きみを希う vol.3



 夕暮れの時の流れはとても早く、人里離れた場所では特に一気に闇に包まれる。村はずれの一軒家ではすでに蝋燭が灯され、隙間風にあおられて、十の人影がゆらゆらと揺らいでいた。

 部屋の真ん中には縄で括られた男が腰を下している。男は豚男の仲間だと言う。その男を四人の騎士が取り囲み、そのうちふたりが男の身体を押さえこんでいた。乱暴するわけではない。ただ、拘束しているだけだ。

 男の正面にはセシルが、セシルの背後にはふたりの騎士が立っている。そして彼らから離れるように、部屋にひとつしかない出入り口のそばで巡監使ミッターヒルと赤毛の少年が控えていた。

 調書はひとりずつ行われた。

 淡々と尋問を行っていくセシルを騎士たちは脅威の眼差しでもって射抜いていた。気持ちが現実に追いついていかないのだろう。それでも、驚きに声をあげて取り調べの場の空気を乱さないのはさすがに騎士と言える。半信半疑であろうが恐怖を抱こうが、巡監使の黙っていろの一言を受けて沈黙を守りきる精神力は賞賛に値するものだ。

 尋問している間は、尋ねるセシルとそれに答える男の声だけが部屋を占めていた。

「そのへんでいいだろう。いい出来だセシル」

 巡監使のその言葉が、豚男の仲間から必要な言質を取りおえた合図となった。自分を慮るミッターヒルに振り返るため、男に定めていた視線をそっと外した。ミッターヒルは厳つい相好を崩すことはなかったが、満足そうに強く頷いてくれた。セシルも大きく頷き返して、男と眼の高さを合わせるために床についていた膝を伸ばして立ちあがる。

 男はセシルが視線を外した途端、ぴくんと身体を小さく震わした。次の瞬間には顔つきを鋭いものに変える。最初は青かった男の顔色は、今や赤黒く変わっていた。まさに怒りの色である。

「おまえ、俺に何をしたっ! この化け物め!」

 セシルの細い肩がぴくんと震えたが、これは恐れから震えたのものではなかった。それまで従順だった相手が突然の大声を出したから驚いたに過ぎない。その証拠にそれ以降いくら怒声を浴びせられてもセシルは視線を再びぴたりと男に定め、睨みつけている。

 蝋燭が揺れるとそこかしこの影も揺れ、年齢のわりに大人びたその秀麗な顔半分を覆う影もまた揺らいだ。

「おまえだろう!おまえが何かしたんだ!」

 どうやって自分を嵌めたのかその手段はわからないが、その元凶となったのはこの子どもだというのは男にはわかっていた。許せないと思った。カンギール人の子どもに向かって男はぺっと唾を吐いた。

「おまえは化け物だ! 誰かこいつをどうにかしろ! こんなの生かしてたら碌なことねえぞ! 殺せ! 殺せ! その化け物を殺せ!」

 罵るだみ声は止まることを知らなかった。部屋中に男のだみ声が轟けば轟くほど、セシルの視線はますます鋭くなっていく。

「気にするな、セシル」
「はい」

 これ程度のことで心が痛むことはない。セシルは唾で汚れた頬を袖で拭った。

 周囲を見渡せば予想通り、騎士たちの表情は奇妙な生きものを見るかのようにとても硬い。信じられないものに出会ったかのように唖然と口を開いているもの、口を引き結んで眼を逸らすもの。そして、なぜか赤毛の少年だけが無表情のままじっと自分を見つめている。その感情を含まないまっすぐな視線がすごく印象に残った。

 少年の眼には恐怖も嫌悪感も好奇心も感じられなかった。だが、無関心とも違う。強いて言えば、あら探しをしているかのような、まるで試されている感じを受ける。そんな視線だった。

 こんな眼で見られたことなどなかった。見張られているようで落ち着かない。

 すでに取調べを終えた男は部屋から連れ出されている。次は豚男の番だった。

「セシル、続けられるかな?」
「大丈夫です。やれます」

 豚男が連れてこられた。セシルと視線を合わせた途端、豚男は自分のほうから名前を明かしてきた。前の男よりも反応が早い。セシルは神妙な面持ちで豚男の感度の強さに感心した。

 その豚男の名をセシルが呼び、「私の眼を見て訊かれたことに答えなさい」と言うと、豚男は一瞬全身を硬直し、セシルをまんじりと見やる。ふたりの視線はしっかりと絡んでいた。

「ではあなたの出身地と住んでいる場所をまず教えなさい」
「ここで何をしようとしていたのですか?」
「取引に関わるすべての人たちについて話しなさい」

 セシルが問えば返事は必ず返ってきた。

「ウグラダだ。田舎も田舎、ここらとそんなに変わんねえとこさ。今は腰を据えるような暮らしはしてねえからな。決まった場所ってのは特にねえよ。今夜はここで寝て、明日は近く町にでも泊まるかな。いい宿を知ってるんだ。そこの女将が別嬪でよ。色気もたっぷりあってたまんねえんだよ」

「金を渡す約束をしていた。代わりに宝石をもらうことになってるのさ。あいつは頭はいけてねえが、なぜか持ってくる石は質がいいんだ。お蔭で高く売れる。盗む時に目星をつけてるんじゃねえか。綺麗な石、さまさまよ」

「ここで約束してたのはあいつとだけだ。ほんとだぜ。他人に分け前やるつもりはねえからな。俺は誰ともつるまねえよ。ああ、金か。あれは特別仕様さ。イクミル金貨一枚につき、あのオルゼグン金貨二枚と換えてもらうんだ。すっげえ得だろ。だがないつまでも俺はこの程度じゃ納まらねえぜ。あのオルゼグン金貨でもってもっといい思いをしてやるのさ」

 まるで三文芝居を見ているかのようだった。あらかじめ渡された台本の台詞を丸暗記しているかのように、豚男はセシルの尋問に対してごねたり黙りこんだりすることなく、淀みなくすらすらと素直にしゃべった。訊かれた以上のことまでしゃべるので話好きな性質なのかと疑いたくなるくらいだ。

 二度めの取調べだからか、騎士たちも事前の覚悟ができていたようで、尋問がはじまっても前回にようにうろたえる様子はあまりない。少しは慣れたのかもしれない。

 とはいえ、最初の比ほどではなくても多少の驚きはまだあるようで、その証拠に唾を飲み込む音がそこかしこから聴こえている。当然、セシルの耳にも届いていた。

 取調べが進み、豚男が持っていたオルゼグン金貨の根本を尋ねると、出稼ぎ商人の話が出た。、鍋や釜などの炊事道具を専門に扱う金物商が町にくると換金してくれるのだとだと言う。ひとりめの取調べには出てこなかった情報である。

 金物商の話が出ると周囲に緊張が走り、ミッターヒルまでが真剣な面持ちで身を乗り出してきた。巡監使一行にとって新たな手がかりになるかもしれない重要な情報である。喉から手が出るほど欲しかった獲物を前にして一同そろって殺気立った。

 荷馬車に商売道具を乗せて移動販売をしているその金物商は、主に田舎町を周りながら定期的に同じ町を訪れるのだと言う。荷馬車の荷台には《ロギの針鼠》と書かれてあり、それが移動店舗の名前であるらしく、豚男はその金物商のことを《ロギの針鼠》と呼んでいた。話の感じから《ロギの針鼠》はどうやら豚男よりも立場が上にある仲買人のようだ。

 セシルが《ロギの針鼠》について話すように促すと、豚男は外見や容貌の特徴、次の取引の場所など、知ってる限りの情報をまるで受け取ってくれと言わんばかりに大盤振る舞いに語りに語った。

 《ロギの針鼠》に関する話以外は仲間の男の話と重複している。

「嘘の自供をしているわけではないようだな」

 二十代後半の騎士が言った。

「あらかじめ話を合わせるよう仕組んでいる可能性もありますよ」

 二十歳を過ぎたばかりに見える若い騎士も負けじと言う。

「口裏を合わせているにしては、共通の話題の中身に食い違いがほぼない。偉く詳しいところまで合っている」

 豚男は得意げに機嫌よく話していた。まだ話したりないらしい。

「待ち合わせは月一って決まってる。決まった宿の決まった部屋で会うんだ、その宿の女将がいい女でよう。宿の飯も酒も結構いけるんだ。あいつが来るのは夕方から夜にかけてで、いつも決まっちゃいねえ。だから俺はあいつが来るまでちびちびやってるんだ。もちろんお代は向こうもちだぞ。当たり前だろう、俺は長々と待たされてるんだから。宿の定番料理は豚の煮たので、野菜と一緒に煮込んであるのがまたいいんだ。たっぷりと脂がのってて豚の肉がぷるんとしててよ、ああこの間お代わりしようとしたらあいつが来ちまってよう。お蔭で食いたりねえったらありゃしねえ。ったく、もう少し遅く来いってんだ」

 よくもまあ口が回る男である。

「調書を取る側としては有難いことと思うべきなのだろうな」

 それからも延々と豚男は臨場感にあふれた自分の表現力に満足しながら、料理に使われている食材から味つけまでひとつひとつ丁寧に批評をした。一度食べればどんな調味料を使っているかとくと説明できるのだと言う。余程舌には自信があるようだ。説明しろと言われればいくらでもしゃべってやるぞと豚男は胸を張った。どうやら豚男は食通を自負しているらしい。

「俺はうまいものをいくらでも知ってるのに、あいつは俺が勧めた料理をひとつも注文しなかった。何て奴だ。せっかくひとがうまい料理を教えてやったのに」

 しばらくすると豚男は《ロギの針鼠》を妬むようなことも言いはじめだした。

「あいつは要領がいいだけで俺があいつに劣ってるわけじゃねえ。たまたまあの仕事に先に就いただけの話なんだ。この悔しさがわかるかい?」

 豚男の話は行ったり来たりで至極わかりづらかった。豚男は宿の料理の批評ががひと通り過ぎると今度は愚痴を言いだし、また次には料理の話に戻っていくのだ。

 そのうち自分がどれだけ悔しい想いを抱いているかをぐだぐだと語りだした。どうやら《ロギの針鼠》には相当妬みがあるようだ。ついにはミッターヒルに向かって昔馴染みにでも語らうように、「おめえもそう思うだろ。なあ、頼むよ。おめえだけでも俺の味方でいれくれよ。なあなあ」と絡む始末である。

「酔っ払いか、おまえ。手に負えねえな」
「たいそう無茶苦茶な話だ」
「まったくだ。俺たちは敵対関係にあるのに味方でいてくれはないぞ。そもそも一番上役のミッターヒルを捕まえてするような話ではない」

 騎士たちはたいそう呆れた。

 それからしばらくの間、似たような話を豚男は繰り返し、くだを巻き続けたため、聞いている側もだんだんと嫌気が差してきた。

「おい、そこまでだ。もういい加減にしておけ。──セシル、これ以上は無用だ。終いにしよう」
「はい。わかりました」

 セシルが豚男に合わせていた視線を逸らし、わずかに距離を置いた。

 途端、それまで朗らかに話していた豚男が、「うわああああ、きさまああああ!」と突然奇声を発した。最初の男と同じように大声で喚き、やはり「俺に何をした!」とセシルに向かって問いただす。

「おい、いい加減にしろよ!」
「無理やり黙らせてやってもいいんだぞ!」

 騎士たちは豚男を睨みつけると豚男は一瞬しゅんと小さくなったが、すぐに懇願するように訴えてくる。

「俺が言ったのは全部嘘っぱちだ! 信じてくれっ」

 だが、次の瞬間には再び殊勝な態度をかなぐり捨てて、「おまえだな! 俺に何をした!」と怒鳴り散らしてセシルに掴みかかろうとするので、騎士たちが暴れる豚男の身体を床に押さえつけた。

「おまえには感謝してるぞ」
「本当だぞ。あっちの男以上に使えるな」
「言うんじゃねえ! いつもなら俺の口はそんな軽いもんじゃねえんだ。あんなの嘘だ、信じるんじゃねえ!」
「嘘にしては、料理の批評があまりにも具体的だったがな」

 豚男が仲間の男を蔑んでいるのは明らかだった。始終自分のほうが立場が上だと誇示していたのだ。だが一方で、《ロギの針鼠》には下卑た劣等感を抱いている。

 ミッターヒルの唇がゆっくりと弓のように曲がり、豚男の訴えを「喚いたところでもう遅いわ」ときっぱりと切り捨てた。

「貴様には私からも礼を言うべきかな。貴様が教えたくれた情報は俺たちが精々役立ててくれるわ、待っておれよ。おお、それにだ。豚の煮つけも機会があれば食してみようぞ。どれだけうまいか私も食いたくなったからな。そうそう、次の取引は朔の日の夜だったな。件の食堂に食いにいくついでに 《ロギの針鼠》を待っていようか。うまくすれば贋金作りに加担したものたちすべて捕まえられるかもしれんしな」

「うるせえ。そんなわけあるか。豚の煮つけなんぞ知らねえ。どこで聞いたか知れねえが、そんだけ食いてえのなら勝手に食ってろ。《ロギの針鼠》なんて奴も知らねえ。知らねえ奴の話なんかするんじゃねえっ!」

 豚男の喚き声はすべて綺麗に無視された。

 ミッターヒルが両脇にいた騎士たちに豚男を連れて行くよう手を振り、それに応じたふたりが力ずくで引きずっていく。そのさまをほかの騎士たちとともにミッターヒルは冷やかに眺めていた。

「俺がしゃべったことは嘘八百だ。女みてえにペラペラしゃべるような俺じゃねえぞ。そうだろう、ええ? こんな子どもになんかにペラペラしゃべる奴なんかいるもんか。これは何かの間違いだっ」

 どんなに喚き散らしたところでまともに相手をするものなどひとりもいない。

 豚男が部屋から去り、再び静寂という名の平穏が訪れると、セシルは初めて大役を果たした安堵でほっと胸を撫で下ろした。

 だが、まだ完全な平和が自分に訪れたわけではないことも充分わかっていた。自分という異相のカンギール人が他人の眼にどれほど脅威に映るのか、物心つくと同時に言い聞かされて育ったセシルである。きっとこの騎士たちも見る眼を変える。それは伺候任務を賜った時から覚悟していたことだった。

 ところが現況はセシルの想像を超えるものだったのである。

「何とすばらしい能力なんだ」
「いや、まさしく」

 騎士たちが褒めちぎりながら、乳白色の頭を撫でてきた。突然の接触に、思わずセシルは首を竦める。

「セシル。よくやってくれた」

 ミッターヒルも小さな肩をポンと気安げに叩いてきた。この人たちは自分を恐れないのだろうかとセシルはますます眼を剥いた。

「さすがに宰相補佐官の推薦だけはあるな」
「はあ? 宰相補佐官の推薦?」
「そんな偉い方が認めているのか。すげえな」

 セシルは予想外の事態に、「あ…りがとうございます……。万事うまくいってよかったです」と返すので精一杯だった。

「宰相補佐官ですか。それは大物ですね」
「なるほどなるほど」

 とはいえ感心する一方で気になる部分もやはりあるらしく、騎士たちは頭を突き合わせて互いに疑問を投げかけた。

「なぜあんなにすんなり奴らは話す気になったのだろう」
「この子は何ものです? ただの領主代行ではないのでしょう?」
「見間違いかもしれないが、彼の眼の色が変わったような気がしたのだが……」

 セシルは尋問した男たちの前では決して見せなかった狼狽を見せてあたふたしていた。驚いた。ずっと聞かされていたのとは全然違う。意外でしかたなかった。自分は嫌悪される存在ではないのか。

 騎士たちのような反応は新鮮というか、想定外で、どういうふうに対処したらいいかわからなかった。セシルが教わったのは、カンギール・オッドアイの眼力の引きだし方と使い方、そして精神的外傷を持つものたちから自分を守る方法だけだったのだ。まさか好ましい印象を持ってもらえるなど考えたこともなかった。そんなものは無駄な想像だと思っていたのである。

 その十歳の子どもらしい、あたふたと動揺するさまはとても愛らしく、大人たちの庇護欲をそそった。

「セシルどのは可愛らしいなあ、本当に美人さんだ。うちの子にほしいくらいだ」
「なんだそれは。おまえのところにはもう四人も娘がいるだろうに」
「いやあ、俺に似て性格はいいのだが、顔は母親に似でなあ。十年後、花婿探しに苦労しそうで今から心配が絶えないのさ。その点セシルどのはこれだけの器量なのだ、引っ切り無し間違いないだろうからな。殺到する求婚者をばったばったと追い払う父親……、憧れるぞ」
「嫌な父親だな」
「それはそうと、わからないのは奴らの態度だ」
「ミッターヒル、何かご存じなのでは?」

 とうの昔に驚愕とも恐怖とも言える衝撃から離脱し、今では興味津々の様子で眼を輝かせる騎士たちは、どうにも我慢ができずにミッターヒルに詰め寄った。

 ミッターヒルといえば、そんな部下たちのやり取りを楽しげに眺めていたらしい。騎士たちに取り囲まれるとひとりひとりを順繰りに見まわしてゆき、ひとり平然と無関心を装っている赤毛の少年のところでぴたりと視線を止めて、にたりと笑った。まさに獲物を見つけた狼の眼である。

「エルウィン、その様子では知っているようだな。丁度いい、みんなに説明してあげなさい」
「おお、エル坊。おまえは知っているのか」
「それなら丁度いい」
「いいから話せ」
「さっさと話せ」

 少年は先輩騎士たちから頭や肩を小突かれて、何で俺がとムッと憮然の表情を浮かべた。

 それでもミッターヒルの命に背くつもりはないらしい。赤毛の頭髪をガシガシかきむしるその仕種はいかにも面倒くさいと言わんばかりだったが、仕方ねえなあと大人しく口を開いた。

「説明すればいいんでしょう、わかりましたよ。えっとですね、こちらの小さな領主代行サマがカンギール人ってのはみなさん、わかってますよね?」
「エルウィン、おまえ俺たちを馬鹿にしているのか? そんなこと言われなくても見ればわかるわ」
「カンギール人ってのはアレだろ? 乳白色の髪で、生まれた時はまだ男女の区別がないってのが特徴の、聖なるものの紛れもない子孫って言われてる人の子のことだろう?」
「我が国ではほとんどいないが、隣国のイクミルではちらほら見かけると聞くが、そうなのか?」

「そこまで知っているなら話は早い。そのカンギール人の名前の由来のもとになった聖なるものカンギールは左右異色の瞳を持っていたんです。見世物小屋とかで神話を土台にした舞台劇とか見たことないですかね? カンギール人の中でもこちらの領主代行サマのようにオッドアイを持つものは特殊で、瞳に神力を持っていると言われてるんですよ。その力を使う時、瞳の色が変わるって聞いてたんですが、どうやら本当だったみたいですねえ。言い伝えってのもなかなか馬鹿にできないようだ。さっきみなさんも見たでしょう? 領主代行サマのカンギール・オッドアイが乳白色に変わるのを」

「そうだったか?」
「俺は見たぞ」
「俺もだ。ではセシルどのが質問に正直に話すように言った途端、あいつらがペラペラしゃべりだしたあれは瞳の神力によるものだというのだな」
「そうですよ。カンギール・オッドアイは真実の言葉を引き出せるんだそうです。《学びの塔》の魔道師たちは真実を見破る力だとも言ってますけどね」

 騎士たちは騒然とした。それは偉いことだと騒ぐものもいた。

「だから、宰相補佐官が推薦なされたのか」
「つまり、セシルどのがいれば楽に供述が取れるってことだな」
「そうだ、これでわかったか。セシルは我らの救世主なのだよ。贋金貨が王国中に出回ったら、本物の金貨の信用問題にも関わってくる。へたすれば国内のみならず他国との取引もできなくなること請け合いだ。早急に贋金作りをしている輩を取り押さえなければ王国内外で多大な混乱を招きかねんのだからな。気を引き締めてかかれよ」

 騎士たちは改めて自分たちが負っている悪人たちの罪悪の重さを感じ入った。自分たちは早急な解決を期待されている。カンギール・オッドアイを送り込むという直接的な後援をしてみせたのは宰相補佐官だろうが、結局のところ、これは宰相の真意でもあり、希望に違いない。悪人たちの繋がりを突き詰め捕縛し偽造貨幣の流通をくい止めるため、宰相はその捜査の突破口にカンギール・オッドアイを選んだのだと、そう理解した。

「すごい力ではないか、なあ」
「その通りだ。セシルどのの真実の言葉を引き出せる力はものすごく使える能力だぞ」
「こりゃあ将来、セシルどのの結婚相手は絶対浮気はできないなあ」
「おうよ。隠したところですぐばれる。隠すだけ無駄だな」
「それを言うなら浮気をするだけ無駄だっていうべきだろうが」
「そりゃそうだ。それが正しい」

 豚男を連行した騎士ふたりも戻ってきて、これまでの話を聞くとびっくり顔をしたあとすぐにほかの騎士仲間と一緒になってわははと笑った。

「そりゃすごい。セシルどの、貴殿の力はすばらしいなあ」
「それはさっき俺が言った」
「なあなあ、ものは相談なのだが。俺はヒューム・ル・ロジェ。ヒューと呼んでくれ。──それでだ、今度ぜひ会わせたい人がいるんだ。実はいくら好きだと伝えてものらりくらりと交わす女がいてな。俺に気持ちが本当にあるのか、ちょっとその力で確かめてくれないか?」
「おお。そういう使い方もあったか。なるほど、では俺もぜひとも頼む。俺はマーシャル・ル・バズ。マーシャルでいい」

 俺も俺もと言われて、セシルは唖然としてしまった。なんとおおらかな騎士たちだろう。

 ミッターヒルは頭をぽりぽりと?きながら、呆れ顔で言った。

「いやはや何て奴らだ。あいつら浮かれてるな」
「完全に浮かれてますね」

 ミッターヒルが真面目に頷くと、一行の中で一番下っ端の立場にあるエルウィンも上役に倣って大きく頷いた。

 巡監使と少年は周囲の喧騒に紛れるくらいに声をひそめて話していた。

「何か月も進展がなかったところにこの急展開ですから、気持ちはわからないでもないですがねえ」
「それはそれとして、普通女の気持ちを確かめるのにカンギール・オッドアイを使うか? なんと図太い神経している奴らだ、まったく呆れるわ。図太いくせして自分で当たって砕けようとは思わないのか。男が廃るぞ、意気地のない輩ばかりだな」

「そうは言いつつも顔が笑ってますよ、ミッターヒル」
「ふむ。そうか。笑っておるか」

「ええ、思いっきり。それに彼らのあれ、意外と有意義な使い道だと俺は思いますけどねえ。身近なところで個人の幸せのためにカンギール・オッドアイを利用するなんて、すげえ微笑ましいじゃないですか。外交担当に紛れ込ませて相手国に圧力かけるとか、聖王家の末裔だって言って神輿に乗せて王座を狙わないだけでもまだマシってもんですよ」
「おいおいエルウィン、怖いこと考えてくれるな」

「別に深い意味はありませんよ。過去の歴史を振り返ってみれば、そういう使い道もあると言ってるだけです。まあ、悪だくみに使われたくないのなら、俺だったらあの領主代行サマに女性化するよう勧めますがね。男性化すれば王族と養子縁組して聖王家末裔として王座を狙う位置に担がれる可能性もありますが、少なくとも女性化すれば王位継承に関わらずにすみますし。それに屋敷の中に奥方として籠っていれば、領主として外に出て顔を売ることもない。それだけでもだいぶ危険視される可能性も低くなる」
「恐ろしい奴だな。どこまで先の可能性を描けば気が済むのだ。まったく、そういう先を見こすのに長けているところはさすがに血筋だな。ハリーに通じるところがある」

「よしてくださいよ。俺は俺です。血筋なんて関係ありませんよ」

 少年の疎意を汲んで、ミッターヒルは口をつぐんだ。関係ないと少年は断言するが、生半可な返事をするわけにはいかなかったのだ。その心当たりがミッターヒルにはおおいにあったからである。

 それに少年が口にしたのは未来のほんの一部であって、すべての考えを語ったわけではない。このひとときの会話の中ですら、少年の頭の中には幾枚もの未来図が描かれたに違いないのだ。

 その際立った才はとても素晴らしいものである。だが、もしも仮に才に恵まれなかったとしても、少年が凡庸な一生を過ごすことはないだろう。

 少年の素性は今は本人の希望で隠されているが、いずれ明らかにされる日がやって来る。そして、明らかにされたらそれ以降、その出自に眼をつけないものはいないのだ。そうなれば必然的にこの少年はこの王国の最上部の土俵に足を踏み入れなければならなくなる。少年は本人の意思に関係なく、自ら望む人生を歩めなくなるのは眼に見えていた。

「エルウィン、きみの血筋は誇れるものだ。それだけはゆめゆめ忘れてくれるな」

 ミッターヒルは、かつての上司であり、親しい友でもあるハリーのことを思った。

 ハリーこと、ピアジュ侯爵ハリー・ハンクス・ハイマイエ・ル・ティモエは宰相省で二番目に高い地位に就いている。つまりセシルを推薦した宰相補佐官というのはこのハリーのことなのである。

 そして、この赤毛の少年エルウィンは、宰相補佐官ハリーの十二歳違いの弟であった。

 ミッターヒルは兄弟の実家であるティモエ家から懇願されて、ここ一年弱、赤毛の少年を預かっていた。この少年の身分は、現時点で巡監使ミッターヒルの従者となっている。

 ハリーとエルウィンの生家であるティモエ家は王家との繋がりがとても深い一族で、王都の南東方向に広がる大領地ゲディスを賜る、オルゼグン王国一、二を争う押すに押されぬ大貴族でもある。ゲディス領には麦が豊富に収穫されるカジャスツン地方も含まれ、王国随一の穀倉庫にもなっている。カジャスツン地方の麦は品質も良いので、ティモエ家の財政を潤すのに一役買っていた。

 兄弟の父親である現ティモエ家当主はゲディス公爵ガーリー・ガリャンド・ガラン・ル・モティエ。亡き前王ケリムス・ケランの御世、質実剛健の宰相として長きにわたって国王を支え続けた辣腕家である。現在は領地に引っ込んでいるが、彼が一言「頼むぞ」と言うだけで今でも快く動く貴族や高官はたくさんいる。

 代々ティモエ家では次代のゲディス公爵となる嫡嗣はピアジュ侯爵を、またピアジュ侯爵の嫡男はラーデイン伯爵を名乗る慣習があり、ハリー自身、ピアジュ侯爵を名乗ることで次期ゲディス公爵であることを王国内外に示している。

 そのハリーの弟である少年エルウィンにミッターヒルが初めて会ったのはおよそ三年前、隣国イクミル王国西部の湖水地方にある《学びの塔》でだった。

 近衛騎士団に在籍していたころから、ミッターヒルはハリーが行方不明の弟をずっと探していることを知っていた。ハリーは美しい妻を迎えても可愛い娘が生まれても、妻子と同等もしくはそれ以上に弟エルウィンの身を案じ、行方をひたすら追い続けていた。

 そしてエルウィンの行方をひたすら追っていたのはハリーだけではなかった。ハリーの父親であるティモエ家当主もハリーの心配性を上回るほど、姿を消してもうすぐ十年が経とうとしている末の息子の行方探しを諦めずにいたのである。金にものを言わせ、四方八方に手を着くして何年間も情報を集めに集める親子の姿はいじましいほどだった。

 赤毛に緑の瞳の身体特徴をもつ少年の噂を聞けば、ハリーはどこへでも出向いて行った。何しろ当主自ら、息子ハリーの尻を叩くほどの入れ込みようだ。ゲディス公爵は膨らんだポケットをけちることはしなかった。潤沢な資金が捜索に当てられたのである、どれだけの数の細作を随所に放ったことか。

 ハリーの弟探しに長らく付き合ってきたミッターヒルは、この親子がどれほどエルウィンのことを気にかけてきたか、痛いくらいに理解していた。

 そして三年前、またもやそれらしい特徴をもつ少年が《学びの塔》に保護されていると知らせを受けたハリーは、普段の冷静沈着さをかなぐり捨てて、すぐさま迎えに行こうと行動を起こしたのだった。だが、今回は、そうやすやすとハリーを行かすわけにはいかなかった。旅支度を急くハリーを諌めるのは大変だったが、考えなしの行動をするなと諭さないわけにはいかない大きな理由があったのである。

 当時、オルゼグン王国はモース王国と戦渦にあった。いわゆるシンラスの戦いである。

 つまり、ハリーは国難をさしおいて弟捜索を先んじようとしたのである。どんな理由であろうとも王を守るべき近衛騎士団第一師団の師団長が取るべき行動でなかった。そのころ、ミッターヒルは同副団長に就いていた。

 それにハリーは重傷を負いながらも王都にやっと帰還したばかりで自邸で療養をしている最中だったのだ。身体の具合も本調子ではない。そして、いくら療養中の身で休養中だからといって、同胞の騎士や兵たちは戦場で敵兵と闘っているこの大切な時期に、同盟国とはいえ隣国に向けて私事を理由に出立するなど、ハリーの地位を考えれば、不忠な行為として王国に対する反逆罪で最高会議にかけられ糾弾されても文句は言えないのだ。そのような失態を見過ごすわけにはいかない。だからこそミッターヒルは、この有事に私情を優先するのかとハリーを止めずにはいられなかった。

 《学びの塔》はイクミル王国との国境を越えたさらに先にあり、当然、長旅は覚悟の上となるそうでなくてもミッターヒルはハリーの回復具合が心配だった。ましてやこのまま出立を見過ごしたのでは、親友でもあり上司でもあるハリーが投獄されてしまうのを高みの見物することになる。冗談ではない。

 投獄などされたら、ゆっくり療養するどころではなくなる。ましてや牢に繋がれたら、《学びの塔》に出向かいて行くなど夢物語になること請け合いだ。投獄で済めば軽いくらいだ。遠方での監禁、重動労、最悪の場合、斬首も考えられる。そのようなことになれば眼も当てられない。

 ハリーと一緒に王都に舞い戻ったミッターヒルは軽傷で済んだため、事情聴取を済ませたら、副師団長として負傷の師団長を欠いた師団をまとめてすぐさま前線のシンラスに向かう心づもりでいた。王子とともに出陣した第三師団を支援するためである。

 本来、近衛騎士団第一師団は王の身の回りを守護する役目を担っている。近衛騎士団には第一師団から第六師団まであり、第一師団は王を、第二師団は王妃を、第三師団は王太子を、第四師団、第五師団、第六師団はそのほかの王族を守護するのが慣例となっていた。

 当時、老王ケリムス・ケランは高齢のため戦場に出向くことが叶わなかったため、総指揮は王子テレンツ・テインが執っていた。ただし実際は近衛騎士団と王宮騎士団の王都のすべての騎士たちをまとめる地位にある武官最高位である司令官、シーブリズ侯爵が采配を揮っていた。

 その状況下において、王宮に残る王を守る役目がありながら、実際、この時の第一師団は困惑の中にあった。数か月にわたって生死が危ぶまれていた師団長たちが帰還したのは歓喜するところだが、師団長のハリーが大きな傷を負ったとなれば喜んでばかりもいられない。さらにモース兵の抵抗は粘り強く、戦況も芳しくない。第一師団としては副団長のミッターヒルが師団長代行を務めることになり、出陣の準備が進められていたのが救いだった。

 そんな時に《学びの塔》にいる細作から緊急の報告を受け取ったのある。ミッターヒルは「よくぞ出陣前に間に合ってくれた」とつくづく感謝した。自分が戦場に出向いてしまっていたらハリーの暴挙を止めるものなど誰もいなかっただろう。ハリーに付き添って王都に蟄居(ちっきょ)していたからこそ、傷ついた身体を引きづってでも《学びの塔》に向かおうとする親友の無体を止められると言うものだ。

 だが、ミッターヒルがいくら説得を重ねてもハリーの意思は固かった。逆に、行く手をはばかるミッターヒルに烈火ごとく訴えてきたほどである。

「今すぐ行かないと絶対後悔する! 頼む、行かせてくれ、ミッターヒル! 私のためでもティモエのためでもないっ! 弟は絶対この王国に帰ってこなければいけないんだ! いいからそこをどけえええっ!」

 そして、ハリーの熱意にほだされたのはミッターヒルだけではなかった。前王ケリムス・ケランもまた、衰弱した身体を床に横たえながらもハリーの意向を汲み取り、くしくも王国離脱の許可を正式に与えたである。これが決定打となった。 こうしてミッターヒルは戦場へと向けていた馬頭の向きをイクミル王国へと変えたのだった。

 ハリーの補助と警護を兼ねて第一師団から数人から選抜すると、ミッターヒルは出来るだけ早く帰国すると残る部下たちに約束して早々に旅立った。約束したからにはとっと言って帰ってこなければならない。同行の部下たちには《学びの塔》に行き、魔道師たちへ協力要請をするための道行だと説明しておいた。実際、どうせ《学びの塔》に訪問するのだから、それくらいのことはしてこようとハリーとミッターヒルは考えていたのである。まったくの嘘は言っていない。

 そうして、シンラスの戦い開戦の翌年初花月、およそ十年振りの邂逅を果たした兄弟だったが、大げさに盛り上がる兄に対して、弟のほうは至極冷やかだった。ハリーと同腹の弟エルウィンは、王国随一の大貴族直系の生まれにもかかわらず、貴族としての自覚を爪の先ほども持ち合わせていない少年だった。それどころか、貴族を敵視し、領主をとにかく憎んでいた。兄であるハリーに対しても、第一声は「俺に近づくな!」で、兄の愛情こもった抱擁を拒んで手足をばたつかせては暴れに暴れて抵抗していた。ミッターヒルは当初、少年の無体な所業に随分呆れたものである。

「あんなのが弟で、あなたはそれでも嬉しいのか? あれほど会いたがっていた弟にあんなふうにひとの感情を無視したような態度をとられて、それなのにどうしてそうやって笑って許してやれるのだ、ハリー」

「それはエルウィンに罪がないからだよ。いいかい、ミッターヒル。エルウィンのあの人格はこれまで彼が自分で作り上げてきたものだ。十三年の人生でいろんな経験をしてきて、それが糧となっているのだよ。汚れた水の中に住んでいた魚を綺麗な水に移してやるのが魚にとって幸せだと思うかと問われたら、『幸せに決まっている』と答えるものがきっと多いだろう。綺麗な水のほうがやっぱり気持ちがいいものな。けれど、汚れた水はただ汚れているわけではないのかもしれない。魚の餌となる藻が大量に発生して、それで汚れたように見えているだけかもしれない。わかるか? 私はね、私たちの価値観をあの子にやたらに押し付けてはいけないのだと思うのだ。だからエルウィンは悪くない。私たちが押し付けようとしていることに慣れてないだけなのだから。まずはわかってもらうことが大事だ。とにかく互いに理解し合おうと努力することが大切なのだよ。第一、本当に私が嫌ならこの部屋から出てゆく程度ではなく、《学びの塔》そのものから逃げることだってあの子にはできるのだから。それをしないということは、あの子なりにこちらの様子を窺っているのだと私は思うね」

 そのあとミッターヒルはハリーとともに、エルウィンを保護したという魔道師からこれまでの経緯と事情を聞き、それでようやく貴族の子弟らしからぬ少年の思考や行動に合点したのだった。

 秋風月朔の日に三歳の誕生日を迎え、その十五日後の十六夜月の夜半に、エルウィンは王都王宮近くにたたずむ公爵家本邸から連れ出され、それ以降、自分の本名さえ知らずに生きてきたのだと言う。覚えていたのはエルと呼ばれていた記憶だけ。「行方不明だった十年弱の間、それだけが少年の身をあらわすすべてだったようです」と魔道師は語った。

 親友ハリーからずっと行方不明の弟を探し続けているのだと打ち明けられて以来、どうしたら大貴族の子息が行方不明になり得るのか、その経緯をミッターヒルなりに推測してきた。街中に出掛けた時に迷子になったのか。それとも悪意を抱いた何ものかによって連れ出されたのか。

 だが、はっきりとハリーの口から「弟は誘拐されたのだ」と教えられた時、「まさか本当に?」の疑念に一瞬くらりと身体がよろけ、衝撃を隠せなかった。予想内の答えだったとはいえ、ティモエ家の子息を狙って本邸から連れ出す策を練り、そのための準備し、実行して成功させるなど、そんなことがあり得るのか。ティモエ家本邸といえば王宮なみに警備が厳しいことで知られる大邸宅なのである。

 《学びの塔》でのあの感動の再会の日、ハリーは緑の眼に涙をためて、嫌がる弟をきつく抱きしめては何度も同じ言葉を繰り返していた。

「きみが元気でいてくれて本当によかった、生きていてくれてありがとう。本当にありがとう、ありがとう──」

 エドウィンが両の手のひらで自分の胸や頬を力任せに押してどんなに突っぱねようが、ハリーはとても嬉しそうだった。あんなに甘くとろけそうな安心しきったハリーの顔を見たのはミッターヒルも同行した部下たちも初めてだった。

 結局、勝負はハリーの粘り勝ちで、エルウィンはハリーの腕の中でハアハアと荒く息を切らしながら、始終無愛想なしかめ面を隠そうともしなかった。とりあえずその場は黙って兄の抱擁を受け入れることにしたらしい。最初の軍配は兄にあがったというわけである。

 抱き合うというよりも兄が無理やり弟を捕まえている、そんな表現が似つかわしい、ある意味、微笑ましいとも言える兄弟再会の抱擁の様子をじっと眺めていたミッターヒルは、血筋の神秘さにしみじみ感心していた。ハリーのほうが髪も瞳もほんのわずかに濃いめとも言えるが、兄弟ふたりが並ぶと、橙色に近い明るい赤い髪と森の若葉を思わせる綺麗な緑の瞳がとても似ているのに気づく。ハリーのほうが少しだけ面長だが顔立ちもよく似通っていた。これほど似ているのである、ふたりが兄弟ではないと言い切る勇気のあるものなどいないだろう。

 不思議なのはふたりの髪の色である。ハリーもエルウィンも幼いころは、もっと赤銅色に近い濃い赤色だったらしいが、成長していく段階でだんだんと明るい赤色に変化していったのだと言うから面白い。確かに生まれた時は赤毛でも大人になったら金髪になったという話はないわけではない。この兄弟も生まれつきそういう体質なのかもしれない。

 三年経った今、エルウィンの髪は、初めて会ったあの日よりももっと金色がかった輝く赤毛へと変化している。十五歳という年齢はまだ成長途中なのだろう。背も肩幅も随分大きくなった。これからますます大きくなるかもしれない。

 片やハリーのほうは二十代後半ともなるとさすがに髪の色に変化はない。もちろん、身長のほうはすでに成長は止まっているはずである。ハリーは男の中でも背が高いほうだ。エルウィンはハリーの十代のころによく似ている。エルウィンももしかするともっと背が高くなるかもしれない。そのうちふたり並んでも肩の高さが同じくらいになる可能性だってあるだろう。

 だが、今の時点でだいぶ赤毛の色合いが違って見えるのだ、数年経っったらますます遠目でもふたりを見分けられるに違いない。

 エルウィンの赤い髪はハリーの赤毛よりもずいぶん金色が強くなった。まさに赤く輝く金の髪である。

「朱金とでも呼べばいいのだろうか、夕陽に輝く雲がこんな色合いをたまに見せるが……。このままだといずれ金髪になるかもしれぬな」

 ティモエ家には赤毛と緑の瞳を合わせて持つ子がよく生まれるというのは貴族ならば誰でも知っている話である。また赤毛の中にはハリーやエルウィンのように年齢を重ねるごとに髪の色が濃い赤から明るい赤へと変色する子どももたまにいるようだ。だが、一族で金髪になるまで色が変わった話は今まで聞いたことはない、エルウィンほど変色の度合いが著しい子も珍しいとハリーは言う。

 そしてこの髪の色の変化がエルウィンの捜索を困難なものにした原因だったとなれば、ハリーの心中も複雑だろう。捜索にあたらせていた細作には三歳の誕生日祝いの絵姿を見せていたそうだが、それでは見つかるものも見つからないわけだ。当然である、髪の色が全然違う。

「何とも間が悪い。これほど色が変わっているのがわかっていたら、もっと早くに見つけ出せていただろうに。私も私だ。エルウィンが私以上に髪の色が変わる性質だとどうして思いつかなかったのか。まったく何たることか」

 弟の輝きのある明るい赤毛を眺めては、ハリーはとても悔しげに零していたものだ。



 エルウィンは額にかかる前髪を掻き上げて、自嘲するような薄笑いを浮かべた。昼の陽光のもとでは朱金色に見える髪も、薄暗闇の中では濃い赤茶色にしか見えない。

「もういい加減ハリーに諦めるようあなたからも言ってくださいよ。ラーデイン伯爵を名乗ってくれってそりゃあ煩いんだから。ハリーもハリーだ。再婚して息子を作って継がせたらいいのに、もう結婚はしないなんて言いやがって。くそっ、どっちが我がままだってんだ。俺は俺だ、今更押し付けるなって言いたいですよ。ハリーやあなたはまあまあマシな部類なんでしょうけど、もともと貴族って奴が大嫌いなんですよ、俺。それも領主と言われる貴族が特にね。そんな俺に領主になれって? それも伯爵? 冗談じゃない」

 エルウィンは可笑しそうに笑って手をあげ降参の仕種をする。だが、眼は決して笑ってなどいない。緩んでいた口元もそのうちゆっくりと固まっていった。すると、とても十五歳の少年のものとは思えない暗く荒んだ笑みとなる。

「俺は領主なんかにはならない。領主を取り締まる側になりたいんだ。この大陸には横暴な領主が多すぎる。領主の理不尽さにどれほどの民が苦汁を嘗めているか、あなたはその眼で見てきたんじゃないんですかね? 下々と呼ばれるものでもね、下々なりに頑張って生きてるんですよ。そういう彼らの鬱憤をいつまでも抑えられると思っているのなら大間違いだ」

「それについては閣僚たちも考えておられるだろう」
「そんなんじゃ手ぬるいんですよ。俺はね、ミッターヒル。絶対に巡監使になってみせますから。巡監使になって領主という領主を片っ端から糾弾してやるんだ」

 ミッターヒルは返事をひかえた。

 エルウィンがこれまで生きてきた人生をミッターヒルは詳しくは知らない。ただ、少年の過去をなぞるような壮絶な笑みに思うところはあった。かの笑みは世間の甘苦を知り尽くし、幾多の荒波を経験したものだけが刻めむことができる、まさにそんな笑みだったのである。

 それほどの深い笑みを晒されては、浮気がばれた亭主が言い逃れする常套文句のような、この場だけ誤魔化せればいいなどという真実味のない気休めの言葉だけは言うわけにはいかない。

 それに今までどんな人生を歩んできたのか知らなくても、少年が改革者であり、この若さでありながら王国の行く末を変えた実績があることを知っているだけで今は充分だと思っている。

 少年の功績のひとつに、シンラスの戦い直後に制定された宮廷伺候試験制度がある。かの制度の草案は少年によるもので、少年は自分の生家であるティモエ家が第二の王家とも呼ばれるほど王家に近い尊い血筋の大貴族と知ると、ティモエ家に戻るにあたり、兄ハリーにオルゼグン王国の宮廷伺候に関する制度一新を持ち出し、自身の身柄と改革推進を天秤にかけさせたのである。お蔭でハリーは一族あげて宮廷伺候制度制定に向けて邁進する羽目になった。

 草案の時点で、すでに現行制度ほどではないとはいえ、貴族社会に受け入れられるように配慮されていたとミッターヒルは宰相省に所属する祐筆から小耳にしている。

 貴族有利の制度となれば、大貴族の一員として生まれながら貴族社会における高等教育を全く受けていない少年にとって自分の首を絞めるのは必定となる。少年にはそれが容易に想像がついたはずなのに、それでも貴族でないものに確実に扉が開くよう制度実現を最優先した案を提示したのだ。

 実現化を最優先するためとはいえ、貴族の尊厳と誇負をうまくくすぐるように配慮するのはとても難しい。駆け引きの見極めをしくじれば、制度が施行されたところで平民に対して門戸を閉ざす結果になってしまうからだ。

 だが、エルウィンは見事にあの草案をひねりだした。自身が望む改革の夢と現実社会の辛苦の境界線の引き加減を、当時十三歳になるかならないかの少年が理解していたとは信じがたいが、実際理解していたとしか考えられない裁量でさばかれていた。

 今や、宮廷伺候試験制度が実施され、どれほど身分が高くても試験を受けなければ大貴族と言えど官僚として王宮勤めができなくなった。

 少年は虚栄と血筋に凝り固まった貴族社会に大きな一石を投じるのに成功したのだ。

 末恐ろしい少年だとミッターヒルは胸の鼓動を高々に震わした。


   


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