旅日記Vol.43 名残の名鉄600V線区を訪ねて 2005.1.24 岐阜

 ●突然のツアー決定

以前、レイル・ストーリー8をリリースした時に取り上げた「美濃町線を救った電車」「海を渡った電車」だったが、取材時点でこれらの電車が走る名鉄美濃町線を含む、通称岐阜地区600V線区が今年3月いっぱいをもって廃止されることが既に決まっていた。
この時の取材もクルマで日帰りという強行日程(いつもだが…)だったが、金沢を出るときは雪が降っていて、しかも北陸道は普通タイヤ車チェーン規制と悪条件だった。積雪は大したことがなかったのでそのまま出発したが、米原まで行くと25cmも積もっていて、北陸道よりむしろその先、名神高速で梯団除雪による渋滞に何度も遭遇した。さらに関ヶ原の雪はハンパじゃなかったが、養老SAのあたりからウソのように雪がなくなってしまい、そのまま美濃まで行った。美濃には少し雪が積もっていた。取材はサクサクと進み、犬山付近を取材して小牧ICから名神高速に乗ったが、帰り道もずっと雪だった。

でも、もう一度美濃町線や岐阜市内線を訪れたい。それも取材抜きに、「鉄」が押し寄せる前にまだ普段の、そして最後の姿を見たいという気持ちが募っていたのは正直なところ。去年の反省もあって今回は名神の雪を避けて…と思っていたが、幸いこの日は北陸を含め全国的に穏やかで、これならスムーズに行けると判断したのは朝のことだった(爆)。

 ●冬の北陸道と名神をドライブ

サッと身支度して家を出たのは9時半ごろだったかな。北陸道は美川ICから乗る。薄い雲に覆われていたが晴れ間も覗き、まずまずのドライブ日和。速度規制もチェーン規制もなく快適だ。でも福井県に入り、丸岡ICの辺りからは年明けに降った雪がまだ残っていた。福井北ICからは田圃もまだ真っ白。同じ北陸なのに金沢と違うな〜と感じたが、さすがに豪雪地の今庄に近づくとまだ30cm以上も残っていた。
この先上り線は杉津PAから葉原トンネルまでかつての北陸線ルートだ。杉津PA(上り)は駅の跡地に出来ているが、以前レイル・ストーリー7「これがホントの「道の駅」」で取り上げたのを思い出す。こうしてハイスピードを保って走れるのは、デコイチが咆哮していた当時は考えられなかっただろうと思う。
敦賀ICの先、刀根PAで小休止。ここも話に書いたが元の北陸線の刀根駅だ。勾配の途中に作られた駅だったので、ホーム部分はスイッチバックしていた。PAの下り線はその跡を利用している。

滋賀県内も結構雪が残っていたのに驚いた。米原JCTからは名神高速を東へ。『700系のぞみ』がFitくんを追い抜いていった。遠くには名古屋空港を離陸した飛行機が見える。

岐阜市内に入るには名神高速からはちょっと距離があったが、東海北陸道が出来てからは岐阜各務原ICが近く便利になった。ICを下り、名岐国道を少し走ればもう岐阜市内だ。途中でJR岐阜駅方向へ向かったが、その道は国道157号線。なんだ金沢市内と同じじゃないか…(笑)。妙な安心感と違和感。まずは美濃町線沿線から訪ねてみることにする。

 ●下芥見〜上芥見

かつての終点だった美濃市や今の終点の関は去年訪れているので、時間の都合でパスした美濃町線の名所、芥見近辺へ。概ね国道156号線沿いに走る美濃町線だが、この付近だけは大きく外れたルートをとっている。ちょうど下芥見駅に着いたら、上りと下りの電車が近づいていた。

下芥見駅舎とFitくん 美濃町線用モ800形
下芥見駅舎 新岐阜行きのモ800形

冬というより、早春の柔らかな陽射しの中、新岐阜行きの電車がやってきた。程なく新関行きの電車もやってきて、タブレット(通票)を交換。どちらの電車もモ800形だった。この電車は以前福井で行われたトランジットモール実験にも貸し出されたことがあり、北陸の地を踏んだという異色の存在でもある。

続いて上芥見へ移動。この付近はごく普通の町中のあるような道に線路が同居していて、鄙びたムード漂うところで有名だ。さすがにこの辺まで来ると「ご同輩」が数人…今はまだ廃止まで2ヶ月だから少ないが、いよいよ廃止が近づくと多くの「鉄」がやってくるだろう。ただし沿線の人々や電車を運行する名鉄に、けっして迷惑をかけないよう行動して欲しいと心から願うばかりだ。

上芥見駅はバス停の風情。その先は関に向かって1車線の道路の隅を走っている。しばらく待って再び上りと下りの電車を待つ。

美濃町線用モ600形 美濃町線用モ870形
唯一残ったモ600形 道産子電車モ870形

これはラッキー!新岐阜行きは各務原線との直通運転のパイオニア、モ600形の唯一の生き残り(606号)だった。最近まで赤一色の塗装だったが、廃止を目前にデビュー当時の白線入り塗装にされて最後の活躍中だ。
関行きは札幌生まれのモ870形。もうすっかり岐阜暮らしに馴染んでいるようだが、いよいよ廃止が近づいてどんな心境だろうか。塗装だけでも札幌時代に復元出来ないものだろうか。可能ならば保存も…。

 ●日野橋で

今度は日野橋へ移動。市内入りした道が国道157号線なら、こちらは国道156号線。おまけに道路の両側には北陸でも見慣れたチェーン店が並び、遠くまで来たという気が起こらない。岩田坂を越えればもう日野橋だが、美濃町線唯一の峠とも言えようか。ちょうど新関行きのモ880形が走っていくのをキャッチ出来た。

駅では新岐阜行きの電車の運転士さんが電車を待っていたが、その間も駅のレールの手入れなどに余念がないようだった。廃止まで残された時間は僅かだが、鉄道を愛する気持ちを感じた。並行する国道156号線の標識には電車の存在が記されている。でもこの表示もあと2ヶ月。廃止後は消されるのかなと思うと、ちょっと胸が締め付けられる思いだ。

美濃町線用モ880形 線路の手入れに余念がない名鉄の社員さん この標識はどうなるのだろう…
新関行きのモ880形 乗務までの間、線路の手入れを 標識の中の電車の運命は…

 ●岐阜市内

岐阜市内に戻り、美濃町線の区間運転車から訪ねてみる。北一色から徹明町までは路面区間で、徹明町-日野橋間などでは区間運転も行われている。かつて新関-美濃市間を走っていたモ590形が、今はすっかり主的な存在になっているようだ。競輪場前からは田神線が分岐しているが、これは岐阜工場への引込み線としてつくられたもので、その後美濃町線の各務原線新岐阜駅乗り入れに成長している。600V車を一手に引き受けている岐阜工場だが、路線廃止と同時に役目を失うことになるのだろう…。

徹明町は美濃町線の基点だが、線路は岐阜市内線・揖斐線とも繋がっており、直通運転も可能ではある。面白いのはこの電停には駅舎がちゃんとあることで、通りのアーケード街の中に「徹明町駅」と看板をつけた建物が存在する。駅員さんも配置されている。

美濃町線用モ590形 アーケードの中の徹明町駅舎
今は市内区間運転主体のモ590形 これが徹明町駅舎

こうして岐阜市内の区間を走ってみると、二つの大きな事に気づく。
まずは電停が安全地帯に指定されておらず、ホームらしきものは緑色に塗り分けられた部分だけということだ。つまり乗客は道路の真ん中で電車を待たなければならず、危険極まりない。しかもホーム状になっているワケでもなく、バリアフリー化も不可能である。
二つ目は道路が軌道敷内通行可能だということ。現在路面電車のある多くの都市では軌道敷からクルマを排除しており、極力定時運行が出来るよう行政、警察との調整が行われているが、岐阜市内の場合はクルマが電車を遮ってしまうことになり、定時運行の保障はない。
つまり電車の存在が既に時代遅れという烙印を押されているようなもので、地方都市にありがちなクルマ社会化ということを差し引いても、行政サイドの協力もないという事態に至っては、廃止もやむなし…というのはもはや否定出来ないだろう。

岐阜市内線は揖斐線との直通運転が行われている。忠節までの区間車も運転されているが、直通車のモ770形をよく見かける。電車は新岐阜駅前からの運転だが、つい最近まではJR岐阜駅前からの運転だった。
JRの岐阜駅は高架化が行われ、駅舎の移転と駅前広場の整備が現在行われているが、駅前は比較的狭く工事の都合で岐阜市内線の線路が撤去されてしまった。本来なら工事が終われば路線も元通りになるところだが、既に路線の廃止が取りざたされる中であり、たった300mの区間なら歩いても大差ないだろうということで、新岐阜駅前からJR岐阜駅前へと続く線路は休止という事実上の廃止が行われてしまった。そのまま全面廃止を迎えることになるとは…。

岐阜市内を行く揖斐線直通の電車はなかなか町並みに溶け込んでいた。

揖斐線用モ770形 JR岐阜駅前への線路は断たれたまま
揖斐線直通車のモ770形 JR岐阜駅前への線路は絶たれたまま…

 ●金沢へ

実に名残惜しいが、そろそろ金沢へ戻らなくてはならない。冬のドライブはなるべく陽のあるうちに済ませたいのと、#2が風邪をひいているので会社へ迎えに行かなければならなかったこともあり、岐阜を後にする。時間の都合で揖斐線をじっくり訪ねられなかったのは残念だ。
岐阜東通りから名岐国道へ向かうが、名鉄線の踏切は開かずの踏切…。各務原線はあの道産子電車モ870形が走っていて「最後まで頑張って!」と呟く余裕もあったが、名古屋本線は特急パノラマスーパーを始めたて続けに4本の電車が行き来して…時間だけ過ぎるばかり。
ようやく踏切を通過して東海北陸道の岐阜各務原ICへ急ぐ。

料金所を通ると15:29。#2には17:30に迎えに行くと言ってあったが、これで間に合うのだろうか。東海北陸道に入ってスグのPAで小休止したらあとは走るだけ、まるで飛行機で旋回しているかのような一宮JCTから名神に入り、新幹線との並行区間で『500系のぞみ』には抜かれてしまったが、これは当たり前か(笑)。大垣ICから先の名神の路面は塩で真っ白。この区間は薬液散布なのかな。
北陸道に入っても順調に飛ばし、南条SAで給油しようとアクセルを緩めたら、併走する北陸線の『しらさぎ』に抜かれてしまった。これも当たり前か(爆)。給油の間に#2に「少し遅れるかも〜」とメールして、ラストスパート。だんだん辺りが暗くなってきた。
金沢西ICを出たら17:33。なんと2時間4分で着いてしまった。雪の無い高速道はありがたい。#2の会社に着いたのは17:50だった。少し遅れたが何とかなった…。

●  ●  ●

鉄道の廃止は、実に寂しい現実である。かつてこの地に鉄道を走らせた時の希望は、80年の時を過ぎてすっかり変貌してしまった。廃止直前には第三セクター化が検討され、事実岡山電軌に経営参加を仰いでみたというが、厳しい現実はそれさえ無理だったようだ。愛すべき路面電車がまた一つ消えようとしているが、行政サイドの協力もなく平成のこの世まで生き永らえたのは、市内線や新岐阜駅への直通運転など、名鉄の企業努力なしには語れない。

岐阜市内線には、かつて北陸鉄道金沢市内線で活躍していた電車が多数走っていた。惜しむらくはそれらの電車の姿を見ることが出来なかったことだ。ずっと元気で走っていると思っていたのに、気がついた頃には引退していたのだ。それは以前岐阜未来博が行われた時、路面電車は邪魔だと徹明町-長良北町間が廃止され、金沢生まれの電車も運命を共にしてしまっていたからだ。
今、地方都市に残る路面電車は、欧米でのLRT化を参考にして未来への足がかりを模索している。しかしそれは多額の資金援助を必要とする。市営交通でない名鉄にとって、行政の理解が得られなかったのは致命傷だった。こうして最後の日を迎える結果となってしまった。

しかし美濃町線モ880形やモ800形、揖斐線モ770形やモ780形はまだ車令も若く、第二の活躍地を探すことになるだろう。系列の豊橋鉄道などに移籍することになるとは思うが、こんなに早く岐阜の地を去る事になるとは…。

1月29日、「セントレア」こと中部国際空港の開港を目前に控え、名鉄は空港特急『ミュースカイ』をデビューさせた。これに伴い長年親しまれた新名古屋駅と新岐阜駅はそれぞれ「名鉄名古屋」と「名鉄岐阜」駅に改称することになり名鉄の新時代を迎えることになるが、その歴史の1ページは、これら岐阜地区600V線区の廃止と重なって記されることになるだろう。

お疲れ様でした。美濃町線・岐阜市内線・揖斐線と電車たち。このレールが輝きを失い、錆びつき、やがて姿を消しても、その存在は忘れない。

いつまでも記憶の中で輝いていてほしい
最後のレール

(おことわり)
このページでは名鉄岐阜を「新岐阜」と書いておりますが、現地を訪れた1月24日当時、まだ旧駅名となっておりましたので、そのまま記載しました。

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