヲ害スル虚偽ノ事実ヲ陳述」したことに該当しないというべきである。
      したがつて,不正競争防止法を根拠とするXの主張はいずれも失当である。
  7 次にXは,仮保護の権利につき何らの権限も有しないY2の前記【B】がXに対しウオーキングビーム式加熱炉の製造,販売の停止を求めることは不法行為になる旨主張する。
    右【B】がXに対しウオーキングビーム式加熱炉の製造,販売の停止を要求したことは前記のとおりであるが,右【B】は仮保護の権利者であるY1の意向を受けてXに対し右製造,販売の停止を要求したこともまた前記のとおりであり,しかも仮保護の権利者が仮保護の権利を侵害していると思料される者に対して侵害行為の停止を求めることは,その手段もしくは態様が悪質である等特別の事情の存しない限り不法行為にならないと解するのが相当であるから,右停止を要求した【B】の言動に特に悪質であることを認めるに足りる証拠のない本件においては,右【B】の要求は不法行為に該当しないというべきである。
    してみると,Xの前記主張は失当である。
二 反訴について
 Y1が本件特許権を有し,Y2がその専用実施権を有すること,Xがイ号製品を製造,販売していること,イ号製品が本件特許発明の技術的範囲に含まれることはいずれも当事者間に争いがないが,Xがイ号製品を製造,販売することについて先使用権を有することは前記のとおりであるから,Yらの本件特許権もしくは専用実施権に基づく差止請求はすべて失当である。
三 まとめ
 以上によれば,Xの本訴請求は,差止請求権不存在確認および先使用権確認を求める限度で理由があるから,この限度で認容するが,Xのその余の請求およびYらの反訴請求はすべて失当であるからこれを棄却し,訴訟費用の負担については民訴法89条92条93条1項を適用して主文のとおり判決する。」