
ふくろう博士のカナダ便り
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2006.05.19 カナダ
ガルブレイスが亡くなりましたが、彼の信仰のことで、禅キ懇のかたにご参考になるやとも思い。あえてこのお手紙をしたためました。
実は教授とは長年のお付き合いがありました。カナダに私が長期滞在できるようになったのも、教授のおかげでした。そのためもあって、自然の面白さや、文化の違いなどについて、ときどき報告していましたが、いつか他愛のない楽しいコミカルな話の「カナダ便り」をお送りするようになってしまい(一冊の本ができるかも)、いつも催促をいただくようになりました。「もらった手紙を友人たちにコピーして送っているのは君の手紙が始めだ」と。
しかし、お年なので次第に気になり、去年からは、宗教問題について思い切ってお話しするようになりました。彼はマルクスを尊敬し、宗教をアヘンと見る考えをもっていましたが、それについては、彼が "Money"という本を書いておられたので、「宗教はMoneyのようなものだ。使う人間のIntentionによって善ともなり、悪ともなる。しかし、Moneyそのもの自体は必要で良いものだ」と私の意見をお話しました。
また、思い切って、ずばり根源的生命・神の存在についてもお話ししました。それついては昨年禅キ懇の皆様にさしあげたお手紙にも書きましたが、有名な「パスカルの賭け」でご説明しました。パスカルは「神が存在するかしないか分からないが、存在する方に賭けた方が絶対いい。自分の社会生活・倫理生活もクリーンになるし、人々からも受け入れてもらえる人間になれる。もしも神が存在していなかったなら、それはそれでよい。死後無意識になるだけですむからだ。しかし、もしも神が存在していて、しかもそれをもし否定して死んだらどうなるか。大変なことになるのではないか」と。
さらに、地獄の存在についても、同じことが言えるのではないかと申し上げて、昨年皆様にお送りした地獄についての資料の英語版を添付してさしあげました。
「こんな手紙をさしあげては、ガルブレイスとの文通もこれで最後かもしれない。でも、そんなことはどうでもよい。ともかく教授は一度はこうした問題について真剣に対決しなければならない。あのまま死んではいけない。彼の周りや友人にも誰もそんなことを話してくれる人はいないだろうから」と思ったからです。
また、教授に真剣な姿勢を求める限り、私自身も信仰の問題について、真剣に私のありのままを話さなければならないと思い、それを書きました。
どんなご返事がいただけるか非常に心配でしたが、教授からは温かいご返事がとどきました。教授はそうしたことに関する個人的見解は何もおっしゃらなかったものの、危惧していたような反発などは全くなく、逆にもっと手紙が欲しいというご返事をいただきました。こうして文通はまったく自由になりました。最後に頂いたお手紙は今年の3月16日付けのものでした。
"That was a very nice letter of February 9. ………Do not doubt my pleasure in your letter. …..With best wishes from Kitty and me."とありました(いつも私の手紙は奥様と一緒に読まれていたようです)。 私がそれに対するご返事を書き始めていた矢先、4月30日に亡くなりました。私の手紙は「懐かしい昔の写真を見ていたとき、あの幸せな瞬間はどこに行ってしまったのか。もうもどってこないのかと悲しくなる。しかし、そうした瞬間を永遠に現在にする方法がある。それを今日はお話ししましょう」 というような出だしの手紙でした。
ですから、ガルブレイスは最後には神を認めて死んだのだと私は確信しています。最後の頃の彼とのやり取りで強くそれを感じていました。そうでなければ、私に手紙の催促をこんなに頻繁になさらなかっただろうと思います。
教授がマルクスを尊敬していたのは、貧しい人を味方したからだと、教授自身私に言っておられました。そして「宗教をアヘンと感じたのは、インド大使の時に、インドの宗教が貧しい人たちを貧しさの中に甘んじさせ、富者と権力者が富を独占するのを容認しているように見えるからだった」とも言っていました。教授の心に宗教性の根本に必要な慈悲の精神が明白に感じられます。
ですから、教授には私は、「神は先生にはすごく満足していらっしゃると思う。なぜなら、神が大切にしている神ご自身の子ら、とくに貧しい人たちを少しでも幸せにしようとしておられるからです」と昨年のクリスマスカードの中で書いて励ましました。それを喜ばれたご返事も頂きました。
教授が神を認めて死んだ可能性が高いことの証言は、世界の人には関心の高いところだと思いますが、おそらく、この私の証言が最初で最後のものかもしれません。
なお、教授が亡くなられた翌朝、彼の秘書と話しました。「今回も体調を崩してはおられましたが、またいつもの通り元気になると誰もが思っていました。でも、なくなるときは病院でKitty奥様と息子さんたち家族にかこまれながら、安らかに眠りに着かれました。 奥様も90を超えていらっしゃるので心配ですが、秘書によると 「しっかりとしておいでです」ということで安心しました。家族だけの密葬のあと、五月31日に公の葬儀をするとのことでした。
ますますのご健康をお祈りいたします。
ふくろう博士
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