登攀活動 その14


先行するイタリア・スペイン隊と仕立隊員 FIX終了点にて

10月12日 晴れ

2時半起床のつもりが3時になる。
となりのイタリア隊は、すでに出発していった。

軽い食事をするが、喉にひっかかり山田は少し嘔吐してしまう。
名塚さんは、奥で眠っている。

4時40分、仕立に続いて出発する。
本日は、念のためメインロープとスノーバーをもっていく。
仕立もツエルトをもった。

先に出発したイタリア・スペイン隊の残りのメンバーと前後しながらの登行となる。
FIXの終了点でイタリア隊の女性とシェルパが引き返していった。
休憩していた仕立と写真を取り合い、ここにユマールをデポする。

少し休んで仕立を追うが先行の4人がかなり上部をトラバースしているのが見える。
仕立は、同じルートを追っている。
簡単なMIXの部分を直上していったようだ。
古いFIXの切れ端も下がっている。
そこをノーロープで下るのはいやなので、その地点からトラバースしようとするが少し、雪質が気持ち悪い。
ぼこぼこと空洞のような音がする。
少し迷って、もう少し下からトラバースすることにする。

仕立が時折振り返って様子を伺っているが、トランシーバーは通じない。
途中、名塚さんが残したと思われる赤布の飛んでしまった竹竿を見つける。
このあたりをトラバースしたようだ。
後ろからは、イタリア・スペイン隊の2名が 私のトレースを後続してくる。
それほど、潜るわけではないが休むと同じように休憩し、一定の距離を保ってくる。
先行の4人は、雪尾根の向こうに姿を消した。

ゆっくりと登りながら、いろいろなことを考えていたように思う。
準備のこと、東壁をあきらめたこと、これからのこと。
亀のようなペースで登りながらすでに頂上をあきらめている自分があった。
それでも上を目指しているのは、初めて8000mの高さに向かう仕立に対する責任感だったと思う。
アイスバーンと膝程度のラッセルを繰り返すうちに仕立も雪尾根を越えていった。
時計を見るとすでに8時半くらいだった。
遅すぎる。

上と下を交互に眺め、しばらく考えた末下降を決意する。
9時前、私のsuuntoは7390mを指していた。
登山期間中を通して概ね200m〜300m低めの値をさしていたので、7600〜7700mくらいだろうか?

再度、仕立との交信を試みるが、通じない。
C1の宮川さんに私のみ引き返す旨交信を入れる。
腕を伸ばしてお決まりに写真を撮影し、下降に移る。

後続の2名とすれちがい時間が遅いし下りたほうがいいのでは、と話しかけるが頂上を目指すそうだ。
残念ながら1名は、のちに滑落、行方不明となってしまった。

途中、何度も写真撮影をしながら下降する。
FIX終了点付近にメインロープのFIXを試みるがスノーバーもピトンも効かず、C3への下りの最終部分にFIXすることにする。
冬のシャモニで買った私にとっては、思い出深い8.9mm×60mのロープを最後の部分に付け足す。
疲れて降りてくるアタックメンバーのためにはなるだろう。
丁度60mでテントについた。

C1の宮川さんとBCのダワと交信し、テントに入る。
昼過ぎに登頂に成功したイタリア隊の4名がおりてききた。
仕立君も頂上へ向かったそうだ。

14時すぎに待ちわびた仕立君からの通信が入る。
登頂後、トラバース地点の手前まで降りてきたとのこと。
良かった、ふと涙があふれてしまう。
慎重に降りるよう促す。
その後、C1、BCとの交信。

17時前にC3に降りてきた。ココアで迎える。
仕立君の肩を抱くと涙がこぼれてしかたなかった。
1年の苦労が報われた瞬間でもあった。
仕立君、ご苦労様。

山田 記

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