知財高判平成19年3月1日(平成17年(行ケ)第10818号)

1.事案の概要
 X(原告)は,発明の名称を「タキソールを有効成分とする制癌剤」とする特許第2848760号(出願日:平成5年7月15日(パリ条約による優先権主張1992年(平成4年)8月3日,米国),平成10年11月6日設定登録。以下「本件特許」という。)の特許権者である。
 設定登録後の本件特許の経緯は,次のとおりである。

平成14年5月20日 訂正審判(以下,「第1次訂正審判」という。)請求
平成14年9月30日 第1次訂正審判訂正審判請求取下
平成14年12月13日 訂正審判(以下,「第2次訂正審判」という。)請求
平成15年3月10日 第2次訂正審判の審決(訂正を認める。)
平成16年4月23日 訂正審判(以下,「第3次訂正審判」という。)請求
平成16年6月9日 第3次訂正審判の審決(訂正を認める。)
平成16年11月5日 Yが無効審判(以下,「第1次無効審判」という。)を請求(無効2004-080218号)
平成17年6月10日 Yが無効審判(以下,「第2次無効審判」という。)を請求(無効2005-080180号)
平成17年7月28日 第1次無効審判の審決(特許を無効とする。)
平成17年11月26日 第1次無効審判について,X出訴(平成17年(行ケ)第10818号)
平成18年1月27日 訂正審判(以下,「第4次訂正審判」という。)請求
平成19年3月1日 判決(請求棄却)
平成19年7月18日 第4次訂正審判,第2次無効審判の審決(いずれも,審判請求を却下。)

 Y(被告)が本件特許について無効審判の請求をしたところ(無効2004-80218号),特許庁は,平成17年7月28日,「請求項1に係る発明(以下,各発明は請求項の番号に従い「本件特許発明1」のようにいう。)は,本件特許出願の優先日前に頒布された刊行物1(Annals of Oncology, Vol.3, No.S1 (1992) p.119-120(1992年4月15日国立がんセンター図書館受け入れ),以下「甲1」という。),刊行物2(Journal of the National Cancer Institute, Vol.83,No.24 (1991) p.1778-1781,以下「甲2」という。),刊行物3(Contemporary Oncology (1992年3月) p.29-36,以下「甲3」という。),刊行物4(Canadian Oncology Nursing Journal, Vol.2, No.2(1992年5月) p.47-50,以下「甲4」という。)のそれぞれに記載された発明と同一であるので,特許法29条1項3号に該当し,無効とすべきものである,本件特許発明1ないし3は,本件特許出願の優先日前に刊行物1乃至刊行物4,刊行物5(The Lancet, Vol.339 (1992年6月) p.1447-1448,以下「甲5」という。),刊行物6(Seventy-sixth annual meeting of the American Association for Cancer Research, Vol.26 (1985)p.169,以下「甲6」という。),刊行物7(Proceedings of American Society of Clinical Oncology, Vol.8 (1989)p.82,以下「甲7」という。),刊行物8(Cancer Research, Vol.47 (1987)p.2486 2-2493,以下「甲8」という。)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるので,これらの発明についてされた本件特許は,特許法29条2項の規定に違反してされたもので,無効とすべきものであり,また,本件特許は,明細書の記載が特許法36条5項1号(平成6年法律第116号による改正前の特許法36条5項1号,以下同じ。)に規定する要件を満たしていない特許出願についてされたもので,無効とすべきものである」として,「特許第2848760号の請求項1〜3に係る発明についての特許を無効とする。」との審決をした。
 X出訴。
 特許請求の範囲の記載(平成16年6月10日訂正審決確定による訂正後のもの)は,次のとおりである。
  「【請求項1】固形癌,白血病または卵巣癌に罹患し,かつ過敏症反応を軽減または最小化するために予備投薬されており,タキソールによる治療に伴う血液学的毒性を呈する恐れのある患者を治療するためのタキソールを含有する薬剤であって,約135mg/m2〜約275mg/m2のタキソールが約3時間に渡り投与されるように,非経口投与用に包装された薬剤。
   【請求項2】該患者が固形癌または白血病に罹患し,かつ過敏症反応を軽減または最小化するために予備投薬されており,タキソールの用量が175mg/m2より大で約275mg/m2以下である,請求項1記載の薬剤。
   【請求項3】該患者が卵巣癌に罹患し,かつ過敏症反応を軽減または最小化するために予備投薬されており,タキソールの用量が175mg/m2より大で約275mg/m2以下である,請求項1記載の薬剤。」

2.争点
(1)医薬についての用途発明においては,発明の詳細な説明に有効量,投与方法,製剤化のための事項がある程度記載されていても,さらに薬理データ又はこれと同視することのできる程度の事項を記載してその用途の有用性を裏付ける必要があるというべきであるか。(医薬についての用途発明における特許法第36条第5項第1号(いわゆる,サポート要件)適合性。)
(2)本件発明の新規性の有無。

3.判決
 請求棄却。

4.判断
「第4 当裁判所の判断
  1 特許法36条5項について
    審決は,「本件特許発明2及び3は,3時間投与である本件特許発明1において,タキソールの用量が175mg/m2より大で約275mg/m2以下に限定されたものである。」として,特許法36条5項1号に違反するか否かについて検討し,「そうすると,明細書中の実施例(試験)における用量を含まず,また,明細書中に3時間投与についての好ましい用量の範囲と全く重複しない範囲である「175mg/m2より大で約275mg/m2以下」の範囲に敢えて限定した3時間投与が明細書に記載されているということはできない。したがって,本件明細書には,約175mg/m2より大で約275mg/m2以下のタキソールが約3時間に渡り投与される発明が記載されているとはいえないから,本件特許発明2及び3は,明細書に記載された発明であるとはいえない。」とした上,「本件特許は,明細書の記載が特許法36条5項1号に規定する要件を満たしていない特許出願についてされたものである」と判断した。以上の審決の説示に照らせば,審決は,タキソールの用量が175mg/m2より大で約275mg/m2以下とする本件特許発明2及び3が明細書に記載された発明であるとはいえないとするとともに,上記範囲を包含する本件特許発明1もまた明細書に記載された発明であるとはいえないとして,本件特許は明細書の記載が特許法36条5項1号に規定する要件を満たしていないと判断したものと理解することができる。そこで,まず,特許法36条5項について検討することとする。
    (1)本件明細書(甲17)の発明の詳細な説明には,次の記載がある。
      ・・・
    (2)上記(1)の記載によれば,本件特許発明は,癌の治療におけるタキソール投与の改良に関し,@6〜24時間という注入プロトコールよりも短期間でタキソールを投与し,かつ,タキソールの投与により誘発される有害な作用を最小化する新規なタキソールの投与形態を提供すること,Aタキソールの投与による所定の抗−腫瘍効果を犠牲にすることなく,患者に投与すべきタキソールの量を減じることを可能とする新規なタキソールの投与形態を提供すること,Bタキソールの低投与量及びより短い注入時間を使用し,しかもタキソール投与の抗−腫瘍効果を犠牲にすることのない新規なタキソールの投与形態を提供することを目的として検討した結果,固形癌,白血病又は卵巣癌の治療における有効かつ安全なタキソール注入プロトコールとして,具体的な投与量と注入時間を見出したことに基づきされた発明であって,これにより,タキソールの短時間注入によっても有効かつ安全な投与を可能にし,外来患者をも治療することができるという効果を奏するものであると認められる。
    (3)ところで,本件明細書の発明の詳細な説明には,タキソールの具体的な投与量と注入時間について,段落【0016】(【表1】)に,投与量として135mg/m2及び175mg/m2,注入期間として3時間及び24時間を組み合わせた4つの治療群が示され,段落【0022】に,・・・とタキソールを卵巣癌の治療に適用したことが記載され,段落【0023】に,・・・として,これらの群の具体的データが記載されている。
      しかしながら,段落【0041】に,・・・と記載されてはいるものの,タキソール投与量が175mg/m2を超える3時間注入の有効性や安全性に関しては,発明の詳細な説明に具体的データの記載が全くない。また,段落【0040】に,・・・と記載されてはいるものの,具体的には卵巣癌に罹患した患者に関するデータが示されているだけであって,本件特許発明1及び2の用途として特定された固形癌全般や白血病に罹患した患者に対する有効性や安全性に関しては,発明の詳細な説明に具体的データの記載が全くない。
    (4)一般に,医薬についての用途発明においては,物質名や化学構造からその有用性を予測することは困難であって,発明の詳細な説明に有効量,投与方法,製剤化のための事項がある程度記載されていても,それだけでは,当業者は当該医薬が実際にその用途において有用性があるか否かを知ることはできず,発明の課題が解決できることを認識することはできないから,さらに薬理データ又はこれと同視することのできる程度の事項を記載してその用途の有用性を裏付ける必要があるというべきである。そして,その裏返しとして,特許請求の範囲の記載が発明の詳細な説明の裏付けを超えているときには,特許請求の範囲の記載は,特許法36条5項1号が規定するいわゆるサポート要件に違反するということになる。
      これを本件についてみるのに,発明の詳細な説明には,3時間のタキソール投与量が135ないし175mg/m2の範囲については,卵巣癌に罹患した患者に対する有効性や安全性を裏付ける記載があるということができるとしても,上記(3)のとおり,3時間のタキソール投与量が175mg/m2を超えるものについては,その有効性や安全性を裏付ける記載がないから,本件特許発明2及び3は,その有効性,安全性を確認することができる具体的データが発明の詳細な説明に記載されていないといわなければならないし,また,卵巣癌以外の固形癌及び白血病に罹患した患者に対する有効性や安全性を裏付ける記載もないから,本件特許発明2は,さらに,その有効性や安全性を確認することができる具体的データも発明の詳細な説明に記載されていないといわなければならない。
    (5)したがって,特許請求の範囲に記載された本件特許発明2及び3は,発明の詳細な説明に記載された発明であるということはできない。
      そして,本件特許発明1は,タキソールの3時間注入における投与量が175mg/m2より大で約275mg/m2以下の範囲をも含む発明であって,本件特許発明2及び3は,この175mg/m2より大で約275mg/m2以下の範囲の投与量を,本件特許発明1が特定した適用症例に応じて,固形癌又は白血病であるか(本件特許発明2),卵巣癌であるか(本件特許発明3)で区分した発明であるから,結局,本件特許発明1は,本件特許発明2及び3を包含する関係にあることになる。そうであれば,本件特許発明2及び3が発明の詳細な説明に記載された発明であるということができない以上,これを包含する本件特許発明1も発明の詳細な説明に記載された発明であるということはできない。
    (6)Xの主張について
      ア Xは,本件明細書は,タキソールの175mg/m2及び135mg/m2の用量で3時間注入という特定の用法,用量で所望の効果が得られることを開示した具体的記載(段落【0026】,【0028】及び【0030】)を踏まえて,「更に,より高投与量のタキソールで治療し得る患者には,約275mg/m2までのタキソールが投与でき,・・・」(段落【0041】)と開示しているのであって,これが,同用法,すなわち3時間注入で135mg/m2や175mg/m2よりも高用量のタキソールを投与することを意図しているのは,当業者であれば,極めて容易に理解することができるし,仮に段落【0041】の記載が3時間投与に限定されたものでないとしても,特許請求の範囲で限定している好ましい3時間注入を専ら意図しているのは,明細書全体の記載からみて自明のことであると主張する。
        しかしながら,本件特許発明が3時間注入で135mg/m2や175mg/m2よりも高用量のタキソールを投与することを意図し,又は専ら意図しているものであるとしても,上記(3)のとおり,発明の詳細な説明には,3時間のタキソール投与量が175mg/m2を超えるものについては,その有効性や安全性を裏付ける記載がないのであるから,本件特許発明1ないし3に係る特許請求の範囲の記載が発明の詳細な説明の裏付けを欠いていることに変わりはない。
        Xの上記主張は,採用の限りでない。
      イ また,Xは,高投与量の3時間注入という条件で予備投薬中の固形癌,白血病又は卵巣癌の患者に適用したときに望ましい効果が現に得られることは,高用量のタキソールを用いた日本での試験結果である甲9ないし11に示されているとおりであると主張する。
        しかしながら,上記(3)のとおり,発明の詳細な説明には,3時間のタキソール投与量が175mg/m2を超えるものについては,その有効性や安全性を裏付ける記載がないのであるから,当業者は,タキソールが実際にその用法,用量で有用性があるか否かを知ることができない。そして,甲9ないし11は,甲9が1995年(平成7年)12月,甲10が1996年(平成8年)2月,甲11が1995年(平成7年)6月といずれも本件特許発明の特許出願後に刊行された文献であるところ,これらにおいて,高投与量の3時間注入という条件で予備投薬中の固形癌,白血病又は卵巣癌の患者に適用したときに望ましい効果が現に得られることが開示されているとしても,これをもって,発明の詳細な説明の記載内容を補足することは許されないというべきである。
        Xの上記主張も,採用することができない。
    (7)したがって,本件特許発明1ないし3は,いずれも,発明の詳細な説明に記載された発明であるということはできないのであって,本件特許発明1ないし3に係る特許請求の範囲の記載は,特許法36条5項1号の規定に違反するから,これと同旨の審決の判断に誤りはなく,X主張の取消事由3は理由がない。
  2 特許法29条1項3号について
    なお,審決の説示にかんがみ,特許法29条1項3号について判断することとする。
    (1)弁論の全趣旨によれば,甲1ないし4に記載された臨床試験のプロトコールが本件特許発明1の臨床試験のプロトコールであることが認められ,甲1ないし4に,「卵巣癌の患者に,タキソールを制癌剤として175mg/m2及び135mg/m2の用量で3時間にわたり非経口的に投与すること」が記載されていることは当事者間に争いがない。
      そうであれば,甲1ないし4には,本件発明1の構成要件を充足する態様が記載されているということができるから,本件特許発明1は甲1ないし4に記載された発明と同一であると認められる。
    (2)Xは,甲1ないし4において,タキソールを制癌剤として175mg/m2及び135mg/m2の用量で3時間にわたり非経口的に投与することの有効性及び安全性は未だ試験中であって,確立されていないから,甲1ないし4には,本件特許発明1を実施し得る程度に発明が記載されていないし,また,医師が反復実施して現実の患者への有効かつ安全な投与という技術効果を挙げることができる程度にまで具体的,客観的なものとしては構成されていないから,発明として未完成であると主張する。
      しかしながら,「頒布された刊行物に記載された発明」(特許法29条1項3号)においては,特許を受けようとする発明が新規なものであるか否かを検討するために,当該発明に対応する構成を有するかどうかのみが問題とされるべきであるところ,その投与プロトコールの有効性及び安全性は,甲1ないし4に記載された臨床試験においても当然に期待されているものであり,その期待どおりの効果が得られることを確認する試験として進行中のものであって,確立した態様としては記載されていないとしても,それだけでは,本件発明1の構成要件を充足する態様が甲1ないし4に記載されていると認定することの妨げにはならないというべきであるから,甲1ないし4は,引用文献としての適格性を欠くものではない。
      なお,Xは,甲19(A作成の鑑定書),甲20(B作成の鑑定書)及び甲21(C作成の鑑定書)を提出するところ,甲19には,・・・と記載され,甲20には,・・・と記載され,甲21には,・・・と記載されている。しかし,甲1ないし4に記載されたプロトコール自体は明確であるから,タキソールをどのように投与するかは明確であり,むしろ,甲1ないし4に記載された臨床試験がII相試験まで進んでいることをも併せ考えると,技術的にみて,タキソールが投与不可能な薬剤であるということはできない。上記甲19ないし21は,あくまでも医療行為として,医師が実地臨床の場でタキソールを直ちに処方することができるものではないというにとどまるのであって,これをもって,本件発明1の構成要件を充足する態様が甲1ないし4に記載されていないということはできない。
      Xの主張は,採用することができない。
    (3)そうすると,本件特許発明1が甲1ないし4に記載された発明と同一であるとした審決の認定に誤りはなく,X主張の取消事由1は理由がない。
第5 結論
  以上のとおりであって,その余の取消事由について判断するまでもなく,Xの請求は理由がないから,Xの請求は棄却されるべきである。」