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左上:T34の後方からのショット。
排気孔、車体上部の構造がわかる 左下:T34の後方からのショット 右上:T34の前方からのショット
右下:T34の右下からのショット |
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T34は世界ではじめて本格的に傾斜装甲を全面に取り入れた主力戦車です。ソ連は「未来戦争の実験場」と化していたスペイン内乱のとき、当時の主力T−26やBT−5快速戦車が敵対戦車砲に余りに非力なのを痛感して開発したものである。T−34はBT−5快速戦車の発展型で、世界の戦車開発者に理解されていた「避弾経始」の考えを盛り込み、良好な機動力と防御力の両立という快挙を実現した。当初の計画ではBT-5と同じく履帯をはずした転輪走行が可能だったり、45mm対戦車砲を搭載していたりとずいぶん要目が違ったが、ノモンハンやポーランド侵攻でBT-5快速戦車の欠点(ガソリンエンジンが発火しやすい、47mm戦車砲では威力不足など)が露出して、より強力な装甲を施すということで、76mm砲を搭載したT34が完成した。 また、T34に搭載されているV−2ディーゼルエンジンは戦車用エンジンとしては傑作である。当時ユンカースが航空用ディーゼルエンジンを開発して以来、列国は航空エンジン開発陣では大馬力のディーゼルエンジンの開発に取り組んでいた。それまでディーゼル航空エンジンの開発は不可能に思われていた。なぜなら一般に同一馬力の発揮を前提とした場合、ガソリンエンジンに比べてディーゼルエンジンはその基本的なエネルギー発生構造から頑丈かつ重量大で、容積も大変に大きく、軽いことと小型化を追求せねばならぬ航空機にこれを搭載することは、かなり不利と見られてきたからである。しかし、ディーゼル期間の燃焼効率および燃費が良いことや、火災を起こしにくいことなど特に軍用を考えた場合捨てがたい利点があることから、各国ともなんとか実現したいと考えていたのである。ソ連は様々な調査や試みの上でスイスのイスパノ製液冷航空エンジンが構造上、ディーゼル化が可能という結論を出し、これにドイツのボッシュ製燃料噴射ポンプを取り付けて試作を試み、1931年中に12気筒V型BD-14を、1933年初めにV-2とほぼ同様のBD-2(500ph)を完成させた。しかし、当時すでに戦闘機のエンジンの出力が1000hpを超えることが確実となったので、航空用としては採用されず、これを戦車用に改良して1937年末までにV-2エンジンとして完成したのであった。 走(幅広の履帯による良好な不整地走破力)・攻(大口径76mm砲)・守(車体全面に採用させた傾斜装甲)の三大要素を持ったT34は独ソ戦の始まりと共に、ドイツ機甲化部隊を震え上がらせた。当時ドイツの主力は3号戦車で主砲は50mmであり、至近距離からでもT34の撃破は不可能に近かった。さらに長砲身4号戦車ですらT34相手には相当な苦戦を強いられ、撃破も容易ではなかった。しかし、開戦初期はソ連の内部抗争により、新型戦車T34に充分な弾薬が補充できなかったため、捕獲してみたら弾薬をまったく積んでいなかったということすらあった。また乗員が一般戦車の5名に比べ、車長が砲手をかねて4名という方式を採っていたので、砲の発射速度が遅く、85mm砲搭載型になるまでその問題が解決されないという欠点もあった。さらに捕獲されたT34を手本にドイツも新型5号戦車パンターを開発してこれに対抗し、ソ連も76mm砲からより強力な85mm砲に改装したT34/85を開発しこれに立ち向かったが、ドイツはさらに強力88mm砲を搭載した6号戦車ティーガーを投入し、戦車の質的にもドイツに優位を取られるという事態に陥った。これはドイツの生産力不足から数で押し切ったが、もしこれで1次大戦のようにドイツに敗れでもしたら、それこそ粗悪戦車のレッテルを貼られたままであっただろう。 |