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事後処理 その3 |
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ダウラギリ東面 空撮
10月24日 晴れ
StudentGusetHouseの前で6時に、コスモのギャルツチェンを待つ。
車で空港に向かう。
8時10分コスモのスタッフと山田を乗せたロシアンヘリは、
8時10分にカトマンズを飛び立った。
隙間風の入る少々恐ろしげなヘリだったが、
マナスルからアンナプルナやマチャプチャレを見るにつけ、
目的を忘れて写真をとり少し興奮する自分があった。
すばらしい光景だ。
そしてヘリは大きく回りこみダウラギリの南壁が目に飛び込んできた。
あっという間にマルファに降り立つと、
ほんの数日前に別れただけなのに何か久しぶりに会うような気持ちで
ニマオンゲルとの再会を果たす。
ニマタシの顔も曇ったままだ。
無理もないだろう。
あの後、上部は雪煙を上げる日が続き多くの雪も降ったとのこと。
そしてBCにテント一式を残したままマルファまで下山し電話したことなどを聞く。
予備の燃料を含む余分な荷物を降ろしたヘリは、
我々3人をのせてダウラ上空へ向かう。
BCでニマオンゲルを降ろし、ニマタシと山田は、
北東稜から東壁に向けて何度も旋回を繰り返しながらぐんぐんと高度を上げる。
C1付近から北東稜上部に、東壁の登攀ルートを目で追いながら、3人の痕跡を探すが、みつからない。
肉眼で、ファインダーを通して、双眼鏡をのぞいて、
右の窓から左の窓からと探しつづける。
トランシーバーによる交信も試みるが応答なし。
パイロットに何度か呼ばれ、飛行コースの指示を仰がれ、
何度も何度も北東稜から東壁へ、東壁から北壁へと旋回してもらう。
順応ができているとはいえ、いっきに7500mまで上昇するとさすがに息切れを覚える。
もちろんパイロットは酸素を吸っている。
残念ながら痕跡を発見することができず、マルファに戻る。
ヘリの燃料補給の間ボーッとしていたらホテルサンライズ
の親父や名塚さんが泊まっていた宿の親父らが話かけてくる。
残念な結果だが受け入れざるを得ないだろう。
箱いっぱいのりんごをいただき、カトマンズにもどる。
そのまま、コスモに向かい昼食をごちそうになりながら状況を報告する。
午後、14日にC1から遠望してからヘリでの
捜索までに経緯をまとめ群馬の八木原さんにFAXを送付した。
今日は、群馬から宮崎、佐藤両氏及び山田の友人がカトマンズ入りする予定である。
いったんホテルへもどり、空港に向かう。
宮崎さん、佐藤さんとは今日は簡単に挨拶をかわし、
同じ飛行機でやってきた友人(現在は妻となった)とホテルへもどる。
多くの話をした後に就寝する。